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コロナの思い出

大正浪漫から昭和レトロに流行は映っていますが、時代劇ではない和服を着たヒーローは貴重だ

確かコロナの始まりの頃、本屋まで休業していて半年ほどまともに本が買えなくなったことがあった。その頃に売り出したのは、この大ヒット作の最終巻だったような記憶がある。つまりあの大ブームからもう5年近く経ったのだ。
政府の公式(非公式なのか)見解でコロナが災害級の大疾病から普通の病気扱いになたのがあ2023年だから、3年余りコロナ騒動に踊らされていたわけだ。
その3年となぜか記憶がリンクしている「炭治郎」の話だが、北海道と関係がある話だっただろうかと首を捻った。

札幌駅は現在新幹線入れ込みのため大規模改装中で、この手のタイアップキャンペーンの掲示物など置く場所もない。だから、これを発見したのは駅の隅っこで誰の目にも止まらないような奥まったところだった。最初は、何かのパロディーかと思ったくらいだ。
JR東日本が人気キャラと組んで関東の駅を回るスタンプラりーを毎年やっている。巨大人型ロボットやマジカルパワーを持った格闘家とか光の巨人とか年によってキャラは様々だが、鉄分の多い親と子供がまわっいる姿をよく見る。どうやら、それに模した企画らしい

雷ネズミの登場する世界よりリアリティーはありますからねえ でもなぜ札幌?

個人的には、少年誌には珍しい「滅してしまうのが当然と思わせる性悪な悪役」が、まさしく消滅される物語に感動した者だ。悪は滅びるためにある、という21世紀的価値観の発露だと思うからだ。100巻を超え迷走を続ける海賊の物語は、退治された悪い奴が全員復活してくるという悪夢のような展開になっているだけに、この一切妥協なしの消滅は小気味が良い。

ゲーム世界では、悪いボスが何度も復活して退治するのに時間がかかるというのは当たり前の演出になっているが、コミックの物語でそれをやられるとうんざりする。悪の組織は壊滅された後、復活してはいけない。仮面ライダー世界では次々と新しい「悪の結社」が生み出されるが、せめてああなっていてほしい。光の巨人の世界は、どうやら平行宇宙らしく、新しく光の巨人が生まれるたびに、新しい「怪獣世界」も乱されている。科学特捜隊が第二世代や大三世代にはならないで地球防衛軍や怪獣撃退特別集団になるのと同じだ。これが昭和から平成にかけての勧善懲悪ストーリーのお約束だった。
そして令和のヒーローストリーは続編を作らず、完璧に終了する。これが良い。日本のエンタメ制作者の進化だ。明らかに生まれた時からヒーローストーリーで育った世代が、制作の責任者・統括者になり、昭和時代の制作者が抱えていた「戦争批判」「皇国史観批判」から自由になったせいだろう。

次の世代のヒット作、あるいは時代のアーキタイプは、怪獣を退治した後の死体、つまり生ゴミ処理専門家が怪獣退治のヒーローになっていく話だと思っているのだが、すっかり生ゴミ処理の話が出てこなくなって、それが寂しい。Gの名がつく巨大怪獣シリーズ、二足歩行型鯨や直立亀型では対された怪獣の処理をどうしていたのだろうか。解体し運搬する最中でも腐敗は進行するだろうし、大量に溢れ出した緑や紫の血液、体液は環境汚染物質として甚大な被害を河川に及ぼす。
怪獣退治は自衛隊の責任範囲らしいが、後処理は厚生労働省と環境省という、二大ダメ官庁の所管かあ。国土交通省も関係しそうだし。
どうやら炭治郎くんの後釜は、そんなダメダメ行政の尻拭いストーリーになりそうな気がする。となると、どれだけヒットしてもJRはタイアップしないだろうなあ。

