
この手の設備は昭和の中期に消滅したと思っていた。それがいまだに現役とは、すごいというしかない。

水洗トイレの貯水タンクがはるか頭上にある。確かに、これはレバーを引くと重力に応じて水が流れるというもので、合理的な仕組みだが、これのままではシャワートイレにはならない。
まあ、ともかく珍しいものにお目にかかった。個人的な記憶では、まだドリフターズが前世だった時代の遺物のような気が……………
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この手の設備は昭和の中期に消滅したと思っていた。それがいまだに現役とは、すごいというしかない。

水洗トイレの貯水タンクがはるか頭上にある。確かに、これはレバーを引くと重力に応じて水が流れるというもので、合理的な仕組みだが、これのままではシャワートイレにはならない。
まあ、ともかく珍しいものにお目にかかった。個人的な記憶では、まだドリフターズが前世だった時代の遺物のような気が……………

週末の昼下がり、土曜の昼過ぎに昔の仕事仲間たちと集まって、池袋駅西口の居酒屋に行った。いい歳をしたおっさんが集まっての飲み会なので、誰かに遠慮する話題もない。時の総理への悪口から、都市に跋扈する悪党どもの話などは可愛いもので、その先に待っているのは年金と健康の話になる。実はこれが話題としては一番嫌だなとは思うが、ほぼ全員の関心事でもあり話に熱が入る(ように見える)
外食関連企業に身を置いていたこともあり、若い頃は(笑)それなりに料理や原料の蘊蓄だったり、業界の浮き沈みのあれこれに夢中で情報交換したものだ。つまり役に立つ飲み会だったと思っている。ところが、最近ではすっかり仕事も関係なくなったせいか、この「有用」な話題が変わってしまっている。それが悲しいとしみじみ思うのだ。
週末の昼下がりに酒を飲みながらあれこれ注文するが、もはや出てくる料理への関心は薄くなりすぎて、適当な酒と乾き物(固いするめではなく柔らかいさきいかなどが望ましい)があれば、もうそれでいいのではないか。暑さ寒さの厳しい季節であれば室内が望ましいが、適度に快適な春や秋であれば、近くの公園のベンチでも良いかななどと、実に下方思考になってしまう。
まあ、高くて美味しい店に興味がなくなると、その行き着く先は公園か河原になってしまうのは、世の常(笑笑)なのでありますね。
この日職したピザという名のペラペラな食べ物は、それなりに美味いとは思うが、これはぼったくりのような気もしないではない。こんなものを食したせいで下方思考が強まったのかなと疑っている。
初代の正統怪獣は映画で登場したGだろう。その後、テレビの時代になりウル○ラマンが退治する巨大生物や巨大化した異星人が怪獣族の主流になる。当初、Gへの対抗手段は超絶的なチート兵器などではなく、再建された陸軍、つまり陸上自衛隊が前面に立ち対処した。当然、巨大生物は生物学の常識を覆す存在であり、通常兵器などで対抗しうるものではない。その全く歯が立たない相手に、なんとか頑張る自衛隊という構図は、当時(1950-60年代)の自衛隊非容認論が吹き荒れる社会に対して、精一杯の存在の正当性を主張したかったように思う。
『俺たちは旧帝国陸軍のような横暴はしない、民を苦しめたりしない、兵士を粗末に扱ったりしない、合法的で道徳的な国民を脅威から守る武装集団だ』という悲鳴のようなものだったのではないか。
だから、圧倒的な力を振るう巨大生物「怪獣」に対して精一杯の奮闘を見せる。Gの大ヒット以降も、自衛隊は怪獣映画制作に対して協力的だった。次代兵装に変わる中で最新鋭の兵器を惜しげもなく映画の中に登場させてきた。(最近は自衛隊が活躍する映画がなくなってしまって残念)
ところがだ、テレビ番組で放映される怪獣映画は、どんどんと荒唐無稽な物語になり、出てくる怪獣に立ち向かうのは、科学特捜隊やら(ネーミングとしては警察機構の一部だから、内乱鎮圧程度の武装しかない)地球防衛軍やら(こうなると国際組織なのでビーム兵器などのとんでも武装がOKになる)になり、とうとう怪獣攻撃専門部隊まで生まれる始末だ。自衛隊の出る幕は無くなってしまった。
