食べ物レポート

ツインストアの片割れ

以前に書いた一つの建物に2軒のラーメン屋が入居している場所の2軒目に行ってきた。前回のラーメン屋はこの右側にある。ただし、入り口は一緒だ。中にはいる入り口のドアが左右に2枚並んでいる。左のドアに入ればまぜそばの店だ。
この店は埼玉県のあちこちにあるローカルチェーン店で、お店のサイトを調べてみたら、なんと隣の店が本家で、このまぜそばの店が分家というか子会社のような位置にある。なぜ埼玉特化型なのかはよくわからないが、埼玉の風土にあった麺料理を出している………ということでもないらしい。
ただ、店の中に入ると埼玉ラブな感じが、あることはある。

この店の注文の仕方はちょっと変わっている。まず食券販売機で注文するものを決める。従業員に食券を渡すときにトッピングや味付けの指定をする。このあたりが「二郎系」呪文を唱えるのと同じだろう。当然、増量も可能で、例の「ニンニクマシマシ」みたいな呪文になる。
今回は初回なので、全部入れにしようかと思ったが、①③④⑥にしてみた。増量はなしだ。エビマヨは食べたことがないので最初に決めた。ベビースターは食感パリパリに重要だし、追加調味料としてニンニクと辛味は外せない。次回は、ヤサイマシマシにしてみようと思ったが、初回は普通盛りにしておいた。

待つこと10分程度、太麺は茹でるのに時間がかかるので多少待ち時間が長めになる。後から入ってきた客は、連続して長めの呪文を唱えていた。それがどうにも気になって、隣の客の注文が出てきたときに横を見て確認してしまった。それはものすごいものだった。なぜか丼の上にどんぶりが逆さまになって盛り上げっているような印象がある。山盛りではなく富士山盛りという言葉が思い浮かんだ。
それを食べるのかと、ついつい隣の客を尊敬してしまう。やはりこの店のスタンダードな注文は、麺もトッピングも全てをマシマシにした、超巨大ガツン系まぜそばにあるらしい。どうりで自分の注文の時に「普通で良いのですね」と何度もダメ押しされたはずだ。

出てきた麺普通盛り、トッピング四種だけ増しなしのライト級まぜそばを、ぐしゃぐしゃと混ぜる。広島の汁なし担々麺は5回混ぜると言われたが、これもしっかり混ぜるためには、それなりの回数、時間が必要だった。混ぜているうちにニンニクの匂いがぐわっと立ち昇ってくる。混ぜるたびに見た目は悪くなっていくのだが、その分だけ味は良くなるはずだ。
そして、混ぜ作業を完了し実食すると、まずはニンニクが強烈にくる。その後、濃いタレと混じった歯応えのある太麺が、麺料理とは思えないハードさを味あわせてくれる。顎の筋肉強化には絶好だろう。噛み締める。飲み込む。次の一口を口の中に入れて、噛み切る。噛み締める。飲み込む。これを延々と繰り返す。その途中では一度も「麺をすする」という行為はない。ツルツルではなくモグモグだ。いや、モグモグというよりガシガシかもしれない。
ものをしっかり噛むと空腹感が収まるらしいが、この一杯を食べ終わった時には、満腹感しかない。ニンニクのせいか、顔にはうっすらと汗が浮かんでいた。達成感がある食事になった。

カウンター上にある間仕切りは埼玉ネタ、埼玉アルアルが描かれていた。カウンターに並んでいる間仕切りの全部を確かめてみたくなった。都道府県別人気ランキングで、いつも最下位近辺をうろちょろしている埼玉だが、自虐ネタが大好きなのは某ヒット映画で明らかになった。
千葉県オンリーとか神奈川県オンリーというローカルラーメンチェーンはいくつか知っているが、ここまで地元愛(自虐愛)に溢れたところは知らない。良くも悪くも埼玉らしいというべきか。
次回は、マシマシのまぜそばにするか、それともまぜそばを超えるヘビー級と言われるオリジナルな「ラーメン」にするか、ちょっと悩ましい。

