街を歩く

一年ぶりのかしわぬき

薄野の近くにある蕎麦屋はビルの一階にあるのだがあまり目立たない。それでも客足が途切れない人気店であるのは、札幌で数少ない蕎麦の老舗だからだろう。だいたい植民地であり流刑地であった蝦夷地、北海道では100年続く老舗など数えるほどしかない。そもそも開基150年程度の新興地だし、入植者でも一山当てたら故郷に戻るつもりのものばかりだったはずだから、老舗の形成要素が薄い土地なのだ。
それでも函館や小樽、あるいは釧路や根室といった港町では産業の拡大とともに人口集積が進み「地元」化した店も多い。ただ、それも昭和後期から始まった地方の衰退現象に巻き込まれ老舗と言われる店のほとんどが姿を消した。
つまり、この蕎麦屋は極めて稀有な老舗の生き残りなのだ。みんなでもっと大切にしようと言いたくなる。

入り口にかかる品書きは、実にオーソドックスな蕎麦屋のラインナップだ。蝦夷地入植者は全国津々浦々から押し寄せてきた。基本的には戊辰戦争負け組が入植者の主流で、本国からの棄民扱いになっているから東国出身が多い。特に東北地方は寒冷地でもあり大規模移民が行われたようだが、それでも定着率は低かったようだ。
そのせいかお江戸の文化は比較的巣トレー路に入り込んでいる。麺類で言えばほぼ蕎麦一択になる。西国で主流のうどん店は珍しい。
だから、種物のそばを見ても蝦夷地らしいものはほとんど見当たらない。酒だのいくらだのにしんだのといった海産物系の見当たらない。(てんないにはいてばどくそうてきなめにゅーもあるのだが)
まあ、蕎麦屋の老舗とはこうあって欲しいという、我が希望にはぴったりだ。そして、お江戸伝統とでもいうべきメニューが「かしわぬき」で、これを販売している蕎麦屋は尊敬に値する。蕎麦の名産地と言われる信州をでも、これがある店は少ない。おそらく「お江戸」のスノッブなメニューなのだ。蕎麦屋に行って蕎麦ではないものを注文するのは、お江戸の不良のくせみたなもので、その流れから生まれたのが「かしわ抜き」、つまりかしわ蕎麦からそばを抜いた、汁物料理になる。

どうやらお江戸の蕎麦屋は、今でいうところのファストフードであり、飯を食うのではなく軽く軽食をとる、あるいはそれとともに酒を飲む場所だったようだ。だから、蕎麦の盛りも少ない。藪系の老舗に行けば、蕎麦の下からザルのすのこが見えるほどのバーコード状態で出てくる。
そんなお江戸の蕎麦流儀が生んだのがそばを抜いた種物だった。かしわ抜きや天抜きが有名だが、それが有名なのはお江戸だけらしい。


出汁の聞いた濃いめの蕎麦つゆと鶏肉の油がよく合う。そばが入っていない分だけ、少し薄めに仕立てているようだが、それでも濃厚な汁は日本酒によく合う。

蕎麦屋で酒を頼むとよく出てくるのがそばを揚げたものだが、これも実に美味いものだ。塩加減にもよるが、カリッと上がったフライド蕎麦を齧りながらチビチビと酒を飲み、お銚子半分が空いた頃にかしわ抜きが来る、なんと素晴らしい。これを至福の時と言わずしてどうするよ、なのだ。
残念ながら町の蕎麦屋では楽しめないことが多い「かしわぬき」だからこそ、蕎麦屋巡りをして発見する楽しみもある。今やラーメン道追求はB級グルメ・エンタメとなっているのでラーメンフリークは多い。ただ、それとは異なる「麺世界での求道的探究も存在する。それは何か。かしわ抜き探索だと言いたい。

今年は多少時間を投じてかしわ抜き探索してみたいものだ。ただ、今では蕎麦屋も探し出すのが大変なくらい店数も減っている。おまけに、蕎麦屋にはもう一つの隠しメニュー「おだまき」というものも存在しているので、これも見つけたい。

まさに求道なのですよ。

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