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贅沢の極み 10年ぶりの天ざる

北米の合衆国、独立記念日です。ちなみに米国発のフライドチキン屋創業日も今日です。そばとは何の関係もありませんけどね。日本における2月の建国記念日は、明治政府という暴力革命集団が自己正当化のためにあれこれ策動した結果生まれた「人造記念日」だと思います。天の誕生日や子供の日のような、正当な謂れ?があるものではないと思うのです。
閑話休題であります。
貧乏だった学生時代から愛用している蕎麦屋チェーンがあり、あちこちに新しい店を出しては再開発で閉店するという、なかなか波瀾万丈な蕎麦屋なのです。その店でも開店以来、場所を変えずに営業している店舗が二店あり、一つは札幌駅近くのビル地下食堂エリア。もう一つが新札幌駅よなりの駅ビル地下にある。
今回は新札幌に初冬があり、昼飯時に老舗豚カツ屋でカツカレーを食べようと行ってみたら、なんとカツカレーはメニューになかったので、それではカレー南蛮だと蕎麦屋に向かったのであります。

ところが、席につきメニューを見ているとカレー南蛮は昨今の物価高騰の影響を受け、高額メニューの仲間入りをしていて、おやまあなどとため息をついていたら、なんとほぼほぼ同じお値段で低価格板天ざるがあるではないか。
今まで天ざるは超高級品と思い込んでいたのだが、野菜天を中心にした廉価版があったのだ。知らなかった。

ということで、カレー南蛮を放棄し天ざるをを頼んだ。記憶にある限り天ざるを頼んだのは10年以上昔で、赤坂にある著名な蕎麦屋で仕事の打ち合わせをした時以来だ。昔は貧乏すぎてもりそば以外はほとんど注文できなかった。
少し大人になり小金を持つようになっても、蕎麦は「もり」か「おかめ」と決めていた。単純に好きだからだ。若い頃の刷り込みとは恐ろしいもので、知人にご馳走できるくらいになった後でも、なぜか森しか注文しない習慣がついてしまった。
だから、今回はほとんど清水の舞台から飛び降りる級(おおげさだな)の贅沢をした気分になった。若干の背徳感すらある。
まあ、当たり前だが、結論として「てんぷら」と蕎麦はよくあう。おまけに廉価版という、少なめの天ぷらの量がちょうど良かった。大きなエビが2匹も乗っていたら食べきれなかった気がする。どうやら、これは高齢者対応で生まれたメニューらしい。だが、文句を言っているのではない。逆にありがたい。シニア対応というのは、こういうさりげないサービスなのだろうな。
しばらく天ざるを食べ続けるような気がするが、その前にまずはカレー南蛮を制覇しておかなければなあ。

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居酒屋伝統芸の続き

カウンターに座りメニューを見るとやはりだいぶ値上がりしているなあという感じがする。コロナ前から見れば、感覚的に5割上がったというところだろうか。今思えば、平成とはなんと物価が安定していたのだろう。その前の昭和後期、狂気のバブル時代を思えば平成は消費者に優しい時代だった。もちろん給料はあまり上がらないが、物価も大して上がらなかった。家電製品に関しては昭和から平成にかけて半額程度まで値下がりしたものが多いほどだ。
少なくともパソコンの値段は1/3以下になった。順調に値上がりしたのはトヨタに代表される自動車メーカーの製品くらいだろう。当時買った日産サニーは100万円を切っていた。マツダのワンボックスは200万円だった。今では軽自動車ですら200万円を超える。それでも日産が潰れかかるというのは、よほど経営がダメなのだろう。
閑話休題。
メニューをよく見ると時代の影響がわかるものもある。イカ刺しは一番安くてうまいメニューだった。シメサバも安くてうまい定番で、マグロはそれより倍ぐらいの値段で当たり前という感じだった。マグロこそこの店の高級品だった。ところが今ではイカ・サバ・マグロはほぼ横並びになっている。
串カツも安くて美味しい看板メニュー?だった。それがなかなかの値付けになっている。(それでも十分にリーズナブルだとは思うが)
手間とか加工とかあれこれコストが上がっているのだとは理解できる。イカと鯖は不漁による高騰、マグロは在庫過剰による卸値下げの影響が大きい。

