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長編小説が好きだったのだ

元々、長編小説が好きだった。中学生の頃から読み始めたSFで、最初に好きになったのはバロウズ作「火星のジョンカーターシリーズ」全部で15巻(?)だった。それ以降、シリーズものが大好物になり、SFでなくてもシリーズ巻数が多いというだけで買うことが多くなった。
歴史小説も巻数が多いのがお気に入りで、全10巻みたいなものをよく読んだ。司馬遼太郎作品では巻数が多いものはほとんど読んだが、この著者の場合5巻を超える大作だと「ど下手」になると気がついて読まなくなった。
新聞連載小説の悪癖というべきか。つまらん挿話が延々と続くようになる。碩学というより雑談の独り言という感じすらする。
逆に10巻を超えるあたりからシリーズとして小説世界が深みを増し、面白さが最大化されるのが池波正太郎だった。「剣客商売」「鬼平犯科帳」など一気に全巻読破したものだ。


だから半村良が構想した「ムー大陸物語」80巻には飛びついたが、結局20巻で終わってしまい実に残念だったという記憶がある。それをおちょくるように、私は100巻の物語を書くと宣言した栗本薫の「グインシリーズ」は彼女が絶筆する最期まで付き合い120巻余を読み切った。(ただし、この超大作も70-90巻あたりは実にダレた凡庸な展開で読むのに苦労した)
翻訳SFで今でも発行が続いているペリーローダンシリーズは350巻までは付き合った。というか読了したのは290巻くらいまでで残りは積読のままになったが。今では500巻を超えているようだ。再開する気にはならないが。
ともかく長くて終わりがない話が好きなので、ラノベの選択基準は最低10巻は発行されているものだった。

最近の一気読みはこちらで13巻まで読んで、続きが10巻貯まるのを待っている

アニメ化もされた人気作品 アルファポリス社

ラノベは10代後半から30代くらいまでが購読対象で、売れている本(このデジタル社会で出版物なのだからすごい)を読むとこの世代の価値観が見えてくる気がする。特に売れているお話の特徴を挙げると、悪役がわかりやすいクズ女神・人として性格破綻した王女などこれまではヒロインとして扱われていたものが「ダメ」なやつになる。ダメな勇者を多く登場し、人類のためなどと無駄な正義感を主張するが、やることは自己満足と承認欲求の解決。その逆で、これまでのステロタイプ悪役である魔王が統治者として優秀だったり、悪どい人類から弱い魔族を守るため頑張っているせいで、人族からは悪者扱いされる。
そんな、勧善懲悪ものを裏返しにしたような設定が人気になっている。まあ、現実世界では小物な悪党、小狡く低脳な政治屋が蔓延っているのをみると、こんな話でうさを晴らすのだろうなあ。あとは、ブラック企業で酷使されパワハラで悩み、異世界に転生して実力発揮できる環境になったことで充実した人生を送るようになるという、現代のお伽話も典型パターンだ。ただ、これは「浦島太郎」と同系統の願望充足小説とも言えるから、物語の形としてはラノベもおとぎ噺も同じかもしれない。

残念ながら最近めっきり活字を読む速度が遅くなり、そろそろ本を読むのが辛い時期になってしまったようだ。新しい長編シリーズに挑むのは無謀ということになる。それがちょっと寂しいなあ。

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まんじゅう専用加熱器

おそらく関西圏で住む人であれば、知らない人はいないほどの知名度があると思われる「中華饅頭」の老舗、551ホーライだが、基本的に店舗で製造して蒸しあげた饅頭を売っているので、再加熱する必要などほとんどないはずだ。
ただ、出張などで大阪に訪れた帰りに土産に買うチルド品は、しっかりと冷却してあるので無識やレンジで加熱する必要がある。ちなみにチルド品は通常店では販売していない。新幹線の駅売店や空港では温かいものと並行して、冷たいものも売っている。そして、そこでだけレンジアップ容器が別売りされている。面白いのが「電子レンズ用」というだけでなく、電子レンジ用「セイロ」であることだ。

