食べ物レポート, 旅をする

名古屋で一杯やる時は・・・

名古屋の繁華街といえば、栄になる。その飲み屋密集地帯に大きな居酒屋があり、その名を「だるま」という。名物は「名古屋飯」と言われる、名古屋ローカルフードが勢揃いなのだ。何年かぶりで来てみれば、なんだかずいぶん明るくきれいになっていた。ちょっと前に改装したそうだ。前は、薄暗くて微妙に哀愁がある親父の居酒屋っぽかったのだが、すっかりコンビニ的な明るさでヤングアダルトな店に変わっていた。
そんな新装のカウンターでまずは専用グラスに入った生ビールを飲む。

名古屋名物といえば味噌煮込みうどん、きしめん、味噌カツ、えびふりゃーといったところだが、高級路線ではひつまぶし、安直なとところではスガキヤラーメンも名古屋ローカルとして有名だろう。
しかし、なんと言っても、どて煮を忘れてはいけない。居酒屋の定番のもつ煮込み、牛すじ煮込みなどの煮込み系料理をドーンと乗り越えた味噌味の煮込みというか、味噌で煮たもの。甘辛味がよろしいようで、どて煮発祥の店にも行ったことがあるが、どうやらこの味の濃い料理は、お店による差が出にくいのではないか。どこの店で食べてもうまいようだが・・・。

何やら昔の日めくりカレンダーのような人生の教訓を学びながら酒が飲めるのもありがたい。帰りに子供のお土産に買って帰りたくなる。一体何種類くらいあるのだろう。

手羽先と味噌カツも忘れてはいけない。手羽先は元祖よりもそれを真似したチェーンがすっかり大手になってしまったが、手羽先唐揚げ自体は名古屋のあちこちで食べられる。これは確かに店が違うと味が違う。胡椒の加減が一番の差のようだ。味噌カツは、味噌の味で決まるので、どて煮と同じで店の差はないような。ただし、衣の暑さの具合で味は変わるような気もする。濃い味付けが酒を飲む時には良い塩梅となる。名古屋は酒飲みの場所だと聞いたことはないが、出てくる料理は酒向きばかりだなと感じることが多い。

そして、これを名古屋めしと言ってはいけないよという飛騨高山地方の漬物ステーキ。もともとは鉄板で少し発酵の進んだ古漬けを焼いて食べるということなのだが、冬に野菜がない時代は保存食の漬物を焼いて食べていた。それが現代では、嗜好品として一般的になったようだ。その飛騨料理を堂々とメニューに加えるのは、だいぶ強気だとは思うが、名古屋人からすると名古屋の(影響力・支配力)範囲は日本海まで及ぶということなのだろう。卵のかけっぷりは鉄板ナポリのアレンジだし、たっぷり鰹節というのもおそらく名古屋流(きしめん的食べ方)。おまけにソースが味噌、醤油など4種類もある。確かに名古屋的に発展し拡散した料理だから岐阜高山料理などと言わず、広域名古屋圏料理とでも言うべきだろう。

東海北陸道路で走るとわかるが、名古屋と北陸との境はおそらく白川郷あたりに敷かれているのだと思う。岐阜のケイちゃん焼きも、いつの間にか。この店では名古屋めし扱いだったし。おそらく名古屋人の思考回路では、名古屋→大名古屋→広域名古屋→名古屋以外の日本くらいの広がりで、西は京都、東は沼津あたりまでは名古屋圏なのだ。

そのうち福井のサバ料理、へしことか、焼津の黒はんぺんあたりまでは名古屋飯化するかもしれないが、それもまた楽しみだ。
そして、純名古屋飯としての新興勢力といえば、台湾ラーメンから生まれた台湾まぜそばが人気上昇中、次の名古屋飯とその進化はなかなか見逃せない。

旅をする

浜松城はちょっと素敵だった

徳川初代が開いた城はいくつかあるが、出世の振り出しは浜松城、成り上がった先は江戸城ということになるだろう。
(隠居した駿府城はおまけ)

織田・豊臣・徳川の三代で終結した戦国時代だが、その東海こそが主戦地だった。織田が美濃、近江、越前、伊勢あたりの切り取りに精力的だったときに、東側の遠江、駿河(今の静岡県)では徳川が防波堤的な役割を果たしていた。東日本は今川と北条と武田が三つ巴の泥沼状態であり、そこに越後上杉がちょっかいをかけるたびに騒乱となる。上杉と今川が抜けた後、武田・北条が手を出してきて、その防衛戦が続いたのが東海だった。そのため静岡県に歴戦の城が多い。戦争状態が長く続いたことの現れだろう。

浜松城は、低い丘の上に位置する。天守閣は野面積みの(自然石を積み上げて表面が凸凹している)無骨な城壁の上にたつ。浜松城主になった大名は出世することが多かった。浜松城は出世城とも呼ばれるようだ。
しかし、この城で籠城するのはかなり厳しいのではないかと思わせる。今は公園になっている敷地が全て城の縄張りにあたるとして、やはり平地すぎる。これでは三方ヶ原の戦いで逃げてきたにしても、武田軍団の数であれば鎧袖一触だったのではないか。本拠地である三河岡崎から浜松に移ったのは、旧今川領に対する圧力であったのだろうが、その今川領を快速で突破する武田軍団には、家康一党が抵抗できるほど縦深が足りていなかったということだ。浜松から岡崎まで撤退してようやく織田軍団の支援が期待できる程度だろう。
戦時の城としては浜名湖あたりに築城すべきだったのではないかなどと夢想してみた。

