書評・映像評

ナミヤ雑貨店の奇跡 職人芸の極み

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映画にもなった東野作品だが、やはりこう言う話を描かせると本当に上手い人なのだな。オムニバス形式で登場人物が微妙にオーバーラップする。物語の舞台は、80年代のバブル期と2010年代を行き来する。時系列が前後に飛びながら話を収束させていく。思わず登場人物の時点と関係を作表して整理したくなるほどだ。
ただし、この整理表を見た瞬間に全てのネタがバレてしまうので、一冊読み終わった人しか見てはいけないものだろう。

この話は昭和後期に発表されていれば、間違い無くSFとして扱われたであろう作品だが、今ではこの程度のタイムスリップ、パラレルワールド的に話を展開させても、小学生ですら驚かない。そもそも小学生でもタイムスリップとか次元転移が常識になったのは何時頃からだろうか。少なくともドラえもんで刷り込まれたSF的概念に誰も抵抗を覚えなくなったのだ。とすれば、40年前の小学生が大人になり、自分の子供とドラえもんの話をするようになった時から、SF的ガジェットは大人も子供も共有できる「一般化した」ものになったのだと思う。
この東野作品も、そうしたドラえもん(その他各種SFアニメ・コミックなど)で教育された大人たちが読者になった時代だから、タイムスリップ的事象に余分な説明をしないでスラッと書けたはずだ。タイムトラベラーの説明が必要だった「時をかける少女」から、読者も作者も随分と進化したものだ。

ただ、手紙のタイムスリップという話だけでは物語として膨らむはずもない。5話の物語のどの話の中でも不幸な人間関係が縦軸となり、そこにナミヤ雑貨店主とその人生相談に関する回答が絡むようになっている。それぞれの話の主人公たちは誰も幸福ではなく葛藤を抱えたままだ。その葛藤が続きの話の中で解消されたこととして語られたり、サラッと逸話として流れたりする。この辺りが名人芸とでも言うべき気持ちの良さ、長く放置された伏線が回収されるスッキリ感となる。
読み切ってみると映画化されたものを見たくなってきた。原作がどのように料理されたのか、ちょっとドキドキする。

80年代、バブルの時期って、もはや経験者の方が少数派なのだなと思いつつ。

食べ物レポート

新宿の老舗で飲む イーグル

新宿アルタの裏通りのビルの地下深くにあるバーが、長年のお付き合いいただいて感謝状を差し上げたいくらいだが。入り口の看板にはサンロチーラウンジと書いてある(はずだ)。もはや死語に近いラウンジという言葉が語り尽くしている。ただし、本格的なカクテルも飲めるが食べ物が高品質なので、洋風居酒屋的に使うことが多い。一人でぶらっと入るのも良いし、小グループで飲むのも良い。ただし、6時を過ぎるとほぼ満席で席を確保するのはかなり幸運が必要だ。

季節の料理として殻付き牡蠣の大盛りみたいなメニューもあるが、洋風料理がお勧めだ。なぜか中華風料理もいてあり、これもなかなかの実力だと思う。一押しはと言われると、「ミックスピザ」と言いたい。直径15cmくらいで小ぶりだが、見ての通りチーズでヒ表面が覆い尽くされている。中身はサラミと玉ねぎとピーマンというオーソドックスなものなのだが、酒のつまみとして食べるには抜群に合う。多めのチーズの脂っ気と、塩味強めのピザソースが酒の肴としてのベストマッチになっている。これに表面が赤くなるくらいタバスコをかけると、超絶技巧と言いたいくらいの旨さになる。ピッツァではなく、ピザとはこういうものだ。散々ピザ屋としてピザを食べてきたが、誰かに一番うまいピザは?と聞かれると、迷いなく「新宿のイーグル」と答える。くどいようだが、ピッツァではない。ピザだ。

もう一品がタコス。これもメキシカンレストランで食事として食べるタコスとは相当違う。酒の肴としてのタコスで、チーズも少なめだし。本格的なタコスはタコビーンの油との戦いになるが、このタコスにはそんなめんどおう臭いことは起きない。サク、サラッと食べられる。タコミートの辛味がそもそも適量というか、マイルドだからだろう。

