街を歩く, 旅をする

小樽を逆サイドから歩く

JRの駅に貼ってあったポスターを見て、ふと小樽に行きたくなった。ただ、このポスターのような海の見える坂道からの光景を見たかったわけではない。海沿い、運河沿いの街を歩いてみたくなった。ちょっと変わった散歩をしたくなっただけのことだ。

観光客であれば小樽駅で降りるのだろうが、散歩客?なので、小樽の一つ前の駅で降りた。ここから小樽駅を目指すのは観光として見ると逆コースかもしれない。ただ、散歩道としては、小樽駅からの往復にはならないので、こちらのコースの方が良いと思う。
この駅は小高いところにあり、駅舎を出てから坂道を下っていくと、小樽の観光地のはずれにつく。オルゴールやガラス細工の店が並ぶ、小樽屈指の観光スポットだ。夏休みに入ると人出がぐっと増す。それでも平日の昼前であれば、混み具合もたいしたことはない。たまに聞こえてくる西日本訛りの日本語で、ああ観光客が戻ってきたようだと思う程度だ。あれほど蔓延っていた、外国語を話す観光客は壊滅したままだった。

石造の倉庫や洋館を改造した土産物店は、隣の大都市札幌にはないもので、歴史の風格みたいなものを感じる。小樽が昔は経済の中心地だったことの証だろう。こういう歴史的建造物をただ保存するのではなく、再活用する術はもっと他の町でも活用されると良いのだが。

そんな小樽の筆頭名物が「若鶏の半身揚げ」だと思っている。テレビ番組でよく流れる海鮮丼みたいなものは、道外から来た人に任せておけば良い。どう考えてもぼったくりとしか思えない高額丼を平気で食べることができるローカルピーポーなど存在しない。少なくとも自分には無理だ。
若鶏半身揚げは、庶民のご馳走だ。冷静に考えると、某フライドチキンチェーンのチキンよりお高いのだが、なぜかお買い得感がたっぷり感じるのは身贔屓でホームタウンならではの「盛った評価」だという自覚はある。
しかし、美味いものは美味い。ただ、駅からちょっと離れたところにいきなり半身揚げの自動販売機を発見した時は、ここになぜ?という疑問でいっぱいになった。
それでも衝動的に半身揚げを買ってしまいそうになったが、今日は帰りに揚げたてを買って帰るのだという散歩のルール(?)を思い出してなんとか止めることにした。

半身揚げの横には、揚げ物オンリーみたいな自販機も並んでいた。一体、こんな人通りも少ないところで、何を考えて設置しているんだろうとは思うのだが、きっと現地の人の中には、わざわざ買いにくる客がいた入りするのだろう。
ちなみに、この自販機に書かれている手作り惣菜NAMARA Eは、なまらいーと読むのだと思う。なまら(とてもの最上級)良いにかけた言葉だろう。オヤジギャグとして割り引いて考えたとしても、だいぶレベルが低いが、笑ってしまった。

小樽の洋菓子店ルタオと北一硝子が作る商店街というか買い物ストリートは、年々延長していくようだ。このままで行くと小樽駅前まで切れ目なく繋がる気もする。まさに健全な観光地は増殖していく。

北一硝子は小樽運河観光の最大スポット兼ランドマークだから、基本的に小樽観光の起点と思って良いだろう。漁具の浮き玉や石油ランプの製造会社だったものが、今では北海道屈指の一大商業施設になっている。

工場見学もできるらしい。すごいことだ。ただ、夏は暑いだろうなあ。

知らないうちに札幌の名喫茶店可否茶館もここに出店していた。確かにオシャレ感覚で言えば、札幌の街をはるかに超える場所だけに納得の立地だ。

昔の貿易会社や金融関係の建物が、こうした土産物屋に変更されている。昭和の中期には古くなったと無造作に立て替えられたり、壊されたりしていたが、今では観光施設としてしっかり再生されている。