結局、織田軍団による武田氏殲滅とその後の本能寺の変により徳川は一時的な安定を迎える。織田後継を狙う軍団長抗争(跡目争い)では、羽柴を攻め滅ぼす勢いだったが、結果的にはそこからまた耐え忍ぶ時期となり、おまけに故地を取り上げられ関東に島流になる。
追い払われた辺境の地、江戸城で引きこもらなかったのは、相当な精神力だ。だから、きっと憂さ晴らしに造ったに違いない江戸城は、実に巨大な城となる。今のお堀で囲まれた江戸城は内側の城であって、外郭部はもっと広い範囲に及ぶ。が、それはまた別の話。
江戸城を築いた時期(おそらく当時では老境に入り)、明日の我が身を案じる焦燥感に苛まれながら築城を指揮した老将の執念に、ただただ敬服するばかりだ。(個人的には、家康を政治家としても武将としても全く評価はしていないが)

しえお巡りとは別の話になるが、浜松城の下にあるスタバは、これまた実にぶっ飛んだお洒落っぽさで感心した。スタバはこうしたユニークな店を作るのがうまい。弘前城の向かいにも、元陸軍駐屯地司令官の官舎を改造したスタバがあった。確かにThe third placeという空間だ。お上手。

出世した後の家康の江戸城の話は、またいずれ

書評・映像評

未来のミライ

細田式ファミリー劇 となりのトトロ?

これはちょっと細田監督作品として異色の作品なのだろうか

未来のミライ DVD by Amazon

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未来のミライはトトロだった

主人公は4歳ぐらいの子供で、それ以外の登場人物は父と母、生まれたばかりの妹、祖母と祖父、そして曽祖父、ペットの犬。これでドラマが作れるかと言いたくなるシンプルさだが、細田式アニメはいつでも登場人物が少なめなので、そこはあまり問題ではないようだ。主人公が、妹が生まれたことで母と父からの愛情が減ったと訴える幼児というのは(これ自体は極々当たり前の光景だろうが)、それをドラマにしていくのは結構な荒技だ。

どうも冒頭から感情移入が難しいテーマだなと感じた。育休がてら在宅仕事になった夫に、最初の子育ての支援不足を言い募る妻、そして母としてはつきまとう息子に怒り出し自己嫌悪するのが話の振り出しだからげんなりとした。現代の共稼ぎ夫婦像というのはこんなものかと暴き立てるだけのアニメなど面白いものかと思う。どこにでも転がっている現代の欠陥ファミリーを見せつけるのにアニメがいるかと。

ところが、そこになぜか主人公の前に秘密の通路が開通する。通路から現れたペットの犬が人間化し、切々と現状の待遇改善を要求する。高校生になった妹が現れ、主人公4歳に兄としての協力を求める。このあたりから微妙に家族の背景が語られ始める。主人公は、散らかしたおもちゃの片付けをしろと叱り付けている母親に不満を抱いている。すると秘密の通路が空き、母親の子供時代に飛び込み、母親と盛大に部屋をちらかしまくる。その後、母親と祖母の会話から、子供の頃から結婚するまで整理や片付けが苦手だったとわかる。つまり母親とは自分ができなかったこと、嫌いだったことを子供に押し付け、そしてそのことに自己嫌悪をする存在として描かれる。
この後も秘密の回廊を通じて曽祖父と合い、父親との関係を立て直すエピソードや、家族旅行に駄々をこねて参加しないといったところを、未来の自分(高校生)に窘められるなど、ファミリーのすれ違い、行き違いなどを延々と描いている。親という大人の理不尽さ、自分勝手さ(自分が押しつけたことに対して自己憐憫と自己嫌悪を吐露するあたりが嫌らしい)を遠慮なく暴き出す。

エンタテイメントの先に意図したこと七日

正直どこにオチがあるのかと言いたい。主人公が幼児ということもあり(その割に随分大人びだ物言いもしたいするのだが)、あまり突っ込んだところまで説明しない。ただ、周りに起きた情景を置いていくだけだ。なぜ未来の妹がやってくるのかとか、過去の母親と会えるのかという説明はなくても良いが、それで成長する主人公が4歳では成長の幅もたかがしれている。

ただ、これを宮崎作品「となりのトトロ」と並べてみれば、なんとなく見えてくるものがある。トトロという存在は妖怪であるにせよ、妖精であるにせよ、現実的にはあり得ない体験をさせるトリックスターであった。この話の中では未来のミライ(妹が高校生になった姿)がトトロ役を務めている。トトロ世界では、母親が入院して父親と姉妹で住むことになった欠陥ファミリー状態を、妹メイが納得せず暴走する話だった。そしてこのミライ世界では、母親が妹を生み自分をかまわなくなり、愛情が失われたのだ悲しむ主人公が、トトロ世界のメイ役となり、妹の未来のミライがその救済役となる。(さつき+トトロといった役回り)

最終的にはちょっとだけ成長した主人公と、ちょっとだけ相互理解がました夫婦になったファミリーができましたとさで話が終わる。この辺りもお母さんに届け物をして納得したメイとさつきの姉妹と同じ構造だろうが、時代が経った分だけ(作中でも現実でも)ミライ世界での解決は現代的であり家族間の課題は中途半端なまま放置されている。

細田作品は、基本的に家族の話だ。家族の欠陥、あるいは家族からはみ出した個人が再生する足掻きを描いた作品といえば良いだろうか。今回は、現代の家族をそのままの姿で観客の前に放り出し、実はギクシャクした欠陥が多い現代ファミリーでも、ちょっとだけ視点を変えて、ちょっとだけ考えを変えればなんとかなるんだよというメッセージを置いてみましたということだと思う。そして、その手法に妖怪?妖精?トトロではなく、なんらかの形で未来からやってきたタイムリーパーな妹を使ったということだろう。

家族の話の先にあるものは?

