旅をする

空の旅で悟りを得るか?

時間はたっぷりあるが、費用は抑えたい人向けのLCCが再開され外国人観光客が大量に戻ってきたらしい成田空港から、国内LCCを利用して旅に出た。成田空港は遠いと単純に思い込んでいたが、冷静にかかる時間を確かめてみると、羽田空港に行くのとでは30分ほどしか変わらない。埼玉県のハズレからは、成田も羽田もどっちも同じように遠いということだった。
あれっ、そんなバカなと思ったが、知らないうちに成田行きの交通機関が整備されていたためだ。特に第3ターミナルから東京駅までの直行バス便は安くて便利だと気がついた。荷物を持った乗り換えを考えると、羽田より成田の方が楽に移動できるかもしれない。

第3ターミナルからの離陸は思っていたよりも短時間だ。滑走部分に至る移動距離が短いのかもしれない。昔よく使っていた第1ターミナルからの発着は、ともかく地上移動時間が長かった記憶がある。これまではずっと通路側の席を予約してきたから、空港内の風景を見ることなどほとんどなかった。窓際の席を取れば、思っていた以上にあれこれ周りの景色が見えてくる。
成田空港開設反対のシンボルだった「砦」みたいなものはすっかり消滅したようだ。あっと思う間に離陸した後は、しばらく関東平野の広がりが見える。千葉の東部は畑と林とゴルフ場で占められているのがよくわかった。しばらく外を見ていたが、予想以上に成田と印旛沼が近いなとか、利根川を境とする茨城県は千葉県と見た目が全然変わらないぞとか、今更ながらに気がつくことが多い。できればずっと地面を見ていたいと思っていたが、高度が上がると雲の上に出てしまい地表は見えなくなった。雲の上に出ると気分はカンダタとお釈迦さまみたいな感じで、自分がお釈迦さまの視点にたてる。不敬にも、即身成仏とはこのことではないかと笑ってしまった。

しばらく飛んだ後、雲の下に出るとそこはもう北の大地だったが、見た目が明らかに関東平野とは違う。ゴルフ場があちこちに見えるのは関東平野と同じだが、あきらかに畑が少ない。ただただ広がる黒い原生林?が見える。その中に明らかに人工物である直線道路が地図に描かれた境界線のように、地面を幾何学的に分断している。
それでも、着陸してみれば空港の風景は同じで、人工的な構造物である空港は世界中どこに行っても同じように見える。違いがあるとすれば、機体に書かれた文字の差くらいだろう。空港の外はローカル、空港の中はグローバルな景色というのが実感できる。
よく考えれば空路の旅とは、ローカルな風景から空港へ移動し、その後は何時間か空の上を飛んでいるだけの、景色の変化がほとんど感じられない旅だ。成田から北の大地に飛ぼうと、南の熱帯雨林の国に飛ぼうと、あるいは東に飛び太平洋を飛び越えた文明地に飛ぼうと、そこに大きな差はない。
降りた土地で最初に感じる匂いが、唯一異郷にきたことを知らせてくれるが、それは北海道であれ、LAであれ、ゴールドコーストであれ、ほんの一瞬のことで、異国の匂いにもすぐに慣れてしまう。やはり空の旅は移動中の体験値が少なすぎるのだろう。いつに無く飛行機の窓の外を眺めながら旅をしてみたが、そんなことしか感じなかった。旅をするなら鉄道だな、などと体の中の鉄分がむずむずし始めた。空の旅とは、何も感じず解脱を目指すこと…………諸行無常みたいなことですかねえ。

旅をする

おすすめの品はヘビー級だった

北海道中央部から100kmほど北に行ったところに全道有数の米どころがある。いわゆる目隠しの味覚テストでは、全国ブランドの米よりうまいという評価をとるほどの「名米」の産地だ。北海道の米はずっとまずいと言われていた。自分の食経験でも北海道米は明らかに1ー2段階レベルが低いと思っていた。それが品種改良や農法の改善によりみるみる食味が良くなり、最近では温暖化の影響もあるのか「とてもうまい米」になっている。全国各地にある銘柄米の北海道における先駆けが「きらら」だったと思うが、その後の後継種はどんどん食味が上がっている。個人的には北海道産ななつ星が一番気に入っている米だ。
その米どころに長い付き合いになる友人がいて、毎年コメを送ってくれる。ただ、ここ数年はパンデミックの影響で会う機会もなく、すっかりご無沙汰していた。ようやく都市在住者の来訪が解禁になったので、3年半ぶりに会いに行ってきた。
以前の仕事からお付き合いのある方が全国のあちこちにいるのだが、やはり田舎の町では都市在住者は厄災の塊のような認識があるようで(それは間違ってはいないのだが)、事態が落ち着いたら遊びに来てねとやんわり言われていた。ようやく普段の生活が戻ってきたということで、最近はボチボチ昔の友人たちに会いに行けるようになった。