こんな風景を眺めながら20分ほど歩くと小樽の街中になる。屋根のかかったアーケード街はだいぶくたびれた感じもするが、それも今では小樽観光の重要パーツとして働いている気がする。
旧倉庫群を明治、アーケード商店街を昭和の遺産としてテーマに合わせてデザインし直すと良いのになと思うが。観光都市としてのグランドデザインを描くのは市の責任だろう。都市デザインがどこまで考えられているのか。地方都市にとって税金の有効活用とは、街を甦らすことに尽きると思う。それに反対する人も少ないだろうに。

一駅分のお散歩だが、古き商都を歩くのは気持ちが良い。微妙に坂のあるところが、街の表情の変化につながっている。札幌市内中心部は凸凹のない完全平面なので、坂道のある街に行くと不思議な感覚になる。
旅先と言えるほど遠い街ではないが、散歩の気分が変わるのが嬉しい。ぶらぶら街歩きを兼ねて、年に何度かは訪れたい街だなあ。  

街を歩く

札幌競馬場 20年ぶり?

たまたま競馬好きの友人に誘われて、暑い札幌競馬を見に行くことにした。競馬場ではパドックを回っている馬を見るのが一番楽しいような気がする。競走馬も性格が色々で、この準備段階から鼻息が荒そうな馬もいれば、走る気なんてないんだよという気だるい雰囲気を漂わせる馬もいる。それを見るのはなかなか素敵な経験だ。馬券を買うために興奮している人を見るよりよほど良い。

競馬場の中に観音様がいるというのも初めて知った。お供えが人参というのは、いかがなものかという気もするが。天寿を全うできる競走馬は数少ないだけに、人の娯楽のために頑張ってくれたお馬さんは手厚く供養してあげるべきだろう。しばらくここにいたが、誰も拝みにはこなかったが・・・。

ひょっとするとパドックを回っている競走馬より、この人の群れをヒューマンウォッチングする方が楽しいのかもしれないなと思わせる光景だ。ギャンブルという魔物の凄さというか、人間の遊びにかける情熱がひしひし伝わる。と言えばカッコ良いが、ギャンブルはギャンブルだから、自分のお金をかけている分だけ仕事よりよほど真剣みたいだ。

ゴール前の直線に広がる芝生は、ほとんどピクニック広場に変身しているなあ、と感心しながら見て回っていたら、本当に弁当持参でくつろいでいる人たちがいた。競馬場の楽しみ方も色々だ。
確かに札幌市内の都心部にこれほど広大な敷地があるのだから、競馬開催日以外にも野外活動の場として開放してくれないものだろうか。レース場内の空き地でクラシック・コンサートでもやれば、競馬に対する世の中の見方も変わるかもしれないのに。あとは、ウマ娘ではなくヒト娘をリアルに走らせてみるとか、コスプレレースにしてみるとか、違った楽しみがあっても良いかもしれない。良いお天気の中、あまりにも暑すぎて変な妄想をしてみた。

駅弁

駅弁 伝統 美食?

函館の駅弁が札幌で手に入る。なんとも不思議な感じがするが、札幌駅の大きな土産物屋で札幌の駅弁ではなく函館の駅弁を販売している。どうやら、朝一番で移送してくるらしい。昼前には売り場に何種類かの函館駅弁が並んでいる。
前々から気になっていた、「みがきニシン」の入った駅弁を今回は選んでみた。みがき弁当と書いてあるが、これは身欠き鰊(干したニシン)を甘辛く煮たものを指しているようだ。
二心を甘辛く似たものが乗っているニシン蕎麦は京都あたりでよく見かける。江戸期の日本海航路全盛時代に生まれた「ニシン物流」の落とし物だ。ところが、ニシンの物流発信地である北海道では、ニシン蕎麦をあまり見かけない。そもそもニシン料理が少ない。塩焼きと切り込み(ニシンの塩辛)、それに昆布巻きの中身くらいしか思い浮かばない。
北海道日本海側の地域では、ニシンは売るものであって食べるものではなかったのだろうか。だから、この弁当は原住民の土着食というより、観光客に対してのイメージ戦略メニューみたいなものなのかもしれない。