細田作品として、優れたエンタテイメント性を持つ作品群「時かけ」「おおかみこども」「バケモノの子」をみてきただけに、やはりエンタテイメント性、物語のワクワク感を期待してしまうのは仕方がない。残念だが、この作品はエンタテイメントとして期待のレベルには遠かった。おそらく意図してエンタテイメントではなく、家族というものを、ちょっとフォーカスをずらして描いてみたということなのだろう。実写映画で言えば、降旗監督作品に似た風合いというか、似たような匂いを嗅いだような気がする。次回作に期待。

食べ物レポート

浜松といえば餃子

五味八珍の目指すものとは   ・・・餃子屋?

浜松と宇都宮の餃子バトル、毎年一進一退の繰り返しだが、それにしてもなぜそんなに餃子を食べるのか、ひと事ながら不思議だ。両市民にとってなじみ深い餃子の味を語るのは、いささか危険思想に当たると思うので、ここは餃子の話をするつもりはない。二つの餃子の差を語る意思もない。ただ、見た目の違いはある。もやしがつくかどうか、円形に並べるかどうかあたりが浜松餃子の特徴のようでわかりやすい。

五味八珍という静岡県ローカルの中華チェーン店が、静岡県民にとってはソウルフードであるらしい。中華料理店だとずっと思っていたが、いつの間にか「餃子の五味八珍」と名乗るようになっていた。まあ、それはブランドの建て方という、かなり奥深い課題の成果なので周りがとやかくいう必要はない。ただし、餃子屋になったせいか中華料理屋としてのメニューバラエティーが減った。これはなかなか難しいことをやっているなと感じる。中華料理屋というのは町場の大衆店であろうが、ホテルの中の高級店であろうが、メニューの多さが売りだ。また、メニューの多さこそが料理人の技量を示す尺度でもあり、少ないメニューで商売をするのはチャイニーズレストランとしては得策とはいえない。五味八珍は中華のファミリーレストランであり、かなり危険な思想を実践しているなという感じがする。
ちなみに商売がうまくいかなくなると必ずメニューを多角化するのが外食・レストランの習性なので、この五味八珍のメニュー絞り込みは、ビジネスが成功している証明と見ることもできる。

さて、浜松餃子の話をすると、この円形盛り、もやし付きが何より大事らしい。実は5年ほど前にこの店で餃子を注文した時、浜松餃子と普通の餃子の両方を売っていた。違いは何かと尋ねてみたら、もやしがつくかつかないかだと言われて、呆然としたことがある。今回はそんなことはなかった。おそらく社内で餃子の統一が行われたのだろう。

味は普通にうまい餃子でビールによく合う。
文句はない。某関西系餃子の・・・と言う中華チェーンや、某東北系ラーメン専門店の餃子と比べても明らかにうまいと思う。ただし、ここで立ち止まってはいけないのだ。埼玉県ローカルの中華チェーンの餃子は、これと遜色ないレベルにあるので、「餃子の・・・」と名乗りたいのであれば、競合に対する注意と研究が必要だろう。関西発の餃子チェーンは明らかにレベルダウンしている。以前は店によって当たり外れがあったが、今は全体的に低位安定になってしまった。埼玉系の餃子チェーンは、西日本へ展開を開始しているので、首都圏から攻めていくと激突地は浜松あたりになる。ちょっと楽しみな餃子戦争、東西対決も含め三つ巴?になるかワクワクして待とう。

唐揚げのうまい餃子屋

そして、浜松餃子専門店?でありながら、恐るべき高い水準だったのが、鳥の唐揚げ。これは本当に高い水準だ。某フライドチキンチェーンはこれをパクって商品開発してみたらどうかと思わせる水準の高さ。この世に唐揚げ専門店を名乗る店やチェーンは多いが、油と鶏肉と衣の品質管理に手を抜きすぎているから、なかなか安定して商品を提供できていない。有名な釧路の唐揚げ屋では油が発煙していた。トンカツ屋が運営している唐揚げ屋でも味のばらつきが多い。スーパーで売っている唐揚げに至っては、ほぼ論外と言いたいくらい無水準だ。(調理後、時間が経った時の衣の状態維持を考えて商品開発しろと言いたい。唐揚げとは経時劣化する食べ物なのだよ)
ついつい完食してしまったのだが、これは一つ二つ持ち帰って経時劣化を見るべきだったと反省した。