おいしいザンギでした ただ、量は2個でよかったです……

この道の駅では、近くに飲食施設があまり存在しないこともあり、食堂がなかなかの盛況なのだが、3年ぶりに訪れてみるとメニューがだいぶ変わっていた。あとは面白いのが非接触型の注文になっていて、メニュー名とメニュー番号をメモ用紙に書いて渡す方式になっていた。だが、そのことを丁寧に説明してくれるので完全非接触対応とは言い難い。
ちょっと意地悪に考えれば、その説明をしている時間で注文は取れてしまうのではないか、などと内心ではクスッと笑ってしまった。おまけに、その説明を聞いたあと友人が「おすすめは何かな?」と尋ねたらしっかりと答えてくれた。うーん、これも変なコロナの落とし子なのだろう。
ちなみにおすすめは、自家製麺をしているので麺類だそうだ。定食系ではザンギ定食がよく出るということだったので、二人ともザンギ定食にした。しかし、それが間違いだった。
ザンギ(北海道式鳥唐揚げ)は2人前以上に見える大盛りで、どうやらこの盛りの良さが人気の原因らしい。あと20年若かったら間違いなく喜んで完食しただろうなとは思う。だが、次からは、ザンギ定食ひとつとライス(小)を追加して、二人でザンギをシェアするのが良いと思った。それくらいの学習能力は持ち合わせている(と思う)
何より、次回はイチオシ自家製麺のラーメンにしよう。それが賢者の選択というものだ。ちなみに、この道の駅で名物は「メロン」で、北海道内にある様々なメロン産地と比較しても、特に糖度の高いメロンを販売している。かの有名なメロン産地では一玉〇〇千円もする高級品が多いが、それに匹敵する美味しいメロンを、この場所ではリーズナブルに購入できる。
なぜか出来立ての魚練製品揚げ物も売っているが、これは留萌港が近いせいだろう。北海道でドライブ旅行をする時には立ち寄ると良いちょっとした穴場だ。胃袋に余裕のある方はザンギ定食を、夏場に旅をする方はメロンをお勧めしますよ。

街を歩く

なんとなく違和感が

駅の改札脇に大きく貼られていた津軽観光の誘致広告だが、なんとなく違和感を感じた。確かに北海道新幹線で函館から青森まではほぼ1時間。函館から青森までは海峡を連絡船で渡って4時間かかっていたのだから、確かに近くなった。1時間の移動であれば、ほとんど隣町だ。そもそも青森と函館は海峡を挟んだ海峡文化圏であり、言語的にもほぼ同じというか同一地域だろう。北津軽と南津軽程度の差しかないと思う。
違和感の原因は札幌から函館までの距離と時間にある。在来線特急で函館まで行くとほぼ4時間かかるはずだ。同じ地方自治体の中にあるのだが、札幌函館間は空路で移動するほど距離がある。(ちなみに、札幌釧路間も空路移動する距離がある)
つまり、函館青森は隣町だが、函館に行くのは大旅行ということだ。奈良観光キャンペーンで、京都に行ったら奈良は隣町なんだよ、すぐ近くだから京都のついでに寄って行こう!! みたいな感じだろうか。
札幌函館が遠いのは、北海道民みんな知っているよね、だからそこんとこは黙っているけどさ……的なチート感がこの「待ってるよ。津軽」には存在している。
個人的には、青森も函館も好きな街なので、遊びにおいでと言われればホイホイ行ってしまいそうだ。函館までの特急もビールを飲んで軽く昼寝をして目が覚めたら函館だった、という感じの素敵な鉄旅になる。全く文句はない。
その上、昼には函館で鮨を食べ、それから新幹線でひとっ走りして、夜には津軽三味線のライブハウスで青森の銘酒を楽しむなんてこともできる。
ただ、宣伝文句通りに「キガルに、ツガルへ」を体感するには、北海道新幹線が札幌延伸するまで待たなければいけないだろう。その時になれば札幌青森間は2時間を切るはずだから、確かにお気軽な鉄道旅になるはずだ。早く新幹線が通れば良いのだが、なんだかトンネル工事が遅れいているらしい。残念。

