街を歩く

神田の不思議空間

店名と入り口テントに描かれた店名は違う

昔の仕事仲間である友人と不定期で開催している私的OB会というか飲み会をコロナ前には年3−4回程度でやっていた。気が向けば共通の知人友人も招き、結構規模が膨れうこともあったが、コロナになってからすっかり会う機会も減っていた。これまた社会情勢に個人生活が負けるという典型例だな、などと一人で考察していたのだが。
ようやく下火になったこと、お互いの社会環境が変わったことなどもあり、ぼちぼちと再開することになった。開催地選択はお当番制(自分はなぜか免除特権があるらしく)なので、普段行ったことのない目新しい場所を紹介される。実に楽しみな飲み会で、今回は神田の奥まった場所に集合した。

日本酒の品揃えが素晴らしいと聞いていたので楽しみにしていた。いくつかは飲んだことがあるが、ほとんどが初見ものだった。半合売りとのことだが、最近はそれくらいがありがたい。正一合で売って欲しいのは立ち飲みのコップ酒くらいで(一合とかきながら8勺(しゃく)くらいしか入ってないことも多い)、居酒屋で美味い酒を楽しむ時ははんごうで十分だろう。

店内は、元々の喫茶店をテーブル席に変えただけのようだが、変に内装をいじくり回していることもなくシンプルで小綺麗な囲碁ごちの良い空間だった。昔は小上がりのある伝統的な店が好みだったが、最近は足の楽さを考えると小上がりがしんどい。日本人の畳の上に直に座ると言うお江戸以来の伝統・習慣はたった50年で破壊されたことになる。まあ、戦後長生きするジジババが増えたことも原因だと思うが・・・。生活習慣の変化は居酒屋に現れる・・・と断じて良いものか定かではないが、居酒屋が面倒な約束事を嫌う本音の場所であることは間違い無いから、小上がり、畳席が消えたのは、あの座り方がやはり嫌われているのだな。

料理をいくつか注文して気がついた。品書きに書かれている名前と出てくる料理がどうにも一致しないというか、当たり前の居酒屋メニューがどれもこれも一手間ふた手間かけた良質のものなので、「〇〇です」と言って出された料理を、「えっ、えっ?、えー!」と見直す羽目になる。すごい技があるものだと、箸をつける前によくよく見なければと思う。

友人に先んじて入店した時に、今日は混み合っていますのでと断りを入れられ、フーン、そうなんだと思っていたが、出てくる料理を見て理解した。
兎にも角にも神田に店を開けて繁盛店にするというのはこういう事なのだ。神田と言えばお江戸から続く老舗も多いが、やはりそうした素養のあるものしか店を出さないというか生き残れない土地柄なのだろう。新宿や渋谷などの大繁華街にあるチェーン居酒屋がお上り新米東京人のためにある安心な店(名前を知っている、自分の故郷の街にもあるなどなどで)だとすれば、神田の奥まった路地にある看板と店名が異なる店は東京に居付いて長い土着化しつつある東京人のためのものというところだろうか。生まれも育ちも東京よという、固定種の行く店はまた他にあるかも知れない。
ただ、自分の友人知人で「固定種」専用の店に連れて行ってくれたものはいないので、実は「固定種」専用店は、合言葉を言わなければ入れない秘密クラブで、地下鉄銀座線0番ホームから入るのだ、みたいな世界なのかななどと、神田の帰り道に妄想しておりました。

街を歩く

吉祥寺をぶらり

吉祥寺の町はいつの時代も若い人たちに人気があるようだ。自分が若かった頃から人気の町だった。駅前の比較的狭い所に飲食を含めた店舗がごちゃごちゃと存在し、アーケード内では地元の老舗が存在感を示している。大手百貨店や専門店ビルも存在する新旧、大小ブランドの混在が魅力なのだろう。JRで新宿へ、井の頭戦で渋谷へ直通しているという地理環境も後押ししている。
その吉祥寺のアーケード街で、古手のチェーン寿司屋がイメチェンしていた。コロナで大被害を受けた外食産業では規模の代償に関わりなく事業再編が全力進行中で、この寿司屋も「親会社」が変わった後、店名も変えさせられてしまった。旧店舗はなかなか好みだったので、名前が変わっても使い続けたくなるような店であって欲しいと、ちょっとだけ応援しようかと・・・。