シメサバはこれくらいの量がちょうど良い。ただ、同年輩の友人たちと居酒屋に行くと、一皿のつまみをシェアして少量ずつ嗜む傾向がある。歳をとるとそれがどんどんひどくなってきた感がする。たとえばこのシメサバ一皿を3ー4人で分けたりする。一人一切れだ。思わず試食会かよと突っ込みたくなる。
確かにみんな歳をとって昔ほど量が食べられなくなっているのに間違いはないが、実に個人的な主張をしたい。この歳になったのだから好きなものは好きなだけ食いたい。多かったら残せば良いではないか。(エコでない発言です)
ただす、自分以外の皆さんは一口だけ食べてみたいという気持ちのようなのだ。自分とは欲求が違う形態になっている。それに楯突くのも申し訳ない。
などと思うので、ソロ飲みが増える。くだらない政治の話と、家族の話と、病気や体調の話が会話の中心となるとは、まさにジジイ社会の縮図なのだが。これもちょっと食傷気味なのだから余計ソロ飲みになる。
この日はシメサバ5切れ独り占めして実に満足した。普段であれば、イカ刺しを追加するところだが、最近のイカ不漁の影響ですっかり高級品化している。注文するにもちょっと気が引ける。おまけに注文しても出てくる量が昔のようなたっぷりモリモリではない気がする。イカを頼んでがっかりするのは忍びない。
そこで、今までの人生で一度も注文したことがないものを頼むことにした。

ハムエッグだ。おそらく昭和初期、卵がまだまだ高級品だった頃の「洋食」として人気があったのではないかと推測しているメニューだ。昭和も半ばを過ぎると卵は安価で安定的な食品となったせいか、卵焼きや目玉焼きは高級品からずり落ちた感がある。
が、オヤジ世代に卵好きは多い。自分の感覚として、ハムエッグとはホテルの朝食と思い込んでいるが、定食屋っぽい居酒屋(?)ではよく目にする。酒の肴としては不思議に思っていたメニューの一つだ。それを試すにはソロ飲みがチャンスだ。
出てきた目玉焼きはやはり専門家の手による美しいものだ。自分で焼く目玉焼きはどこか歪んでしまうし焦げていたりするし、酒の肴になるほどの完成度はない。これは実にビューティホーなルックスだ。

そして、面白いことに調味料は醤油にするかソースにするかを聞かれた。ノータイムでソースと言ったが、よく考えれば醤油で食べる人もいるのだなと気がつく。目玉焼き=ソースというのは個人的な刷り込みで習慣であるのだ。

半熟というほどには火が通っていない、とろとろの黄身を崩してソースと混ぜる。それをハムにつけて口の中に放り込む。確かにこれは飯のおかずにするのは勿体無いと思った。飲み屋でハムエッグが病みつきになりそうだ。
おまけに卵焼きも一緒に食べたくなる。卵は1日1個までという古い格言が思い出されるが、あれはどうやら嘘っぱちらしい。卵は食べたいだけ食べても問題ないというのが現代知識のようなので、次回はハムエッグ&卵焼きのツインパックにしてみよう。

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ホッケの季節

ホッケというと北海道の大衆魚でナンバー1の位置にあると思う。ただし、開きとして干物になった姿が一般的だ。昭和中期までは、同じように乾燥させた干物として磨きニシンがあったがニシンの不良と共に高嶺の花になっていった。今でもそれなりのお値段がする。ニシン漁は最近漁獲高が回復しているそうだが、おそらく加工の手間賃が高騰しているせいだろう。
さて、北海道の大衆魚としてのホッケだが、実は5ー6月が旬だ。昔、元漁師のおっちゃんにそう聞いた。ホッケは足が早いので刺身で食べることはないが、漁師はとれたてのほっけを刺身で食うのだと言っていたので覚えている。
開いていない生のホッケはあまり目にすることはないが、この旬の時期だけはそれなりにお安く手に入る。ただし、個人的には生ホッケは身が柔らかく、焼いて食べてもあまり上手くないと思っている。干してから食べるというのは先人の知恵なのだと思うのだ。