弁当の蓋を開けると、数の子と身欠きニシンが前面に敷き詰められている。駅弁らしいというか、シンプルというか。ただ、この全面におかずを敷き詰め、下の白飯が隠されて見えないタイプの駅弁には名品が多い。山形米沢の「牛肉どまんなか」や広島宮島の「あなごめし」など、この系統の絶品だ。どちらも、ただただ無言で飯をかきこむうまさ、究極の駅弁のひとつだ。
だからこの「みがき弁当」もルックスからすれば期待値は高い。最初の一口を数の子から行くかニシンから行くかちょっとだけ迷う。やはり、ここは「みがき弁当」なのだから、「みがきニシン」の煮物から始めたい。
実食すると、身欠き鰊の煮物は甘さは控えめで、身はほろほろと崩れる柔らかさだった。もう少し固いかなと思っていたが、現代的なアレンジでは柔らかさが重要だろう。味付けも昔食べていた「甘辛い濃厚味」ではなかった。上品というか薄味というか・・・・。個人的にはちょっと物足りないような気もするが、意外とこれが白飯とはバランスが良いような・・・。微妙なところだ。
続いて数の子を食べる。これもプチプチ感が命の数の子だが、しっかり歯応えがあり満足できる一品だった。ただ、これも予想外に塩味が控えめで物足りない気もする。強い塩味のおかずで白飯を大量に書き込むというスタイルは、もはや遠い昔ということらしい。
一番塩味が強かったのが大根の漬物だった。やはり、函館の漁師風な味つけはすっかりマイルドになってしまったらしい。港町の駅弁といえば、カニやイクラや鮭といった海鮮大スターに占拠されているが、この身欠き鰊のような渋い役で固めた古典作品は捨て難いよな、などと最後に取っておいた漬物を齧りつつ、感慨に耽るのでありました。身欠きニシン、うまし。

旅をする

ラストダム in 北海道

北海道のダムツアーというか、ダムカード収集の旅もそろそろおしまいになる。南富良野にある金山ダムが、これまでのダムツアーの中でどうしてもルートに入らなかったはぐれダムだった。一つのダムを見にいくので一工程を使うというのは、ダムツアーを始めてから初めての「贅沢」時間使いだった。
このダムは国交省管理なので観光施設というか広報設備がしっかりしている。ダムカードをもらうだけでなく、ダムのお勉強もできるし、休憩もできる第1級ダムだ(自分でそう呼んでいるだけ)。そして、ここが北海道の「上級ダム」最後になる。

さすがに第1級ダムだけにダムの上は道路になっている。対面交通ではないが車一両であれば余裕で通行できる。すれ違うことはできないから、走る時にはちゅういがひつようだが見晴らしはよいので困ることもない。

ダム湖は基本的に静水面なので、湖上には風景が映り込む。山の姿などは上下対称系で写るから、写真を撮るには最高の場面だ。光の加減、日差しの向きなどを考え合わせて撮れば、プロも顔負け?の写真になる(こともある)。

広報室に吐いたら、そこにはなぜか女性ライダーがお出迎えで、どうやら彼女がダムキャラというかダム娘らしい。全国のダムには、このようなダム娘が地場で住み着く精霊のように存在している。ただ、それが表に出ていることはあまり多くない。
しかし、なぜライダーなんだろうなあ。

ダムの下流方面から写真を撮れるのも第一級ダムの特典というか贅沢さで、ダムによっては下流側が公園や広場、キャンプ場になっている。ダムの建設費は巨額だし、工事の最終工程で周辺環境整備なども行われるから、その時にダム公園などが作られるようだ。
ただし、維持管理は地元任せになるのか、予算不足なのか、公園が原野化しているところも多く見かけた。整備をしないと芝生が野原に戻るまで一年もあれば十分だろう。
中小ダムでは、この下流域からダムを見るということができない。最近であればドローンを飛ばして空撮するという手もあるが、確かダムはテロ防止対象の重要建築物に当たるので、勝手にドローンを飛ばすと酷い目に遭わされそうだ。

この立派な建物は管理棟に併設された広報施設で、中は一見すると博物館の展示室のような趣がある。ただ、情報はダムによっても異なるが、見ていて面白いと思うことは(正直にいって)少ない。これもダムツアー・コーディネーターみたいな専門家がいれば変わるのかもしれない。