そのアーケードの片隅でお茶を買いに入ったコンビニで見つけた「0秒」商品。この分野は既に有名な「ベビー」が存在していたと思うのだが、それと真っ向勝負的な新商品だ。そもそも、ベビーな方は、この黄色い奴に対するニッチ商品みたいなものだと思っていただけに、本物というか大物がニッチを叩きにくるという構図にはちょっとびっくりだ。
国内最強のインスタント麺ブランドが手を出すには、あまりにニッチな・・・すきま商売だと驚いてしまった。それをまた、コンビニ最強ブランドが「全面推し」らしい。コンビニにあるまじきエンド陳列で上段二段抜きとは、これまた何ともえげつないパワー商法だ。コロナで時代は本当に変わったらしい。弱肉強食どころか弱小殲滅の時代がやってきた。
街角で見る「死闘」の光景だった。吉祥寺も優雅なだけの街とは言えない。ライオンとハイエナで完全にしゃぶり尽くされる捕食状らしい。

それでも、アーケードを抜けて百貨店の裏手の隠れレストランがあるあたりに行けば、何やら優雅さが戻ってきて「吉祥寺らしさ」みたい看板が目立つようになる。ワイン食堂とは、これまたずいぶん昔に流行った気がするが、たのしい店内と素敵な料理が想像できる。これが夕方だったら間違いなく飛び込んでいたと思うのだが、あいにくランチタイムでちょっとのぞいた店内は女性客で満席。どうにもオヤジが一人で入る雰囲気ではなかった。

ただ、その看板を横から見れば、ワイン持ち込みOKということで、ここにもコロナの後遺症を発見した。レストランは基本的にワインを売って儲ける商売なので、そこを放棄したということは、どれだけディナーの商売がうまくいっていなかったかという証明だと簡単に推測できる。客からすれば、店内で注文すれば1万円を超えるワインが、半額以下で飲めることになる。自分で利用するとしたら、最低でも赤白1本ずつを買い込んでいくだろうなと思う。
店側からすれば、ワインを安くした分だけ料理に金を使って欲しいとか、月に2回来てくれないかとか、淡い期待は抱くのだろうけれど。確かに徒歩圏に住んでいれば月2回はありかもしれない。ただし、一人で行くことの方がはるかに多くなりそうだ。
やはり次回は夜の吉祥寺にしよう。

街を歩く

サッポロの街ハズレ

サッポロの地下街が誕生したのはオリンピック開催の頃だからすでに半世紀が経つ。その後もじわじわと増殖が続き、今では怪しいダンジョン一歩手前になりつつある。元祖ダンジョンの大阪梅田地下街にはまだちょっと敵わないとも思うが、増殖の機運が続いているので世紀をかけて100年ダンジョン計画だと言い張れば良いのかも、などと思っている。この地は、またゾロオリンピックをやりたがる馬鹿者政治屋とその一味がいる街なので、本当に100年計画化しそうなのが怖い。
そのダンジョンの東の端にあるサインというか看板が散歩の途中に目に止まった。オーロラタウンというのは札幌の名物、大通公園の地下にある地下街の公式名称だ。この「名称」が金のネタになる時代に、いまだにネーミングライツ販売されていないらしい。
まあそれはいいのだが、公式名称の下に有名チェーン書店の店名が書かれている。おそらく看板のスポンサーというか設置をしたのが書店なのだろうと想像できるが、今の時代で考えると何やら権利関係も含め怪しい気がする。どちらかというと書店より地下街運営団体の怪しさだ。きっと何十年も続いている習慣で誰も気にしていないのかも知れない。TMも©︎もないから、地下街公式名称は利用し放題ということかも知れない。権利関係に鷹揚な昭和の看板なのだろう。だとしたら、この看板は何十年ものだ?