電子レンジ専用の加熱容器は100円ショップをはじめとしてあちこちで販売されているが、野菜蒸しやパスタ、インスタントラーメンなどに使用するものばかりで、実は饅頭専用の加熱道具というのはあまり見当たらない。最近ようやくダイソー製が発売されたが、それとは見た目から違う威厳が漂うほーライ特製せいろだ。
赤い内部容器の下に水を入れてレンジアップする。下から蒸気が上がり単純なレンジ加熱ではなく、加湿加熱になる仕組みだった。これは相当期待して良いものだろうと、ワクワクしながらチルドの饅頭を温めてみた。

結果は、期待通りとはいかなかった。おそらく上記の出が少なすぎるのだろう。水を入れすぎたのかもしれないが、せいろで虫あげたようなふかふか記事にはならなかった。饅頭上部の皮は比較的固い。まあ、こんなものかもしれないのだが、期待値が高かっただけに残念だ。今後の改良に期待しよう。
この後ラップで包んでレンジアップしてみたら、その方が上手にできた。なにごとも簡単にしようとすると難しくなるものなのだな。

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落語に行ってきた

チケットと一緒に送られてきたチラシがそのままサイトに掲載されていますねえ

定期的に届くホール落語の案内をしばらく放置していた。コロナの間は全くと言って良いほどおハガキも届いていなかったが、ようやく届くようになったなあと思ったのは去年のことだったように記憶している。たまたま日程が合わなかったり、演者の好みが合わなかったりして出かけることもなかった。

今年の5月に届いたハガキで申し込んでみたら、人気者揃いのイベントなのにあっさり電話がつながりチケットが取れてしまった。よくよく考えれば、コロナを挟んで5年ぶりのホール落語になる。

新宿末廣亭によく行っていた頃、若き日の花緑が主任を務めていた日に初めて聞いた。演目ははっきりと覚えていないが地獄に落ちた亡者の話だったようだ。これが落語かとびっくりしたことがある。以来、日取りが合えば聞きに行く演者の一人になった。たい平も同じように末廣亭で初見して贔屓になった。やはり寄せに通って若手の話を聞くのは大切だなあ。
今回は、誰がどういう順番で話すのかが楽しみだったのだが、どうやら年齢の若い順のようだった。

落語はライブ芸であり、時事ネタを含めてマクラから本筋に入っていくところが楽しい。録画や録音ではこの「現在感」がなくなるので面白みが半減する。久しぶりに「ライブ」を堪能した。人によってライブの意味するものはスポーツ観戦であったり演奏であったりするのだろうが、自分にとっては落語に限る。

久しぶりに新宿末廣亭に行ってみようかと思った。しばらくは末廣亭の会員だったこともあるのだが、いつの間にか落語を聞きに行かなくなったのはどうしてだろうと、今更ながら不思議に思う。落語を聞きにいけなくなるほど仕事をしていたはずもないのだがなあ。

思い返せば目黒パーシモンホールで最後に聞いたのは談春だった。良い演目がかかる良いホールだが、ちょっと自宅からは遠いのだよね。ご興味のある方は(すでに終わってしまってますけど)下記リンクをご覧ください。

https://www.persimmon.or.jp/performance/sponsored/2024051017121059812.html

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AIで遊んでみた 2

これは随分リアルな風景に仕上がっているが、これだと駅は麓ではなく山頂にあることに……………
十勝岳連邦はこうは見えないよね

「富良野駅から北の峰スキー場まで伸びる空中鉄道 富良野駅は高層ビルになっていて、列車は高層階から発車する」 が画像生成の要求文で、それで出来上がった画像 WordPress搭載AIのものがジェの2枚。富良野の街はそれっぽい。