近隣の小学生も社会見学に来ているらしい。ダム湖のほとりにはキャンプ場や研修施設もあるし、このダムは社会貢献しているはずだ。広報施設を作るのでアラバ、もう少しエンタメ要素をいれて見学は予約しなければできないくらいの人気施設になれば・・・などと妄想してみたが、「ダム萌え」がブームになるとも思えないし。
ちなみにこれまでみたダムの中で、最高の「映え」するダムは、山形の月山ダム。北海道であれば美利河ダムか二風谷ダムになるか。
これで北海道の山中ドライブをすることも、ほぼなくなるはずだ。ホッとしたような、寂しいような。

食べ物レポート, 旅をする

串鳥のある町は幸せだ

札幌への旅のルーティンとなりつつある「まずは串鳥」だ。色々と地場の好物はあるのだが、最近はとりあえずの一軒目として串鳥に入ることが多い。当然、到着当日なので一人飲みになる。自分のペースで、自分の飲みたいだけ飲む。飲みながら、今回の予定などを確認しつつ、一息つける。串鳥は札幌市内ほぼ全域にあるので、店を探すのに困ることはないが、時間によっては混み合って入れないことも多い。場所よりも時間が選択の鍵になる。地元の小都市では六時くらいまでであればなんとか大丈夫といった感じか。

青南蛮つくねと砂肝(塩)

焼き物は北海道の焼き鳥屋でありながら、鶏肉主体なので、ネタとして特殊なものは少ない。ただ、いつもの定番注文が青南蛮つくね(南蛮とは唐辛子のことをいう)で、合わせて砂技も頼む。青南蛮で舌がヒーハーするのだが、そこは酒で宥める。その灼熱感が収まったら、のんびりと砂肝を楽しむ。
この日本以外はその日の気分で選ぶ。新生姜の豚肉巻きを好んでいるのだが、今回は名称が「岩下の新生姜の豚肉巻き」に変わっていた。岩下さんとコラボしたのだろうか。味は変わらないような気もするが。

梅ささみと岩下の新生姜の豚肉巻き

そして、どうやら新商品らしい鶏皮の酢の物も頼んで見た。これが、なんと今年の夏のイチオシと言いたいくらいの出来の良さだった。鶏皮とトコロテンが合わさった酢の物で、実にさっぱりしていてツルツル食べられつ。酒のつまみというより、濃厚な麺料理にちかい。これを発明した人は偉いと素直に言いたい。

トコロテンが食感のキモだ

コロナ対策で卓上から消えていた調味料が戻ってきているのも嬉しいが、びっくりしたのは醤油のラベルだった。「道民の・・・」とは、なんというか究極の北海道モンロー主義ではないか。どれだけ北海道ラブなんだろう。

ハッピーアワーも午後7時までと長めで、これはなんというか、お手軽に飲むには、串鳥に行くしかないでしょうという気がしてくる。

串を3−4本注文して、サワー二杯でだいたい1000円。串鳥のある街に住みたいというのが正直な実感だ。サイゼリヤや王将がなくても良い、ぎょうざの満州も諦める。マクドナルドもケンタッキーもいらない。でも、串鳥だけ欲しい。串鳥のおっちゃんたち、東京とは言わない、埼玉だけでも出店拡大してくれないかな。(ちなみに東京にも吉祥寺などに串鳥はありますので、吉祥寺に住むという選択肢もありなのですが)

旅をする

北国的ビヤガーデン

札幌駅前通は街の中心部を走るメインストリートだが、そこの立ち並ぶ古いビルがようやく建て替えられて。街の顔が変わり始めている。バブルの後で塩漬けになった土地やビルがようやく借金を払い終わって新装開業できるようになったということだ。それでも、駅前通り西側には道庁をはじめとした低層ビルしかないので、夕日が差す時間になるとビルが色づく。これは高層ビルが立ち並ぶビル街ではなかなかお目にかかれない、都市の美観だろう。
首都圏であれば、こうした高層ビルの屋上にビヤガーデンが開かれることが多い。高いところであれば少しは涼しいはずだということなのだと思うが、生ぬるい湿った風しか吹かないので、体感温度的に地表と変わらない。