そんなことを考えていた夜に、久しぶりのバーに繰り出し珍しい酒を飲んだ。多分、この3年間はこの酒を口にしていないはずだ。それなりに酒の銘柄を揃えてあるバーでなければなかなか飲めない「ヨードチンキの匂い」がする強烈な一杯を楽しんだ。
口に含んだ瞬間グワっと鼻に抜ける強烈かつ凶暴なモルトの香りは、酒の初心者には楽しむことが全く無理な代物だろう。酒飲みでも中級者程度では、暴力的に迫るこの酒には痛烈な拒絶反応が出ると思う。相当な手練れな酒飲みでなければ近寄ってはいけない。せめてラフロイグくらいの軽めから始めるのが大事な手順だろう。
と、一応忠告だけはしておきますので、この後は自己責任でお試しくださいと、隣の席に座った同行者には話した。口の中が地獄になる体験というのはなかなか貴重なものです。絶対に悪夢の体験になるという期待は裏切らない(はず)銘酒であります。飲んだ後の感想は聞かないことにしている。

おまけで、テキーラを注文した。この酒と同じような感じのものがあるかとマスターに尋ねたら、これですかねえと出てきたボトルは、何やらスッキリ系に見えたのだが。一口飲むと、これはまたモルトとは違う地獄の香りがしてきた。モルトがヨードチンキとすれば、こちらはセメダインだった。うーん、まだまだ酒の世界は知らないことばかりで奥が深いと感じた。しかし、酒を飲むのは楽しみの場であり、決して修行の場ではないのだがなあ。
昼に感じた違和感が、夜には違う意味で増幅された1日だった。

食べ物レポート

老舗で食べるチープ

この店の創設者、おっちゃんの訃報を聞いたのは去年のことだっただろうか。たまに無性に食べたくなる「お好み焼き」だが、北海道にお好み焼き文化をもたらした功労者は、間違いなくこの店のおっちゃんだったと思う。店名に書かれている「北海道のお好み焼き 風月」が全てを語っている。この店のお好み焼きは東京のお好み焼きとも大阪のお好み焼きとも微妙に異なっている。
昔聞いた話では、創設者のおっちゃんが確か関西のどこかから北海道に流れてきて、ふと思いついて始めたのがお好み焼き屋だったそうだ。関西でお好み焼き屋をやっていたわけでもなく、記憶にあるお好み焼きを見よう見まねで売り始めたというような話だった。当時は小体な店で安いお好み焼きを目当てに高校生が集まる濃い店だった。焼きそばも売っていたが、そちらはあまり美味いものだったという記憶がない。ただただ量が多く、腹ペコの時はありがたかった。
お好み焼きもセルフサービスな自分で焼いてねスタイルだったから、上手く焼けていない(生焼け)のお好み焼きもたまに食べてしまった。初めて関西の「鶴橋風月」でお好み焼きを食べた時に、これは別物だと思った。それくらい「北海道独自な」お好み焼きだったのだろう。
そもそも「風月」という店名も相当に……………なものだが、大多数の北海道風月愛好者は、大阪にも風月ってあるんだと思っているはずだ。

このコテを持ったおっちゃんが創業者であることはわかる。ただ、自分たちの相手をしていた頃は、いつも競馬新聞を片手にぼーっとしていた。ぼーっとしていたのではなくラジオの競馬中継を聞いているらしいと聞いたこともある。注文すると、アーともウーともいえない返事をしながら、焼きそばを炒めたりお好み焼きの仕込みをしていた。
ただ、それからしばらくすると街のあちこちに支店が増えて行って、お好み焼きといえば風月となったのだから商才はあったのだろう。おっちゃんが社長になってから、たまにテレビで見かけたりするようになった。

しばらく行っていない間に、店内はおどろくほど情報武装化されていた。お好み焼きの焼き方もタブレットから動画で見ることができる。すごい進化だ。思わず、あのおっちゃんの会社が………と言いたくなる。この3年間の非接触営業推奨に対応したのだろうか。