ピザを食べる時はハイボールで、タコスを食べる時はテキーラベースでマルガリータを、何ていう具合に一杯ずつ飲む酒を変えていけるのもこの店の良いところ。夏の暑い日に、生ビールをぎゅっと行くのも良いけれど、シンガポールスリングではじめて、アレクサンダーで終わるみたいなカクテル責めの飲み方もできる。良店なのですよ。

食べ物レポート

家庭料理 まさき おまけ

札幌に行くとついつい足が向く店が何軒かあり、その中ではちょっと贅沢な店に当たる「まさき」。店名通り北海道の家庭料理の店だが、重要なのは北海道というところ。いわゆるおばんざいの店とはちょっと違う。鱈子の煮たものとか、カスベの煮凝りとかちょっと北海道外の方には想像しにくい代物がたくさんあるのが良いところ。

さて、これも季節限定だと思うが「かじかのこっこ」。かじかという魚の魚卵を醤油漬けにしたもの。おそらくスーパーに行っても売っていないと思う絶滅危惧種的珍味だ。こっことは子供のことを意味する北海道(多分一部東北起源)の言葉だ。だからタラコはタラのこっこだし、いくらは鮭のこっこだ。人間の子供のこともこっこという。「うちは〇〇ちゃんのコッコが欲しい」とは、某最終兵器・・・というコミックで、ヒロインのセリフだった。
魚卵料理は数々あるが、このカジカのコッコは新鮮なカジカが手に入る時期にしか食べられない。粒は大きめだが、いくらより二回りくらい小さいイメージ。皮が硬く、食感はキャビアに似ている。味は薄味のイクラという感じがする。あまりしょっぱくないので、そのままスプーンですくってぽりぽりと噛み締める。プチっと弾ける。濃厚な卵液が口の中に広がり、そこに冷酒を流し込む。絶妙だ。

二品目はシャコ。小樽あたりで取れるシャコは大振りで、自分で買ってきて茹で上げて食べることもあるが、相当でかいシャコを買ってきても殻を外すと驚くほど小さくなってしまうのがいつも残念。おそらく体長20cm以上のシャコを捌いても、この写真のサイズには届かないのではないか。シャコは子持ちのメス(こっこ入りね)がうまいと思うが、肉自体を味わいたいならオスがよろしい。お財布に余裕があればオスメス一尾ずつ頼むのがおすすめ。北海道は春と秋にシャコの旬があるので、5月初旬と10月下旬くらいに行くと食べられるはず。最近は漁期にブレがあるらしく運任せになりがちだが。お江戸のシャコとは一味違う、これも北海道的珍味だ。

まさきの料理はどれもうまいが、季節により色々と出し物が変わるので、それを食べに行くのも良いね。興味がある方はFacebookで探してみれば。

面白コンテンツ, 旅をする

有馬記念

競馬はほとんどやらない。学生時代に凝りすぎ、社会人になってすっぱりやめた。ただ、10年に一度くらい有馬記念だけ買うことがある。人生の験担ぎみたいなものだ。去年の年末に都内を歩いていたら号外を押し付けられた。なんだろうと見たら、なんと有馬記念の予想紙だった。そうか、もう年末なのだなあとしみじみ思ってしまった。しかし、一時期の競馬ブームを思えば、街頭でこうして宣伝しなければならないほど、競馬人気は落ち込んでいるのかなどと社会的考察を巡らせたりした。

前にも書いた道の駅「サラブレッドロード新冠」には、名馬の顕彰碑のようなものがある。一番偉いのは?銅像になっているハイセイコーだと思うが、それ以外のダービー馬、有馬記念、天皇賞などの重賞で勝ち上がった馬の名前がプレートにされて並べられている。

すっかり忘れていた競馬馬の名前だが、このマヤノトップガンだけは覚えていた。10年ごとに買う有馬記念で、この馬の勝ち馬投票券を買っていたのだ。競馬新聞も見ないで馬の名前だけで決めるという乱暴な買い方だが、年末の思いがけないお小遣いとなり、なんに使ったのかは忘れたがたいそう気前の良い温泉旅行でもしたのだろう。

昔の競馬評論家(大橋巨泉さんだったような記憶があるが)の「競馬はロマンでみろ、馬券は金で買え」みたいな名言があり、また久しぶりに競馬見に行こうかなどと思ってしまった。

書評・映像評

アサシンクリード  12年前のゲーム

今やamazonでも買えないほど古いゲーム・・もちろん中古では買える

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PS3版もあるが、そちらは流血シーンが自主規制されているらしい。日米のゲーム感の違いか?