今回見つけたのは真ホッケなので道南ものだろうと思う。少なくとも日本海側の北家だろう。縞ホッケという種類も存在しているが、それはオホーツク海、知床半島周辺の者が珍重されている。羅臼ホッケといえば高級品で大きめの干物は贈答品にも使われる。
生のホッケとはいえ流石に刺身で食べるのは難しいだろうが、最近では寿司屋に行くとたまにお目にかかる。網で撮るのではなく釣り上げた者だという。カツオみたいな話だ。
確かホッケは大量に獲れるとすり身の原料にもなるのではなかったと思うが、定かな記憶ではない。

あまり目にすることのない「まる」ごと1匹のホッケを見て、ちょっとあれこれと興奮してしまった。そういえばホッケの卵の醤油漬けはうまいものだったなあ。

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伝統芸たる蕎麦屋で一杯

1年ぶりくらいになる。久しぶりのモッキリセンターだ。今年は昭和100年だそうだから、この店の開店、90年前というと昭和の初期になる。モッキリというのは、いわゆるコップ酒のことで、お江戸で言えば角打ちの店みたいなものだろうか。ただ、肴のメニューは充実している。カウンター席には昼からオヤジ族がのさばっているが奥には座敷もあり団体客がいたりもする。
昔は第一センターとか第二センターとかあったのかなあ、などと暖簾を見ていつも思うことだが、実際はどうだったのだろう。

メニューは昭和のストロングスタイルだ。小洒落たカタカナメニューは見当たらない。そして、表の看板には書いていないが「そば」がうまい。そばが置いてある居酒屋は明らかに戦前の伝統を守っているといってよろしい。(えへん)
締めといえばラーメンといえば、ほうけもの扱いされる時代が昭和初期だ。いや、蕎麦屋自体が居酒屋の前身だったはずで、蕎麦屋が食事処に変わったのは戦争が始まり食糧不足になった悪しき変化らしい。米が食えないならそばを食えという、どこぞのマリーさんみたいなことを言ったおバカな政治屋がいたらしい。

この日は遅い昼飯を昔馴染みのラーメン屋でと思っていたのだが、なんと定休日だった。そこで、急遽予定を変更してこの店に来た。海苔のついたそばを一本つまみ、蕎麦つゆにつけ啜る。それから冷たい日本酒を一口飲む。どうもこれが、昭和初期までの伝統的そば屋使用法だったらしい。
お江戸の町内には風呂屋と寄席と酒屋と床屋があったそうだ。そして食い物屋と言えばそば屋だったらしい。町内、つまり100m四方程度の領域で、江戸庶民の世界は完結していたのだ。その伝統的都市生活は明治政府の発足により急速に変化したが、その名残はあちこちに残っている。
占領軍たる明治政府軍人が急激に「江戸ナイズ」したせいだ。まあ、田舎から出てきた貧乏侍が大都会江戸の風潮に染まるのは、出世した気分を感じる最良の手段だったのだろう。無理も無い。豪奢な工芸品も没落した幕府用心から大放出され、成り上がり者の天国になった。そして江戸在住の旧幕府官僚はあちこちに放擲された。江戸文化の拡散は明治期に急速に進んだが、それは成り上がった田舎者たちのおかげというしか無い。
そのおかけの一面として、当時の属領たる蝦夷地にも蕎麦屋ができてお江戸の風情を楽しめるようになったのだ。北海道に残る老舗蕎麦屋は、そんな怪しいルーツを抱えているが、今ではその痕跡も見当たらない。すっかり高級化した料亭みたいな蕎麦屋が生き残っているばかりだ。
その蕎麦屋で一杯という良き風習を、この居酒屋が令和の時代に残していく最後の牙城になるものだろうか。まあ、蝦夷ではなく江戸の文化だけどね。