ピクサーアニメ風な仕上がりらしい 雪の女王の日本別邸という感じだろうか
駅ビルがダサすぎとも言える JR線路は無視してるしなあ

次の2枚がマイクロソフトの画像生成エンジンが生み出したものだが、上の画像は駅から……………の説明に高層ビル入れていない。下は高層ビルを加えたもの。

画像生成エンジンの違いで随分違った仕上がりになるものだ。現実の風景を思い出してみると、一番近そうなのが上から2枚目。4枚目はもはや空想の世界になってしまった感がある。

富良野駅云々に関しては、我が先輩から聞かされた「フラノビッグプロジェクト」の中身を簡単に盛り込んでみたものだが、先輩はこの手の話をChatGPT相手に相当深くまで遊んでいるそうだ。
昔はこの手の絵が不動産の折込チラシでよく使われていた。仮想の住宅環境を描いたもので、もちろん人の手で描かれていた。なんとも不思議な時代になったものだ。ちなみに、マイクロソフト社の説明によると説明が長く複雑であればあるほど、絵の出来は良くなるらしい。おまけに、画像の仕上がりも写真風とかフランス印象派的に仕上げてとか、書けば書くほど良いそうだ。巨大ロボットを、永井豪の作品風にとか、手塚治虫風にとか書いても理解してくれるのだろうか。
確かそろそろ大手IT企業による国産AIが稼働開始するはずだが、それは元になるデータの読み込み情報が日本語だから、もう少し日本的絵柄になるのかもしれないな。

暇人の時間潰しと言われかねない、怪しい道楽になりそうだ。

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時代を懐かしむ

今更ながらなのだが、youtubeのコンテンツは、ほとんどエンサイクロペディア、百科事典化していると気がついた。Wikipediaと合わせて動画版百科事典という補完関係にあると思う。そう思うきっかけになったものが

これだった。

米国炭酸飲料水会社の宣伝をしたいわけではないが、やはり世界企業は宣伝にかける資金が潤沢だ。このクリップ集に集められた30秒CFの制作費は億単位だろう。ほとんどがロケ撮影だし、天候の予備日などを考え合わせると、「映画本編」を撮るより金がかかりそうだ。

テーマはそれぞれの時代に合わせた「流行りもの」になっているし、その時のファッショントレンドに衣装がはまっている。髪型やメイクアップの仕方も含め時代感がよく出ている。作り物ではないレトロ感とでもいうべきだろうなあ。

一方、映像のテーマは人類普遍のものだ。家族、友達、仲間との共有する時間、空間を彩る笑顔のオンパレードだ。アメリカンな、あるいはグローバル企業の「良い部分」「キリスト教世界の善良なる部分」が確実に反映されている。

歴代CFを並べてみると気がつくのが、登場する人物造形で男はメガネくんが多いが、女性はメガネなしが多い。歯並びは全員が綺麗なもので、美意識がグローバル寄りのように感じる。米国的イケメンは、やはりクラーク・ケントなのだと思う。この辺りは日本CMにおいて意外と統制されない隠れ条件だろう。
スポーツ・シーンが多用されているのも特徴的だ。米国的という感じがする。著名なCF、それも日本的な美意識で撮られた国産シリーズものCFとしては、ソフトバンクやドコモの映像が思い浮かぶ。
基本的に国産CFでは日本的「情緒」が優先され、スポーツ選手を使ったCFですら「運動」を映像にしたものは少ない。あのイチローですらスイングシーンなどどれだけ使われたかという感じだ。

そして、このCFに出てくる人物全てが満面の笑み。もし人類社会がこの笑みで満たされていれば戦争など起きるはずもないと思うほどの、完全なる「幸せ」ムードなのだ。
それを否定するつもりはない。笑顔を否定する社会に未来はないとも思う。
ただ、この「笑顔」の素晴らしい世界はちょっと眩しい、眩しすぎる。日本人的にはもう少し影の部分があってもいいのではないか、などと考えていて気がついた。ああ、この感性が日本映画の名作品、例えば小津監督の諸作だったのだなと。
そして、今風に言えば究極の陰キャに時々落ちていく寅さんみたいな人が、影を持った人気者なのだと。確かにこのCF群の中に、寅さん的キャラは見つからなかった。確かに寅さんの笑顔ははにかみがちだし、この明るいコークの世界には似合いそうもない。