その看板のすぐ近くに、さっぽろテレビ塔の地下入り口がある。テレビ塔の地下入り口というのもなんだか不思議な感じがするが、テレビ塔が先に建設され、その地下にあった食堂街に地下街が接続されたということだろう。
こちらの看板は、さすがに権利関係があちこちに現れている。この髭を生やした赤い存在はさっぽろテレビ塔のゆるキャラで、フィギュアなどの商品化もされている。
看板を見れば、出店しているブランドもそれなりに渋い玄人好みの銘柄が並んでいて、観光名所というより地元民優先の隠れグルメスポット的な雰囲気だ。やはり運営団体の商売観みたいなものが見え隠れする。
たった20m程の距離で見つけた散歩の楽しみだった。

その後、オーロラタウンを東から西に歩き切ると地下鉄大通りの改札口に当たる。そこを左(南)に曲がれば、札幌一の繁華街である4丁目界隈を抜けて薄野まで続く「ポールタウン」になる。右(北)に曲がれば、札幌駅まで続く通称「チカホ」(正式名称は知らない)に分かれる交差点だ。その交差点を地上に向けて登れば、バブルの時代に最初に潰れた都市銀行の本店跡地に経つ商業ビルに出る。その2階にあるのが最近お気に入りの喫茶店で、例の東京オリンピック出張マラソンを眺めるにはベストポジションだったはずだ。窓際の席に座って大通公園を眺めながらぼうっと過ごすのが好きなのだが、ここ2年ほどはコロナのせいか客もまばらだった。
ところが、今回はほぼ満席でようやくテーブル席が確保できた。ここ二年間は店内で大声の会話など聞いたこともなかったが、久しぶりの店内では中年のおっさんグループ(黒のスーツにネクタイ)が、地元政治屋の生臭い話をしているのが筒抜けだった。どうにも中年男には学習機能が備わっていない奴が多いのだと思っていたら、そのあと女性3人組がこれまた大声会話で参戦し、コロナで何も学習しないお馬鹿さんに男女差はないことを理解した。さっさと退散したのはいうまでもない。我が愛しの喫茶店はもはや「低学習能力者の巣窟」になったらしいので、当分行くのはやめることにする。ここのドリップコーヒーは本当に美味いのだが。

散歩の後の至福の時間は、やはりアルコールではなく珈琲に限ると言うのは、昭和生まれの感傷でありますね。

街を歩く, 食べ物レポート

カレーパン探索日誌 小麦の奴隷

くどい話で申し訳ないが、まだ小麦の奴隷の話というか考察をする・・・。

プラごみ削減政策のため怪しい法律が施行され、小売店で買い物をするとレジ袋が有料になった。その規制外に当たる紙袋やバイオマス利用袋は無料だが、今のところ有料で従来型レジ袋を提示する店がほとんどだ。「有料袋が必要ですか」と会計のたびに聞かれるのもすっかり聞き飽きたし、いささかモヤモヤする。お前は環境保護に賛成するかと毎回踏み絵を踏まされる会話だ。新しい「気持ちの悪い」商習慣だ。
だから、なにも聞かれずに紙袋に詰められたパンを渡されると、なにやら感動的なシーンになってしまう。当然、紙袋はプラ・レジ袋よりコスト高であり、これまた当然ながらパンの価格にも反映されているはずだが、「有料」袋を買いますかと念を押され、見識を試される不快感を考えると、このやり方(無料で紙袋)が実に嬉しい。
もともと日本の文化的に、過剰包装を喜ぶ意識があるのは確かで、そこを社会的に変革し簡易包装に切り替えるのは賛成だ。ただ、そのやり方が「店頭での口頭認証」というセンスのない手法であるのが苛立たしく、それを「官」のいうままに、なんの工夫もしない「小売」側にも腹が立つ。
せめて、入口で「袋はありません」宣言をするとか、袋が必要な人は「最初に袋を買ってください」と入場時に強制するとか、なんとかならないものか。
某スーパーではレジ横に大きな表示で、「袋が必要ならここで買え、一枚3円」(表現はもうちょっと優しい)としてある。会計時にレジでは袋に関する会話がない。これでいいのだと思うのだが・・・。対面販売の店では、この袋会話が買い物の最後の気分を台無しにする。

