街を歩く

デートで焼き鳥

昔からよく来ているコスパの良い焼き鳥屋は、あれこれ営業努力の結果、子供を連れて家族がやって来るファミリーレストランより人気のあるチェーンになった。

ところが普段は土曜になど来ることもないので知らなかったのだが、なんとデートディナーの人気店になっている。

ちなみに土曜の午後7時.カウンター席はカ2人掛け11組あり、なんと半分以上がカップルで年齢は20 代から60代という感じ。

会話の少ない倦怠期?カップルとか、どうみてもバリバリの怪しい関係な感じもあり、人生の縮図を見るようだ。個人的感想と推測です。

さて、自分の過去を振り返ると、デートでガールフレンド?を焼き鳥屋に連れてくるのは、どれくらい付き合いが進展した後だったかと不思議に思った。半年付き合った程度で焼き鳥屋はハードルが高すぎた。

チラチラと観察していると、どうも酒はほとんど飲んでいない。定番の締め飯である釜飯を食べに来ている気配がある。

この店も一号店開店以来50年が経過したはずで、どうも子供時代に親と一緒に来てファミレス使いしていた世代が、焼き鳥屋ではなく飯屋として来店しているみたいだ。

オヤジ世代としては忸怩たるものがあるが、こうして釜飯屋として若い世代に支持されるのも生き残り戦略としては正しいなあ、などとほろ酔い気分で思うのでありました。

街を歩く

吉祥寺の餃子

全国あちこちに「みんみん」というあの餃子屋はたくさんある。暖簾分けで増えたということでもないようで、漢字で店名を書いていたりひらがなだったり色々とバリエーションもある。
そもそも日本の焼き餃子は大陸の料理ではないのだそうだ。ラーメンと同じで日本流のアレンジらしい。

台湾の友人曰く、餃子は蒸すものか茹でるもの(水餃子)が南方系の正式料理らしい。香港名物の飲茶の世界がまさにそれだ。
そして北方であれば、日本の餃子のように焼いたものもあるが、その形は端を止めない春巻きのようなもので、水餃子などのように皮を摘んでまとめたものは、焼いたりしないらしい。
日本では紅虎餃子房の鉄板餃子が北方系料理の正しい実践形式のようだ。あそこは大陸から厨師を呼んでいたから間違いないと思う。

オーソドックスな見え方の餃子でした

さて、この店で実食したのは大ぶりで皮が厚めの餃子だった。これぞお江戸的餃子という感じがする。可もなく不可もなし。文句のない普通の餃子でこれはこれで美味いものだ。餃子ランキングを競う三大都市、宇都宮、浜松、宮崎の好みを言えば、宮崎餃子が一番好みだが、お江戸の餃子は宮崎餃子の親戚筋というか似たような感じがある。

よく見えないけれどアサリ入り

餃子の追手に頼んだのがアサリチャーハンで、これは珍しいものだ。チャーハンに入る魚介系と言えばエビとイカが双璧をなすと思っていたが、アサリはすごい働きをしているのだなあと感心した。
どこかのラーメン屋で食べたニンニク醤油炒飯もなかなかは苦慮っ苦があったが、同ヤラっ炒飯世界ではあれこれと面白いことが起きているらしい。

混雑している店を嫌う癖があるが、たまには頑張って入ってみるのもお勉強になるなあ。

街を歩く

吉祥寺のお気に入り

メンチカツで行列ができる人気店だが、チャーシューの切り落としがうまいのだよね。

コロッケも実にコロッケらしい。

これが吉祥寺でいちばんのお気に入り。

その隣にある小体な和菓子屋で、幻の羊羹ではなく定番のモナカを手に入れると、それから何日間は幸せな気分になれる。こちらも吉祥寺に行けば、まず最初に立ち寄るお気に入りスポット。