ところが、北国の場合、夕方になると急激に気温が下がるのでビルの屋上では寒くてビールなんぞ飲んではいられない。当たり前のように、地表にビヤガーデンがある。というかオープンスペースさえあれば、どこでもビールを飲ませる雰囲気すらある。札幌駅前の広場、夕方にはローカルテレビの生中継がある場所も、毎年恒例のビール・プレイスだ。JRを使って通勤しているサラリーマンには、大通公園のビヤガーデンよりもこちらの方が使い勝手が良い。西日が差し込む頃になると、どこからともなく人が集まってくる。

さすが北海道だと思うのは、ビールのつまみを提供する店が「豊漁食堂」と名付けられているところだ。出てくるつまみはホッケフライか?タコザンギだろう。
ただし、この場所は夏の気分を味わうところで、涼を求める場所ではない。残念ながら、ビールを飲んで気持ち良い気温であることは少ない。飲んでいるうちに寒くなる日のほうが圧倒的に多い気がする。それでも、お盆までの限られた夏には、やはり屋外でビールを飲むのが楽しみなはずだ。
おまけ情報だが、北海道でビールの消費量が一番多いのは2月のはずで、その時の室内気温は27度。明らかに夏の屋外(夜)より、冬の室内の方が暑いのだから仕方がない。

旅をする

空撮してみた

北海道に飛ぶときは、だいたい翼の上の席、つまり景色が見えない席になることが多い。窓から景色が見える前方席は人気があるので、正規料金、それも高いお値段を払う人の専用シートだと思っていた。
見慣れた光景でもあるし、窓際の席にこだわりがあるわけでもないので気にしていなかった。ところが、搭乗直前に座席確認をしてみると前方席がガラガラで、それではと前方窓際、それも右側の席に変更して首都圏空撮でもしてみようかと思った。
撮ったのがこの写真だ。川崎から横浜にかけての工業地帯がはっきりと写っている。海と人工物しかない。東京周辺特有の見渡す限り建物で埋め尽くされた「繁栄の証」というやつだ。

そして、1時間半ほどの飛行の最後で、地平線までほぼほぼ人工物が見当たらない景色という異世界に突入した。おそらく一番基礎的な人工物、道路すら見つけるのが難しい。濃い緑は原生林で、薄い緑は畑か原野か。畑は人工物と呼ぶべきなのだろうが・・・。

流石に北海道とはいえ、住宅密集地はある。それでも、住宅地よりは原生林の面積が遥かに広いのは見ただけでわかる。
どちらに住むのが幸せだろうなどという哲学的命題を悩んでいるわけではない。自分の暮らしで置き換えて考えると、電車で生活できるか、自動車で生活するかの差みたいなものだろう。
北海道で自動車なしで生活すると、交通弱者という言葉が実体験できる。実は大都市圏外で自動車なしで暮らすのは、ストレスが溜まる。もはや街の暮らしは自動車抜きの設計になっていない。医療ですら、自動車なしの住民には冷たいというか対応していない。
まあ、移動も生活も生存も含めて自己責任という、アメリカンなライフスタイルということだ。首都圏で暮らす都市型住人には、相当に不便な社会と感じる。不実な行政と非難するひともいるだろう。飛行機の上で写真を撮っていて気がついたことだ。たまには、窓の外を眺めてみるものだな。
ちなみに、車のナビの推定移動時間の半分でどこにでも辿り着けるというのが、「北海道あるある」なのだよね。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察#2 価格破壊と品質

