街を歩く, 食べ物レポート

神田 薮・・伝統の重み

お江戸の三大藪と言われる老舗蕎麦屋の一つ、神田の藪蕎麦が火事で焼けたのは何年前だったか。神田の藪といえば、大晦日の年越し蕎麦のテレビ中継で有名だった。大晦日には昼から行列ができる。寒空の中で何時間も待って蕎麦を食べるやつの気が知れないなどと若い頃は毒づいていた。だがこの歳になると考えも変わり、実は並ぶ価値があるうまい蕎麦だと思うようになった。ただ、自宅が神田から遠いので、蕎麦を食べた後同じくらい時間をかけて家に戻るのが嫌なだけだ。歩いて行ける場所にあるのであれば、間違い無く並ぶと思う。ちなみに三大藪の残り2軒は浅草と上野にあるはずだ。コロナのせいで飲食店の営業事情が変化しているから、確かめたわけではないが閉店もしていないだろう。

火事で焼けた後に再建された新しい店だが、外観は昔のままのように感じる。周りにあるオフィスビルのようなものに立て替えなかったのは、やはり老舗としての矜持というものなのかと思う。客としていく分には、高層ビルの一階にある店よりも和風の一軒家の方が好ましい。間違いなく風情がある。都心の中の日本家屋は、それだけで存在感がある。
若い人たちであれば多少の圧迫感を感じるかも知れない。それでも、所詮は蕎麦屋だからあまり気を張ることもなく、ふらっと入って、さっと蕎麦を食べ、サラッと帰れば良いのだ。中で待っているのは、日本屈指のうまい蕎麦であることは間違いない。

蕎麦は不良の食べ物だったとは何度も書いてきたが、お江戸のそばのスタンダードは、この盛りの薄さだ。食事で食べるそばになれた人には、全く腹立たしいぼったくりに見える量だ。バーコードのようなという表現が全く正しい。濃いめのつゆにそばの下半分だけつけて啜る。そばを全部つゆにつけるのは野暮だよ、などと教えられたが、それはそばつゆがとてつもなく濃いからだ。半分つけたツユで口の中はちょうと良くなる。ちなみに、三大藪の中では浅草の藪のつゆが一番濃いような気がする。お江戸の蕎麦屋以外でツユ半分つけを真似してはいけない。普通の蕎麦屋のツユはそれほど濃くはないので、ドブンとつけて食べる方がうまいと思う。

蕎麦屋で酒を飲む時に、つまみとして出てくるのは基本的に蕎麦のトッピングだ。天ぷらや鴨がメインアイテムだが、茶碗蒸しや卵焼きがでてくるのも、蕎麦用トッピング材料の流用だ。だから当然のように海苔もつまみになる。ただ、老舗の蕎麦屋で出てくる海苔は、木箱の中に収められていて、その木箱の中では小さな炭が空気を温めている。湿気を防ぐためだそうだ。蕎麦屋の海苔をつまみに飲む時、海苔が湿気っていてはいけない。パリパリ感が命だ。

鴨も店によっては提供される。鴨南蛮は冬のご馳走だが、その鴨を炙ったり焼いたりして食べる。蕎麦屋では天ぷらと並ぶ濃厚つまみだが、こちらでは薄切りにしたハムのようでとてつもなくうまい。街の蕎麦屋ではあまり味わえない。お江戸の老舗蕎麦屋のつまみを肴に飲むのはなかなか幸せなことだ。
いつも厚焼きステーキで赤ワインという飲み方ができるはずもない。懐事情もあるが、胃袋の事情の方が最近は優先だ。時々は蕎麦屋であっさり海苔と熱燗でほろ酔いしたい。すでに神田の老舗蕎麦屋では、一杯やるのも気楽なお値段ではなくなっているが、それでもたまには足を向ける価値がある。
歴史に残る偉人の話は教科書でチラ見をするくらいで良いが、歴史が残した文化の精髄、老舗店の料理は、庶民がポケットマネーで楽しめる歴史遺産だ。気取らず、友人との会話を楽しみながら、蕎麦屋で一杯。それもお江戸の神田で憩う。京都で湯豆腐もいいけれど、神田で遊ぶ方が何倍か楽しいと思う今日この頃であります。

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