30代になるまで、この街に住みたかったんだよね。

今だとちょっと賑やかすぎるから、たまにお散歩しにいくくらいでちょうど良い。

街を歩く

サイゼリヤ 

これが550円のランチ

サイゼリヤに続けて入ったので、ランチと定番ハンバーグを比較してみた。

ランチハンバーグ オニオンソースはいつ食べてまうまい550円というお値打ち価格。

定番メニューのミックスグリルも同じような値段だから、ライスのあるなしだけかと思いきや、どうも皿が違う。

写真で見比べるとハンバーグの大きさも微妙に違うように見えるが。

まあ、どっちもうまいから文句はないです。

街を歩く

武蔵野うどん 固い麺と肉汁

「肉汁」とかいてにくじゅうと読む。にくじるではない。以前働いていた会社でCMのナレーションで読み方が違うというご指摘を受け、正しく発音するように変更した経緯があり、それで記憶に残っている。
現代日本語にはこうした発音の揺らぎという現象がたくさんあるようで、一例を挙げると喧喧諤々 (けんけんがくがく)がそれとのこと。喧々轟々(ケンケンゴウゴウ)と侃侃諤諤(カンカンガクガク)とがいりまじり、「けんけんがくがく」と誤用されるようになったそうだ。
この4文字熟語の読みを正しく覚えるのも大変だが、書こうとするともっと難しい。難解文字だ。それだけに間違いが発生したのだと思われる。
参考:NHK https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/148.html

ところが、「にくじゅう」ではなく「にくじる」と読ませることもある。武蔵野うどんのつけじるのことだ。東京都西部及び埼玉県に数多くある「むさしのうどん」店では豚肉の入った濃い味のつけ汁を「にくじる」と読んでいる。
もう一つの代表メニューがきのこ汁で、これは豚肉の汁よりあっさり目だがキノコの出汁が聞いているので味自体は強い。その日の気分で肉汁、きのこ汁を選ぶのだが、もう一つ難しいのが「カレー汁」という第3勢力が存在して、これも捨て難い味なのだ。
気の利いたサービスとして、100円追加で汁を二種類選べるという実に素晴らしいうどん店もある。

自宅から車で20分ほどのところにあるうどん屋は、地元客を中心に昼は行列ができるといいうのでピークを外して行ってみた。たまたま駐車項に空きがあってよかったのだが。食べ終わって店から出ると駐車場の空き待ちの車が何台もいた。埼玉県のうどん愛は素晴らしい。
この店も売り切れごめんなので、午後遅く空いた頃に行こうなどと考えると閉店していることもある。

さて、メニューを見てしばらく迷った。やはり、当然のようににくじる、きのこじるがある。カレー味もある。おまけに天ぷらうどんもうまそうではないか。
とりあえず初見なので絶対定番であるにくじるうどんにして、天ぷらを単品注文した。武蔵野うどんは地元野菜の煮物が付け合わせとなることが多いが、天ぷらはその高級版といったところで、今回は野菜天ではなく「ちくわ天」にしてみた。
麺は固い。茹で方が固いというより、麺自体が固い。アルデンテなどというレベルではなく、バリカタという言葉が思い浮かぶほどだ。もぐもぐと噛み締める。麺は極太なので汁との絡みは少ないせいか、汁の味付けは濃い。もぐもぐと麺を噛み、汁の中に浮かぶ豚肉を食べる。延々とその繰り返しだ。麺は普通盛りを頼んだが、それでも重量的には一人前より多い。
完食すると程よいどころではなく、激烈な満腹感を感じる。延々と麺を噛んだことで満腹中枢が刺激されるせいだ。

満腹にも関わらず、次はどこのうどん屋に行こうかと、食べた直後に思い知らされるのが武蔵野うどんの魅力なのだなあ。
ちなみに店内の男女比はほぼ半々。うどん好きにジェンダー問題はないのだ。個人的な観察ではおっちゃんよりおばちゃんの方が、注文している麺量が多いみたいだ。

街を歩く

浜小屋風の居酒屋にて

マグロのユッケは日本人が隣国料理を模倣した中で、最大級の傑作ではないかと思う

一時期流行していた魚居酒屋はすっかり鳴りをひそめた感がある。その中で、着実に店舗数を増やしているのだから、このブランドは唯一の勝ち組と言って良いだろう。
肉居酒屋?はメニューの特性上「盛りの良さ」が要求される。巨大ハンバーグや1ポンドステーキ、ハンバーガータワーなどが典型だ。
ところが魚居酒屋で「鯛の丸焼き」とか「マグロの全身盛り」みたいな巨大メニューはどうも人気がない。どちらかというとちまちまとしたメニュー、それもビジュアル的なものがよろしいようだ。