ハリウッド映画では、地球外生命の侵略に対抗して米国大統領自らが空軍戦闘機(F15もどき)を駆って神風アタックじみた攻撃をする。国軍が国防の主力なのだ。それとは異なり、自衛隊は怪獣映画から無用物扱いされてしまった。
それが平成になると二つのGシリーズにより再評価を受ける。カメ型Gの場合は、自衛隊を怪獣に対して戦力投入をするときの法的根拠という、面倒な仕組みに焦点が当てられた。怪獣による都市破壊、あるいは人喰い被害に対して、巨大な生物による事件とすると管轄は警察になる。(大型の熊を駆除するみたいなもので、熊が超大型化した事案と解釈する)
自衛隊が出動するためには怪獣による被害は「天災」の一部であり、生物的な災害事案として出動が要請されたのであり、防衛出動ではないという想定だ。あくまで戦闘行為ではなく、災害対応という建て付けだ。
ただし、この生物的災害に対し武力を行使するには……………というものだ。現行法の拡大解釈では難しくなる。地震や台風は被害を起こすが、それは自然災害だ。では、人を食う怪獣は、都市を破壊する怪獣は、自然災害にあたるのかという点をあえて無視する。
ただし、怪獣災害が続くと当然、あたらしい法制化が必要となり自衛隊の出動基準に巨大生物災害対策の名目が与えられる。まあ、それでも怪獣撃退の主力にはなれなかった。
もう一つの二足歩行型Gについては、シン・Gという新作の中で、限られた巨大生物対策可能な資源として自衛隊ではなく、なんとJRの列車を兵器化する。自衛隊の兵器を使用せずになんとか済ませたい。この辺りの感覚が現行の政府がやりそうなことだと、思わず頬が緩む皮肉たっぷりの見せ場だった。警察対応と合わせて自衛隊の出動が可能か……………となる。現実的には、Gとも話し合えばなんとかなる的な発言をしそうな野党の面々の顔が容易に想像できる。
そうした自衛隊出動の条件整備がエンタメ界で進んだおかげで(笑)、このコミックが出来上がったと考えると、現実を踏まえた仮想世界のシミュレーションとして面白い。作品内では当然ながら武力行使を行う自衛隊に対して、国内でもアンチの声が上がるが、海外からも日本の武装云々といちゃもんをつける国があり、仮想敵国(政治的表現としては防衛対象国というらしい)だけでなく同盟国まで激しく干渉してくる。
お話しの中では日本がなんとか怪獣対策に成功している間に、同盟国も仮想敵国も強烈な怪獣災害になす術もなく……………という、ざまあみろ展開になる。
自衛隊の怪獣退治もチート兵器ではなく、多少の時間を要するが既存の兵器体系からの延長線で、怪獣退治に特化した武器を開発するというストーリーだ。対怪獣兵器開発で日本が世界に先行する。まさに頑張れ日本だ。
いささか気になるのはこの作品世界で、圧倒的な英雄、ヒロインとして活躍する若き女性自衛官がスーパーすぎることだ。なぜか、彼女のいるところに怪獣が呼び寄せられてくる。
怪獣の出現プロセスも説明済みで、始末した怪獣の処理についても描かれている。(実は、これが怪獣映画で最大の問題点だと思うのだが、なぜか触れられることが少ない。倒した怪獣をどうやって解体・廃棄処理するのかという環境問題は放置されがちだ)
世界設定に関してもなかなか芸が細かいのだ。時代としてほぼ現代、ちょっとだけ未来ということで、超兵器も出てこなければスーパーマンもいない。全体的には自衛隊の特殊部隊が主導して、自衛隊全体で頑張る姿が描かれているが、政争の道具として自衛隊を使おうとする政治勢力もいる。(与党の中にいるのがリアルだ)
現実世界で与党の政治屋たちも、戦後の教育がとか、先の大戦の意義・正義などとポンコツな思想を撒き散らす前に、この本を読んで「自衛隊」とはどういう存在であるのか、国防を担う合法的な武装集団とはどうとらえ、どう取り扱うべきなのかを考える良い教科書だろう。