五味八珍とさわやか、浜松の誇る二大ローカルチェーン、首都圏内に出店してくれないかなあと心底思う。

旅をする

高原の喫茶店

蓼科ビーナスラインにある一軒家喫茶店

ビーナスラインと呼ばれる高原道路は、茅野市で発掘された縄文遺跡から出土した女性の土偶を「縄文のビーナス」と名付けられたことに由来している。

縄文のビーナスは茅野市尖石縄文考古館で展示されている
 https://www.nagano-museum.com/info/detail.php?fno=136&tn=1

そのビーナスラインに立つ一軒家喫茶店がなかなかオシャレというか、居心地が良いので、晴れた日にはついコービーを飲みに行きたくなる。お店の前には5台ほどの駐車スペースがある。店内の客席もそれにあった5組も入れば満員になる。女性の店主が一人でやっているので、混雑する時には注文がなかなか出てこないこともあると断り書きがあるが、こちらの行く時間のせいか、待たされたことはない。
茅野市内からビーナスラインを登ってくる途中には、手打ちそば、北欧料理レストラン、おしゃれな雑貨店、そしてイングリッシュっガーデンが立ち並ぶ、かなり密集度の高い地域に当たる。
向かい側にはいつでも長蛇の列ができる蕎麦屋や、店の横の畑で取れた野菜が売り物のイタリアンレストランもあり、シャレのめした高原の商業集積地と言っても良いだろう。イングリッシュガーデンは、週末には100台近くある駐車場がいっぱいになる。

道路沿いに大きな窓があり、そこはカウンター席になっている。道を挟んだ向かいは野菜畑で、ビニールハウスの中はトマトやナスが育っているらしい。1000m近い高原なので、夏でもうんざりするような暑さにはならない。ビーナスラインと呼ばれる割りに交通量はあまり多くないので、ぼんやりと畑とその向こうに広がる青空を眺めていると、なんとなく心が落ち着く。ぼーっとしているのが心地よくなる。

夏でもホットコーヒーを飲む。アイスコーヒーは意外と苦手なのだ。この店のコーヒーは酸味が立った濃い目のブレンドで、午前中に飲むには良いようだ。ランチタイムにはそこそこ混み合うらしいので、早めに退散する。大手喫茶チェーンでは味わえない時間と空間は、一つの文化だなあと改めて思う。
田舎の喫茶店によるのは楽しみだ。

茅野市北山 「たてしな日和」 営業時間は短くて、お昼前から夕方まで喫茶店

書評・映像評

機動戦士ガンダム サンダーボルト

スピンオフ作品というべきか、新解釈というべきか

機動戦士ガンダム サンダーボルト 表紙 by Amazon
ちょっと見づらいが「ザクタンク」

https://www.amazon.co.jp/機動戦士ガンダム-サンダーボルト-14-ビッグコミックススペシャル-太田垣/dp/4098604256/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1ONLDGN26166R&keywords=機動戦士ガンダム+サンダーボルト&qid=1571541712&s=books&sprefix=サンダーボルト%2Cdvd%2C251&sr=1-1

機動戦士ガンダム サンダーボルト  救いのない物語

日本のアニメ界で、ヒット作の続編を作ることは、ままある。いわゆるパート2作成後のシリーズ化として、宇宙戦艦ヤマトの続編が作られたあたりから、柳の下のドジョウを何匹か吊り上げる策は定石となった。
ウルトラマンや仮面ライダーのように、主人公とメインキャラを変えながら延々と続くケースや「サザエさん」「ドラえもん」のように時間の流れが止まったままの永遠劇が続くパターンもある。
アメリカ映画であれば、Xメンやアベンジャーズのコミック実写化シリーズも似たような形であるが、ウルトラマン的な同一世界の流れの中で共通キャラが出入りしているという感じだろう。

しかし、圧倒的な支持で本編の周りに枝編が増殖して、いわゆる「サーガ」になっているものといえばスターウォーズに尽きる。本、コミック、アニメ、ゲームを含めメディアミックスを多様に活用するお化けコンテンツだ。ルーカスが作った世界を、周りが寄ってたかって広げてしまい本編以外の世界の方が精緻になってしまった感がある。
これに対抗しうる広がりを持った日本製コンテンツと言えば、機動戦士ガンダムになるだろう。1979年初放映以来、延々とその続編、枝編が作られ、スピンアウト作品も多数ある。ただ、面白いのがガンダム世界は映像とゲームでは拡散したが、「本」としては広がりを見せなかった。ここがスターウォーズシリーズとの違いだろう。
原因はおそらくガンダムの原作を描いた巨匠?のせいなのだが、「本」では広がらなかった世界を描き続けるアニメーターたちが、映像世界ではますます広げているのだ。ガンダム初放映の年に生まれた赤ん坊が、今や40歳になる。彼らが今のガンダムクリエイターとなっている。リアルタイムでガンダムを見た世代はすっかりじじいになってしまった。