確かこの店も創業当初の頃は、これでもかという「舟盛り」の量が人気だったような記憶があるが、今では小細工著しい(褒めてます)色彩豊かな小盛り料理に主力になっている。
おまけにコロナ以降のスマホ注文システムを導入をしながら、外国人に優しくない日本語メニューなので、大都会の店でも外国人侵食率が著しく低い。これはなんとも有難い。
と思っていたら、隣の席に大陸系らしい団体客が入ってきた。さすが渋谷だ。大衆居酒屋にまでインバウンドが押し寄せてくるとは。もっっとお高い店に行って、じゃんじゃん金を浪費してくれれば良いのに。

ビジュアルけな鮨?寿司? これも西海岸の匂いがする

この店は平成中期の居酒屋離れ時代に生まれたコンセプトだけあり、チープシック、コスパ、和食回帰など、昭和がおわった後の21世紀仕様居酒屋として完成度が高い。
ただ、大都市圏では希少な魚居酒屋だが、地方都市に行けば地元の人気店があるはずで、そこと対抗できるのかと懸念していた。結論は、東京発祥のチープシック・コンセプトは若い世代を中心に、「魚」とはあまり強い繋がりを持たないことで支持されているようだ。
逆に大阪あたりでは、これのコピーコンセプトがぶいぶいと市場を賑わせているようで、東西の文化感の違いが遺憾無く発揮されている。個人的には大阪にある幾多の真似っ子業態の方が完成度は高いと思う。

やはりあまりゴテゴテと弄りまわさず、そして品物にも無闇に拘らず、訳あって高いという商品とコスパの良い商品を上手に取り混ぜて、ビジュアル系に徹することが令和の成功方程式みたいだ。我が身を振り返ると……………反省するばかり。外食の罠は深いなあ。

街を歩く

近くに開いたラーメン店を探索

隣町に本店のあるラーメン屋が閉店した後に、大阪発らしいチェーン店が開店した。最近、アチコチでこの看板を目にするような気がするが、おそらく「黄色の地に赤い文字」という強烈さが印象に残っているせいだ。屋号よりラーメンという文字が大きいのも妙な感じもするが、自分の店は何を売っているかを訴えるには合理的とも考えられる。
まあ、大阪あたりでブイブイいっている伸び盛りの店舗はいつでもこんな感じがする。ただ、それが全国区にまで成長できるのは数少ない。企業の力の問題ではなく、経営者が全国対応に飽きてしまうせいだと思う。だからラーメン中華業界で東国発、西国発のチェーン、どちらも全国区ブランドに成長することはほぼありえない。さて、この店はどこまで広がっていくのだろうか。

牛骨スープというのが違いらしい

とりあえず一番普通のラーメン、つまり看板商品を食べてみた。豚骨とは違いスープに臭みが少ない。ただその分、勢いも弱い気がする。豚骨の野卑だが力強いゴリゴリ感は感じられない。京都系ラーメンに近い感じがする。
ただ、豚骨系ラーメンが乱立する九州勢と比べてみると、やはりちょっとマイルドな博多ラーメンに近い。京都から北九州にかけてはさまざまな豚骨スープラーメンが展開しているが、まさに戦後、豚骨スープが九州から伝播する通り道でそれぞれに進化した感じだ。個人的には「博多ラーメン」が一番好みなので、京都系のドロドロ濃厚系はちょいと苦手だ。
この牛骨ラーメンは京都と熊本ラーメンの中間みたいだなとも思った。

普段は注文しない餃子も初回ということで頼んでみたが、やはり大阪あたりの餃子は肉少なめ野菜のカット細かすぎという感じなのだろうか。東京圏でたべる町中華屋の餃子のようにニンニクたっぷりということでもない。
埼玉の誇る「ぎょうざの満洲」の餃子は肉が多めだし皮も厚い。それとは対極をなすつくりだった。可もなく不可もなくといったところだろうか。餃子はローカル色豊かな食べ物だし、個店による偏差も大きい。自分の好きな餃子を見つければ良いだけだ。