そう、この本は自衛隊を考えるのに間違いなく良書なのだ。そして、少なくとも、仮想敵国や同盟国を相手としての戦争を考えるよりは、怪獣相手の武力行使の方が思考実験として気楽に考えられるだろう。
ただし、巨大生ゴミ処理も忘れずに考えようね。大阪府での起きた死亡鯨の海洋投棄をめぐる問題を考えれば、今の行政組織(中央も地方も合わせて)の限界は簡単に気がつくと思いますよ。もし、東京都内で怪獣が倒されたら、首都圏三県ですら生ゴミ処理に協力しないはずでしょう。(福島の除染土問題で明らかですよね)おまけに、もし夏だったら山手線内全域が完全閉鎖だろうなあ。臭すぎて……………
全巻一気に読みがおすすめ
戦後80年とか昭和100年と言われる、2025年はあれこれと戦前の話をするものが多い。右翼も左翼、どちらも自分たちの思想強化?教化?のために論陣を張っているようだが、どれも歴史というもの理解というか把握に課題があると思う。まあ、退陣する首相が辞めぎわに何をか言わんと思うが、同家のように戦後のおさらいをしたがっているのだから、日本人にはおバカが多いと言われても仕方がない。
今更、現代日本史を語るのであれば、せめて明治以降のイケイケどんどん制作を推し進めた巨大新聞の記事を見直し分析すべきだろうし、敗戦後の新聞の手のひら返しの論調の裏付けもとらなければならない。こうあれかしと思う過去を幻想し、ネットの中に落ちている都合の良い記述を拾い集めるなど、歴史を語るものがすることではないだろうなと思うのだが。少なくともとも保守派の論調に出てくる日本の伝統なるものは、その大半が明治期に作り上げた「新興習慣」であり、リベラルサイドがぶち上げる民主主義や平和主義などは、昭和中期以降に出来上がった概念でしかない。旧大日本帝国の生態を含め批判するのも賛美するのも、趣味の世界でやるには害がないが、押し付けるのは勘弁してほしいと思うのだ。
その大戦前の世界で、最も日本人の欲望が蠢いた地域が満州だったと思う。戊辰戦争に勝利した貧乏な革命日本政府が、ほぼ50年がかりでようやく手に入れた大規模植民地だ。その経営には、さぞかし気合が入ったことだろう。
当時の満州は様々な民族が入り混じって混沌たる社会を作っていた。大陸にいる華人ですら正規軍(革命政府側)と犯罪者扱いされた馬賊(革命武装勢力の一部)が対立し、そこに侵略勢力である帝国陸軍、そして旧清朝帝国の没落貴族が入り乱れ利権を争う、まさに混沌とした社会だ。
日本からは海外移住という形の棄民政策が推し進められ、現住する諸民族と軋轢を深めてている。法治などという言葉は忘れ去られた暴力世界だったことだろう。
その混沌社会の満州で、ケシを栽培しアヘンを密売する組織が、どう生まれどう成長していくかという物語なのだ。話の根底は不幸なものたちの集団が、社会の軋轢や差別から立ち上がる怒りがある。搾取される側から搾取する側に立ち位置を変えたいという渇望がある。その手段が麻薬中毒者を作り出し借金地獄に落とし込むことにあり、誰かを蹴落として自分たちが浮かび上がるという、カンダタの系のような世界だ。救いがないと言えば、確かに救いがない。少年誌では決して載せられない物語だろう。エロやグロを超えた「知らせてはいけない世界の存在」精密描写だからだ。
アヘン密売業者も悪だが、それを妨害する組織、帝国陸軍、華人犯罪者集団、地方警察、すべのがさらに悪どい「悪者集団」として描かれる。お話のどこにも正義は見当たらない、ダークファンタジーだ。だからこそ、人の心の奥底にある何かいけないものを見たがる精神に働きかける。
お話のゴールは大戦の敗北により帝国陸軍が敗走し、守るべき民を見捨てるあたりだろう。大陸と半島に在住した日本人の大脱走に紛れて、アヘン密売組織がどこで生き延びるのかが最後のテーマになりそうだが。案外と日本には戻らず、東南アジアあたりで麻薬王になりましたという落ちかもしれない。まだ話は中盤程度、この先が楽しみだ。
