
年に3ー4度、長いお付き合いになる年上の友人と会う。それは北の街の盛り場であったり、お江戸の繁華街であったり場所もまちまち、店も様々なのだが。今回は北の街で駅から徒歩3分の場所だった。隣の港町では老舗にあたるレストランが、支店として開けた居酒屋だ。感染拡大の前は立ち飲み屋だったが、最近全席を座われる席に変更したというので、どれどれ見物にとやってきたのだが、相変わらず立ち飲みスタイルは健在で(というか座れる席の方が少ないようだ)、早い時間では比較的空いているようだった。
とりあえずという名のビールを注文したあと、つまみをあれこれ物色していたのだが、おすすめはおでんと言われたので壁に下がっている名札を右から全部……………みたいな乱暴な注文をした。一盛りが3個だそうで、3種のおでんが入った小鉢が二つ出てきた。なんだか妙に懐かしい味のするおでんだったが、お江戸風の濃いつゆではなく家庭的な薄味だったせいだろう。

追加で注文したのが、これも店長イチオシらしい「大根の天ぷら」だ。これは一度出汁で煮た大根を揚げたもののようで、歯触りは柔らかく衣と大根の味がほどよく調和している。これはまた食べてみたいと思わせる名品だった。
野菜を一手間ふた手間かけて美味しく食べさせる料理屋は信頼して良い。料理人の腕前の差は、野菜の煮物に一番よく現れるとも思っている。こういう創意工夫された料理は素直に喜び、次の季節にはまた違った野菜料理を楽しませてもらおうと思う。
料理は独創性より様々な素材と調理法の順列組み合わせから生まれる。独創的な料理など、圧倒的な調理機器の進化でも起きない限りは生まれるものではない。「うまい料理」とは地味な順列組み合わせを試し続ける「料理人の努力」の結果だと思うのだ。

卵焼きも料理人の腕前の差が出る。家庭料理でもできそうなものだが、やはり美味しいだし巻き卵はプロの手仕事というべきだろう。卵焼きに押された焼印がどんな意味があるのかよくわからなかった。この店の屋号にある紋所なのだとは思うが。これもまた食べる時の楽しみの一つだ。

その立ち飲み屋から2軒目の店に梯子をすることになった。駅高架下にある屋台村の一角に信州から来た焼き鳥屋がある。ここしばらくは、この店に通うことが多かった。屋台村には10軒以上の店が入っているのだが、この焼き鳥屋は大混雑だった。焼き鳥も美味いが店長の人柄だろう。小体な店は料理だけではなく、コミュニケーションも大事な商品だ。
いつものようにおみくじ付きの割り箸で運試しをする。大吉が出ると何かすごいサービスが受けられると言われ続けているが、一度も大吉が出たことがない。よほど運が悪いのかとも思うが、まさか店長の作戦ということもないだろう。少なくとも大吉が出て、とてつもないサービスを堪能するまでは通い続けるしかない。
しかし、立ち飲み屋から屋台村への梯子というのは、なんといえば良いのでしょう。よほどの酒好き以外は、あまりやらないはしご酒コースだろうなあ。