仕事をしている時に、こんなことを考えていたら間違いなく絶望的に落ち込んだに違いないと思う。(あまりの自分の実力の無さのためにだ)
が、今ではダメージも受けない。ただ、一本で良いからこんな映像を作ってみたかったなと思う。

随分と長いクリップ集なのだが、お時間のある時に最後まで見てもらいたいなと思いますよ。ご高齢の方専用ですけどね。

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AIと遊んでみた

現在使用しているHP作成アプリ Word Pressに、AIによる画像生成機能が付加されていて、一度「読書」という単語で画像生成して見たら、その精度に驚いた。そこでAI画像がどれくらい「シズル」「美味しさ」を再現できるものだろうかとあれこれいじり回して見たけ結果だが、それは実に驚くべきものだった。以下の画像はマイクロソフト社のアプリケーションを使い作成したものだ。
それぞれの画像を作り出した「素の言葉」は画像下に記載してある。

「ごちそう」で作成されたAI画像の2枚目

AIのロジックを考えるにあたり、やはり製造者の文化的背景みたいなものはあるのかなと思う。生成画像の元になる「原画像」をAIに食わせる時の考え方だったり感じ方が反映されるだろうからだ。
まず「ごちそう」で出てきたメニューがいかにもハイブリッドだ。米国西海岸か東京西麻布の小洒落たレストランで出てきそうなメニューというか食べ物の組み合わせだ。

「豪華な食事」
豪華な食事 その2

豪華な食事というといわゆる洋食のテーブルセッテイングが出てくるのもすごい。和食だと、器だけ見せて食事の光景にするのは難しいだろう。これも文化の違いか。どうも画像生成AIは開発された国の文化を色国残すようだ。
和製AIもそろそろ解放されるようだが、そのときの「ごちそう」は懐石とかすしとか中華料理(日本アレンジ)の影響下にあるのだろうなあ。

豪華な和食

和食を豪華にしたらどうなるか、鮨の大盛りか、懐石かと思ったら、出てきたものを見てなんだこれとなった。小皿がたくさん出てくるおばんざい料理屋か……………
これを見て「豪華」と思う日本人はいないだろうという気がする。料理へのピントの当て方も、なんだか趣味的というかギミック感じるけど。

フライドチキン

もう少し遊ぶ気になって前の仕事絡みでフライドチキンを作成してもらったら、なんとあのカーネル自慢のフライドチキンは登場せず、これは典型的なアメリカ南部の家庭料理的フライドチキンだなと思う。衣のカリカリ感がまさにアメリカンだ。

美味しそうなフライドチキン

それに「美味しそうな」という言葉を加えて見たら、なんとディップソース付きに変わった。おそらく骨なしフライドチキンで、これが現代アメリカ人の感性かよと思わず感心した。ずいぶんとわかりやすい美味しさだな。
これがAIの考える「おいしい」なのか。まあ、アメリカのフライドチキンは薄味なのでディップソースで変化をつけると確かに美味しい。肉に蜂蜜をかけて食べる感性は、日本人にはないものだ。日本製AIであれば醤油味唐揚げにマヨネーズになるのではないか。