長い前置きになってしまったが、話はカレーパンの話になる。ただし、くどいがまだ袋の話だ。パン屋でパンを買うと薄手のプラスチック袋にパンを放り込む店が多い。パンの種類によっては、トッピングがジャムやクリームであったり、脂分が多かったりするので、個別に袋に入れるのは構わない。ただ、このプラ袋がいけない。スーパーのレジの脇にある荷詰台に置いてあるペラペラのアレだ。
安いペラペラを問題にしているのではなく、パンにプラ臭が移るが嫌なのだ。高い値段のパンを売っている店はこのことに気がついていて、紙袋や匂い移りのしないプラ袋を使う。確かに袋に金をかけてもね・・・という、コスト意識があるだろう。ただ、食品を売っていて、品質劣化(匂い移り)がわかっているのに対策を取らないということが許せない。パン屋の質とは、パン自体ではなく包装・袋との合体で決まるのだと思っている。
ようやく「このカレーパン」の話にたどり着いた。紙袋に個包装されて、その袋もデザインが施された自己主張が見える。これだけで、このパン屋の評価が上がるというものだ。

袋からカレーパンを取り出すと、「おー」と歓声が出てくる(大袈裟か)イガイガというかゴツゴツというか、とにかく目立つ外観だった。大多数のカレーパンは茶色の楕円形物体で見栄えのする食べ物ではないが、このルックスであれば、カレーパン特有の「茶色問題」が解決できている。

ただ、中身を見てみると、うーんちょっと残念感がある。内部の空洞が大きい。上部生地が厚くて底が薄くてバランスが悪そうだ。食べてみると、やはり空洞と生地バランスが気にはなる。ただ、表面のぼこぼこしている部分の食感がたのしい。
カレーの中身は、ちょっとスパイス多めだった。食べているうちにスパイスの効き目でうっすら汗が出る感じだが、辛すぎることはない。見た目、カレーの味、パン生地それぞれのバランスは良くできている気がする。色々と計算され尽くした完成形なのだろうと予想がつく。これはまた買いたくなるだろう。

ザックザクカレーパンというのだね。アートなカレパン」でありました。

街を歩く

ルーティン

最近の飛行機旅ルーティンは、まず羽田空港ターミナル地下にある蕎麦屋から始まる。性格に言えば蕎麦屋ではなく、メルセデスベンツ・ショールームにあるかカフェコーナーだ。そこで、虎ノ門にあった立ち食い蕎麦港屋のそばが食べられる。温かい蕎麦もあるが冷たいそば、一択だ。以前と比べて心なしかそばの盛りが少ない気がするが、この量がちょうど良い。在りし日の港屋は満腹になるほどのボリュームだったが、今の体調を考えるとこれくらいの量がありがたい。ラー油蕎麦元祖の冷たい肉蕎麦で腹ごしらえをしたら旅が始まる。
現在の状況では機内で空弁を楽しむなど、人外の所業扱いされるので、時間に余裕を持って搭乗前に食事を済ませるのも旅の嗜みだろう。

千歳空港で降り立った後は、JRで移動する。今年、土地の値上がりが激しいことでニュースになった場所が実家があるところで、駅を降りたらいきなりドーム球場のオープン・カウントダウンでお出迎えになった。
確かに、ドーム建設が開始されてから駅構内の設備も改装され新しい雰囲気になっている。びっくりしたのは「お土産コーナー」併設のコンビニエンスストアが開いていたことで、北海道外からの野球観戦者にターゲットを当てた商売が始まっていることだ。さすが、コンビニ店舗数一位のブランドだけに、商売熱心というかあざといやり口だなと思う。ただ駅前からコンビニが消えていたので、住民にはありがたいだろう。

全く知らなかたご当地キャラも隣でお出迎え。写真は逆光になっている。これは撮影の腕前が下手くそなせいもあるが、展示の位置、高さなどに工夫が足りない。台座を高くして、ゆるキャラと並んで写真を撮るような仕組みを考えるべきだ。どうも、この辺りの詰めが甘いのは全国共通で、ローカル観光業の手抜きと言われても仕方がないところだろう。勉強不足なのか、勉強する気がないのか、などと辛辣な考えになってしまう。