小売外食業の理論

回転寿司の対応を見に行ってきた

すしテロとか、ぺろぺろ事件とか言われている、SNSで発信された危ない映像の対応を確認してみようかと、被害にあった大手回転寿司に行ってみた。ニュースでは事件の後、売り上げが低下したと報道されていたが、店内はほぼ満員だった。気にする人は来ないし、気にしない人には関係ないということだろう。どうやら高齢者を中心に回転寿司忌避は起きているようだが、確かに周りの席に座っているのは高校生から30代くらいまでだった。昔よく見かけた高齢者カップルは1組だけだった。
郊外型の店であれば、もう少し年齢層の偏りがあり影響も大きそうだが。
具体的な店舗での対応を見ると、非常に簡単だった。寿司は回っていない。注文したものだけが上段の高速レーンで運ばれてくる。つまり完全なバイ・オーダー、注文が入ってから作る方式になっていた。ぐるぐる回る寿司の前提は、商品(皿)にイタズラされないという客と店の性善説関係によっているので、その信頼がなくなった以上、回る寿司はありえない選択ということだ。
他のファストフードでも類似事件が起きている、卓上の無料調味料やガリ、紅生姜、漬物などをどう対応するかが重要改善ポイントの一つだが、この店では「客の選択」に委ねることにしたようだ。
封印された小袋で、わさびなどが置かれている。昔は容器に入ってベルトの上を回っていたがテーブルごとの設置に変わったようだ。そして、ガリも小袋化されていた。
お茶も上部の小さい穴から粉茶を取り出す方式になった。容器に入ってる粉茶を小さじで取り出す方式はやめたようだ。

ただし、ガリ容器も残っていて、これは大量にガリを食べる客向けの対応だろう。たまに見かける、皿にガリを山盛りにしている客は(特に外国人観光客らしき人たちは)、小袋を大量に開けるのが面倒くさいと思うだろうということなのか。少なくともコスト面からの考えではないと推測する。

もう一つ気がついたのだが、全ての容器が綺麗に並べられている。割れたガラス理論ではないが、テーブルの上に乱雑に置かれていると、適当なことをしてもあまり気にならないという客側の心理を考えているのだろうか。このブランドは素早く対応している。良いお手本だ。
もはや性善説の維持は難しい。となると、客との心理戦にどう有利な位置を取るか、そこが具体的な対応策になるはずだ。ファミレスのドリンクバーの運営や、調味料のセルフサービス、食べ放題の料理陳列システムなど外食企業で類似の改良が必要な設備は多い。業界内で色々な試行錯誤が続く上で、最上な解答が生み出されると思う。
ただ、やはり今回の一連の事件は、運営側の怠慢でしかないと厳しく反省するべきだと思う。こんなことをする客はいないだろう」という思い込みで、「改善すべき仕組み」に金をかけてこなかったツケなのだ。被害者である回転寿司ブランドに同情的な意見もあるようだが、自分は全くそれには与しない。
失敗の原因は自分たちにある。それにどう早く対応できるかが企業力だ。自分たちの怠慢、無知を他人のせいにするようでは、飲食業、サービス業が存続する意味がない。迷惑行為をした者を法的に制裁するというのは、その次の作業だろう。
客の中の一定数は悪意を持っているという前提で、システムやオペレーションを組み立てる努力をせず、自分たちの怠慢を法的制裁で牽制するとしか見えないのだ。

自分がそういう悪意ある客ではないことを証明するため、写真を撮りにきただけではなく、寿司もちゃんと食べるのだということで、好みの寿司6皿をしっかりいただいて帰りました。茶碗蒸しとメンチも追加で頼んだことを付け加えておきます。

書評・映像評

本棚から一掴み 滅びゆくもの 

日曜午後のFMラジオ番組で、「今日は棚から一掴み」といってオールディーズをかける時がある。これがなかなか多様な音楽が入り混じるので楽しみにしているのだが、それにならって自分の本棚に眠っている本を「棚から一掴み」で取り出し、パラパラと見直す(読み直すではない)ことがある。
若い頃から買い集めていた本はほぼほぼ断捨離したので、本棚に残っている本はまだ読んでいない本が半分、どうしてもこの本は捨てられないという本が半分になる。
その捨てられない本の中に、グルメガイドみたいな本が何冊か残っている。発行年は2015年前後だから、すでに閉店した店も多いはずで、情報価値は著しく低い。似たような本の最新版がないかと、試しにAmazonで検索してみたが、蕎麦屋のガイドブック(のようなもの)は最近ほとんど発行されていない。ムックでも見当たらない。かろうじて存在しているのはWEB専用のデジタル出版だった。
扱い品が蕎麦のせいなのかと疑ってみた。ただ、蕎麦愛好家が高齢者に偏っているのだとするとデジタル本というのはちょっと理屈に合わないので、若い蕎麦好きの人口が減っているという意味だろう。書店で買ってくれるほどの蕎麦好きが減っただけなのだろうか。ただ、これがデザートであったり、パスタや軽量イタリアン、エスニック系料理であれば、まだ紙媒体でもガイドブック的なものが発行されていそうだとは思うのだ。ラーメンであれば、ガイドブック、人気店ランキング本も簡単に見つかるから、やはり蕎麦のせいなのだろう。