アサシンクリード とは、訳してみると暗殺者の信条、信念という感じか。アサシン教団、つまり宗教的な暗殺教団の存在は、今では伝説とする考えが支配的らしい。
ただゲームの設定としては、ファンタジー世界と同じ扱いで問題はないだろう。ゲームとしては背景がイスラームとキリスト教の対立が起こっていた十字軍世界なので、冒頭に「フィクション」であり、宗教信条が雑多な集団によって作られた(宗教的な偏りはない)という言い訳が必要になったのも無理はない。

さて、ゲームとしてはすでに10年以上前の作品なのでゲームシステムも含め古びてはいる。ただ、当時としては相当に進んだ設計だった。ファイナルファンタジー12あたりと同時期なのでビジュアルでは3D的な展開となっている。最近では当たり前になったオープンワールド的な部分もあるが、基本的にはシナリオ通り進行しなければ話が進まない、ゲームのゴールにたどり着けない。
要するにアクション型の謎解きゲームで、シーンの合間に多少動画によるストーリ展開があるという、現在の主流なゲームスタイルの元祖的作品だろう。続編も10作近く作られているので、やはり人気シリーズであり、ドラクエやファイナルファンタージー的なコアファンがいるということだ。ジャンルとして「龍が如く」と似たところがあるのだろう。新作が出るとつい試してみたくなるということか。

ゲーム自体は謎解きもほとんどなく単調だ。ターゲットを指示され暗殺すると、スキルが上がり強くなる。最初は雑魚キャラを倒すのも精一杯だったが、最終局面では雑魚キャラ撫で斬りも可能になる。暗殺目標を9回倒し続けるのだから、最後の方ではほぼ作業になってくる。良くも悪くもシリーズ物の第一作品とはそういうものだ。ただ、このシリーズが長く続いているのは、なんと言っても画像の緻密さと美しさなので、その点を楽しめるのであれば、これは名作というべきだ。

オヤジにとっては指先の訓練になるというメリットもある。もっともスーパーマリオで3面までしかいけない腕前にもかかわらず、そこそこ楽しめるということはアクションゲームとしては優しい部類なのだと思う。

押し入れに押し込めていた昔のゲームを引っ張り出してきて、年末年始は楽しく過ごせましたとさ。

食べ物レポート

懐かしのスパゲッティ チロリン村

「チロリン村とくるみの木」と言っても、なんのことだかわからない人がほとんどだと思うが、これは遥か昔にNHKが放送していた番組名だ。高齢者の郷愁の中にしか存在しない。その「チロリン村」を店名にしたスパゲッティチェーン(パスタではない、スパゲッティ。ここ重要だ)が札幌にある。確か(おぼろげな記憶モードであるが)札幌地下鉄東西線円山駅にあった小さな店が始まりだったような。サイトを調べて見たら現在9店あるらしい。しかし地下鉄駅の店はなかった。

店名に冠された、ゆであげスパゲッティの意味は、実に懐かしい話だ。当時(昭和40-50年代)のスパゲッティは、大量に茹でおきした麺を炒めて仕上げる「ナポリタン」的なものが大半であり、いわば焼きそばの洋風版的な提供がほとんどだった。だから、麺にアルデンテなど求める方が間違いだった古き良き時代。ところが、注文が入る度に麺を茹で、時間がかかるが麺の質感の良いスパゲッティを出す店が出現した。同時に、イタリアンというか洋風以外の味付け、醤油や明太子といった和風味の提供も始まった。おそらく渋谷の「壁の穴」あたりが発祥で、全校区に広がったものだと思われる。それの札幌版が「チロリン村」ということだったのだろう。だから、この店は喫茶店のスパゲッティとは違うんだよという意味で、ゆであげスパゲッティと言い始めたのだと思う。

当時の高校生や大学生がこぞって押し寄せていた、いわばトレンド感度が高い店で、そこで注文するのは「箸」を使って食べる「納豆スパゲッティ」だった。(くどいようだが、パスタではないし、スプーンを使いフォークでくるくる麺を巻きとるこじゃれた?食べ方でもなかった)
言い訳ではないが、手垢のついた古びたメニューであるナポリタンを注文することはほとんどなかった。ナポリタンならどこの喫茶店でも食べられたからだ。

