
橘玲は鋭い知性というものを教えてくれる。知性は時に危険であり、感情で動く人々にとっては、耐え難い天敵のようなものだ。この著者はなかなかに峻烈で知に関しては怠け者を許さない怖い人なのだ。
著者曰く知性とは人生の救済について必要なものだ。だが、それと等価に大量殺人の手法も分析するものだ。知性は毒でもあり薬でもある。知性とは人類にとって非情なものであることをしつこいくらい突き詰めていく。
人の価値観は多種多様であると認めるが、知性の働きで生まれる「事象の分析」には、善悪などの価値判断は関わらせない。分析の結果をよしとするか、都合の悪いものとして葬り去るのかは、分析の優秀さや精度では決まらない。好き嫌い、自分の価値観にあてはまるかどうかで判断される。「正しい」分析とは「好き」な意見が書かれている。それだけのことだと切り捨てているのが人の世だ。
というのが著者の言いたいことなのだ。だから、価値観に当てはまる分析は「社会に受け入れられる」。嫌な分析結果は「不都合な真実」として捨てられるどころか否定される。
そして、その不都合な真実として切り捨てられる事象について著者は淡々と語る。世に存在する様々なタブー、語られると不愉快になる真実を取り上げる。それを世界のあちこちで行われた調査の数値を裏付けとして、不都合な分析結果を読者に突きつける。これは「痛い」。
彼はリベラルには優しくない。リベラル陣営の論者が、感傷論を政策に持ち込む点を冷ややかに批判している。だから、「人は平等だ」という、リベラル勢力のドグマを切って捨ててみせた。「人の能力は平等ではない」「人の能力は教育や努力によって改善されることはない」と知りたくない事実を曝け出す。ただ、リベラルの言うことを信じてはいけない、と言う論調ではない。だからと言って保守的な思想を擁護しているわけでもない。リベラルも保守も同じように救いのない「馬鹿者」といっているだけだ。
この本の中で人種に知性の差があるらしきことも、統計処理で説明してみせた。リベラルからすればあり得ない暴論だろう。昨今の北米政治の現状を見れば、歓迎される人種差別補強論になる可能性もある。しかし、著者は保守陣営の理屈も同時に切って捨てる。保守もリベラルと等しくバカだと。
そして、残酷で残念な分析結果の説明をした後に、彼はささやかな社会変革の可能性を提案する。
その「怪しいロジック」「禁断の世界分析」を楽しめるかどうか。それが、著者からの挑戦状なのだ。「あなたもバカですか?」と……………
知的アクロバットとはこう言う本のことを言うのだろうなあ。
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