ガンダムの裏側のエピソード 太田垣ガンダム世界とは

そんなじじい(失礼)ガンダムクリエイターの一人が太田垣康男氏だ。1967年生まれということはガンダムを小学校から中学校にかけてリアルタイムで見た、最初のガンプラ世代ということだろう。とてもとてもガンダムが好きで、そのままじじいになってしまったのだなと思う。だから、彼の描くガンダムストーリーは、宇宙世紀0079から始まる一年戦争とその後の時期の話だ。そして物語の中では、戦争の後始末をするための実験機同士の、いわば局地戦になる。本編世界では既に一年戦争の後の内乱期が動き始めている頃だから、やはり地域紛争の一戦闘でしかない。そこに登場する敵味方のキャラは、どいつもこいつも過去のしがらみを解消できないままの劣等生ばかり。明るい話には到底なりそうもないし、実際に暗いままだ。それでも引きつけられる物語となるのは、正義の味方が登場しないことだろう。
ガンダムの本編では、主人公アムロが所属する地球連邦軍サイドが正義とは描かれてはいない。それどころか戦争相手のジオン軍に属するシャアの方が、因縁を抱えて復讐を遂げるべく暗躍するという、ダブル主人公的な物語であった。正も邪もどちらにもない、ただ戦争という状況の中で壊れていく人間を描き続けるという、ある意味で青少年向けアニメの勧善懲悪的お約束を最初から守らない問題作でもあった。

この太田垣作品も、本編と同様に救いのない人間関係、地球連邦が戦争の裏側で行なった非人道的実験を隠蔽するための作戦を描いている。戦争終結後も戦い続ける「敗戦国ジオンの残党」対「悪事を働いた地球連邦軍」との意義なき戦闘。どちらが勝っても、何か良いことが起きるわけでもない戦闘。救いのない物語だ。
すでに14巻まで話が進んでいるが、おそらく完結までは最低5巻ほどが必要だろう。連邦軍のガンダム乗りは重大なトラウマを背負ってしまい、当面は再起不能だろうし、反乱軍も大きなダメージを受けて動きが取れない状態だ。その辺りの紆余曲折をうけて、また話は宇宙で進むことになるのではと思うが、ラストシーンは機動戦士ガンダム最終話のようになるのではないか。いや、それを描きたくて太田ガンダムは続けているのではないかと想像している。

あの頭部を失いながら天頂を撃つガンダムの姿は、ファーストガンダムの中で屈指の名場面だと思う。太田垣ガンダムでも、あそこを描きたいのだろうなあと推測している。ただし、今回は宇宙を撃つのはガンダムではなくザクだろうけれど。

食べ物レポート

仙台の老舗 居酒屋と牛タン焼きと

仙台の誇る横丁文化

仙台は横丁が多く残っている。映画「深夜食堂」に出てくるような細い道の両脇にびっしりと食い物屋と飲み屋が立ち並ぶ。これを人工的に作ったのが各地にある屋台村だろう。仙台の本屋に行けば、仙台横丁についてのムックも並んでいる。横丁が残るということは、再開発から逃れ商売が長く続いているという意味だ。だから当然のように、老舗化している店が多い。

居酒屋 源氏の看板はひっそりと

仙台の有名横丁に「文化横丁」がある。これは一番町から続くアーケド街を、横に外れた一角にあって、店舗数は30−40軒ばかりだろうか。いつでも行列のできる餃子屋もあり、鮨屋あり、焼肉屋ありのカオスな展開が良い。その横丁の中間あたりを曲がり、また一段と奥まったところの突き当たりにひっそりと暖簾を上げている居酒屋が「源氏」だ。テレビのルポ番組でも度々取り上げられている有名店なのだが、中に入ると実に古い居酒屋だ。そして居心地が良い。
コの字のカウンターに15人も座ればいっぱいになる小ぶりな店で、中には女将一人が忙しく注文をとり、料理を並べている。ここは酒を頼むと自動的に料理が一品つく仕掛けなので、好みの日本酒、ビールなどを頼み、まずはお通しを片付けながら、一品めの肴は何が出てくるかをじっと待つ。周りの客の前を見れば、なんとなく今日の出し物がわかるのだが、追加で料理を注文する人も多いので判別がつかないことも多い。

一品目は煮物、二品目が冷奴というのが、この日の出し物だった。そして、お酒の注文には制限があり(3杯だったか4杯だったか)、最後の肴には味噌汁が締めのサインとしてつくらしい。そこまで飲んだことがないので、不確実情報だが。
追加の料理もいろいろあり、個人的な一押しは「汐ウニ」。塩漬けのウニが小皿にふたつまみ程度、この量が絶妙で、だいたいこのウニを肴に冷や酒2杯が的量だ。そして、あと一杯呑みたいのになと思いながら、さっと退散する。次から次へと客が来るので、長居するのは野暮というもの。老舗居酒屋に行く時は、この早い回転を手伝う(他の客のためもあり店のためもあり)のが、暗黙のルールだという気がする。
ちなみに塩釜の日本酒「浦霞」を、グラス酒(もっきり)で頼むと1000円だった。料理一品付きなので、まずまずのお値段。

仙台随一の飲み屋街国分町の名店 太助

戦後の食糧不足期に開発された「牛タン」焼は、すでに仙台の名物であるのは間違いない。その牛タン発祥の地が、「太助」。仙台の夜の繁華街、国分町の真ん中あたりにある小ぶりなお店だ。国分町は仙台屈指、つまり北日本ではススキノに次ぐ夜の街だろう。ススキノではジンギスカンの店が目立つが、仙台では牛タン屋が多い。
お昼時は観光客を含む行列が伸びている。それでも昼時を外せば、比較的すんなりと入れる。メニューは牛タン焼とテールスープと麦飯、これをバラで頼むかセットで頼むかの違いだけで、超がつくほどシンプルだ。客の選択肢は牛タン3枚にするか4枚にするかくらいしかない。
なぜ麦飯なのかとは考えなくても良い。モリモリと麦飯をかき込みながら、塩味の効いた牛タンを噛み締める。肉汁と油が口の中でいっぱいに広がる。それをテールスープで流し込む。こういった動作の繰り返しで、定食を完食する。満足度は高い。