全巻一気読みをお勧めします。戦後80年をまとめる訓話(笑)より、よほど歴史を学ぶのに向いている良書であります。
札幌を舞台にしたコミックはついつい読んでしまう。あちこちに出てくる街の風景を、ここはどこかと推理したり、ああ、ここに入ったことがあると納得したりする。
古くは「最終兵器彼女」の舞台が札幌と小樽だった。「テセウスの船」は札幌と近郊の町、「動物のお医者さん」では北大周辺、「チャンネルはそのまま」では旧HTV本社付近が登場する。
テレビ番組であれば、普及の大名作(大迷作)である「水曜どうでしょう」初期はは札幌と北海道ないのあちこちガロ蹴りになっている。ローカル深夜番組であり予算の都合だったらしい。(その後、舞台は日本各地、特に四国、そして海外へと広がる)
小説で言えば、イチオシが映画化もされた東直己「ススキの探偵シリーズ」で、原作のモデルにBARにはよく通った。(著者はこの10年くらい新作を発表していないのが残念だ)
さて、波よ聞いてくれというお話は、札幌の架空のラジオ放送局が舞台で、画風はシリアスながら途方もないほら話というか、ほとんどコメディーなので、真面目に読んではいけない。とも思いつつ、連載期間が長いこともあり、その間に起きた大地震と大停電をテーマにした甲斐もある。引きこもり女性の社会復活とか新興宗教法人の暴走とか、時事ネタもたっぷり盛り込まれている。
ただ、この本の一番の楽しさは「軽妙な会話」にある。その要因は、描き手の頭の中はどうなっているのだろうといつも驚かされる、日本語のアクロバット的誤用だ。チャップリンに代表されるスラプスティックコメディーをコミックの上で行なっている。日本のエンタメ界では、エノケンから始まりクレージーキャッツ・ドリフターズと続いたドタバタコメディーのコミック化と言えるだろう。(そう言えば、ドリフターズの直径後継者である志村けんの後、ドタバタ喜劇を演じるものはいなくなってしまったなあ)
現在は12巻まで発行済みだが、おいしく読むためには初版発行時の時事ネタを多少なりとも調べてみることをお勧めする。なーるほど、と思うことで楽しみは倍増する(かもしれない)
しばらく前だがネット上でスペクトラムという昔々のバンドが、動画サイトでヒットしているというニュースを見た。たまたま断捨離作業中だったこともあり、自分のCD/DVDコレクションの中からスペクトラムを引っ張り出して片っ端から再生した。うーん、いつ聞いても感動するなあ。
ホーンセクションが入ったバンドはほとんど存在しない。記憶にあるのは、シャネルズ改ラッツ&スターでメンバーが演奏していた。米米クラブでは専属メンバーにホーンセクションがあったくらいだろう。80年代後半から始まった演奏ではなく打ち込みによる楽曲作成術で、電子音もどきのソースは多用されたが、いわゆるホーンセクション、金管楽器の音はあまり使われていないようだ。(知らないだけかもしれない)
歌って踊るスタイルはジャニーズ系に代表されるアイドル路線では当たり前になっていったが、かなりハードめなバンドが踊るなど80年代には想像ができない。それだけ時代に先行していたコンセプトだったのだと思う。数年で解散してしまったが、その間もレコードは買い続けていた。あるときふと思いつき都心のCDショップに出かけて探してみたら、レコード全てがCD化されていて感動した。その場で全5枚を大人買いした。おまけでDVDも見つけて買ってしまった。我が人生で数少ないお宝となった。それが今ではネットで動画が見られるのだから、やはり時代は進んでいるのだなと、変なところで実感してしまった。
ネット世界で話題になっているニュースをあれこれ眺めていると、リーダーの新田さんがまだご健在だという。流石に再結成できるお歳ではないだろうが、プロデューサーとしてスペクトラム2(仮称)とか、スペクトラム Rebornとか、を誕生させてくれないものだろうか。ビクターだったらやってくれそうな雲するがなあ。