出てきたお好み焼き(イカ玉)は、相変わらずのルックスだった。確かに創業56周年というのはすごいことだが、記憶の中にあるおっちゃんを思い出すと、やはり笑ってしまう。ちなみに喫茶店でコーヒーを飲むと200円の時代に、イカ玉は確か190円だった。お好み焼き一枚がコーヒーより安いのだから高校生が集まるわけだ。ついでに言えばラーメンが350円くらい、ハンバーガーが200円、瓶に入ったコーラ(200cc)が50円、アルバイトの時給は300-350円程度だったと思う。
豚玉はイカ玉より20円くらい高かったような記憶もあるが、そこは定かではない。えび玉が一番高かったはずだがその値段も思い出せない。全部入ったミックス玉もあったはずだが、高すぎて注文した記憶がない。

この半分焼けたところでひっくり返す時に、バラバラに分解してしまうことが多かった。だから、お好み焼きが丸く固まったまま焼き上がると、食べるのが惜しくなるほど嬉しかった。マヨネーズとソースという万能な味付けを学んだのも風月だった。
結果的には、流れものだったおっちゃんが味の伝道師として、北海道にお好み焼き文化を根付かせたのだから、その功績は(少なくとも)道民栄誉賞くらい差し上げても良い気がする。
今ではお好み焼き(イカ玉)もすっかり高級品になっていて、ラーメン一杯よりは高い。ハンバーガーだと4個は買える値段になっていた。ただ、こちらもすっかりオヤジになっているので、イカ玉とビールなどという大人な注文をして、今は亡きおっちゃんのことを思い出していた。「北海道のイカ玉」うましだ。合掌。

街を歩く, 食べ物レポート

タイムスリップ感をあじわう

札幌の副都心と言われる新札幌地区にあるラーメン店を贔屓にしている。そのあたりに行く機会があれば、だいたい立ち寄ることにしている。昔っぽい味のラーメンが売り物だ。店内は昭和中期のおもちゃや看板などが陳列掲示されていて、いわゆる昭和レトロ推しな店だ。
今では消失した炭鉱町の名物食堂で提供されていたラーメンを復刻しているから、まさにThe 昭和 で間違いない。
ただ、今回も懐かしラーメンを食べにいったら、店頭看板の上に貼られた「昭和の良き時代の店です」という文言にちょっと引っかかってしまった。別に文句をつけるつもりはないのだが、昭和の最終期や平成生まれの人にとって、昭和とは自分の記憶にない未体験時代だろうから、江戸時代とか鎌倉時代と同じ程度の「想像の世界、時代」でしかないはずだ。そうなると昭和が良き時代だったと思えるのだろうか。
知らない時代=良い時代にはならないだろうし、そうなると自分たちの親や祖父母が生きていた時代の話を聞いた結果、昭和は良い時代だったのねということになるのだろうか。
リアルに昭和を生きてきた世代、昭和初期生まれ、昭和中期生まれの世代は、今やすっかり高齢者層であり、ましてやその大半は後期高齢者、要介護高齢者ではないか。その世代にとって昭和が良い世代かどうかはそれぞれの思いがあるだろうが、少なくとも自力で外出が難しい世代であり、昭和を懐かしむために外出するのは難しい人が多いことは推測できる。
そうなるとリアル昭和を知っていて、それにノスタルジーを感じる世代は客層として極めて少数になるのではないか。
とすれば、経営上の課題として考えるべき主たる客層は、やはりリアルな昭和を知らない世代になるであろう。かれらが昭和に感じるものはノスタルジーではなく、タイムスリップ感、自分の知らない日本を体験してみたいという気分ではないだろうか。加えて言うと、昭和リアル体験のない世代にとって、昭和世界とはハリポタ的なファンタジー世界、ドラクエ的なRPGゲームの中に登場する仮想世界みたいなものではないのかと思う。
そんなことを看板の前で立ち止まり考え始めてしまった。まったく「いかん、いかん」だ。我は時代の考察をしに来たのではなく、ラーメンを食べにきたのだぞ、とセルフツッコミをした上で自己反省をする。