余計なことだが、テレビ番組で見た店主はにこやかに牛タンのいわれなど話していた。気さくな親父と言う感じだったが、実際に店に行ってみると、にこりともせずに牛タンを黙々と焼いている。おー、あれは営業トークだったのだねなどと思いつつ、目の前の仏頂面親父を見ながら笑いだしそうになった。カウンター内で働く女性も、それなりに表情硬いのは親父の仏頂面が移ったのか。ランチもディナーも混み合う店なので、まあ仕方がないだろう。大チェーン店になった利久では、まるでファミリーレストランみたいな接客をされるので、どっちが良いと感じるかは個人の好みだろう。

牛タン3枚 テールスープ 麦飯セット

老舗には老舗の重みがあるということを承知して、この二軒お試しあれ。どちらも仙台のお宝だと思う。

食べ物レポート

駅弁が食べたいから旅をする? 米沢・横川・仙台

駅弁はうまいぞ

駅弁が好きだ。特急列車に乗って、ゴソゴソと包装を開けながら食べる駅弁は、実はたいそう好物なのだ。出張帰りなどで、やれやれこれで後は帰るだけみたいな状況で、ぬるめの缶ビールなどで一杯引っ掛けながら食べる駅弁ほど旨いものはない。ただただ腹が減っていて飯を胃袋に補給的な状況では、コンビニで買ったおにぎりでも良いけれど、移動中の飯といえば駅弁に限る。

超個人的な好みを言えば、地域特産の名産品を入れてもらうより、豪速球的なシンプル駅弁が好きなのだが、全国的には幕内弁当風バラエティ弁当が売れていると思う。
好きな駅弁屋といえば、京都駅の新幹線コンコースに行く途中の弁当屋、青森県弘前駅の弁当ワゴン、福島県郡山市の駅の立ち食い蕎麦屋脇にある弁当売店、九州新幹線鹿児島中央駅改札内の駅弁売り場。この辺りが自己ベストの弁当屋だが、それに負けないのが山形県米沢駅のホームにある弁当屋。

米沢の駅弁

牛肉弁当ではおそらく一番有名な、「牛肉ど真ん中」。最近はいろいろと味付けのバリエーションもあるのだけれど、やはりオリジナルが一番よろしい。
包装紙に牛丼弁当と書いてあるように、蓋を開けると一面に牛の甘辛煮がドーンと出現する。付け合わせの煮物は、濃い目の味付けの牛に合わせて火、意外と薄味なのも良い。質実剛健のきわみなのだが、これを酒の肴に食べると予想外に旨い。米を食いながら酒を飲むのは邪道という気もするが、鮨を摘みながら酒を飲むような感覚になる。濃い味付けのせいだけではないのだろうけれど、吉野家の牛丼で酒を飲む気にはならないので、やはり駅弁のハロー効果みたいなものがあるのか。
最近では東京駅の弁当屋でも売っているベストセラー弁当らしいが、昔は新幹線の車内販売で予約して買うような貴重品だった。(今は車内販売すら消えてしまった)

牛肉そぼろうまし

横川の釜飯も酒の肴だ

峠の釜飯本舗

駅弁番付で「牛肉どまんなか」東の横綱だとすれば、西の横綱は「荻野屋の峠の釜飯」で決まりだろう。いまだに陶器の釜に入って売られているのは、ノスタルジーを超えた定番中の定番。最近は軽量のプラスチック容器入りもあるようだが、やはりずっしりと重量感のある釜が好ましい。(洗って再利用もできるし)
また個人的な感想であるが、この弁当は究極の酒の肴だと思っている。これに匹敵するのは、横浜の崎陽軒焼売弁当くらいか。弘前の「津軽の弁当 お魚だらけ」も負けてはいないが。

椎茸がうまい、わさび漬けも泣けるうまさ

実はこの釜飯の製造工程をテレビのルポ番組で見て、ちょっとびっくりしたことがある。米の炊き方というか、入れ方というか・・・。何やら太いチューブからニュルニュルと茶色いご飯が、釜の中に注入される。それをプレスして平らにした上にトッピングが載せられていく。勝手に頭の中で、ベルトコンベアーに乗った窯が下から加熱されご飯がブクブクと炊き上がり・・・的な絵を期待していただけに、ご飯がチューブでネリネリという光景は想定外だった。それでも、食べてみれば旨いのだから、あの工程は見なかったことにしようと脳内記憶を消し去った。
この釜飯を上手に食べるには、日本酒を冷で用意し、まずは椎茸あたりでスタートし、酒を飲んだら鶏肉、酒、たけのこ、酒と日本酒とトッピングを交互に楽しむ。
甘い栗は最後まで取っておく。トッピングを平らげると、下から出てくる飯に口をつける。醤油味の効いた米を肴に、また酒を飲み、隣に置いてある漬物をゴボウ、胡瓜、わさび漬けの順番で少しずつかじる。この辺りで、酒は終わり、後は残った飯を一気に書き込む。合間に漬物の残りをやっつけて、うずらの卵を噛み締める。そして窯の底に残った栗の甘煮をデザートとして楽しむ。ふー、満足だと一息付き、蓋を閉めて釜飯完食。
この釜飯は昔は横川駅で立ち売りしていたようだけれど、今では高速道路のインターチェンジ前のお店やサービスエリア内でも売っている。そして食べた後は、返却箱に釜を返す人も多いようだが、ここは断固として持ち帰って再利用した。
この窯で釜飯を炊いたことは何度かある。子供とキャンプに行った時には人数分を焚火で炊いた。火の回り方で出来上がりにムラができるのが、またキャンプでの楽しみだった。確か3−4回は使えたと記憶している。今では、デスク周りの小物入れとして使っている。釜の深さが結構あるので、使い勝手は良い。ただ、鉄道の移動中に食べると釜を持って帰るのはちょっと重いかもしれないが、そこは気合で乗り切ろう!