Tasty Fried chicken

同じような言葉を英語で入力して見たら、これはちょっと重厚系なフライドチキンになった。同じキーワードを使って、再生成すると違う雰囲気の画像に変化するので、生成ロジックには幅というか余裕があるようだ。しかし、イメージ写真で使おうとすればこのレベルでまったく問題ないだろう。
おそらく「キーワード」を変えれば人物も登場するだろうし、食べるシーンもでてきそうだ。いわゆるバイト・ショットは、モデルを使っても難しい。動画の場合はもっと難度が上がる。それが簡単に合成されるとなると、これまではフードスタイリストとカメラマンにお願いしていた、プロフェッショナルな写真撮影はAIに置き換わるのだろうか。
プロのモデルを使った食シーンなどもAIでできるとすれば、これまで自分が習ってきた広告表現技術など「オワコン」的テクニックになるのではないか。いや、現場ではもうすでにそうなっているのかもしれない。
この画像のコピーライトはどうなっているのだろう。引用元を書こうにもわからないというか、製造元WordPress社とか、マイクロソフト社AI製造ちか書くべきなんだろうか。

大手プラットフォーマーが画像生成AIをどうあつかっているか調べてみることにしよう。

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Amazonでたまに出会う喜び

Amazonでおすすめリストを次々とクリックして商品サイトの海を渡り歩いていると、たまに面白いものに巡り合う。ネットサーフィン(古いな)ならぬ、Amazonサーフィンだ。
何が面白いと思ったかというと、親戚の誰かが登場しているようなタイトル名だった。まるで従兄弟やその子供たちが主人公であるかのようなタイトルになっていたからだ。
佐藤さんとか鈴木さんとか、圧倒的に同姓の数が多い「姓名」が書名になっている本は見たことがない。政治家や実業家の解説本ではたまに見かける。「政治家田中〇〇の野望」みたいな感じだ。実業家であったり、スポーツ選手、アスリートの場合もよく見かける。ところが、小説のタイトルになった姓名で思い出せるのは「岬一郎」くらいだ。
話を戻すと、この親戚みたいな名前の主人公は悪徳公務員らしいではないか。そこに食いついてしまった。現代の公務員に悪徳者がどれだけいるのかはわからないが、水戸黄門の時代から「悪代官」は雑草のごとく無限に生えてくるので、「悪代官、後の悪公務員』はいつの時代もなくならなかった。
その悪代官の直系子孫とでも言うべき悪徳公務員の一員である市役所職員の話だというのだから、面白いに違いない。そして、現代の黄門様がどんなパターンで出現するか興味津々なのだ。
くどいようだが悪徳公務員は人類の生存とともに必ず発生する種族的原罪みたいなもので、撲滅するのは難しい。現代でもメディアで盛んに報道される(大抵は誇張され、悪者として姿が強化されているが)、公務員を筆頭に、国会議員、地方議会議員、官制エセ企業集団(某独立なんちゃら法人)など、悪もの集団は日本の人口の1割を超えるのではないか。
だから話のネタに困るほどの絶滅種になるはずがない。不滅性を備えた、人類最後で最強の集団と考えるべきだろう。そもそも善良なる公務員の方が、すでに天然記念物扱いして良いほどの希少種族だろうと個人的には思っている。(皆無ではないと信じたい)
ともかく、おいしそうな悪徳公務員の話らしい。ワクワクする。タイトルだけで、こんなにそそられる本に出会ったことがない。

悪代官はお話の最後で成敗されるのが世の東西を問わず小説の定石というものだが、このお話ではどうなるのだろうか。はたまた悪の限りを尽くして小市民たちを悲嘆の苦しみに陥れる逆パターンだろうか。
何度見ても題名だけで、実にドキドキしてしまう。この本を買うのは良いが、読んでしまうとこのドキドキワクワク感が終わってしまうので、ぽちっと押して注文するのを躊躇ってしまう。
このポチっとの一歩手前で迷うのも、Amazonショッピングの楽しみなのだが。三日ほど迷って(楽しんで)、結局ポチッとしてしまった。が、届いた本はまだしばらく読まずに積んでおく本にすることにした。