実はラーメンを食べる前に気がついた大阪的な表現に笑ってしまった。「ほぼ全品」と書いてある。正直だなと思うが、この「ほぼ」という言葉の語感がなんとも何ともなのだ。言わなくてもいいのに、余計な一言という気もしないではない。行きすぎたカスハラ対策・クレーマー対策ということかな思う。軽い大阪的なノリから出たものであって欲しい。

余計なことだが、開店して1ヶ月しか経たないのに、全店実施の夏商品を売りたいというのはどうしたものだろう。少なくとも半年くらいは「看板商品」を押しまくってブランド定着をしたほうが良いと思うのだよね。
夏になるとラーメンチェーンのほとんどが盛岡冷麺推しになるのはここ数年の流行りだけれど、それは何年も営業して常連客がついた「古い店」に任せておけば良いと思うけれど……………
それでもとりあえず試してみるかな、大阪発の盛岡冷麺。

街を歩く

公園の脇にある焼き鳥屋

井の頭公園の入り口を見下ろす場所で

井の頭公園という言葉には微妙に反応してしまう。中学生の頃、まだ行ったこともない東京で憧れの場所がここだった。原宿でもなく渋谷公園通りでもなく、井の頭公園だった。吉祥寺という街を知っていたわけでもなく、中央線沿線が4畳半フォークソングの舞台だったことも知らない。井の頭公園は、絵本の中に出てくる夢の国のお城的存在だった。
理由は簡単だ。当時全盛期だった深夜放送のおたよりコーナーで、井の頭公園でデートをする(結局、失敗する)話が盛り上がっていたからだ。確か誘った女の子とボートに乗って、そこで何かプレゼントをすると関係が深まる……………という妄想ストーリーにワクワクしたものだ。
それから随分と経って、お江戸界隈で生息するようになり、初めて井の頭公園に行った時にちょいと甘酸っぱい気分になったものだ。
吉祥寺の駅から出て井の頭公園に通じる小道は、今やすっかり賑やかな通りになっていた。井の頭公園は観光客向けスポットとも思えないから、やはり原宿「竹下通り」的な散歩道・デートコースとしての盛り上がりなのだろう。

その公園入り口にある焼き鳥屋はいつも煙が立ち込め繁盛していたが、しばらく前に改装して小綺麗なレストランに変わっていた。ただし、メニューは昔ながらの伝統的なストロングスタイルの焼き鳥が中心で、小洒落たカタカナメニューなどかけらもない。ガツ酢など、居酒屋でオヤジが涙をこぼすほど喜ぶメニューも健在だった。

焼き鳥盛り合わせ、一人前4本を3人分頼むとこの量になる。昼時に食べるには十分な量だ。おまけに、隣の席では小学生くらいの子供が半分いるグループ客がいて、これはまさに焼き鳥ファミレスではないかと思うほどだった。
それでも客の半数以上は高齢者であり、中には自力歩行が難しいものもいる。それでもこの店に押し寄せるのは、若い頃の思い出なのだろうか。周りの客を見ているとなかなかほろ苦いものがあるが、逆にそれが老舗というものだろう。
二階席は座敷で、高齢者向けに厚い座布団というかクッションが用意されていた。眺めは二階席の方が良いのだが、次回は足に疲れのこない一階テーブル席が良いななどと思うほどには、歳をとってしまったのだなあ。