おまけにコロナによって立ち食い蕎麦屋は相当な数の店が消滅したようだ。日本的ファストフードの王者も、時代の流れというよりパンデミックによる環境変化に太刀打ちできなかったということだ。我が身を振り返ってみても、早朝に電車移動で改札を出たら強い出汁の匂いがしてきて空腹感に襲われる、みたいな状況はここ数年ほとんどない。この数年、わざわざ食べに行った時を除けば、ファストフード的に立ち食いそばを食べたことはほとんどない。
都内のあちこちにある立ち食い蕎麦屋を記憶していた、脳内立ち食い蕎麦マップももはやほとんど役に立たないだろう。それでも、わずかに生き残った立ち食い蕎麦屋、駅そばをぶらりと訪れてみたいとも思う。とりあえず来週には新宿駅東口の馴染みの店(先月まだ生存しているのを確認した)に行って、山菜天ぷら蕎麦でも食べてくることにしようか。
滅びたものへのノスタルジーと笑われても仕方がないが、想像上の蕎麦店巡りをするには、この2冊が十分お役に立つ本だった。

旅をする

もうひとつの埼玉名物 秩父編

もう一つの埼玉名物としてあげたいのが、地ウイスキーの先駆けとなった秩父山奥で醸造・蒸留されているモルト・ウイスキーだ。これも供給量と需要のバランスが取れていないので、地元に行っても売り切れていることが多い。埼玉県内の酒店では置いてあるところもあるが、スーパーなどでは売っていない。「わざわざ」秩父に買いに行っても手に入るかどうかは、確率的に5分5分といったところだ。ネットで買おうとすると転売が横行しているし、ネット酒店の価格は定価ではない。自宅近くの酒店には時々在庫があるので、事前に電話で在庫を確認してから買いに行く。

地ウイスキーといえば思い出すのだが、サントリーの山梨にある白州蒸溜所まで、「白州」を買い込みに行っていたが、最近はシングルモルト人気のせいでなかなか手に入らないらしい。個人的には、「白州」とニッカ「余市」が好みの銘柄だが、秩父のウイスキーはそれより頭一つ上の上位ランクになる。(竹鶴はブレンドが変わった後はあまり好みではなくなった、残念)

独特の風味がある銘品 これがスタンダードなもの

秩父名産としての酒として付け加えると、やはり秩父錦だろうか。世間的には純米大吟醸のような高級酒を推す方が多いようだが、個人的には本醸造を好んで飲む。吟醸酒の吟醸香は冷酒で飲むには素晴らしいものが多い。特に、脂の乗った食べ物と合わせるとより美味さが引き立つ。ただ、普通に食事とあわせて楽しむのであれば、辛めの本醸造酒で十分だと思う。
今では戦中、戦後の粗製濫造された三増酒のような、乱暴極まりない日本酒はすっかり姿を消しているので、本醸造でも何種類か試して自分の好みに合うものを選べは良い時代だ。ただ、テレビCMを流すような大手酒造メーカーの製品は、慎重に検討した方が良い。日本酒メジャー企業の酒は、主たる購買層が高齢者層であり、彼らが若い時に親しんだ味、いわゆるベタ甘系の酒が多いからだ。
地酒については、吟醸酒と比べて本醸造の方がクセがあるし、独特の風味がある。吟醸酒になると微妙な差異があるが、だいたいどこの酒蔵の酒も、淡麗で芳香かぐわしいサラサラした酒に仕上がっている。だから吟醸酒の味わいはどこか似ている。大吟醸、それも高級品になればなるほど見分けるのも難しい、とても美味い酒に仕上がってくる。そんなこともあり、最近は我流な日本酒の楽しみ方として、本醸造酒を燗酒にすることが多い。
という個人的観点でおすすめするのがこちら、秩父錦の純米酒になる。これも、普通の酒屋では見かけたことがない。秩父では当たり前に手に入るようだ。