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蝦夷地のマイル・ゼロ起点

今日で今年も半分終わってしまう。なんとも加速度がまし時の流れが早くなっている気がする。子供の頃の1日はもっと長かったんだよなあ……………きっと

ここが明治政府による北海道開拓の起点になる場所

北海道開基150年などといってとぼけたお祝いしていた年は、戊辰戦争150年と「リメンバー:を誓っていた東北諸県の式典と同じ年だった。おまけにその年は、西国で明治維新150年などといって浮かれていた。同じ日本の中でも150年の振り返り方はいろいろあるものだと感心したし呆れもした。
最近ではようやく復権がなされたアイヌの土地を強制占領したのが北海道開基ではないかと思うからだ。現在は共存空間なる怪しい述語の博物館もできたが、基本的には差別と迫害の歴史から目を背けてはいけないと、北海道生まれ北海道育ちである自分は思うのであります。
同じ話は、実は南の果て、琉球王国の併合でも起こっている。おそらく言語的、文化的、DNA的に言えば琉球は広い意味での日本民族(その定義は曖昧だが)なのかもしれないが、歴としたとした政治的独立勢力だった。ただし、島津氏に武力制圧されていただから敗戦国の自治という部分もあった。
この辺りは1000年以上かけて行ってきたヤマト朝廷の侵略と統一の最終段階だったと考えることもできる。ところがそのまま、半島から大陸、そして太平洋へと進出していった能天気ぶりは、まさに古代ヤマト朝廷の征服メンタリティーの直系子孫とも思える。
それが150年を祝う西国のスタンスだとすると、これはちょっと危うい。まあ、その時の総理大臣が長州出身だったせいもあるとは思うのだが。
早く沖縄県や北海道選出の総理大臣が生まれて、歴史的な見解を披露して欲しいものだ。

この起点となる場所だが、創成川と呼ばれる因果の野鳥にある。近くには、今ではすっかり観光客目当ての施設になってしまった二条市場がある。要するに開拓時代の水運の拠点だったということだ。
札幌の中心部を流れる豊平川は札幌の街を東西に分断しているが(というより川の両岸に街が広がったということだろう)、そこから運河を引き込み交通の要所とした。これが明治以前のことだ。その後、小樽札幌間の鉄道を敷設し大港湾都市小樽と陸路で繋げ、北海道開拓の中心地としたのだが、水運の重要さに変わりがなかった。だから二条市場の近くに「狸小路」と呼ばれる繁華街、歓楽街、風俗地域が出来上がった。おえどでいえば浅草と吉原みたいな関係になるのか。
鉄道駅と北海道庁ははここから北に500mほど離れたところに作られた。これも全国あちこちの城下町で見られる、繁華街と官庁街の切り分けルール見たいんものと同じだろう。

その水運の要であった運河も今ではすっかり名残でしかない。全国各地で川に蓋をして暗渠にしてしまった暴挙を考えると、今でも水が流れているだけマシというものか。ちなみに、この皮を源流(南側)に遡るとすすきのエリアではかもかも川という可愛らしい名前になっていて鯉なども泳いでいるのだが、そのいわれはよくわからない。札幌の原型は京都の街にあるそうなので、鴨川加茂川をあやかったのかもしれないが。

この運河を作った方「大友さん」は銅像になっている。確かに札幌開拓の功労者であるし、明治前の開拓者の代表とも言えるだろう。今でも札幌の小学生は札幌の歴史を学んでいるのだろうか。ただ、それは明治政府とその後継者に都合の良い視点で書かれた「勝ち組」の歴史だし、それを鵜呑みにしてしまうのは危険だなと理解するのに自分は40年以上かかったのだよね。
でも、かの北海道開拓初期を舞台にした「ゴールデンカムイ」が、その偏った歴史観に一石を投じてくれたので、今の若い方はもう少し違った見方をしているかもしれないなあ。