今回は3種類ある昭和の醤油ラーメンのうち、初代が作っていた元祖なラーメンにしてみた。当然、リアル昭和体験があるから、「そうそう、この味だよね、なつかしー」と感動しながら食べてしまう。メンマではなく支那竹が乗っていると言いたい。赤い渦巻きのナルトが乗っているが、昔より厚切りだと感心した。昔は輪切りのゆで卵が一切れだけ乗っていたが、今では丸々一個乗っているのが嬉しいと言いたい。チャーシューは明らかに昔のものよりうまい。しっかりと肉々しい味がする。そして、北海道ラーメンの絶対的トッピング「お麩」が乗っているのが実に懐かしい。などなどノスタルジー的な感激どころが満載なラーメンなのだ。
ただ、やはりこういう楽しみ方はリアル昭和体験世代の特権というか、罠のようなもので、昭和を知らない世代には楽しみようがない。今後滅びゆく種族を相手にしたノスタルジー商売はどうにもお勧めできないなと思う。
だからこの店はノスタルジーではなく「タイムスリップ感」を売り物にして、長く営業を続けていて欲しい。滅びゆく世代の一員としてそんなことを思うのだが、美味しいラーメンを食べるには余計な情報でもあるようだ。
次に来る時には、2代目が作ったというラーメンと給食セット(アルミの弁当箱に入ったライス+おかずセット)にしよう。

ちなみにセルロイドやブリキのおもちゃというのは、もはやどこにいったら売っているのだろうか。全国チェーンの駄菓子屋でも見かけないなあ。Amazonあたりで売っているのかな………

食べ物レポート

簡便食としての鮨がほろ苦い

今回は切り身が大きい もう少し細めに切ってある日もある 個人的には細め切りが好みであります

日本三大がっかり観光名所に選ばれている?旧農学校の脇に、よく行く鮨屋がある。一時期は外国人観光客に占拠されていたが、ここ数年は比較的空いていて待ち時間も15分程度で入れることが多い。ただ、ここしばらくは日本人観光客が急増してランチタイムは、また待ち時間が伸びてきている。お店にとってはようやく苦難の時期が終わったということだろう。
いつものサーモンユッケを頼みながら軽く酒を飲む。今日は何を摘もうかとメニューを見ていて気がついた。なんと、握り鮨が全面的に値上がりしている。特に自分の好みのネタが絶望的な価格上昇をしている。悲しい。が、このご時世だし値上げもせずに店が潰れてしまうくらいなら、値上げをしてもお店を続けて欲しい。
お店も苦しいだろうが、客も苦しい。お互いに助け合って生きていこう、などと悲壮な(笑)決意をしてしまった。

相変わらずのイカ・鯖連合で注文したが、イカも鯖も高級魚の一角に食い込んできた。本来の高級ネタである鮑は注文するのに抵抗がある値段になってしまったので、今回は泣く泣くパスした。それでも握り鮨が「うまくて、早い」というジャパニーズ・ファストフードとして王者の地位にあることには変わりがない。「安い」というポジションだけは危なくなってきているが、それでもすでにラーメンは1000円時代だし、街の蕎麦屋でもりそばが1000円越えをする時期も近そうだ。ハンバーガーもテレビ宣伝に出てくる巨大系バーガーはすでに単品600円越えだから、鮨だけが高いということでもない。
平成で刷り込まれた「物価の上がらない世界観」は破綻しつつあるのだが、それを認めたくないダメオヤジのぼやきと自省するしかない。スーパーで売っている機械製造の握り寿司パックもすでに1000円越えしているし、たまに職人さんが握る鮨を食べにくるのはささやかな贅沢として許されるはずだ。ただ、その時はやはり勘弁食として鮨を4-5貫摘んでさっと帰るのが、インフレ時代の大人のお作法かもしれないなあ。

街を歩く

コロナの落とし子

京都の名物お菓子といえば、生八橋と短絡的に思っていた。高校生の時に行った修学旅行以来の刷り込み記憶だ。30代になり仕事の関係で京都に訪れることが増え、いろいろと現地の方に教えてもらい、お土産のレパートリーが増えた。その中でいちばんのお気に入りがスグキ(丸のまま)の漬物で、これは日本の発酵文化として一つの頂点であるとまで思っている。
これに続く発酵ものといえば、飛騨高山で売られているカブの千枚漬けだろうか。あえて加えると北海道のニシン漬けが古くなったものくらいだ。
ただ、京都の菓子という観点で言えば、「阿闍梨餅」(あじゃりもち)に尽きる。京都駅横の百貨店でも、この菓子の販売店はいつも長蛇の行列で、新幹線の時間に余裕がない時は諦めるしかない。