武蔵国に併合されるまでは、秩父国として独立していた秩父地方だが、今ではすっかり埼玉県の一部で「山の民」の国という感じはない。それでも、現地に行けば山々に囲まれた盆地であることが実感できる。プチ旅で行くと、そこはかとした異郷っぽさをほどよく感じられる。都内からの日帰り観光にはかなりおすすめな場所なのだが………お得な「観光切符」は三月十日までであります。
 

面白コンテンツ, 書評・映像評

時短レシピーの進化系

この本には大変お世話になった。特に、題名にある美味しい煮卵の作り方は、まさに天啓だった。何度もレシピー通りに煮卵を作り堪能した。冷蔵庫の中で1週間くらい熟成して食べてみたりもした。レシピー本に乗っているメニューを作ろうとすると、調味料を追加で買ってこなければいけないであるとか、ちょっとだけしか使わない食材が必要になったりすることが多い。結果的に、眺めて楽しむだけ、いつかきっと作ってみたいと思うだけの「幻メニュー」になる。
ところが、この本の中にあるものは、そうした初期抵抗値が少ない、あるいは全くないので、幻化する前に実現化する。冷蔵庫の中身で似たようなものがあれば、それで作ってしまっても良いというお気楽さがある。
一年に何度か本棚から取り出して、あれこれ見繕って作ってみようと思うレシピーが多い。料理本は古くなると使いにくくなるものだ。時代の好みみたいなものがあり、味付けも変わっていくから、古い教本的な料理本は買い替えたほうが良いと思っている。具体的に言えば昭和中期から平成中期までのの料理本は実用的ではなく、もはや史料的価値しかない。(個人的見解です)
ただ、この本は捨てる気にならない実用本で、おまけに休日前の夜寝る前にあれこれ眺めるにはちょうど良い。
今ではスーパーの食品売り場に行って、並んでいる安売り特価品を選択し、それを使ったレシピーを検索するのが当たり前な時代らしいので、レシピー本など廃れていくばかりだとは思う。ただ、この本のように「時短」というテーマで一括りにして、作り方や材料の選び方が並べてあれば、応用可能な実用本としての価値は高い。
一度麺つゆを使った煮卵を作れば、冷蔵庫内の調味料を使いカレー味とかマヨ・タルタル味とかケチャップ・トマト味とか変形は自由自在だ。色々な時短メニューの閲覧性を考えると、レシピーアプリをあれこれ検索するよりも便利さでは上だろう。
実用本として生き残るには、この本のような「本ではない使い方をされる本」みたいな発想が必要なのだと思うのであります。

註)ちなみにこの本の元ネタであるブログを見てきましたが、2020年が最終更新でしたので、現在はお休み中なのかお引越ししたのかもしれません。

食べ物レポート

魚屋の食堂で

普通に美味しい鮨 これはごやはり馳走だ

高知から来た友人のお供で魚屋巡りをした。百貨店にある魚屋を回ってみると、改めて思うことだが、魚屋は随分と小さくなっている。生鮮三品などというが、肉や野菜の売り場と比べると相当に小ぶりだ。また、並んでいる魚も、全国津々浦々から豊洲市場には運び込まれているのだろうが、売り場に並んでいる魚は見慣れた魚ばかりで、それこそ販売品目の選択と集中が実現されている。肉売り場の品種や部位の差によるバリエーションと比べると、魚売り場の衰退は明らかだなと感じる。
そんな感想を抱きながら、昼飯には魚屋直営の食堂に行って何か食べようと言うことになった。魚料理の定食もたくさんあるのだが、なんとなく握り鮨になってしまった。どうも魚定食は日常食的イメージが強すぎて、ごちそう感が足りないせいだろう。
塩焼きとかサバ味噌煮となると、どうしてもサラリーマンの昼定食のイメージから抜け出せない。魚が鯖からサーモンや金目鯛に変わっても、その昼定食の延長線上にある感覚が拭いきれない。魚屋直営店とはいえ、料理人は魚屋従業員ではなく料理の専門家だろうから、良いお仕事をしているはずなのだが…… これでは全く偏見というしかない。
その点、握り鮨は華やかだ。色とりどりで見た目にも美しい。東京で食べる握り鮨といえば、赤のマグロと白のイカという定番に、光り物、白身という組み合わせになる。これに穴子を加えればほぼ東京握り現代版の完成だが、最近ではこれにオレンジのサーモンといくらが加わる。なぜか黄色い卵が入っていないのは、魚屋のプライドなのだろうか。ちなみに東京握り古典版では、生の魚ではなく調理、加工したものが使われているので、それはまた別物だ。