たまには酒も飲まずに、真面目に哲学、歴史学的考察をすることもあるのであります。ただ、この後は昼飲みオヤジの聖地、モッキリセンターへ真っ直ぐ繰り出したのですがねえ。

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街歩きの風景

やはりブラブラと街中を歩き回るのは楽しい。何がしかの発見もある。今回の面白看板(提灯)はこちら。最初は通り過ぎてしまった。二三歩いってから脳内でようやく言葉が咀嚼されて、思わず振り返りもう一度見に戻った。
狸小路近くにあるホルモン焼きやの前にかかっていた。確かに札幌の街では塩ホルモンが一般的ではない。タレに漬け込んだホルモンをタレにつけて食べる。しかし、この塩対応というのは肉の処理のことで良いのか?
ひょっとして接客の放棄なのではと思い確かめてしまった。うまいなあ、と感心するコピーワークだ。まあ、ホルモンやで無言の接客、塩対応をされてもあまり腹は立たないかもしれない。高級焼肉店であれば「神対応」も期待したくなるが、庶民の味方ホルモン焼き屋であればなんとでもしてくれという感じだ。焼き鳥屋も塩対応が名物の親父がいたりする。
まあ、それも昭和の過ぎた風物詩だろう。

もうすっかり夏なのでホルモンを食べにいく季節だ。寒い時期にコートなど着込んでいると、ホルモン焼き屋では煙で燻されてしまう。夏のTシャツ一枚くらいの季節こそ、煙を気にせず汗かきながらホルモン食べるのが良いのだ。次回はこの店の塩対応を確かめに行こう。

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結局、もとにもどったなあ

食べただけでは塩味と思わない濃厚さ チャーシューの出来も良い

千歳空港にあるラーメン道場なるラーメン村?で順番に店を回り全制覇したのがコロナ前だった。その後、コロナの終息と共に客足が戻ってきて、あちこちの店では30分待ちの行列もできるようになった。コロナの間はどの店も待ち時間ゼロだったのだが。
行列してまで待つほどの味の差は、はっきり言って存在しない。どこの店も十分にうまい。接客はどこの店も愛想がなく「問題あり」だと思うがカスハラ騒ぎを起こすほどの酷さでもない。千歳空港内の商業施設は過去数十年にわたる従業員不足の歴史があり、どの店も等しく接客レベルは低いと思っている。
そもそも空港の人材プールは千歳市にあるのだが、この街は自衛隊とその家族が大半を占める「軍都」なので、働く人そのものが少ない。時給競争も激しく、店舗間での移動もよくあるそうだ。
だから、ラーメンの味も変わるのかというと、それがなかなかどうして安定している。個人的に思うのだが、そもそも料理人の調理数量が町場のラーメン店の比ではないほどに多い。そして、どの店もメニューをそれなりに絞り込んでいる。熟練度が増しやすい仕組みだから、どうやら味のブレが起きないようだ。
ということで、いちばんのお気に入りだった店に戻ってきた。それも、第定番の塩ラーメンだ。あちこちで浮気してましたが、すみません、戻ってきましたという感じなのだ。

この店では「我流札幌塩ラーメン」一択だろう。おまけは何もいらない。追加のトッピングも不要だ。熱々のスープに入った硬めの麺をすすることで、極上の10分間を堪能できる。味噌も醤油もうまいが、それは普通の旨さだ。

ラーメンいっぱいが千円を超す時代になったが、その10%は消費税だ。消費税が消えれば、千円を超えなくなる。そうなると明らかに消費が増える。1000円の壁は心理的、感覚的なものだから、実は消費に対する負の乗数効果が大きい。
まあ、自民党の頭の悪いおっさんたちは算数もできないから、消費税を無くしたら経済が良くなるという理屈がわからないらしい。議員の採否ではなく、自分で路上チラシ配りでもして稼いだ1000円でラーメン一杯を食べられないということを体験してみろと言いたいが、まあ、バカは死んでも治らないというからなあ。