もちっとした皮の部分がうまさの秘訣だろう

その阿闍梨餅だが、お江戸でも日本橋の三越、高島屋などでは週に一回程度販売されることがある。ただ、ここでも人気商品らしくあっという間に売り切れるらしい。日本橋に和菓子を買いに行き、おまけに行列までして買いにいくというのもゾッとしないので、基本的には諦めているのだが。
ところが感染症拡大期、さすがの京都も観光客が激減して土産物屋も大変だったようだ。当然、人気の和菓子屋もあれこれ対策が必要だったことは理解できる。その結果、なんと自宅近くにある元・百貨店の諸国名物販売コーナーに月に何度か全国の名物菓子が並ぶようになった。その中に、これまた驚異というしかないのだが、阿闍梨餅がラインナップに入ってきた。
どうも埼玉のハズレの街では阿闍梨餅の知名度が低すぎるのか、行列して買う必要はない。ワゴンの上に山盛りの積まれているので、個数制限もない。欲しいだけ買える。これは本場の京都でも体験できない天国プランだろう。この3年間でいったい何度阿闍梨餅を楽しんだことだろう。感謝だ。

コロナが終息しつつある時期になり、観光客が有名観光地を中心に急回復しているそうだが、そうなると我が地元で阿闍梨餅を売る必要もなくなるだろうと思っていた。それはちょっと残念だが仕方がないことだとも思う。
ところが、どうやら月に何度かの遠征販売は今後も継続されるらしい。ありがたいことだ。おまけにこの遠征販売のローテーションの中には、浅草の亀十のどら焼き含まれている。浅草の名物どら焼きは店頭で並んでも買えない人気商品だった。おそらく今頃は昔のように大行列ができていたり、早い時間に売り切れているのだろうから、地元で並ばずに買えるのは「素敵なこと」だ。苦しい時期に販売してくれていた拠点を、平常モードになったからと言って切り捨てはしないということだと推測する。真っ当な商道徳は今でも生きているようだ。
いろいろとあった感染症の3年だったが、良い落とし子がないわけでもないということだろうか。埼玉のハズレの街で、少しだけ幸せなことが増えたのは間違いない。

街を歩く

北の街で変わっていたこと

北の街の都心部に桜が咲いていた。普段は何も気が付かずに歩いていたが、中心部の街路樹が桜に変わっていたのはいつからのことだろうか。確かに花が散った後の桜は、よくよく観察しなければただの街路樹だろう。気が付かなかったのも無理はないか。
冬のライトアップされた街並みはすぐ気がつくが、街路樹の花はタイミングが合わないと見ることも叶わないから仕方がないと言い訳する。街の街路樹が全部桜になったらさぞかし綺麗だろうなと思うが、桜の木は手入れが大変なのだろうか。

北の街で最大のランドマークである「ぽんぽこシャンゼリゼ」で、建設中だったビルが竣工間近になり、囲いの工事壁が撤去されていた。地下街から直結する巨大ビルは、新設される水族館が売り物らしい。もしここにオホーツク名物のオオカミウオが飼育されることになったら、結構な頻度で通うことになりそうだ。これまでオオカミウオを見るには隣の港町にある水族館に行くしかなかったのだが、この都心部で会えるとしたら、それはかなり素敵なことではないか。
ちなみにオオカミウオはその名に似合わず、実に個性的というかゴワゴワした顔をしていて、心が落ち込んでいる時に会うと、「ああ、自分は人に生まれてきてよかった」と思わせてくれるマイ・ネガティブヒーローだ。斜め上ではなく斜め下という異なる角度から元気をくれる存在と言っても良い。水族館、期待しよう。

