街を歩く

アートと桜と夕日と

北の大都市は市内を南北に走る川沿いに広がる平野部に町が形成されている。市街中心部は川の西部にある。官庁街を含め川の西側が北海道開拓の推進基地だった。川の東部は大都市と合併するまで財政的に豊かな町だった。独自に私鉄が建設されるほどで、いわば官庁都市とは一線を画す半独立地域だった。
そのため、現在の大都市中心部とは異なる、古い都市部が形成されていた。ただその旧市街も今では地下鉄が施設され、影も形もなくなってしまった。旧私鉄沿線には住宅地がダラダ田と広がり、「大都市」の郊外地域になってしまった。
その旧都市部の中央に小高い丘がある。丘の上にはそれなりに歴史のある神社が分祠されてきたのだから、当時の街の勢いがわかるというものだ。
ちなみに北の大都市を開拓した親玉が京都を模した市街形成を目論んだこともあり(ただし京都とは東西反転した形で実際は開発された)、大きな神社は西側にある山の麓に造られた。それに向かいああうように旧都市部では川を挟んで東側にある小高い山の上に神社を造ったのだろう。神社の配置を見ると東西の町が相当な対抗意識を持って開拓に励んでいたことは間違い無いだろう。
その小高い丘を天神山と呼んでいる。昔はりんご畑だったところだと記憶している。今では、リンゴの木などほとんど見かけない。目立つのは中高層のマンションばかりだ。

その天神山(多分高さは50-60mくらい)から、都心部を見るとそれなりに良い景色がひらけている。この時期は、山のあちこちに咲く桜が満開の手前だった。ただし、気温は低く震えるほど寒い。桜も満開になるまでさぞかし時間がかかるだろうと思わせる。この前日にはパラパラと霰も降っていた。

市内で桜の名所といえば、西部にある山麓の神社周辺と決まっている。例年ゴールデンウィークあたりに桜が満開になるので、なぜか桜の咲く公園で(それも神社の横で)寒さに震えながら桜見物と称しジンギスカンパーティーをやるのが、この季節の風物詩のようになっている。過去3年は、感染予防のため屋外でありながらジンギスカンは禁止だったはずだが。今年はどうなっているのだろうか。
こちらの山の桜は、そういう意味では地味な名所ということになる。何度か桜の季節に来てはいるが、ジンギスカンをするパリピは見たことがない。今回は友人が野点で茶会をするというので午後に来てみたのだが、とてもお茶を楽しむような気温ではなかった。

桜を見たのはほんの5分ほどで、あとは別に設営されていた室内会議室で歓談と称して、日本酒の品評会をしていた。花見という名目の飲み会になってしまったが、それはそれで日本人的な正しい生活様式だ。
感染症対策として提唱された「新しい生活様式」(笑)だが、そんなものはもう飽き飽きしているので、破壊された「昔の生活様式」が復活してくるのが楽しみだ。桜を見に来たはずが、一番綺麗だなと思ったのは山の端にかかる夕焼けだったのはご愛嬌。
ちなみにこの施設は、世界中のアーティストに開放されているコミュニケーション・宿泊施設だそうで、アーティストの方は長期滞在をしてみるのも良いだろう。非・アーティストである我が身はたまに夕陽を見にくるくらいがちょうど良いかな。

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