長い前置きはここまでで、実に何十年ぶり(大げさだが)かで、チロリン村のナポリタンを食べることにした。今やすっかりオヤジ化しているので、まずビールなどを頼んでみる。当然、サッポロクラシックとなる。

ビールで時間を潰すこと暫し、ナポリタン登場。海苔がかかっているのがユニークだ。ベーコンと玉ねぎというシンプルな具材で、おそらくトマトケチャップで味付けされたもの。小洒落たニンニクベースのトマトソースなどではないトマトケチャップ。ただ、油分が少ないので麺にケチャップが吸収されてしまい、なんだかもたついた食感がする。団子化しているのだ。うーん、期待とちょっと違うぞ。トマトチャップをソースがわりに使うときは、これでもかと油を入れて乳化の手助けをしておかないとこうなってしまうのだよね。ケチャップと油をケチると、家庭版ナポリタンになってしまい麺と麺がくっついてしまうのだ。まあ、それでもワシワシと食い切るのが、オヤジの食い方だが、麺を食うというより噛みしめるような食べ方になるのは仕方がない。スルスルではなくモグモグだ。そして、フォークなぞ使わず箸で食うのだ。最後に残ったビールで一気に口の中の麺を流し込む。

確かにこうした野蛮な食い方は学生の頃はできなかったなと、食べ終わってから周りの席を見渡したらやたら女性客が多。みなさんクリームソースやオイル系のイタリアンなパスタを召し上がっていた。どうやら誰も納豆スパゲッティなど注文していないようだ。あーあ、そろそろ店名変えた方が良いのではないか? 北海道産小麦を使った創作パスタの店とかにね。

食べ物レポート

えん ふたたび

最近の新宿のお気に入りが、「えん」という居酒屋で席と席のスペースが広く、居酒屋特有の話し声が反響してワーンといった煩さをあまり感じないのが良い。そして料理も手の込んだ一品というより、きちんとした手順を踏んで料理した感じがするのが好ましいところだ。大振りの皿で出てくる料理は一人前と言うには少し大きかったり、多かったりするのだが、それを二人で分け合うとちょっと物足りないと言う絶妙なバランスだと思う。だから、この店では基本的に料理は独り占めすることにしていて、注文の時に同席している知人や友人に、〇〇頼むけど、食べたいかと聞く。食べたいと言われれば二皿注文する。シェアはしない。それで量が多いと言うのであれば、それまでだ。

鉄板ではなく溶岩で焼くと肉はうまいそうだ。溶岩は熱をよく内部に溜め込むので、じっくり焼けると言うような理屈だったと思う。確かにうまいような気がするので、ずいぶん昔に富士五湖近くの道の駅で溶岩プレートを買ってきた。溶岩プレートは割れやすいと聞いたので予備を含めて3枚買ったのだが、今だに三枚とも現役だ。たしかに溶岩プレートで一人焼肉をすると、鉄板で焼くより時間がかかるがうまいような気がする。そんなことを思い出しながら、溶岩プレートで焼いた鶏肉を岩塩で食べる。大葉が良いアクセントだが、これが洋風の香草でもうまいだろうな。

また、いつも注文するのが魚のカブトだが、煮魚では頭のところが一番うまいのではないかと常々思っている。ただ、実は兜煮で一番うまいのは、魚の出汁がでた甘辛つゆで仕上がったゴボウだろう。家でこれをやれば翌朝には、つゆの残りが固まって煮凝り風になり、それを熱々ご飯にかけたものが楽しみなのだが、居酒屋ではそうもいかない。ガーリックトーストがあれば頼んでみるのだが・・・といつも感じる。魚の煮物で、魚は主役ではないなと思う今日この頃。
そもそも旨い煮魚を出す店は絶滅危惧種認定しても良いくらいだから、この店は貴重だ。ちなみに池袋やなどの大型ターミナル駅周辺にも支店はたくさんあるようだが、好みは新宿店。上の階が外国人観光客に人気の食べ放題店なので、エレベーターはちょっと混み合う。予約してから、待ち合わせの時間より少しは早めに行くのがお勧め。

書評・映像評

横浜駅SF  日常の非日常化

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横浜駅sf

ロードムービーという映画のジャンルがある。要は旅をする主人公を描く物語で、少年が旅で成長する、青年が旅で世のほろ苦さを学ぶ的なストーリーと理解している。主人公の性別は問わないが、男の子が登場することが多いと記憶している。