駅を出たら30mでローカルチェーン焼き鳥屋が待っている。そこで、好きな串を4−5本注文し、コップ酒をあおれば、とりあえず旅のルーティンはおしまい。この焼き鳥屋を出る頃にはすっかり旅の目的を果たしてしまった気がしてくる。このまま飛行機に乗って家まで帰ってもいいかな、などとほろ酔い加減で思うのでありました。

街を歩く

東京弁当に満足した

歌舞伎座の真前にある弁当屋で、花見弁当を買って散歩をしようなどと書いてみたが、本当に花見弁当を買いたくなって、わざわざ東銀座まで行ってしまった。そして店内に入って初めて気が付いたのだが、この店は千住に本店がある和惣菜の支店だった。店内には弁当だけではなく、さまざまな和惣菜が並んでいた。随分と魅力的な商品が並んでいて、心引かれるものがあったが、初志貫徹で弁当を買うことにした。
気になっていたのは、行楽弁当ではなく普段使いと予想している「東京弁当」だ。迷わず一択・・・と思っていたのだが、なんとそこには罠があり、東京弁当は「鳥」と「豚」のに2種類がある。
これには参った。両方買って帰るという手もあるかと、一瞬考えでしまった。だが、試しに弁当を持ってみると、ずいぶん重たい。弁当としてはずっしりしている。体感的に、コンビニ弁当の5割増しくらいの手応えだった。
これは、ふたつは食えないなと判断し、豚は次回にしようと諦め「鳥」弁当を選んだ。ところが、会計をする時に、従業員の方から「鳥弁当で間違いございませんか」と駄目押しされてしまった。向こうは、鳥と豚取り違えのないようにと親切心で尋ねてくれたのだと思うが、やはり豚にするべきだったかと、心が乱れてしまう。親切さが恨めしいやら、悩ましいやら。

家に戻り蓋を開けてみて、これはびっくりだった。弁当の一面が鳥で覆い尽くされている。鰻重のルックスもこれに近いが、鶏肉は厚みがあるのでその分迫力がある。肉の下に何やら野菜らしきものが見えているが、とにかく鳥のボリュームが凄すぎる。どうやって食べようかとまとった上で、鳥をふたの方に移してみることにした。

なんというか、おやまあ・・・という感想しか出てこない。鶏肉を取り除けてみれば、その下には和装材、お麩や湯葉、煮豆など和惣菜の綺麗どころが揃っていた。ご飯はこの下にある。要するに二重の丼のような「二階建て」構造のお弁当だった。
まずは、惣菜を食べ、その下から出てくるご飯を食べる。その繰り返しで、十分満足できる。薄味の惣菜がご飯によく合う。そして、時々鶏肉に手を出す。ただ、この鶏肉は一切れが分厚いので、半分ずつ噛み切りながら食べる。相当なボリュームがあり、半分程度食べたところで満腹感がで始めた。完食した時には、弁当を食べたというより、なんとか食べ切ったという妙な満足感があった。
これは仕事の合間のランチに食べるにはボリュームありすぎだ、午後には寝入ってしまいそうだ。
しかし、家の近くにこの店があれば入り浸りになりそうな魅力的弁当で、これは早いうちに「豚」の東京弁当を試しに行かなくてはいけない。その時は、お惣菜も物色してくることにしよう。

街を歩く, 小売外食業の理論

小麦の奴隷のユニークさ

うまいパンを焼けば売れる、というのは嘘だ。売れるパンがうまいのは確かで、まずいパンは売れない。ただ、うまいだけで売れるわけではない。売るための必要条件ではあるが、売れることを保証する「十分条件」ではない。
世の中には商品の優秀性に対する過信がありすぎるといつも思っているのだが、それをとあるパン屋で思い知らされた。

