
駅のホームで電車を待っている間に、あたりを見回していたら発見した「新聞記事の掲示板」で思ったことなのだが。まずは、今どき誰がこれを見るのだろうという疑問だ。これを見つけた自分ですら、写真や記事に目が行ったわけではない。最初は、駅や公民館などによくある素人写真の展示だと思ったくらいだ。
どうやら大手新聞社のニュース記事らしいと気がついたのは、写真の脇に書いてある「惹句」というか見出しを読んでからだが、その見出し分がこれまた素人っぽい。学生時代の校内壁新聞レベルだな、などと思ってしまった。
そもそもニュースと言えるほど情報鮮度がない、というのが決定的なダメ要因だろう。ヨットの単独太平洋横断の記事は、先週テレビで見たのではなかったかと思うほど、ニュース性はなくてオールドなお話だった。
記事の中身が嘘だとか捏造だとかいうことではなく、報道する鮮度の問題として、この壁新聞もどきは報道というかニュースというか、メディアとしての使命を果たしていないなあ、と思ってしまった。
毎日通勤通学で同じホームを利用する人の中には、この壁新聞もどきを楽しみにしている人もいるのだろう。だから、まだ掲示され貼られているはずだ。ただ、この写真の内容であれば、毎日スマホの中で消費されているレベルの情報だろうし、世間の関心とは別の視点で記事を選定するという、ニュースではなく現代トリビア的編集を試みるのであれば、やはりスマホで別立て読み物に仕立て上げた方が見る人、読む人も増えそうな気がする。
そもそも、この駅は相当長い間利用しているが、この「写真新聞」に気がついたのは、これが初めてだ。おそらく昔の木造駅舎の時代から、ずっと続いているもので、昭和平成令和の間、誰も存続見直しをすることもなく続いているのではないかと思えば、感慨深いものもある。
これからは駅のホームで(時間があれば)、きっちりと読むようにしようと決意をあらたにしつつ、世の中にはまだまだこういう化石的というかオールドメディアは生き残っているのだろうなあと思うのでありました。
しかし、記事の内容が平和的、牧歌的なのが救いではあるのだね。