SPAの特徴とは、製造・流通過程での中間マージンをけずった徹底的な価格破壊にある。そして、直接調達のメリットを活かした「高付加価値」がその推進力になる。機能は一流ブランドと変わらないが、価格が半額というのが典型的な販売戦略になる。
安かろう、悪かろうというディスカウント店の(悪しき)特徴とは異なる、訳合って安いが高品質という「驚きと納得」がブランド強化の基盤だ。
ユニクロが関東進出を図った初期の店が、たまたま隣町にあった。通行量の多い街道筋の路面店で、いわゆる倉庫型店舗だった。最近ではあまり見かけないユニクロ単独店で、建坪500坪という大店法規制が存在した頃の典型的なロードサイド立地店舗だった。
以下は余談になる。大店法は個人商店を守るという趣旨の法律だったはずだが、結果的にはチェーン店による郊外型店舗の加速を促し、街の中心部にある商店街の消滅を早めたという天下の悪法だった。
その後は法改正により規制が緩むと、郊外には中途半端な独立店が立ち並ぶ姿は消え、大型ショッピングモールができた。あるいは一つの敷地の中に複数店が出店する集合型ショッピングセンターが多発した。そのため商店街は街ごと消える事になる。昭和から平成にかけての悪政の見本だ。
アメリカで20年以上前に起きていたダウンタウンの崩壊を全く学ばない経産省官僚の失政だと今でも思っている。先行市場で起きている事態や課題を学ばない(学べないが正しいか)経産省の体質は、日本の中小企業を滅ぼす元凶の一つだろう。

安全靴から進化したカジュアルシューズは低価格

話を戻すと、SPAの「高機能」「低価格」は、宣伝広告や運営費用(人件費や家賃)の低減も必要だ。だから、家賃の高い場所に出店したり、宣伝広告費(テレビ広告など)を使い始めた時が、ブランド変質の転換点だと思って良い。
簡単にいうと、高い家賃を払うためにマージンを増やす。そのためには、宣伝広告で「ぼったくり価格」を成立させることが達成条件になる。ぼったくりと言っても、580円が650円になるとか、780円が980円になる程度の値上げなので、元々低価格だから100円あげるとマージンが2割近く上昇する。これが、SPAの値上げマジック効果になる。
しかし、この値上げマジックは悪魔的魅力があり、一度始めるとやめられない。ユニクロはこのマジックの罠にはまった後、延々と値上げを続けることになる。それも基幹商品であるフリースや機能性インナーでそれを始めてしまった(シェアが高く低価格商品の値上げほど悪魔的波及効果が大きい)ことで、ユニクロは次の段階に進まなければならなくなった。
ファッション性という機能とは別のソフト価値の領域に進まざるをえない。ソフトな価値こそ、いくらで値をつけるのも売り手の勝手という「典型的なアパレル産業」の特徴だからだ。
銀座に出店したあたりから、ユニクロの変質が始まった。それは、決して進化とは言えないブランドの変容というべきだろう。地方都市の衣料品店から始まったとしても「アパレル専業のDNA」から逃れられないということかもしれない。

軽くて、底が厚いのが技術の進歩のようだ

ただ、アパレルでユニクロの後継企業が生まれてこなかったのは明らかだ。ユニクロが行った素材開発から繊維メーカーと共同し、画期的な原料製造を自前で調達する。販売企業が製造の源流まで踏み込むという手法が、もうかると証明されてしまった。その一方、ユニクロ的手法では先行投資が膨大になることも明らかになった。
つまり、中小企業では手を出しにくいパワーゲームになり、その領域に手を出せるのは流通大手、つまりイオンやIYといった巨人企業だけになってしまった。
中小アパレル企業は従来型のデザインと既存素材の変化で、一部のファッション嗜好を捕まえるという伝統芸に縋るしかなかった。だから、マンションメーカーと呼ばれる零細企業からユニクロのようなジャイアントが生まれる確率は限りなくゼロだろう。当然ながら、ユニクロの後継者は違う世界から出現した。
SPAの手法を自前の商品に取り込むことで、一般アパレル市場を侵攻してやるという異業種参入だった。それがワークマンという企業だ。

