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看板のセンス 長崎編

長崎は所用で何度か行った。コンパクトな街で路面電車と徒歩で街歩きができる楽しさがある。出島跡地を歩くと歴史を感じるよりも、この辺り一帯は海だったはずなのに、こんなに埋めてしまったのねという不思議さだった。

その長崎の繁華街、アーケード商店の一角にある「吉宗」、よっそうと読むのだそうで、ずっとよしむねだと思っていた。名物は、大きな茶碗蒸し。そして、ありがたいのが卓袱料理個人向け。卓袱料理といえば大卓で多人数で楽しむものというイメージだったが「お一人様」対応されていた。ありがたいことだ。その店舗正面の提灯が素晴らしい。特にこれは夜見ると、余計に見事なものになる。

1人卓袱を堪能して電車に乗って、かの有名な思案橋界隈まで遠征すると、このゲートがお出迎えしてくれる。大都市の繁華街ではビルの中に引きこもっている飲み屋も、この思案橋界隈ではせいぜい2階建てなので、そぞろ歩きが実に楽しいし、びっくり看板発見の機会だ。

思わず笑ってしまったのがこれ。店長の気持ちがよくわかる。

鉄板メニューと書かれているが、これは鉄板の上に乗った熱々ジュージュー系の料理なのか、注文するならこれに限るという自信作としての鉄板なのか。煮込みハンバーグはわからないでもない。手作りで手間暇かけて的な名品だろう。焼うどんがちょっと微妙。全国的には、ここは焼きそばあたりが来そうだし、名古屋だと間違いなく卵のかかった鉄板ナポリタンになる。焼うどんって、ちょっと地味かなあ、味付けは醤油かな、ソースかななどと妄想する。長崎市民には焼きうどんが定番なのかもしれない。
そしてトルコライス。これは、長崎の絶対定番で良いのだが、飲み屋でこうしたヘビー級の飯食うというのもちょっと・・・。

多分、2軒目で締めのトルコライス的な位置づけなのに違いない。

長崎の人は強靭な胃袋を持ってのだ。

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看板のセンス 高山編

岐阜県高山市は、観光地として名高い。牛の名産地でもあり、朴葉味噌焼きも楽しめる。高山ラーメンはあっさりしていて好みだ。朝市も有名で「カブ」の漬物を買いに行ったこともある。

そんな高山のローカルキャラクター「さるぼぼ」。これは最近できたばかりの新興キャラではなく、昔からのお守りのように使われてきた伝統ものだそうだ。子供の健康を願うものだったらしい。

そのお守りを「食ってしまえ」というのは、ずいぶん乱暴だなあと思ってしまったが、よく考えると「ペコちゃん焼き」とかいうキャラたべものもあるし、そもそも元祖人形焼は神様を食っちゃうわけだからねと、思い直して。

カップに入ったサルボボを一つ調達した。お土産にどうぞと言われてもう一つ追加した。ただ、これを食べる時はさるぼぼとはなんなのかがわかっていないと楽しめないか。土産物店では、このさるぼぼの小さいマスコット人形も売っている。

全国に広がる「田中」さんとよく間違えられる「中田」さんは、意外と少ないのだ。おそらく北陸地方出身者が多いのだろう、富山や石川、新潟あたりでは「中田屋」の屋号をたまに見つけることがある。聞いた話では明治になって名字が名乗れるようになった時に、山の上から「上田」「中田」「下田」と、ずいぶん安直な命名がされたそうだ。(本当かどうかは確かめていないが)

高山で一番感心した看板はこれ。店主の意気込みが感じられる。「肉食男女」って、どういう人たちかな、あまり想像したくないし、できればあまりお付き合いしないほうがいいような気もする。夜な夜なガッツリ肉を頬張るカップルか。史上最強の霊長類という言葉が脳裏をかすめていく。

やはり高山ではラーメンがよろしいかと。

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看板のセンス 高知編

外出制限を地道に守っていたら、ネタ切れ状態で、また過去写真からいろいろ取り出してみることにした。街を歩く時に発見した面白看板を写真に撮る。趣味みたいなものだが、あとになった見返すとなかなか興味深いものが多い。ただ、どうしてこんなものを撮ったのだろうと悩むことも多いが。