仙台といえば政宗公

仙台といえば牛タンではなく、伊達政宗公ということで、政宗公ネーミングの駅弁は何種類かある。その中で、いわゆる幕内風バラエティー重視の弁当が「政宗公御膳」だ。黒地に金で書かれた模様、八角系のパッケージ、ビジュアル的には格好良いのだが、ここで気がつくべきだった。駅弁のうまさはパッケージとはあまり関係ない。逆に今風にパッケージをしゃれのめして作っている新興駅弁は意外とレベル低いのだよね、ということを。
一口サイズのおかずがいろいろと8種類並べられている。シンメトリーできれいなものだ。ご飯が二種類、白米と炊き込みご飯。いろいろと楽しめますよ的な、現代風幕の内なのだが、如何せん味が好みではない。仙台には温泉旅館の女将さんコラボ(鳴子・秋保・松島の3種類)弁当があるが、あちらの幕内系の方が明らかにうまそうなのだ。
まあ、どこが政宗公なのかは解説書付きなので、弁当食べながら読むとなるほどねとは思うが、それだけ。(バッサリ)
なんだか、ちょっと寂しい気にさせられる。まずいとは言わないが、駅弁特有の楽しさはあまり感じれれないぞということだ。おそらくビジネス弁当として、会議の時の昼ご飯的な出し方をされるとそれなりに納得できると思うが・・・。

日本海あたりもうまい弁当が多いのだよね

旅をする

日本100名城をまわる 川越城

初めて行った100名城は川越城だった

旧城内は公園になっていることが多い

きっかけはテレビのバラエティー番組だった。100名城というものがあることを知って、本屋にガイドブックを探しに行った。ペラペラとページをめくっていると見慣れた地名がある。家から車で30分もかからない場所で、晴れた日で気持ちが良いというだけでその城に行ってみることにした。帰りにはどこかでうなぎでも食べようか程度のお気楽な気分だった。(ちなみにその街はうなぎが名物なので、お城を見に行くのは「うなぎ食べたさ」のための良い言い訳だった)

駅からは市内観光の循環バスでお城の目の前まで・・・。が、お城などどこにもないのだ。間違ったか?慌てて100名城ガイドブックを見直す。やはり正しい場所だ。後から分かったことだが、よくテレビに出てくるような城壁を持った天守閣のある城というのは、きわめて例外的存在だ。今、日本に存在する城は、城跡あるいは城跡に復元されたレプリカが大多数であって、戦国時代からそのまま残っているものは数えるほどしかないのだと。

戦国期に築城された城の大部分は、徳川政権によって大きな制限を受けた。新たな築城どころか焼失後の再建も許されないほど厳しいものだった。まあ、城郭とは戦争の時に篭る場所であり防衛拠点だから、政権側としては反乱の道具にされかねないので建築を制限したというのは理解ができる。
その後、戊辰戦争が終わり明治政府が旧体制、徳川政権側の城を叩き壊した。まさしく反乱拠点の撤去ということだろう。だから、東日本には戦国期、徳川期当時の城はほとんど現存しない。西日本に古城が多く残っているのは、西国出身社が明治政府を牛耳ったからだ。そして、わずかに生き残っていた城も太平洋戦争の空襲で破壊される。
だから、お堀に城壁に天守閣という美しい姫路城のような城は、ごくわずかの例外を除くとほぼレプリカ、復元ものだ。大阪城も、名古屋城もレプリカで、リアルに残っている代表は松本城。

これが川越城の跡

さて、最初に訪れた川越城は、そういった意味でお殿様の居住用の館しか残っていない。それでも館の中には執務スペース、居住スペースなど大広間がたくさんあり、現代風に言ってみれば20LDKくらいになる平屋、南側庭付き、日当たりよく眺望良好みたいなものだった。確かに、300年くらい前はここがお殿様の公邸だったわけで、それなりに感動もするが、でもね・・・・。これがお城?と言いたくなるのも確かだ。
わざわざ持っていった一眼レフが泣くぞというくらいビジュアル的には地味だった。

南向き絵のお庭


ただ、100名城ガイドブックを見ると、全国にある城の写真が紹介されていて、中にはイメージ通りの姫路城級の美形もたくさんあるようだ。せめて一つくらいはきれいな城を見てみるかと、何気なく始めた城巡りだった。
その後、本屋で見つけた、『新100名城ガイドブック』なるものを読むと、好評につきあと100個追加しましたみたいなことが書いてあり、新旧合わせて200名城であることが判明。100も200も同じようなものだとスタンプ求めて名城巡りを開始することになった。自分でも、全ての城を巡りきれるとは思っていないが(北は北海道から南は沖縄まで、おまけにあちこちの離島にも分散している)、観音様巡りも一段落したことだし、やってみますか的なノリで始めたのだが・・・。