見ただけではブランドもので5000円超の靴と見分けがつかない

ワークマンは北関東、群馬に本社を置くベイシア・グループの一員だが、本業はガテン系の作業着および安全靴、作業靴に特化した専門店だ。ただ、作業着にファッション性を取り入れた(色使いやデザイン差)サブ・ブランドを作り、ダサい作業着をカッコよく見せるという手法で出店を重ねてきた。
出店立地も街道筋の路面店ばかりで、それも町外れにある「わざわざいく場所」というか、畑の真ん中みたいなところばかりだ。現場に行く途中で立ち寄るにはちょうど良い、業界人には便利な立地を選んでいるようだ。その分、一般人には馴染みのない場所で、ふらっと立ち寄ることもない不思議な店だ。
だから、一部の業界人には有名な専門店という位置付けだったはずだ。ところが、作業着、作業靴という特殊性から、「軽い」「吸湿性」「乾燥性」「丈夫」などの通常衣料とは異なる機能性を追求し、それに特化した商品が出来上がっていた。
ファッションとは違う方向から「高機能」衣料品が出来上がり、ファッション性と無縁な分だけ低価格が実現されていた。それを最初に誰が発掘したのかは明らかではないが、ネット上で情報が急拡散し「ワークマンの〇〇はすごく高機能」という評判ができあがった。
靴の分野ではユニクロと同時期にチヨダやABCマートが製造販売一体型のビジネスモデルを組み上げブランドとして成立させていた。ただ、彼らもほぼほぼ靴専業だ。そこに作業着と作業靴の専門ブランド、ワークマンが機能性と低価格を武器に「衣料品」と「靴」を抱き合わせたブランドとして、一気に一般人向けに解放された。
口コミではなくネットでバズることで急速に広がったブランドとしては、ここ最近では最大の人気者になる。
店舗に一度行けばわかるが、すでに客層が変化している。あきらかにガテン系ではない高齢者カップルが、作業着ではない服を買いに来ている。ユニクロの初期爆発期に起きた客層の拡大と同じだ。若者向けの先端ファッションだったフリースジャケットが、ジジババの普段着、防寒着になった時期のことだ。ワークマンの作業用防寒着が、タウンユースになる。安いからジジババが飛びつく。市場規模が拡大し、新機能や高機能化が進む。業容拡大を促す正の螺旋が生まれていく。
ユニクロの後継者は直系のアパレル業界からではなく、傍系から生まれてきた。

旅をする

鉄道旅 特急の止まる無人駅

なんだか久しぶりに切符を買った。それも往復の特急券と乗車券が分離したものだ。昔はこれで鉄道利用していたなと懐かしくなった。最近はスマホ連動のスイカでどこでも行ってしまうので、紙製の切符を買うなど青春18きっぷくらいしか記憶にない。今回の旅先は高知県中西部にある海沿いの町で、高知県西部を走る土讃線をつかった。

昭和生まれのオヤジやジジイには記憶にあるかもしれない「土佐の一本釣り」というコミックの舞台になった漁師町だ。作中で主人公が遠洋漁業から帰郷するシーンで乗車していたのは蒸気機関車だった。確かに昭和50年代まで全国各地でSLは現役だった。今では新幹線に乗るよりプレミアムな特別列車になっている。

土讃線は今でも電化はされていないからディーゼル車が運行しているが、それでも特急はこのスマートな姿だ。高知から県西部の中村、宿毛に行くには鉄道旅が一番楽だ。自動車での移動は高速道路が途中まで通じているが、その先は一般道なので、それなりに時間もかかる。西日本、特に四国は一般道もかなり道幅が狭いところがあり、長距離ドライブはしんどい。

基本的に単線路線なので、特急通過まちのため駅での時間調整もある。のどかな鉄道旅を楽しむゆとりが欲しい。
ところが、その特急が止まる駅が、なんと無人駅だ。各駅停車の駅が無人化になるのはもはや珍しいことではない。北海道では、感覚的に駅の半分が無人駅という路線もある。根室本線の西半分がそんな感じだ。「本線」である、支線ではないのだが・・・。四国でもその鉄道事情は変わらないと思っていたら、もっと事態は進んでいた。

駅舎を見ると普通に立派だが、中に駅員さんはいない。きっぷ売り場も委託になっているが、どうも1日のうちかなりの時間は閉まっている。自動券売機で切符を買うか、列車に乗ってから車掌と交渉するしかないようだ。でも、乗るのは特急なのだよ、と言いたくなる。当然、特急券を買うための緑の窓口もない。北海道であれば、人口より牛の数の方が多い町はある。駅の周りに人が住んでいないことも多い。しかし、この漁師町はまだまだたくさん人が住んでいる元気な町なのだがなあ。