魚屋直営の店なので、魚の鮮度には全く疑いを持たない。うまいはずだと思って、それでおしまい。休日のランチということもあってか、シャリ玉は大きめだった。これが夜になり、酒でも一杯やりながらつまむということになると、もう少し小ぶりにな握りになるのだろうか。それは一度確かめに来てみなければなと思った。
鮨専門店ではない、魚屋の食堂は昼夜であれこれ出し物が変わっているような気がするので、次はぜひ夜に「視察」という名の飲み会をやることにしよう。

街を歩く

銀座でお買い物@熊本館

銀座界隈に散在する各県のアンテナショップを巡るのは、都内散歩のお気に入りコースだ。ショップの位置はだいたい頭に入っているが、その時々で仕入れたいものが変わるから、日によって巡回コースは変わる。一番のショップ密集地帯は有楽町の交通会館だが、銀座の目立つ場所にある大型店舗や裏通りにひっそり存在する隠れ家的店舗もある。一応、関東の近県からも出店しているので、日によってあれこれテーマを決めた楽しみ方はある。新橋や日本橋にもショップがあるので、全部回ろうとすると一日掛の大遠足になる。
当然ながら、首都圏の付属品である?埼玉、千葉、神奈川のアンテナショップは見当たらない。用があるなら直接来いと言うことだろう。
この三県の産物は東京駅に行くと、東京土産の中に一括りにして置かれているものも多い。草加せんべいなど浅草人形焼の仲間扱いだし、崎陽軒のシウマイも横浜名物とは思えない「東京もの」ぶりが目立つ。千葉のピーナッツ製品は、流石に東京のお土産感はなく独自色があるような気もする。それでも東京湾岸にある某ネズミノクニは、名乗りは東京〇〇だが、住所は千葉だし……………

今回発見した小袋(左側)は100円 右が普通サイズ


銀座のアンテナショップのお気に入りの一つが「熊本館」だ。ここでよく購入するのが、醤油(九州独特の甘い濃厚醤油)と、名品いきなり団子(饅頭の中身が芋の餡)の二品だが、売り切れていなければければ買ってしまう洋菓子がある。熊本では老舗洋菓子店スイスの「リキュールマロン」だ。
熊本館ではチルドで売っているが、通販であれば冷凍配送される。サバランに似た、リキュールにどっぷりと漬け込んだアルコール菓子(笑)で、ウイスキーボンボンよりももっとストレートなアルコール感がある。酒に弱い人であれば、ひとつ食べるとかなりの衝撃を受けるのではないか。
食べた感じで言うと、仙台名物萩の月に似た感じのふわふわ生地が甘さたっぷりで、そこに焼酎をたっぷりかけたと言うかドボンと漬け込んだようなものだ。実際には焼酎ではなく洋酒(リキュール)につけ込んでいるのだろう。
これを食べながらウイスキーを飲むと、実にお手軽に酔っ払うのは間違いない。それだけアルコール量が多いので、一般の人が食べるのには「強すぎる」せいなのか、今回は小さいサイズのものが販売されているのを見つけた。試しに小さいサイズのものを買ってみたが、あまりにも一口サイズなので、満足感に欠けるかなと思う。だが、お酒の苦手な人にはコチラ程度でちょうど良いのかもしれない。ジャストサイズというやつか。あえて形容すると、普通サイズが「ドボンとお酒」感があるが、小さい方は「ほんのりお酒」程度だ。微妙に作り方が違うのかもしれない。
手土産に持っていくには、この小さいサイズが良いのかもしれないなとようやく気がついた。

熊本といえば辛子蓮根と馬刺しみたいなイメージがあるが、洋菓子もレベルが高い。食は文化度を表すと思っているので、熊本は文化都市としての水準が全国トップクラスなのは間違いない。

街を歩く, 旅をする

観光スポットではないやり残し

秩父鉄道、御花畑駅のそばというより、ほぼ構内と言いたい場所にある喫茶店がなんとも怪しげな魅力を振り撒いていた。午前中はまだ開店していなかった昭和レトロ喫茶店(自称)だったが……………
喫茶店とは朝から開店するものではないかと思う。モーニングサービスは、もはや完全に日本語化した喫茶店文化ではないか。なのに昼直前でも開店していない。今日は休みなのかと思ってしまった。

