街を歩く

塩叩きのタレについて

恐ろしくてまだ開封もしていない禁断の調味料

何故かカツオとは縁のない北海道のスーパーで見つけた鰹のタタキタレ。製造元はダイショーだからタレの専門メーカーだから、味はそれなりに仕上がっていると思う。ただ、一緒に売っているのが静岡産鰹のタタキ、それも富士山溶岩焼きという見慣れないものだった。炭焼きの代わりに溶岩の板を熱したもので表面を炙ったということらしい。値段がとてつもなく安いのは、例の焼津漁協関連で有名なった大量の冷凍カツオ産地ということだろう。

鰹のタタキに関してはそれぞれの地域でそれぞれの識者がご意見を述べているので、あえて触れないが、藁で焼けば燻り臭があるのでkんせいっぽくな理旨みが増す。炭焼きであれば表面の濃げ具合がうまさを乗せる。
それをポン酢で食べるのが一般的な大都市圏の食べ方だが、高知では「たたきのタレ」を使う。個人的には味も含めてポン酢の一種だと思うが、ポン酢ではなくタレなのだそうだ。北海道でも焼肉のたれとジンギスカンのタレにも似たようなこだわりがある。
そして、この塩だれなのだがいかにもな代物に思うぇう。最近では素材の味をそのまま活かすために調味料ではなく「塩」で食べるというのが流行のようだが、これは人の舌がバカになった証拠だと思っている。本当に塩だけで食べるのがうまければ、醤油や味噌に代表される超見えようが生まれるはずはない。ありとあらゆる料理と言われるものは、新しいソースを生み出すことであったと断言しても良い。塩だけで食べてうまいというのは、いわば文明以前、原始時代の貧乏な味覚を礼賛する誤った思想だと断言する。

20世紀が生み出した最大の人工調味料「グルタミン酸ソーダ」に代表される非天然由来の調味料に対する反発が生み出した素朴な幻想だろう。混じり気のない塩で食べるのが一番良いという思い込みなものだ。(良いのは体のためか、心のためかもわからないが)
そもそもエージング(肉の中のアミノ酸が死後に分解される過程)した肉がうまいというのは、肉内のアミノ酸量を多く感じるようになるからで、冷蔵技術がない時代に編み出されたものだ。エージング?を超えると肉は腐敗する。それを避けるために塩漬けや燻製(干し肉)という手法がとられた。塩味礼賛はその時からの名残みたいなものだろう。塩と胡椒が庶民でも簡単に手に入るようになった近代以降、塩味をありがたがるものなど激減したはずだ。冷蔵保管の技術の進歩とともにエージング自体が失われた手法に成りつつある。

まあ、その現代のマジックワード「塩」を、色々と混ぜ物を調合して「塩だれ」にしたというのは、ある意味で裏の裏の裏を読み解くみたいな巧妙な戦略かもしれない。粋がって「塩たたき」を食べてみたが思ったほど旨みが感じられない(当たり前だが)ので、旨味を追加した「塩だれ」で食べることにした。そんな背景がありそうだ。現代のチートな料理法としては正解かもしれない。

ただ、個人的な見解として、スーパーで安売りされている「カツオのたたき」を粋がって塩で食べるという間違いをするくらいなら、潔くこの塩だれを使う方が良いかなとも思う。カツオの本箱内でも塩たたきが浸透しているが、これは料理法としては一方的な後退でしかない。文明の退廃に繋がる(大げさだなあ)蛮行であると思っているのであります。

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