単線特有の、駅を抜けたら上り下り線が交流する鉄路。それでも、鉄道があるとないとでは人の流れが変わるのだろうなと思うが、この町に住む知人・友人も鉄道を使うことはほとんどないようだ。確かに、高速道路が開通した後では高知まで車で移動して1時間を切る。もはや鉄道は交通弱者のものでしかないから、社会保障の一環みたいなものなのだろうか。

最近見たテレビの旅番組で、路線バスを乗り継いて四国をぐるっと回る難関旅が放送されていた。その中にここの駅が登場した。愛媛から山の中をくぐり抜け、高知を目指す行程だった。ここの駅前でコミュニティーバスにのりつぎ隣町に行く。そこから高知駅まで路線バスで移動ということだったが、そもそもこの駅にバスが来ていることすらよく覚えていなかった。
せっかく来たのでバス路線と時刻表を撮ってみたが、思いのほかバスの便数が多い。便利というには程遠いが、役所に行くなど公的機関での用事で役所に行く時には役立つ。その程度には往復が確保されている。
これも自動車の完全自動運転が完成すれば、また変わっていくのだろうな、など遠い未来に思いを馳せたのが、特急が止まる無人駅のことでありました。

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クレの食堂

昭和中期に生まれた中高年オヤジであれば記憶している方も多いだろう「土佐の一本釣り」という長編漫画がある。当時は青年誌に連載されていたが、主人公は16歳の少年漁師でその町の大人たちとの関わりを描く物語だった。少年ジャンプの主人公は大体が高校生だったはずだから、少年漁師の物語が青年誌に連載されるということはちょっと変わっていた。画風が独特だったこともあり、実写映画化されたコミックのはじまりだった。ヒロイン役がアイドルグループの一人だったから、余計に話題になっていた。(記憶モードです)
その物語の舞台がクレ(久礼と書く)という高知県中西部にある港町だ。その町の中心部にあるのが、昔ながらの市場である「大正町市場」で、今では観光客が訪れ、うまい魚を買うところだ。テレビの旅番組にも度々登場する。

その市場の前に、小ぶりな食堂がある。市場で売っている魚を使った料理も食べられるが、イチオシはスープカレーと焼きうどんだ。焼きうどんは自家製漁師のラー油を使った、コッテリとした味わいのもの。焼きうどんなのに腹持ちが良いという不思議な代物だ。

熱々の鉄板に乗せられた焼きうどん(焼きラーうどん)は、卵と鰹節が乗っている。個人的にはこれをごちゃごちゃと混ぜ合わせて、食べるのが好みだ。味付けは漁師のラー油が効いているので、それなりの辛味はあるが塩辛くはない。卵の黄身のせいで甘さすら感じる。熱いうどんをハフハフいいながら食べると、今日も一つ美味しいものを食べました、ありがとうございます、という気分になる。

とれたて、焼きたての鰹を食べたければ、市場の中にある食堂で楽しむこともできる。焼き魚も含め地場の魚を中心に素朴に美味しいものが用意されている。カツオ丼(ドンではなくドンブリと読む)は、飯とカツオというシンプルな組み合わせが最高で、カツオ好きにはたまらない。
カツオどんぶりで一度やってみたいのが、半分くらい食べたところで、上から冷酒をかけて茶漬けならぬ酒漬けでかきこんでみたい。どこかで鯛めしの変形でやっているらしいが、カツオどんぶりの方が豪快そうではないか。

などと、焼きラーうどん食べながら酒漬けの妄想していたら、知人の魚屋さんが差し入れてくれたカツオの刺身とたたき。そうそう、これを食べにはるばるクレまで来たのだよと、改めて感動するのでありました。
カツオ好きの高知人もわざわざ鰹を買いにくる町、久礼。機会があればではなく、機会を作ってぜひ鰹を食べに行ってほしい。お帰りには、カマスの干物かおすすめであります。