チョコチップの入った硬めのパンくろわっさ

くどいとは思うが、小麦の奴隷について書き連ねる。冷凍生地を利用して甘いパン(生地に糖分が多い)を作るのは簡単らしい。高級食パンも生地がリッチなのが流行りなので適応しやすいと聞いたことがある。逆に小麦と塩だけのようなリーンな生地(ピザ生地などがその典型)が難しいそうだ。
だから、小麦の奴隷に並ぶ数々のパン、柔らかくて生地が甘くて、ふわふわで、フィリング(中身の詰め物)がいろいろ入っているパンは、対応がしやすいのだろうと想像している。
ところが、その甘いパンのバリーションを開発するのは、個人経営の小規模パン店ではなかなか難しいのも容易に想像がつく。アイデアに関してであれば、流行りのパン屋に行って、売れ筋のパンを買ってきて、それのコピーを作るくらいのことはできるだろう。
ただ、多品種少量生産をしようとすれば食材は増えるし、焼く手間も増える。そもそもコピーとはいえ試作は何度かする必要もある。
個人経営者本人であれば残業時間など考える必要はないから、自分の頑張りが全てだが、パン職人を雇って経営しているとすれば、開発に要する人件費も増加する。

クロワッサンではない

つまり、レシピー開発は手間がかかる仕事で、できればやりたくないというのが本音だろう。ただ、バラエティーこそ「繁盛の基本」要素であることも確かだ。だからこそ、そこを代行するビジネスがフランチャイズとして成立する。
世間的によく理解されていないかもしれないのだが、フランチャイズシステムとは「売れている看板」を使う権利が「売り物」主体だ。次に「独自の商品」の製造許可が来る。商品ありきではなく、売れている看板こそが売り物なのだ。
ただし、どんな分野でも商品の経時劣化というか、時間と共にありふれたものになる、飽きられるのは避け難い。だから、強い定番商品は改良を続け、第二の定番を生み出すまで新商品開発も怠けることができない。優れた商品とは、「進化し続ける商品」であり、商品開発力こそがフランチャイズビジネスの基盤となる。
残念ながら多くのフランチャイズ企業で、この原則を守らない「なんちゃって商品」ばかり投入されるのを見てきた。このブランドも長くないななどと思うことは多々ある。

カルツォーネと言っているが、外側はソフトなパン生地


この観点から、小麦の奴隷がどうなるのか一年、二年は見続けなければ答えは出せない。ただ、一つだけ確信しているのは「都会の匂い」を商品開発の軸にしていることだ。地方の小都市、田舎町をターゲットにしているそうだが、「都会の匂い」はまさにそうした立地の客に来店動機、行きたくなる気持ちをもたらす。基本コンセプトにブレがないことは重要だ。
それはネーミングのひねったセンスに現れている。そして、商品のおしゃれ感も「都会の匂い」には重要な要素だ。硬いパン、柔らかいパン、甘いパン、惣菜食事パンなどの配分も適切に見える。

誰でも知っているメロンパンであれば、形容詞で強化する。地方都市では、まだあまり知られていないようなパンは、イタリアン、フレンチのカタカナ名を濫用して圧倒する。おそらく定番の出し入れと季節商品の出し入れを頻繁に行い、常連客を飽きさせないヘビーローテンションを狙う作戦だろうと推測している。
地方都市の小商圏圏でパン屋を成立させるには、パン職人の腕前だけでは足りない。綿密なマーケティング戦略が必要なのだと、この店舗を実際に訪れて思ったことだ。
ロケット打ち上げビジネスをやりながら、田舎のパン屋を展開する、ホリエモンというビジネスパーソン、すごい人なのだね。