あれこれお騒がせした芸能人やミュージシャンがYoutubeで復活する時代なのだから、Youtubeで拡散したのをきっかけにゴローバル展開するミュージシャンになって欲しいものだなあ。
サラリーマン転生ものの話を続けるとして、最近見つけた傑作がこれだ。設定を含めてかなり骨太なストーリーになっている。背景世界も、おそらく現代文明が滅びた後に数千年から最長で1万年程度の後に再建された世界のようだ。人類が2種類存在し、現生人類の後継が大半で、少数派として長耳の人類亜種(おそらく遺伝子改変種)が北欧地域に追いやられながら生き延びているという感じだ。
そこに赤ん坊として転生したサラリーマン(引退済みか)が転生し、現世知識を活用して文明加速と新大陸への疎開を目指す。
ここまでをコミックで読んだのだが、当然ながらラノベの原作があり、その元は小説家になろうの任期作だった。ストーリー上でアニメ化を妨げる要素もなく、近いうちに制作されるだろうと思う。発行元がオーバーラップ社というちょっと変わった編集方針の出版社だから、主人公の性格は多少捻じ曲がっているし、世界を斜めから見るタイプだ。ジャンプ的な努力と友情と根性路線ではなく、マガジン的な予定調和的に活動し葛藤をあまり感じないタイプの主人公が活躍する話でもない。
どちらかというと転生前に不遇だったサラリーマンが、少年の肉体に宿りながらも中年の知識を保持しつつ、ゆっくりと肉体年齢にあった若い精神状態の戻るという、変形の輪廻転生にようる救いの物語だ。濁った中年サラリーマンの精神が浄化され若返るというのは、読者層の願望そのものだろう。
設定がよくで切れいるようで、物語の破綻も見当たらない。ばら撒きすぎて回収できない伏線というお粗末なものも見当たらない。おそらく原作は、大人が読める秀作なのではないかと想像できる。例えばA・マキャフリーのドラゴンライダーシリーズのようなものではないか。(あれはドラゴンの出現するファンタジー世界の裏側に、遺伝子工学と恒星間航行世界を支える科学技術という設定がある素晴らしい作品なのだが)
大人向けラノベ?という変な言い方をしたくなる良作であります。コミック全巻読んだので小説版に手を染めてみようか。

9月になると冷やし中華や冷麺が終わってしまう。それがちょっと悲しいなと思う。気になって幸楽苑のサイトを調べてみたら、まだ0面販売中とわかり、のこのこと出かけてみた。
見た目はゴージャス感がある冷麺だ。最近の幸楽苑は基本に立ち返ることを徹底しているようで、見た目も含めた商品の完成度はなかなかのものだ。冷麺や冷やし中華はやはり立体化したものが食欲をそそる。良い仕上がりではないか。
しかし、食べてみると難点下記になることがある。一つ目は麺の質だ。モチッとした食感はあるが、これは中華そばの範疇ではないか。冷麺特有の米粉を使った歯切れの悪に粘り感は感じられない。二番目はスープで、多分味が薄いのだと思う。麺と絡めると味がわかりにくくなる。
どうやら幸楽苑の商品開発チームは、冷麺をラーメンの変形として考えている節がある。おそらくそこが違和感の原因、大元だろう。そもそも冷麺のルーツは大陸本土ではなく半島北部であり、温かいラーメンと冷麺では「味の思想」が根底から違うはずだ。日本蕎麦のかけともり程度の差程度と考えてはいけないと思うのだが。冷麺風の冷たいラーメンとでもいうべきものに仕上がっているのが残念だなあ。
冷やし中華をこちらに寄せていくと面白いものになるのかもしれないなあ、などど今年最後の冷麺を食しながら思っておりました。

まだまだ日中は暑い日が続いている9月だが、なんと冷やし中華は終わってしまっていた。個人的には冷やし中華は通年商品で良いと思うのだが、少なくとも5月の連休から10月いっぱいくらいまでは、冷やし中華の適性温度帯と考えて良さそうだ。
満州の冷やし中華は業態スタンダード的で安心感があるのだが、終わってしまったものは仕方がない。諦めて9月の限定商品「つけ麺」を頼んでみた。