Amazonにやられて書店が減っているのは確かで、自宅周りで(自宅周辺の繁華街を含めて)書店は激減している。新宿や渋谷、池袋といった大繁華街ですら、本屋はどんどん減っている。(Amazonだけのせいではないと思うが)
書店でタイトル(背表紙)を見ながら、あれこれ考えて(妄想して)本を探す楽しみは、もはや希少体験になりつつあるが、それを日本一の巨大書店Amazonで楽しむことができるように、サイトを改造してもらえないかなあ。
Amazon内の散歩ツールは「おすすめ・リコメンド機能」の発展系で作れそうな気がするのだが。VRゴーグルを使った擬似体験は全く希望してないので、そこのところは間違えないで欲しい。

参考までに、この本のAmazonアドレス  https://amzn.asia/d/7wf32i7

発行元である小学館のアドレス https://www.shogakukan.co.jp/books/09453029


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モグモグタイムにヒンナなオソマ

冬季オリンピックで活躍したチームがモグモグタイムで愛用していた道北のお菓子をようやく手に入れた。3年くらい空港や土産物店で探していたが、いつも売り切れだった。たまたま、今回は空港のハズレに用事があり歩いて行く途中に見つけた。空港の土産物屋で良い配置場所を手に入れるには、相当な政治力が必要とされていると思うが、人気で売り切れの土産物を見つけるにはちょっと外れた場所のほうが確率が上がるのではと、ようやくながら気がついた。今後は難易度の高い土産物を見つけ出すためには、空港の探索ルートを変えなければいけない。
ちなみに最近のレア系人気商品は「生ノースマン」らしい。老舗の菓子屋が長年販売していた菓子をリニューアルかつ「生に改造」したようだ。これも空港のハズレにある店ではまだ販売していた。

北海道を舞台にした冒険活劇の連載終了後、あれこれコラボ土産もうまれているらしいが、作中に実物が登場した月寒あんぱんはなかなかの人気のようだ。札幌に住んでいればどこでも買える当たり前の食べ物だが、あんぱんという割には生地が薄くて硬くて「あんぱん」らしくない。
ただ、これが時々無性に食べたくなり銀座のアンテナショップに買い出しに行ったりする。なんとか全国区にまで知名度が上がり近場のスーパーで買えるようにならないものだろうか。金神様のご意向で全国販売していただきたいものだ。

ちなみに、この金神様コーナーは「ヒンナ・ヒンナ」無コーナーと名付けられていた。これも作中でよく使われていたアイヌ語で「おいしい」という意味らしいのだが、確かに食べ物が集中して展示されている。「美味しいものコーナー」的なことと理解できる。
ただ、その中に「これは、売っていいいのかな???」的なネーミングのものがある。食べていいとは書いてあるが「オソマ」だ。これも作中では、アイヌ少女がアイヌ伝統食を同行する元陸軍兵士にあれこれ紹介するのだが、その時に唯一認めた日本食が味噌だった。不死身の陸軍兵士が木の弁当箱に詰め込んだ味噌を持ち歩いていて、それを調味料として仕立てたアイヌ料理を「ヒンナ、ヒンナ」と楽しむのだ。
しかし、アイヌ少女はその味噌を「オソマ」と呼ぶ。確かに見た目は類似している。気になる方は、オソマをネットで調べて貰えば良いのだが………
商品名にするとは冗談みたいなノリの良さというべきか。買おうか買うまいか、随分迷って今回は諦めることにした。まあ、金神様は全体的にこの手の「濃いジョーク」が満載なので、原作のイメージを忠実に再現すると、こうした面白コラボ商品に辿り着くということだろう。決して北海道ジョークではないとは思う。……………多分