高知で見つけたのは、商店街の中にある居酒屋の店頭で「カツオづくし」のメニュー板だった。
「カツオちちこ」は心臓のことだったと思う。「はらんぼ」は腹部の下にある皮まわり。人で言えばおへそ周りの肉にあたる。カツオの餃子は食べてみたいが、カツオの中に混じる「龍馬サラダ」が微笑ましい高知人の龍馬崇拝だ。
ただ、そのサラダの中身は相当気になるが値段を見ると、そして龍馬の名が入っていることを考えると、高知の名物がてんこ盛りに入っているのだろう。

商店街にある食堂で売っているテイクアウト用のおむすびも珍しい。一度食べてみたいものがと思っているが、まだ手を出したことはない。確か店内でうどんと一緒に食べられるはずだが。高知の謎の食べ物だ。

そして、高知の謎の最上級がこれ。高知名物は、この屋号「一軒家」なのか、左サイドにある「鳥の足付焼」なのか。この店にも一度入りたいと思いながら、未だに果たせずだが。香川の骨付き鳥みたいなものかなと想像してみたが、足つき焼きとわざわざ書いているから上半身と下半身が揃った「半身焼き」みたいなものだろうか。謎は尽きないな。

高知帯屋町商店街、歩くには楽しい場所なのだ。

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ビジネストリップ 考えてしまうあれこれ

2ヶ月ぶりのビジネストリップだった。自粛の間は外食をしていなかったので、必然的に旅先で約2ヶ月ぶりの外食となった。ところが、当然ながら繁華街ではレストランの大部分が自粛という名の強制休業中で、食事をするにも場所探しがなかなか大変なことになっていた。ようやく見つけたラーメン屋で、久しぶりに食べたラーメンだった。食べる前は、2ヶ月ぶりの外食だけに、さぞかし感動することだろうと思っていたが・・。実は何の感動もなく、普通に食べておしまい。普通の醤油ラーメンで特にかもなく不可もなく。まあ、こんなものなのかもしれないな。

普通の醤油ラーメンの感動とは?

晩飯もどうせ状況は変わらずどころか、もっと悪いという予想の上で、あらかじめスーパーで惣菜を買ってきてと思っていた。ただスーパーの惣菜は、1人で食べるには量が多すぎるものなので、選択には苦労したが。ただホテルに戻ってもレストランに入る気にもならないので、部屋に引きこもったらちょっときれいな夕空を見ることができた。北西向きの部屋だったので、陽が落ちるのをみながら、ゴージャスな気分での晩飯となり。普段だと飲んだくれている時間だから、これは「お宝な時間」が棚からぼた餅的に手に入ったことだなと満足してしまった。

この世の中、悪いことばかりでもないということだ。

食べ物レポート

ローカルフードのあれやこれやな雑感

札幌の町中華「香州」は、土日ともなれば場外馬券を買いに来る親父たちのたまり場になっていて、一日中タバコ臭かったのだが、コロナのどさくさに紛れてあまり話題にならなかった「健康増進法」により店内全面禁煙になった。実にうれしいことだが、不思議とオヤジ率は下がりもせず相変わらずの人気ぶりだった。

中華チラシ風???

帯広のローカルフードといえばインデアンのカレーと言いたいところだが、普通は豚丼になるだろう。その裏側にある超ローカルメニューが、中華チラシとい食べ物で、中華丼みたいなものなのだが。その札幌版というか、中華チラシもどきが香州のチラシ風竹の子と木耳飯(だったと思う)で、この何とも不思議なビジュアルが素敵?かどうか。味は大体想像通りの中華風だしの効いた塩味で、食感が楽しい食べ物だ。これはきっとカレーのように混ぜながら食べるのだろう。