午後になり、再び店の前を通ると営業していた。メニューボードやブラックボードが出ていたので、どれどれと眺めて見た。なんと、レトロな喫茶店というからクリームソーダとかホットケーキとか懐かしいものがのっているメニューを期待していたのだが、そんなものはかけらもなかった。
この店は、メニューから見ると確実に昼からやっている飲み屋だ。(それに文句はない、逆に大変ありがたい) お値段はかなりリーズナブルだし、料理?も(つまみも)あれこれ揃っているようだ。ついふらふらと入ってしまいそうになる。
しかし、どうも店の中からかなりの大音量な会話が聞こえてくる。おそらく常連客がいて、何かの冗談にガハガハと笑っているのがわかる。そこに、一見客として入り込むのはちょっと気が引ける。
これは、次回まわしかなと腰が引けてしまった。もう少し遅い時間であれば、そして飲み屋と割り切れば、勇気を振り絞ることなく入っていけそうな……………気がする。
しかし、何時開店なのだろう。お昼12時開店だとすると、喫茶店としてはずいぶん朝寝坊な店だし、居酒屋としては相当に早起きな店だ。

この化石もどこかで展示されているのだろうと思うが、不勉強で場所は知らない。秩父郷土歴史館とか秩父博物館みたいなものがあるはずだとは思うが記憶にない。秩父観光をするにしても、もう少し下調べをしないといけないと反省する。
ただ自分で調べるより、道の駅で聞くか、西武秩父駅前の観光案内所で尋ねる方が早いかもしれない。思い返すと、自分の旅のスタイルには「誰かに何かを聞く」という当たり前のことが欠けているのだな。今更ながら気がついてしまった。誰かに場所を聞いてパレオ君に会いに行こう。これも次回の宿題だ。

そして、次回の最大宿題、絶対達成目標、マスト案件は御花畑駅立ち食いそばで「きのこそば」を食べることだ。どうやらきのこそばは、立ち食いそばの中でも最高級ランクにあるようだし楽しみだ。ついでに味噌ポテトの食べ比べもしてみよう。ただ、この立ち食い蕎麦屋も開店時間を確かめておかなければいけないぞ。定休日があるかもしれないし。

この怖い警告看板は、秩父線のとある駅にかかっていた。最近、鉄オタの暴走がよくニュースで取り上げられているが、こんなもの、「警告」が設置されるほど鉄オタは暴れまくっているのか。単線で山の中をすり抜けるように走る西武秩父線は、写真撮影のスポットが限定されているので、線路内に立ちいる悪い奴もいるのだろう。ただ、警告の内容をよく読むと、どうも不埒な撮影ではなく車体への落書き(渋谷あたりでよく見るビル壁面の落書きみたいなものか)のようだ。
そうだとすると、明らかにイタズラというより器物損壊で犯罪だな。線路への立ち入りも犯罪だが、これはもっとタチが悪い。この駅も一度降りて散歩して確認して見たい気もする。こちらは野次馬根性での覗き見なので、宿題というにはほど遠いが。

街を歩く

街の光景 昔と今とが混じり合う

古い民家や商店を改装して甦らせることが当たり前になってきた。エコだ、SDGsだと騒ぐ前から「再生」という言葉は、若い世代を中心に「普通の考え方」になっている。その普通の考え方になれていないのは、逆に団塊世代やその上の世代ではないだろうか。長年そんな疑問がある。古い建物を壊して新築するのは善なり、という概念が根強くあるのは、敗戦後に焼け野原から復興した記憶のためだろうか。
築100年の建物といえば、1920年代に建築されたものにあたる。つまり、大正時代に建てられたことになる。大正年間でも関東大震災の直後に建て直された建築物であれば、そろそろ100年建築ということだ。関東圏では東京を中心に関東大震災で街が一度なくなってしまったところが多い。その後、東京は大空襲でもう一度街がなくなっているから、古民家改装の元になる「古い民家」自体が少ない。
大戦中に起きた大地震と空襲で、名古屋も似たようなことになっているはずだが、名古屋は古民家改造のレストランがたくさんある。京都は空襲も大地震とも無縁だったから、まだまだ町屋が残っていて町屋改造旅館とか食堂、蔵を改造した雑貨店など街がオシャレな変化をしている。東京の壊して建て直す文化とは随分違う。
都市の景観の問題も、一度焼け野原になった街では古いものを守ろうにも、守るべきものがなくなったという状況が関わっているはずだ。だから、東京の街には景観マネージメントがない。そんなノーマネージメントな首都圏で、秩父はどうやら街に残された古い建物を活用する術があったようだ。確かに秩父の街で散見できる木造の一軒家は「映え」がする。