お殿様の公室

さて、初めての城は「川越城」。徳川政権5代目綱吉の時代に、柳沢氏が治めたことで知られる。元々は小田原北条氏時代の武蔵国北方の拠点であり、また新河岸川の水運によって商業集積地としても栄えた「河越」。ここを越えると北は東松山から厩橋(現在の前橋あたり)、沼田に抜けて新潟に至る。戦国時代には河越夜戦で有名な係争地でもあり、越後から攻めてくる上杉氏への対抗拠点でもあったようだ。
ただ、城がない。お城の後は公園になり、道を挟んで向かいには博物館がある。近くには川越大師 喜多院もある。小江戸川越の中心地だったはずなのだが。

会議中の光景はこんな感じか

その後、城巡りを始めて理解するようになったが、城跡は公園になるか、県庁や市役所などの官庁になることが多いようだ。特に、地域の行政の中心で商業の中心(城下町)だった場所は、鉄道の駅がお城から離れたところに作られたこともあり、今ではすっかり寂れた昔の繁華街となることも多い。おそらく鉄道駅が近くにできて街の中心地であり続けたのは、江戸城・皇居くらいしかないのではと思う。だから、城跡をあるくと「兵どもが夢の後」的な感じが強くする。

介護用の広間らしい

川越城は観光地的な城ではなかったこともあり、その先のお城めぐりをするスタートとしてはよかった。この後に見て回った家の近くの城が、これまた随分お城のイメージを裏切る「山城」が続いたからだ。

山城にくと、これって城ですか?という疑問が・・・

書評・映像評

野性の証明 40年ぶりに見た

「お父さん、怖いよ・・・・」 このCMを見たことのある人たちはすっかりじじいにいなってしまっただろう。40年前の作品で、薬師丸ひろ子デビュー作で有名だが、実は昭和エンタテイメントの名作だ。

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野性の証明 ・・・もはや古代の話

自分の中ではそんなに前のことと認識していないが、世間的に見るとほぼ過去事象とされることは多い。20年前のことであれば、古いと言われてもしかたがない。2000年前後の映画や本の話は「古い時代」の作品となる。それ以前となるともはや「古代」なのかもしれない。確かに最近、バブルの時代ってなんだったのかと聞かれることが多い。1990年前後に生まれた世代が社会の中堅層になってきたからだろう。となると1978年公開の映画など、超古代ということか。1980年前後といえば、角川映画の全盛期で超大作と言えば角川映画を意味したような時代だった。バブルが進行する前の、日本社会全体が圧倒的な右肩上がりで驀進中という景気の良い時代でもあったから、ハリウッドの大作に匹敵するような日本映画を作るという、挑戦的な意思もあったのだろう。

昭和の時代の自衛隊と暴力描写

お話の中身はいろいろと当時も突っ込みどころはあったのだが、「自衛隊」の当時の扱われ方が色濃く出ている。あの当時は、自衛隊を存在悪的に語ることも多かった。個人的には高校時代、自衛隊にはだいぶお世話になっていたので、悪感情は持っていなかったが、左翼が強い地方都市で生きていたので、一般的には自衛隊に対する風当たりは強かったような記憶がある。
高倉健が演じる自衛隊特殊部隊など、今の時代であればかなり好意的に描かれるような気がするが、あの時代ではやはり「暗く疎ましい」存在としての描写だ。地方都市の悪徳政治家みたいな話も当時は多かったが、現代ではあまり語られないテーマだ。20年あまり続いたバブル崩壊後の経済は地方都市の活力を根底から叩き潰したので、地域の豪腕政治家・地方財閥などという存在はいまや成立しないのだろう。(今でもそんなのいるのかという感じだが・・・いるのかなあ)
昭和映画の特徴でもある、過激な戦闘シーン、殺傷シーンだが、今ではあまり見られない凄さがある。これに類似するリアルさといえば、ゾンビ映画の戦闘シーンくらいか。この映画が作られた以降、急速にCG技術が進化し、CG全盛となった現代では、あまりグロな映像は作られない傾向にある。だから、この映画の戦闘シーンは、東映任侠映画で鍛えられた暴力描写のの到達点と見ても良いのかもしれない。
ラストシーンは、宇宙戦艦ヤマトと同じで特攻なのだが、やはりこの時代の美学は「自己犠牲と滅び」にあったのかと、再確認させられた。実は一番記憶に残っていたのはテーマ曲。映像よりも音の方が記憶に残るものだと改めて思い知らされた。やはり圧巻は、後半に展開されるサバイバルシーンで、戦車とヘリを投入した追跡劇だろう。当然、こんなシーンが国内で撮れるはずもなく合衆国で撮影されたそうだ。「こんな戦車、日本にいたか?」と思って見ていたら、やはり米国陸軍のものだった。当時は自衛隊協力で戦闘シーンは難しかったのだろうなあ。最近では、怪獣退治やらテロ退治やらで、バリバリ自衛隊協力のクレジットが入る映像があるのを見るにつけ、自衛隊を見る目も変わったものだと思う。
全盛期の健さんと薬師丸ひろこを見るだけでも十分価値があると思う角川映画の名作だ。