ついでに定番の酢豚も頼んでみたが、前にも書いた通り、この店の標準はパイナップルで、甘酢あんはどちらかというと甘めだ。今回はなぜか椎茸とニンジンが少ない。だから彩が単一色というか茶色と黄色ばかり目立つ。微妙に不満があるが、うまいことは間違いない。この店はこんな外れとも言えないがあたりでもないものが出てくることがあり、まあ、町中華の良いところと言えば良いところなのかもしれないが。いつも同じものが出てこないというのはレストランとしていかがなものかと・・。レストランにびっくり箱はいらないんだよね、というのが持論なので。

今度は、もう少しゆっくり食べられる時間に来たいなと思った。

食べ物レポート

新宿を見下ろし、飯を食う

一月半ぶりに新宿に出てきて、ちょっと格好をつけた昼ごはんを食べることになった。都庁を見下ろす高層ビルのレストランから西新宿を見ると、当然ながらビルの影になってよく見えない。ヒルトンホテルのずっと先が高尾のほうになる。

和食、それも懐石料理など久しぶりだ。家にこもっていた間も貧しい食生活と言うことではなかったが、おそらく20歳になって一人暮らしを始めて以来、こんなに長い間外食をしなかったのは初めての経験だろう。仕事柄、外食はまさしく「飯の種」なので、ネタ切れ=仕事切れになるみたいなものだ。
しかし、あらためて日本食は器で食べると言うのは正しいと外食欠乏症になって気がついた。

おめで鯛という語呂合わせはさておき、やはり白身の魚を上手に焼くと美しいものだが、赤い彩りを忘れないのがプロの仕事ということだろう。あとは贅沢を言えばレモンではなく、ライムとかスダチとか緑色がよかったかなあ。

デザートは甘いものというより爽やかなもの、口直しだった。こうしたおいしいものを食べることは不要不急にあたるのかと悩みつつ、(いや、腹を立てつつ)おいしい昼ごはんを楽しんだ。

ワインゼリー

しかし、こうした楽しみを「自粛」という名で押しつぶし、金も払わず個人の道徳に訴えて「日本モデル」などと威張りまくる霞ヶ関のバカなジジイたちには、一生うまいものを食べさせてはいけないと思う今日この頃。

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ビジネストリップの貧困さについて

これまでの人生の中で「旅」の時間は人様より相当多いと思っている。そのほとんどがビジネストリップなのだが、たまには、ビジネストリップで行った場所をプライベートで再訪することもある。高知などはそれが度を越して多くなった場所だ。今回も自粛明けでビジネス再開ということで不義理をしていたところに、まずはいくことにしたが。当然、夜の会合などはご法度で、それはそれで仕方がないので文句を言う気もない。しかし、いわゆる繁華街、レストラン街が自粛休業中なので、美味しローカル食など楽しむ術もない。そこで、ほか弁でおかずセットみたいなものを買ってきてホテルの部屋で食べることにしたのだが・・・。

お子様ランチのおかずだけセットではない

いざテーブルの上に広げてみると、これが実にわびしい。食べ切れるようにと一番小さいものを買ったのだが、何だかお子様ランチの中身が大盛りになったような気分・・・。唐揚げもポテトもソーセージもハンバーグも好きだが、それが一つに合体すると、どうしてこんなにやるせないと言うか情けないものになってしまうのだろう。こんな時には名物駅弁ても買うのが良いのだろうが、当たり前のように駅弁屋も休業していた。

緑のそば

そして、昼飯を食べようにも飯屋が空いていない。仕方なく、大手ファミリーレストランに入ってみるのだが、前夜のトラウマが残っていて「洋食・お子様ライス的なもの」はどうもねえと言う気分で、あっさり盛り蕎麦にしてみた。この緑のそばは昔から謎だったが、北海道地方にはあちこちに緑麺文化が残っていて、釧路のクロレラそばみたいな「栄養がありそうなもの」を練り込んだ蕎麦は一般的だと思う。スーパーでもグリーン麺という乾麺が売っている。なので、これもその系統かと思っていたら、何と抹茶蕎麦と書いてあるではないか。いったいつから抹茶そばになったのだと思うくらい、抹茶風味はしない。よくある抹茶アイスの安物は抹茶含有量が少なく色だけ、高級品になると抹茶の味がするみたいな、はっきりした階級差があるが、抹茶そばはどうなのだろうか・・・。などとぶつぶつ考えながら食べてしまったから、抹茶の味を確かめることができなかった。