日ハムの新球場が開いた。駅からはシャトルバスが出るようだ。駅から歩いて行くには長い坂道を降りて行って、また同じ高さの坂道を登らなければならないから、シャトルバスは必須だと理解できる。ただ、ボールパークの周辺はほとんど原野なので、そのうちに野良な民間駐車場がボコボコと空くのだろう。駐車料金は3時間5000円くらいになると思うけれど。
ボールパーク内はキャッシュレスだそうで、高齢者対策がどうたらと新聞に書いていたが、そもそも高齢者対策などというなら球場までのアクセスの方がよほど大事たと思う。ちなみに、この駅は高架駅舎なのだけれど、小さなエレベーターはあるがエスカレーターはない。地上から駅舎までは緩やかな斜路になっているが、車椅子で登るにはしんどそうな、なかなか微妙な建築物だ。
将来的には駅前ビルに(併設されるシャトルバス乗り場まで)ペデストリアンデッキが接続されるらしい。それまでは、我慢してねということだろう。

この混雑を体験しようと、試合開始1時間前に到着する列車に乗ってみた。確かに車内は立っている乗客が多く、身動きがとりにくいくらいに混雑はしていたが、首都圏でいえば午後3時の山手線程度だろうか。朝7時の山手線の方がよほど混み合っている。
車社会で生きている北海道民には苦行となるかもしれない混雑度だが、首都圏生活者であれば鼻歌混じりでこなしてしまうかも。
ただネットニュースを読む限り、いまだに新ドームは空席がたくさんあるそうなので、この先ホームで優勝争いがかかったゲームになると、つまり球場が満席になるようなことがあれば、車内の混雑度はもっと上がるだろう。
なによりベースボールのゲーム開催ではなく、若者に人気のあるアーティストのコンサートなどがあると殺人的に混むかもしれないなと思った。やはりベースボールは「オールドタイマー」向けのエンタメなのだろう。当面はエスカレーターの方が大事そうだ。

食べ物レポート

桜とビール

北の街の南部にある桜の名所でおこなわれる花見会に招待された。地下鉄駅から歩いていく途中で、綺麗な桜の花小路を見つけた。個人のお宅のようだが、一般向けに解放されていてお好きに見ていってということだった。小粋な方がいるものだと感心した。

その桜の名所は小高い丘の上にある。その丘の下には、老舗味噌ラーメン店が店を構えている。おそらくこの店に来るのは20年ぶりくらいではないかと(大袈裟だな)思うが、普段であれば歩いてくるはずがない。車でなければ来店がするのに不便な場所がから、前回は車で来たはずだ。記憶がはずれてはいないと思う。

店内には窓際にずらっと行列ができていて、その行列が入り口からはみ出している人気ぶりだった。店内に入いってみると、昔の記憶とは異なって実にこぎれいて明るい。改装したのがいつ頃なのかはわからないが、それほど時間はたっていない感じだった。
券売機で注文の品を決める。周りを見渡すと半分以上が観光客という感じだった。聞こえてくる会話から判断しても、北海道外から来た客が多い感じだ。ぱっと見ではわからなかったが、どうやら台湾から来たカップルもいた。すごいことに彼らは二人でラーメン三種(味噌、塩、醤油)コンプリート注文していた。従業員の方が、「3 Bowls coming, together 」みたいなことを言っていたから間違いないだろう。
どうやら、三種コンプリート注文する外国人観光客は多いようだ。老舗のラーメン屋も着々とグローバル化していた。しかし、自動販売機は日本語でしか書かれていない。どうやって味違いラーメンを選んだのだろう。スマホで翻訳アプリを使って………みたいなことだろうか。

この日は花見ということもあり、地下鉄駅からの徒歩移動だから、いつもはできないラーメンとビールが堪能できる。缶ビールというのがちょっと残念なところだが、出された銘柄はクラシックなので文句なしだ。じつは、このクラシックというビールは、プレミアムビールである「恵比寿」より美味いと思う。お江戸で売ってくれないのが悲しいが、たまに(何故か)JR東日本の駅売店で行われる北海道フェアで大量に販売されることもあり、全く手に入らないという訳でもない。
近くのスーパーでもこまめにチェックしていると年に3-4回は販売していることがある。ただ、気温と湿度の関係はビールの味にとって重要で、北海道で飲むうまさをお江戸ではなかなか味わえない。
まあ、お江戸にはお江戸にあったビールもあるからそちらを楽しめば良いのだが。