街を歩く

埼玉の桜と 埼玉の残念

埼玉県ときがわ町 見事な桜

そろそろ関東圏では桜が終わる時期だが、川沿いの歩道にある桜並木というのは、やはり絵になる光景なのだろう。東京では隅田川沿いの桜が有名だと思う。確かに上野公園の宴会会場になっている桜より、川沿いを散歩しながら見る桜の方が、なにやらありがたみがあるような気がする。
全国あちこちに、そうした「散歩」用の桜並木はたくさんあるが、場所によっては桜の下に菜の花が満開という、これまた絶景スポットといべきところもある。埼玉県蓮田市で駅から10分ほど歩いた住宅地に、菜の花と桜の豪快なコラボ風景が見られる場所がある。ただ、開花のタイミングが難しいので毎年見られるわけでもないようだ。
日本全国、どこの街にもそんな桜スポットがあり、地域の人たちの楽しみになっている。まさに桜は春の訪れを宣言する「日本の花」だろう。春以外でも夏、秋、冬、それぞれの季節を代表する花は存在する。ただ、桜ほど誰にでも愛される花が存在するかというと、想像するのは難しい(多分)。
夏はひまわり、秋はコスモス程度しか思い浮かばない。花の知識が欠落している自覚はあるので、花景色について語る資格はないとは思う。だから、埼玉が桜の名所と言い張るつもりはないが、それでも桜を楽しむ場所は埼玉にもたくさんある。春が好きなのは、桜のせいだろう。

そんな春に、ちょっと残念なニュースを見つけてしまった。自分でも度々購入している埼玉の和菓子屋での事件だ。川越はさつまいもで有名な場所で、この和菓子屋もさつまいも菓子を製造している。そのさつまいも菓子(チップス)の誤表示が問題になった。南九州の他企業が製造したチップスを購入し、自社工場で再包装して販売したが、製造元(南九州)のことは書いていない。つまり、九州産を川越産と誤解するような書き方になっているというものだ。
別の例えをすれば、中国やタイの工場で製造した商品を日本に輸入してきて、埼玉の工場で袋詰めしました。袋に詰めたのは埼玉なので国産です・・・みたいなものだろう。
食品表示法の改正時には、この手の表記について随分と業界を挙げて検討していたはずで、「すいません、ちょっと忘れてました」という言い訳はどうにも怪しいと思ってしまう。
ちなみに、大手スーパーなどで販売しているPB商品、自社ブランドの商品も、今では下請けの製造工場名を表記しなければいけなくなった。例を挙げると、カップ麺では東洋水産、サンヨー食品など、下請けというには随分な大手メーカーで製造していることがわかる。それを併せて考えれば、この「お詫び」は随分お粗末なものに感じる。
この和菓子屋の名物である最中を愛用していた。知人への手土産に、「埼玉の地元では人気の名物です」と使ってきた。ただ、こうなるともはや手土産には使いにくい。食品を取り扱っているところでは、下手をすると当てつけと思われるかもしれない。自分で食べる分には諦めもつくが、それもなんだかモヤモヤした気分になる。

せめて該当商品を販売中止にしてくれればなと思ったが、この「お詫び」を読むと表示を適正に変えて販売は続けると書いてある。ブランド維持とリスク管理、どう考えているのか、他人事ながら心配になる。埼玉の「残念な春」のニュースだった。

食べ物レポート

タレが売りの弁当って・・・

「例のタレ」という謎物体がついている

ミニストップの弁当が、時々すごいことをしてくれる。駅弁風弁当は、全国の有名駅弁のコピーだが、100%パクっているわけでもなく、駅弁のように冷めてもおいしい弁当というコンセプトが存在している(らしい)。
それ以外にも超大盛りだったり、おかず一品の豪速球だったりするのだが、そのヒット作の改良版が、このチャーシュー弁当(改)だ。ただし、どこにも(改)とか「進化型」とか書いていない。
確か、チャーシュー弁当はこれが三代目のはずだ。ヒット商品を磨き上げて進化させるというのは食べ物商売の正しい戦略だが、コンビニエンスストアの弁当で、この「改良計画」に対応するものは稀だろう。だいたいの新作弁当は一過性の使い捨てにされる。改良版が出て、もっと美味しくなりましたと言われても、「本当に?」と疑ってかかるのが今の消費者であり、その消費者の疑問は概ね正しい。改良点が開発担当者の自分勝手な言い分で、食べてみても違いがわからない商品が多すぎるのも事実だ。