SFでも旅を背景にした物語は多い。「ポストマン」が典型的な名作だ。あえて言えば戦争SFの名作と言われる「宇宙の戦士」も、兵隊があちこちに出張っていく物語といえば、そう言えないこともない。日本SFで言えば筒井康隆の名作があるが、なんと言っても旅作家椎名誠の「アド・バード」が、旅SFでは屈指の名作だと思っていた。

この本も読んでいるうちに、なんだか「アド・バード」に似ているなあと思っていたら、後書きで著者が「アド・バード」が好きで、その影響が・・・みたいなことを書いていたので納得した。

作品世界は横浜駅が全国に膨張していく時代の話で、そこに聴き慣れた単語「スイカ」「自動改札」「青春18キップ」「JR」などが頻出するのだが、自分が理解記憶している単語と作中単語は似ているようで異なっている。このズレ感が楽しい。また様々な世界事象を説明する造語、例えば「構造遺伝界」や「JR統合知性体」、「N700系電気ポンプ銃」などドキドキものの単語が並ぶ。正統SFではこの怪しい造語とガジェットが必須備品なのだが、これが実に楽しく散りばめられている。

主人公が、自分探しの旅に出て、意図せずに巻き込まれた事件が、既存社会を崩壊させる引き金を引くことになったという話なのだが、世界を救うような使命感を最後までもたないまま怪しい世界を彷徨うという、まさに王道的ロードムービーで完成度は高い。悪役も出てこない、敵役も出てこない、淡々とした話の流れが逆に心地よい。

サイバーパンクと言われた諸作もガジェットと造語の嵐だったが、それよりもはるかに分かりやすい。ただ、できればもうすこしこの横浜駅に占拠された日本を覗いてみたいという欲求に駆られる。続編ではその辺りが書かれているようなので、2冊合わせて異世界を堪能することにしよう。

https://www.amazon.co.jp/dp/4062936836/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_4hqcEbDNWX9D2

食べ物レポート

一番館 ジャンクなうまさか?

東京の都心部で見かけることの多い、中華食堂一番舘。たまに入ってみて「ああ、確かにこういう質の店だった」と若干後悔することになる。ところが、しばらくするとその記憶が飛ぶのか、また入ってしまい、またちょっと後悔する困った店だ。
価格は果てしなく安い。おそらく牛丼チェーンより安い。サイゼリヤの下を潜る価格帯だし、マクドナルドで食べるよりも安い。だから、店内には若い客が多いし、皆元気にもりもり飯や麺をかき込んでいるという印象がある。最近安い店にはいつの間にかジジイ連中が集まってくることが多いのだが、それもこの店ではあまりない。
サイゼリヤが昼と夜で客層がわりするのは、昼の主婦高校生から夜のジジイのちょい飲みに、まさしく業態転換してしまうからなのだが、この店は昼も夜もガツンと飯食おうぜというファイティングスピリット旺盛な客に占拠されているという印象だ。

さて、安いメニューの典型は、揚げ餃子。甘酢の餡掛けになっているのだが、コスパが良いとは言い難い。単品ではお値段相当の価値というところか。餃子は中の餡の質でごまかしやすい商品だから、ここは素直にごまかされておこうという理解をしておく。ただし、これがラーメン¥290に追加で頼むサイドとして考えれば、立派に役目を果たしてくれる技能賞的商品だ。

酒のつまみにネギチャーシューというのも、中華料理屋では定番だが、町中華ですらネギチャーシューは餃子よりも高かったりする不思議なメニューだ。ところがこの店では、なぜかふっきたような安さで、餃子とネギチャーシューを頼んでも懐がいたまない。ただし、コスパが良いかと言われるとまた疑問符がつきそうだ。ひょっとして、これは白米を注文して、上にかけてネギチャーシュ丼にでもするべきだろうか、などと考えてしまうある種バランスの悪い味なのだ。ところが、これも揚げ餃子と同様に、ラーメンのお供とすればなかなか良い役を果たしてくれる敢闘賞的サイドメニューなのだ。