そして本命の味噌ラーメンが出てきた。スープの表面をたっぷりの油が覆っている。だから、スープから湯気が立たない。スープの表面が光って見えるのは、全面的に油で覆われているからだ。ただ食べ始めても油は気にならない。スープの味が濃厚なので、逆に「脂」が旨さを引き立てる感もある。具材はシンプルにメンマともやしだが、このシンプルさがまさに売り物だろう。
味噌ラーメンの調味料といえば唐辛子、それも一味に限る。最初にぱらぱらとふりかけ、途中から追い唐辛子で辛味増量をする。スープの熱さと唐辛子の辛味で額にじわりと汗が出る。これぞ正統的味噌ラーメンの楽しみ方ではないか。(ドンドンと机を叩いて力説したくなる)
待ち時間40分、食べ終わるまで10分の至高の贅沢だった。ほろよい加減のクラシックが幸せな気分を盛り上げてくれる。このまま、花見などしないで飲みにいってしまおうかと、怪しい誘惑に駆られてしった。ビールと味噌ラーメンは、そんな魔力を秘めているのですよ。
ラーメン・ビールに餃子などという夾雑物をいれるのは、まさに邪道なラーメン道だなどと勝手なことを呟きながら、桜が咲く丘の上まで急な坂道を登っていった。あまりの寒さに、やはり桜はどうでも良くなりました………

街を歩く

立ち飲み屋にて思うこと

年に3ー4度、長いお付き合いになる年上の友人と会う。それは北の街の盛り場であったり、お江戸の繁華街であったり場所もまちまち、店も様々なのだが。今回は北の街で駅から徒歩3分の場所だった。隣の港町では老舗にあたるレストランが、支店として開けた居酒屋だ。感染拡大の前は立ち飲み屋だったが、最近全席を座われる席に変更したというので、どれどれ見物にとやってきたのだが、相変わらず立ち飲みスタイルは健在で(というか座れる席の方が少ないようだ)、早い時間では比較的空いているようだった。
とりあえずという名のビールを注文したあと、つまみをあれこれ物色していたのだが、おすすめはおでんと言われたので壁に下がっている名札を右から全部……………みたいな乱暴な注文をした。一盛りが3個だそうで、3種のおでんが入った小鉢が二つ出てきた。なんだか妙に懐かしい味のするおでんだったが、お江戸風の濃いつゆではなく家庭的な薄味だったせいだろう。

追加で注文したのが、これも店長イチオシらしい「大根の天ぷら」だ。これは一度出汁で煮た大根を揚げたもののようで、歯触りは柔らかく衣と大根の味がほどよく調和している。これはまた食べてみたいと思わせる名品だった。
野菜を一手間ふた手間かけて美味しく食べさせる料理屋は信頼して良い。料理人の腕前の差は、野菜の煮物に一番よく現れるとも思っている。こういう創意工夫された料理は素直に喜び、次の季節にはまた違った野菜料理を楽しませてもらおうと思う。
料理は独創性より様々な素材と調理法の順列組み合わせから生まれる。独創的な料理など、圧倒的な調理機器の進化でも起きない限りは生まれるものではない。「うまい料理」とは地味な順列組み合わせを試し続ける「料理人の努力」の結果だと思うのだ。

卵焼きも料理人の腕前の差が出る。家庭料理でもできそうなものだが、やはり美味しいだし巻き卵はプロの手仕事というべきだろう。卵焼きに押された焼印がどんな意味があるのかよくわからなかった。この店の屋号にある紋所なのだとは思うが。これもまた食べる時の楽しみの一つだ。

その立ち飲み屋から2軒目の店に梯子をすることになった。駅高架下にある屋台村の一角に信州から来た焼き鳥屋がある。ここしばらくは、この店に通うことが多かった。屋台村には10軒以上の店が入っているのだが、この焼き鳥屋は大混雑だった。焼き鳥も美味いが店長の人柄だろう。小体な店は料理だけではなく、コミュニケーションも大事な商品だ。
いつものようにおみくじ付きの割り箸で運試しをする。大吉が出ると何かすごいサービスが受けられると言われ続けているが、一度も大吉が出たことがない。よほど運が悪いのかとも思うが、まさか店長の作戦ということもないだろう。少なくとも大吉が出て、とてつもないサービスを堪能するまでは通い続けるしかない。
しかし、立ち飲み屋から屋台村への梯子というのは、なんといえば良いのでしょう。よほどの酒好き以外は、あまりやらないはしご酒コースだろうなあ。