そうした改造古民家、古商店に合わせて作ったであろう壁面看板も、今ではすっかり色褪せて良い風格を示している。時間が作り上げる落ち着きみたいんものだろうか。これも新しく作り替えると、やはりちょっと違和感が出てくるのだろう。あちこち、消えた文字を修正すると、それはそれで「足跡」が残って風合いが増すのだろうし。

一見すると資料館・歴史館のような感じだが、中は営業している現役の店舗だ。タウンマネージメントなるカタカナを使うまでもなく、街の中での活動拠点を残していることが、結局は街の活性化につながる。建物ありきとは言わないが、なんでも新しくすれば良いということではない。
古い民家を壊して、駐車場と貸しビルにするのは時代の感性にそぐわなくなった。古い街並みを残すことは高齢者のノスタルジーではない。若い世代の倫理観や価値観が「壊して作る」から「再生する」に移っていることを、地方都市で権力を握るジジババが理解できているだろうか。中央政界の魑魅魍魎は、それを理解しようともしないが。新幹線の駅を誘致する前に、手をつけるべきことだと思うのだが。駅ができても魅力のない街には誰も来るはずないだろうに。国会議員には、「それは俺たちの仕事ではない」と言い出しそうな連中ばかりが揃っているようだ。
しかし、街の再生事業は、そこにかかっているような気がしてならない。

ちょっと前まで、このような反戦平和ポスター的なものを見ると、おやおやまたレフトウィングの方たちが叫んでいるのだな、などと思ってしまった。ただ、今は少し違ってきているような気がする。普通の町内会、商店会の方たちが、素直におかしいものはおかしい、と言っているのだと理解できる。
地方都市の商店街に掲げられていることの意味は大きい。ウクライナ問題にかこつけて増税しようとする頭の悪い職業政治屋たち(心の歪んだ人たちだろうなあ)とは、根本的に違う想いだろう。青と黄色がウクライナの国旗の色だということくらいは、この1年間で覚えた。この国旗の色は、青空を背景にするとよく目立つ。地には平和をだな、と本当に思う。そぞろ歩きをする商店街でも、こんなふうに今の世界を見直すきっかけはある。観光スポットとは言い難いが……………

西武秩父駅から帰ろうとして見つけたのが、昔の特急のヘッドモデルだった。なんだか微妙なしろものだ。ある種の鉄オタであれば喜ぶだろうが、一般人にはわからないかもしれない。特急の顔紹介と一緒に、ブラタモリ風に秩父の鉄道開設事情を説明するとかできないものか。
そもそも西武鉄道は、秩父から山を突き抜けて軽井沢まで通じる一大リゾート鉄道開発を目論んでいたという伝説もぜひ公開してほしいものだなあ。でも、もしそれが完成してイラば、軽井沢まで直通電車で行けたのに。残念だな。

旅をする

秩父 独善的観光スポット

映画館といえばビルの中かショッピングモールの中というのが現代の常識だろう。シネコンプレックスという小型で多スクリーンの施設が主流だ。だが、昭和の末期までは日本の隅々に独立型映画館、いわゆるシアターが健在だった。
そして、昭和中期の日本映画全盛期に建てられたシアターはその街の目抜通り、メインストリートに敢然と存在する娯楽の殿堂だった。(過去系になるのが悲しい)デートといえば映画を見に行くのが絶対定番、鉄板的展開だった。(これも過去形かあ)
今では映画館も建て換えられ、貸しビルになったり、駐車場になってしまったりで、原型を留めていない映画館跡地がほとんどだが、まだありし日の姿を残しているところもある。
秩父松竹がその数少ない生き残りなのだが、それでも建物の中はすっかり改造されている。イタリアンレストランになっているようだ。映画館は天井が高いので、レストランになると広々とした開放感がある空間だろう。ちょっと高級感が出る。

暖かい季節には屋外にテーブルもセットされていたから、秩父の若き?カップルにはそれなりの人気があるのではと思うのだが、やはり夕暮れ時に来店して見なければレストランの実力は判断できないなと思う。いまさらカップルで行くこともない気がするので、誰か友人を引き連れ陽気なイタリアン料理パーティーでもやってみようかと思ったのだが……………
残念ながら友人というと年配オヤジばかりなので、イタリアン・レストランは絵にならないか。オヤジが集合するには秩父名物であるホルモンの店の方が似合いそう。ともかく怪しい面々ばかりだしな……………