一番シンプルな黒ラーメンを頼み、サイド二品を頼んでも1000円でお釣りが来る。広東麺や天津麺などのお高いラーメンを頼むより、サイドとセットで注文するのがお得な中華料理屋と考えれば良いのだろう。ちなみに新宿の店は、昼前から餃子でビールを飲んている若者グループがいたが、これが場所柄で深夜勤務明けの飲み会だったようだ。なんだか、その横でラーメンを食べているこちらが申し訳ないような気がしてくる。

一番安いシンプル黒 ラーメン

元気な街に元気な中華料理店、ここに入るには少し歳を取りすぎたということかと、またちょっと後悔しながら店を出ることになった。

食べ物レポート

蕎麦屋でちょい飲み ゴマそば八雲

この蕎麦屋で飲むという行為だが、なんとなく東京ローカルな習慣ではないのかという疑問がつきまとう。全国紙であるグルメ雑誌で特集される高級蕎麦は、どこも夜のつまみで一杯的な話が描かれているが、実際にはこういうことをする蕎麦屋はごく少数ではないかという疑いだ。
「立ち飲み」と「蕎麦屋で一杯」は、貧乏なお江戸のサラリーマンの風習という気がしてならない。

だから出張先で蕎麦屋の前を通るたびに「ちょい飲み」的な広告を探す癖があるのだが、なんと札幌で駅近の蕎麦屋がスタンプカードまで発行して「ちょい飲み」需要開拓を図っているのには驚いた。この店は駅地下にあるので、夜でも蕎麦を食う客で混雑している。お江戸の蕎麦屋は夜が空いてしまうので、ちょい飲みで対策しているのだから、昼も夜も混み合う繁盛店で「ちょい飲み」やる意味はどこにあるか?とは思うが。オフィスビルの地下だとありそうな話だが・・・。

まあ、能書きはこれっくらいで。札幌駅地下のレストラン街 paseoの繁盛店といえば、このゴマ蕎麦「八雲」と鮨「はなまる」が双璧で、いつでも行列ができている人気店。その八雲のちょい飲みセットが、¥1800で、アルコール2杯、つまみ二品、締めの蕎麦というまあ気持ちの良い組み合わせなのだ。スタンプカードで10回たまると、一回無料サービスというおまけもある。酒の種類も多い、つまみも蕎麦屋的つまみから居酒屋風までたっぷりある。

まずは居酒屋でもあまりお目にかからない、焼きなすを注文。最近、ナスの焼き浸しみたいなものを含めて、居酒屋のメニューでは絶滅したかと思われるナス料理だが、確かにナスとキュウリは季節感がなくなってしまったからなあと諦めていた。焼きたての熱々のナスをふうふう言いながらだし醤油と生姜で食べる。いやいや、子供の頃は全くうまいと思わなかったものが歳をとると妙にうまく感じるようになっていくのはなぜだろう。イタリアンではよく口にするナス、中華料理でも麻婆茄子はほぼ定番メニューだが、なぜか居酒屋からだけ消えかかっているメニューをありがたく頂戴した。

次は、オーソドックスに鳥の唐揚げ。前は仕事柄、どこに行っても鳥の唐揚げとピザは「必ず頼んでいた」ものだが、今はそういうしがらみもない。ただ、久しぶりにかつ単純に熱々の揚げたて唐揚げを食べたくなった。もも肉の唐揚げは、やはり酒のつまみとしては絶品だななどとおもいつつ、熱い油で口の中を火傷しながら食べる。北海道名物ザンギと微妙に違う、鳥唐揚げが妙に日本酒にあうな。個人的趣向でレモンは唐揚げにかけない、そのまま食うことにしている。口の中がレモンの酸味でさっぱりするのがよろしい。

盛りは普通の半分くらい

そして、締めに盛りそばとなるが、この分量はほぼ通常のセイロの半分なので、締めとしては適切な量だ。正一枚出てくるとちょっと重い。この店「八雲」の売りは、そばにごまが練り込んであるゴマ蕎麦。そしてそのクセのあるそばに負けない、つゆの濃さ、強さだ。
蕎麦屋でちょい飲みを自分流「孤独のグルメ」とおもうか、侘しい一人酒と思うかは、人それぞれの思いだが・・・。個人的には「孤独のグルメ」派を気取っていたい。
補足しておくと、札幌の都心部では蕎麦屋が少ないこともあり、蕎麦屋でちょい飲みがむずかしいことも事実なのだ。