街を歩く

あんかけスパ のようなもの

あんかけ とは言い難いと思いますよ

久しぶりに家のものと洒落た喫茶店に行ってランチを食することになった。すでに全国展開を果たした名古屋発の人気店だが、喫茶店というより軽食レストランに近い。全盛期のファミレスはこんな人気ぶりだったなと思い出す。現在のファミレスはサイゼリヤを除いて、ほぼ全てが洋食屋ではなく大衆食堂化している。ハンバーグとピザを中心とした新・業態であったファミレスが、マグロ丼や天ぷら定食やラーメンを出す「なんでも屋」に落魄れた。
そこそこの味の商品はなんでもあるが、特別感は何もない希薄な存在となっている。おまけに最大手が低価格指向で始めた業態をどんどん値上げして、コスパんの悪いメニューになり、価格も高止まりし、ましてや食を楽しむ体験値も低く、ほとんど餌場ではないかと思うほど、全く印象に残らない「ダメ業態」にしてしまった。だから、ファミリーレストランは食の選択肢として最低レベルに落ちていると思う。(これと同等の過ちをしているのが上底弁当で騒がれたコンビニ最大手だ)
その隙間を切り開くように、ファミレスの代わりに軽食を食べられるちょっとお高い喫茶店が全国を席巻しているのだが、値段の高さが受け入れられているので、大量生産による食材原価の低減も不要だ。当然、ローカルチェーンの生まれる余地もある。全国で喫茶店戦国時代が生まれても良さそうなはずだが、なぜか名古屋発コンセプトの一人勝ち状態となっている。

理由はいくつかあるのだろうが、一番は喫茶店が長居をする場所として認められていることだ。混雑する居酒屋のように2時間制などとうるさいことを言わない。長居することがメインで、食事はおまけとまでは言わないが追加の楽しみという客の認識が強みだ。
第二にファミレス業界が手を出した悪魔の所業、アルコール提供を積極的にしない。これは客層を広くするための絶対条件だ。
第3に広めのスーペースを確保していることだろう。4人掛けのテーブルは意外と小さいので、実際にはふたり利用となることが多く、その場合は「広めの席」になる。
第四はリピート促進、つまり毎日来てねという仕組みづくりだ。週刊誌や新聞が多数置いてあるので、モーニング時間帯にはそれを読みに毎日やってくる常連客(高齢者)が多い。
などなど色々と理由は挙げられているが、個人的に思うことは喫茶店メニューらしい「シロノワール」という看板デザートの存在だろう。
昔々、これを試食するために名古屋まで行ったほどの伝説的な代物(デザート)だが、食べた後はなんだこんなものかと思った。それでも、このデザートには中毒性があるらしく、おまけに模倣者も出てこない。最近のオーバーデコレーション気味のデザートと比較すると実にシンプルだが、その戦闘力の高さは、結局のところ完成度の高さということに尽きる。

そんなあれこれ小難しいことを考えながら、さて昼飯は何にしようかと悩んでいたら、名古屋発のあんかけスパを発見した。実はこれが好物で、長年続けた名古屋飯探求の引き金にもなった名古屋名物だ。
ただ、注文して出てきたものを見ると、うーん、ちょっと違う気がする。あんかけスパというより肉なしミートソースというか、具なしナポリタンというか……………
まあ、でもこのオシャレ感溢れる造形がファンには納得できるのだろう。個人的な意見を述べると、「名古屋飯はこんなふうにオシャレになってはいかんな」と思う典型例だった。やはり当初の思いつき通り、シロノワールを昼飯にすれば(多少甘すぎるとしても)満足感は高かったのになあ、と反省した小洒落た喫茶店ランチでありました。

街を歩く

カツオたたきの押し寿司

よく行く中土佐町の居酒屋で季節メニューとして登場した、と思い込んでいた)、カツオのたたき押し寿司を食べた。店主に聞いたら定番メニューだとのこと、知らなくてすみません。
カツオの太巻きを土佐巻というが、この押し寿司は何と言えば良いのだろう。サバであればバッテラになるから、カツオのバッテラとでもいうのだろうか。
バッテラの語源を調べてみたらどうも鯖とは関係なく、最初に作られた形状から来た(ポルトガル語の小舟という意味)らしいので、カツオのバッテラと言っても間違いとも言えないような感じがする。

さて、これが大変おいしい。(個人的な感想です) カツオ好きでニンニク好きで押し寿司好きであれば、誰でも気にいると思う。土佐巻より好みかもしれない。それだけで食べとも美味いカツオを、押し寿司にするのはちょっともったいない気もするのだが、実はこの形の方がもっと美味しくなると思うのは自分だけ?

押し寿司は「押し寿司の型」を手に入れれば自分でも作れそうなので、今度挑戦してみようか。料理のヒントというのは意外とこんな思いつきなのだろうなあ。