いやはや、早く普通の暮らしが戻ってこないとビジネストリップは楽しみがなさすぎるぞ。

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ガラスのピラミッド ルーブルと

モエレ沼公園の一番目立つ造形といえば、このガラスハウスだろう。
三角形というかピラミッドというか。

反対側から見ると全く違う形状にも言える。建物にデザインが必要なわけがよくわかる。緑の斜面とガラスの三角は良いバランスだ。

近づくと骨組みの幾何学的形状がなかなかシャープな印象で、この建物の中居に入ってみると、光の入り具合がまた楽しい。

ただ、ガラスのピラミッドといえばやはりフランスのあの有名な美術館になってしまうのはしょうがないか。

個人的には都市の真ん中にあるよりだだっ広い公園の中にある方が良いとは思うが。

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屋外の美術展示

モエレ沼公園は、歩いて回るには広すぎる。入り口でレンタルサイクルを調達し走り回るのがちょうど良い。公園のあちこちには立体造形というか美術品のような遊具のようなものがあちこちにある。

このコンクリートの山は一体何なのだろうか。展望台と言うにはあまりに低いし、おまけに周りは樹高の高い木に囲まれて見晴らしは限りなくゼロだ。

その隣にあるのはモニュメントというかオブジェというか。でもこれは子供から見たら登ったり潜ったりするおもちゃみたいなものでは無いか。黄色と黒のコの字型のブロックがあった。並び方に規則性があるようで、内容で。この穴の中を潜って遊ぶ子供はいるのかとシバしまっていたが、そもそも子供どころか大人も通りかからない場所らしい。

でも、公園それも都市の近くにある場所は、こんな風な不思議なものがたくさんあるのが良いのでは無いか。第二、第三のイサム・ノグチが現れるきっかけになればなあ。東京近郊でこういう風な「突き抜けた公園」は見たことがない。箱根のどこかに立体造形の美術館があったと思うが、それよりもよろしいような。

札幌市民がうらやましいと、久しぶりに思った。

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零式艦上戦闘機 雑感

通称「ゼロ戦」の方が通りが良い。先の大戦初期には名機と呼ばれ向かう所敵なしみたいな圧倒的な成果を残した。大戦中期には米国軍の新鋭機投入と大量生産により追い込まれ、大戦末期には新鋭機の開発投入の遅れのため、すでに一世代前の機体になっていたにもかかわらず改良されつつ酷使された。

大和ミュージアムに展示されていたのは、そんな零式艦上戦闘機の最終モデル。62型と呼ばれている。二桁の最初の番号はエンジンの変更回数、後ろの一桁の番号は機体の修正等も含めた改造を表すというが、30番代と40番代は短期使用、あるいは試作のみなので実際は20番代とその改造増強型の50番台が主力機体だった。60番代は終戦間際の改造シリーズでエンジンの増強や機体の改造などを行なったが、やはり力不足でおまけに生産機数も少ない。

零式艦戦を戦後になって復活させた機体は日本にも各所にあるが、だいたいは戦後の混乱が収まってしばらく経ってから、墜落していた機体や、南方のどこかで野ざらしになっていた機体などを寄せ集めて復成したようだ。だから、52型が多い。62型は珍しい。逆にアメリカ軍に鹵獲されていた機体は大戦前半の機体も多く21型なども多い。ワシントン・スミソニアン航空博物館で見たのは、そんな機体だった。

浜松の空自広報施設で展示されていたのは52型で、見た目にその差はわからない。脚が畳み込まれているので、スマートに見えるが、塗装も含めほぼ同じような感じだ。ちなみに地元の所沢航空記念館にも展示がある。

この機体もそろそろ開発から100年近く経つので、もはや骨董機にあたるのだろうが、やはり美しいフォルムと言えるだろう。武器に優美さを求めるのは江戸時代の日本刀にも通じるのかもしれない、近世日本の美意識の現れのひとつということか。などと考えながら零式艦上戦闘機に見惚れておりました。