秩父鉄道秩父駅で偶然見つけた、撮影スポット「キューピッドベンチ」。これまで何度もこの前を通りかかっていたのだが、一度も気が付かなかった。古びた椅子があるなくらいにしか思わなかったのだ。窓の上にかかっている説明書きが目に入らなかったということもある。
しかし、この撮影スポットはどう判断すれば良いものか。このベンチに二人で座って写真を撮るとして、自撮りは無理だろうから誰かに頼まなければならない。しかし、それは相当若いカップルであってもかなり恥ずいというやつだ。ひょっとすると年配カップルであれば羞恥心が擦り減っていて、町を歩く見知らぬ人に頼めるかもしれないが……………
やはり、ここは謎スポットだ。

その謎撮影スポットがある秩父駅前のロータリーを超えたところ、秩父神社の裏手にあたる一角に何軒かの飲食店や飲み屋が固まっている。そこで発見した看板が、なんとも感動を呼ぶ。昭和の末期までは、こういう看板が繁華街、飲屋街には散乱していた。見てすぐわかるお店のスタイル。なんとも陽気な店構えだ。学生時代にアルバイトしていた喫茶店で、よくコーヒーの出前の注文があった。隣のビルにある賑やかなキャバレーのお姉さんたちからの注文だ。その店の看板も、確かこんな感じの明るく賑やかなものだった。
平成の時代に入り世の中が不景気になるにつれ、こういうお店の看板も文字だけのものに変わっていった。そのうちに絵入の看板だけではなく店ごとなくなってしまった。この看板を見ていると、なんだかタイムスリップしたような錯覚すらしてくる。しかし、秩父駅前通りは何度も歩いているのに、こんな看板を見た記憶がないのはなぜだろう。軽度の記憶障害か??

同じビルの2階は、やはり接待を伴う飲食店が営業中らしい。この「接待を伴う」という言い回しもコロナの落とし物だが、なかなか婉曲な表現だと気に入っている。さすがに霞ヶ関には言い訳と言い換えに関して天才的な人材がそろっているようだ。
秩父神社の裏側にある商店会は建物に面白い案内看板を設置している。この接待を伴う飲食店は、「しょくどう」とういうことになるらしい。ちなみに隣には「とうふ」「文具・額」と書かれた看板が並んでいる。その隣の銀行には「ぎんこう」という看板はかかっていなかったので、金融機関は商店会に入っていないのかもしれない。秩父神社周りの商店会看板を眺めて回るのも、街歩きとしてはなかなか楽しい。

秩父神社の参道には、まさにThe レトロと言いたい建物が並んでいるが、その中で一際目立つのがこの「タバコ屋」だ。壁面にもどうどうと「煙草店」と書かれている。当時は、煙草専門で営業できるほど儲かる商売だったのだろうか。今のように喫煙が制限される時代には考えられないことだ。そういえば「煙草屋の看板娘」という美人女性の形容詞があった。その看板娘の顔を見たいから、毎日のようにタバコを買いにくるという意味だ。今ではタスポ片手に自販機で購入するか、コンビニで銘柄番号を言ってタバコを買う時代だから、看板娘自体が死後だろうなあ。そのうちに自販機には2Dアイドルが組み込まれて喋るAIが「看板娘」になるのかもしれない。いや、それはジェンダー問題がクリアできそうもないから、娘ではなく猫とか犬とかのキャラになるか?

この建物も、すでに文化財認定されていた。確かに、こうして公的な保存を図らなければ、古い建物はあっという間に壊されて駐車場になってしまう。この元タバコ屋のまわりには現役の食堂、精肉店など古式ゆかしい建物が並んでいるので街歩きには最適だ。

たまたまこの時期は、夜に遊びにおいでというイベントがやっていた。秩父といえば夜祭が有名だが、それも12月初頭の行事だ。寒さが本格化する1月に、それも寒空の下を歩かせようという企画はなかなかユニークなものだと思う。今年はタイミングを逃したが、来年はぜひ秩父夜遊びに参加して見たい。あちこちの店で一杯ずつ引っ掛けながら歩き回るのは、寒さの中でも楽しめそうだ。
そういえば似たようなイベントが高知であったな。「おきゃく」という、街をあげて路上宴会を繰り広げるというものだが、今年は高知にいってみようか。