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時短レシピーの進化系

この本には大変お世話になった。特に、題名にある美味しい煮卵の作り方は、まさに天啓だった。何度もレシピー通りに煮卵を作り堪能した。冷蔵庫の中で1週間くらい熟成して食べてみたりもした。レシピー本に乗っているメニューを作ろうとすると、調味料を追加で買ってこなければいけないであるとか、ちょっとだけしか使わない食材が必要になったりすることが多い。結果的に、眺めて楽しむだけ、いつかきっと作ってみたいと思うだけの「幻メニュー」になる。
ところが、この本の中にあるものは、そうした初期抵抗値が少ない、あるいは全くないので、幻化する前に実現化する。冷蔵庫の中身で似たようなものがあれば、それで作ってしまっても良いというお気楽さがある。
一年に何度か本棚から取り出して、あれこれ見繕って作ってみようと思うレシピーが多い。料理本は古くなると使いにくくなるものだ。時代の好みみたいなものがあり、味付けも変わっていくから、古い教本的な料理本は買い替えたほうが良いと思っている。具体的に言えば昭和中期から平成中期までのの料理本は実用的ではなく、もはや史料的価値しかない。(個人的見解です)
ただ、この本は捨てる気にならない実用本で、おまけに休日前の夜寝る前にあれこれ眺めるにはちょうど良い。
今ではスーパーの食品売り場に行って、並んでいる安売り特価品を選択し、それを使ったレシピーを検索するのが当たり前な時代らしいので、レシピー本など廃れていくばかりだとは思う。ただ、この本のように「時短」というテーマで一括りにして、作り方や材料の選び方が並べてあれば、応用可能な実用本としての価値は高い。
一度麺つゆを使った煮卵を作れば、冷蔵庫内の調味料を使いカレー味とかマヨ・タルタル味とかケチャップ・トマト味とか変形は自由自在だ。色々な時短メニューの閲覧性を考えると、レシピーアプリをあれこれ検索するよりも便利さでは上だろう。
実用本として生き残るには、この本のような「本ではない使い方をされる本」みたいな発想が必要なのだと思うのであります。

註)ちなみにこの本の元ネタであるブログを見てきましたが、2020年が最終更新でしたので、現在はお休み中なのかお引越ししたのかもしれません。

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いつものランチ 日高屋

日高屋でランチにしようと思い、ふらりと近場の店に入った。季節限定商品もあるが、新作メニューが出ていない時にはマイ定番として爆弾炒めと半チャーハンを注文することが多い。ここ数年、冬場になると登場していたキムチチャーハンは、今年は登場しなかった。キムチチャーハンがあればそれにするのだが・・・。
爆弾炒めはキムチ味の肉野菜炒めのようなものだとが、見た目の赤さほど辛くはない。野菜炒めに白飯という組み合わせは、若い頃食べすぎたせいもあり微妙に避けたいメニューだ。ただ、町中華で野菜を食べたいと思うと、野菜炒め以外見当たらない(ことが多い)。だいぶ譲歩して八宝菜くらいだろうか。ただ、あの塩味のあんかけ料理があまり好みではない、という全く個人の嗜好の偏りもあり、野菜料理の選択肢が狭くなる。
だから、日高屋では爆弾炒めを連発してして食べることになるのだが、食べるたびに微妙に辛さが変わっているので(多分キムチの仕込み度合いのせいだと勘繰っているのだが)、毎回毎回、今日の辛さはどうかな?と楽しんでいる。辛さ控えめに感じた時には、ラー油を追いガケして味変するのも楽しみだ。
そして、半チャーハンを辛さ中和剤として合間に食べる。日高屋の炒飯は、意外なことに薄味なので、フルサイズ食べると食べ飽きてしまうが、半チャーハンであればちょうど良い。
ありがたいことに、半チャーハンを頼んでも、スープがついてくる。実は、この町中華定食におまけでついてくるスープが好物なのだ。できればラーメン丼で出してもらいたい。別料金でも注文したいと思っているが、どの店のメニューを見ても「中華スープ」などというものはない。具材が入った、卵スープとか、キクラゲと筍のスープとかになってしまう。飲みたいのは、チャーハンや餃子定食についてくる、醤油ラーメンの麺抜きみたいな具なしスープなのだ。一度勇気を出して、聞いてみようか。「チャーハンについてくるスープを大盛りにしてもらえますか」と。
まあ、町中華で飯を食べるということは、こんな好き勝手な妄想をしながらマイ中華メニューを楽しむことなのだと思うのですよ。