結果としては、昨年に引き続き残念な仕上がりだった。つけ麺に和風も洋風もあるものかと思うのだが、この商品はなぜか和風というネーミングで、それはそれで良いのだが、つけ汁の味が弱い。
世間ではつけ麺が人気なので、とりあえずうちも出してみよう的な、完成度の低い仕上がりだなあと思う。確かに満州の客層は高齢者が多いので、そちらにシフトしているのかもしれないが、やはりつけ麺のスープ、つけ汁は濃厚感がある頑丈な味が良いと思う。麺の太さもスープの強さに合わせて太めにしないと、かの名店「大勝軒」が見せるスタンダードつけ麺とは比較にならないのではないか。
来年、ブラッシュアップしたつけ麺を登場させてくれると良いなあと思っております。
ラノベは基本的に中高生・ハイティーンにターゲットを合わせたジャンル小説であり、主人公は高校生であることが多い。アニメのヒット作品でも巨大ロボットモノや、宇宙開拓時代の戦争ものにしても、大人になり切る前の少年少女が大人からの圧力や干渉に悩みつつ成長する物語に仕立てられている。ジャンル小説とはそういうものだろう。そこから派生して大人向けのラノベも生まれているが、主流はやはり高校生主人公のお話だ。
その高校生主人公を取り巻く同級生に味方や悪役を配置し、大人の敵役(大抵は教師)もあれこれ面倒を押し付けるという設定は、学園転生ものとして鉄板の舞台になっている。
ところが、なぜかこの物語では主人公群が中学2年生でありながら、その立ち振る舞いは中学生をはるかに超えた成人に近いにものなっている。
それだけでも違和感があるのだが、出てくる悪役がこれまた性格に一貫性がない(これは物語世界では最大の欠点になるもので、悪は悪で一貫して嫌な奴でいなければいけない)妙に現実社会を映し出した気持ちの悪い者だ。
確かに現実の社会で、一方的に悪い上司などは存在しない。8割は嫌味でパワハラの塊みたいな奴だが、残り2割は上司に対して忠実だったりする。100%の悪など存在するのは物語世界だけで、だから約束された悪のい役割を完遂してもらわなければならない。
ところがこの物語は、領民から慕われている善良な領主が、領民を救うため異世界から転生してきた中学生を奴隷のようにこき使い、使い捨て、挙句に死亡放置するという存在になっている。悪の権化として君臨してくれない、ダメな悪役なのだ。おまけに、あれこれ戦略級の政治活動?を企てる主人公が、その悪徳領主に対する仕返しが、なんとね小便疑惑で恥をかかせるという、小学生クラスの悪巧みだったりする。
おまけに同級生でトップの勇者適性を持った奴が、中二のくせにハニートラップに引っかかり、夜な夜なセックス接待に溺れる。なんとも混乱した世界設定ではないか。
そのせいなのだろうか、Webサイトでの連載は継続しているが書籍化は途中で中断して、コミック版は書籍版いこうも続いているという不思議な展開になっている。
おそらくWEB連載は書き手の都合で好き勝手に書いていても読者はついていると連載は続けられる。(そういう媒体だからだ)
ところが書籍化すると編集の意見や校正の都合で、お話の中の辻褄合わせが必須になる。すると書き手がやる気をなくす。
それ以上にネットでは読者がいるが、金を出して描く書籍では売れない内容であったりすると書籍化が打ち切りになる。
現代のメディアミックス作戦の中では失敗作扱いだが、WEB連載さえ続いていれば、テキストの書籍が打ち切りになっても(つまり原作がなくなっても)、WEB連載ベースでコミック継続ができるということなのだろう。
コミック内でのあれこれ設定の異常さや、不都合さ、一貫性のなさはこのように理解できるのだが。
キャラの柔らかい見かけとは裏腹に、結構アブノーマルな世界が描かれる、本来は18禁勿お話のような気がする問題作であります。ちなみに発行元は双葉社なので、大人向け出版社が少年少女向けに乗り出してみたけれど、あれこれある年少者問題に気が付かなかったというのが案外当たっているのかもしれない。迷作というか怪作というか……………