タレかける前

さて、このチャーシュー弁当(改)だが、前回販売と異なる点は、(地味だが)弁当箱が浅い丼型から平たい箱に変わっている。これは重要なポイントだ。今回の最大の改良は「例のタレ」と称するミシュラン星付きレストランとのコラボで開発された、おいしいタレかけご飯を目指したとのこと。
そうであれば、丼型の容器では底にタレが溜まってしまう。平型の箱にしたのは、底部のタレが均等にご飯に染みていくことを狙っていたものだと推測した。底のご飯が汁だくにならないようにということだろう。(当たっているかどうかはわからない)
タレかけご飯を楽しむのだから、おかずは添え物程度で良い。ここに汁気のない卵焼きを選んだのは、箸休めの甘いものという点と、ご飯にタレ以外の汁気がつかないようにという繊細な選択なのかもしれない。
個人的には牛丼のように紅生姜をつけて欲しかったが、色気は卵焼きの黄色だけ。あとは真茶色のルックスなので、その辺りは第4弾での改善ポイントか。

タレの容量は多めでチャーシューの上にたっぷりとかけても十分な量だった。このタレ付きチャーシューを裏返し、ご飯を挟み込みバクリと大口を開けて食べる。確かにうまい。それも、レンジアップしただけの白飯がうまいと感じる。肉を食べたというより、米を食べた満足感の方が強い。例えていえば、焼肉屋でカルビを白飯てかき込むようなものだ。
どうやらミニストップのタレ弁当は、新しい領域を生み出したような気がする。おかずの豪華さではなく、米をうまく食うという工夫だ。このシリーズ、続きを楽しみにしたい。

街を歩く

不思議な場所のパン屋

埼玉県北西部、キャンプ場のセンターハウスの中にパン屋がある。食堂の一角にこじんまりと設えられたベーカリーというより、パン売り場といった感じだが、なかなか意欲的なパンが並んでいる。

店名もなんだが物々しい感じがするが、看板を見ていて気がついたのが、この奴隷とはパンを買いに来る客のことのようだ。小麦らしきものを持って前を歩く農夫?に後ろから跪いて縋っているのが客だろう。おいしいパンを求めて、客が奴隷化するというコンセプトなのだろうか。諧謔、皮肉、色々と考えさせられるが、米食い民族の中でパン好きを宣言する「裏切り者」的な意味合いもあるのかもしれない。
ちなみに、日本人の主食が米であることは間違いないが、小麦の消費量は米の8割程度なので、米と小麦の差は僅差のワン・ツーフィニッシュ程度だ。米が主食なら、麦は準主食の位置にある。ただし、麦にはうどん・ラーメンなどの麺類消費も含まれるので、パンが準主食というのは厳しい。

このパン屋は北海道十勝にある小さな町に本部を置くフランチャイズシステムで、全国展開を図っている。ローカルな小商圏でも成立する日常使いのパン屋を目指しているらしい。大都市部では、有名なチェーン店が百貨店や大型食品スーパを中心に展開している。最近のスーパーでは、インストアベーカリーが常備され、惣菜部門の売上増強の絶対手段となっている。だから、都市部では焼き立てパンの需要も供給も高いレベルだ。そこから取り残されている田舎町、小さな町でもパン屋を成立させる取り組みとして、あえて地方展開をしているようだ。商売としてはありそうでなかったコンセプトだと思う。
おそらく、生地とレシピーの提供がフランチャイズ本部の仕事だろう。こういうやり方は、すでに大手のチェーンパン屋でもやっているはずだ。それを、少人口地域で成立させる仕組みとして開発したところに「新しさ」がある。
パンの種類は豊富だった。ネーミングも含め「都会らしさ」みたいなものを感じる。食パンとコッペパン、メロンパンとあんぱん、うちのパンは以上! みたいな限定メニューではない。多品種少量生産で単価を引き上げるという戦術も理解できる。田舎町だからできないと言い訳を並べ立てるのではなく、都会のパン屋とほぼほぼ同じと言い切れる業態をどう作るか。「田舎ビジネス」の教科書に載りそうな事例ではと思うが、成果は一年後の判断だろう。一年経って儲かっていれば、この近くの街にも支店が開くはずだ。アフターコロナの元気印になってほしい。