1000円越えのラーメンを食べながら旨さの満足感はもちろんだgあ、政治屋の老害について腹立たしく思う不愉快さを同時に感じてしまい、ちょっと複雑な気分なのでありました。

千歳空港のラーメン店は行列の長さではなく、自分の舌でお店を選んで欲しいものだ。ねえ、ラーメン好きらしい自民党総裁のじい様よ。

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後悔したことの回収

全国あちこちを旅してきたが、一つ後悔していることがある。それは、ご当地ソフトクリームをもっと食べておけばよかったなということだ。
たまたま千歳空港でいつもとは遠く離れた搭乗口から乗り込むことになり、待合室の中をずいぶんと歩いてしまった。そこで、これまでは見たことのないアイスクリーム屋のカウンターがあるのを発見した。一度通り過ぎたのだが、10歩ほど歩いて戻ってきた。
北海道名物のソフトクリームと思っていたのだが、そうではない。今は製品の命名で使えなくなってしまったが、かの有名な全国ブランドの「コーヒー牛乳」がソフトクリームになっているではないか。
そのカウンターにたまたまオヤジが二人も並んでいた。ひょっとしてこれは高齢男性向けの商品?などと思い、ついふらふらと列に並んでしまった。コーヒー牛乳(古いなあ)では、他の乳製品メーカーのブランドもあるのだが、やはりこのスノーマークが一番信用できる。

バニラアイスとのミックスもあるが、ここは男らしく(ジェンダー問題を含む誤った表現です)オーヒー味オンリーにしてみた。見た目は、確かにいつものコーヒー牛乳っぽい。色もそれらしい。食べてみたら、一口目はまさに口の中に広がる杖対コーヒ牛乳味だった。再現性が素晴らしい。
二口、みくちとどんどん食べ進めると微妙な違和感が生まれる。舌がアイスクリームの冷たさのせいで麻痺しているので、コーヒー牛乳の柔らかい味が感じられなくなり、ただただ甘いだけのアイスクリームになってしまった。うーむ。コーンで注文したのでのんびり食べているとどんどん溶けて流れてくる。仕方がないからどんどん食べるしかないが、どんどん味がわからなくなってくる。
カップで注文してちびりちびりと食べればよかったのだ。

とりあえず、これからどれだけ旅をできるのかはわからないが、ご当地ソフトクリームをできるだけ食べてみたい。そしてその時には、コーンで注文せずに、カップで頼むことを忘れないようにしなければな。北海道であればメロン味とかとうもろこし味は存在しそうだが、ジンギスカン味とかタラバガニ味なんてやつは遠慮しておこう。利尻昆布味は……………いけそうな気もする。

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牛丼 理想系になるまで

写真を撮った後で紅生姜を3倍足しまして完成

羽田空港の第2ターミナルモノレール改札の横に吉野家ができて、たまに牛丼を食べる機会が増えた。自宅付近には牛飯やMはあるが、Yのつく店がないのでしばらくご無沙汰していた。都内に出るとどこにでもあると思い込んでいるので、実は牛丼屋で飯を食うことがほとんどない。ふと気がつくと一年んくらい食べていなかったりもする。
北海道から出稼ぎに出てきてそのままいついたこともあり、牛丼といえばYという刷り込みがある。当時の北海道には牛丼屋が存在していなかった。少年ジャンプで人気だったレスラーキャラの好物が牛丼であり、当時は幻の牛丼に憧れていたものだ。

その後、近くに飯屋が存在しない畑の真ん中の店舗で勤務していたため、おそらく一生分の牛丼と鳥から弁当を食べたような記憶がある。牛丼のスタンダードをその2年間で徹底的に学んだのだが、当時は汁だくなどという言葉は存在していなかった。夜の8時ごろに行くと、町と仕込みの最中に当たることが多くあり、仕込みたての牛丼の玉ねぎはシャキシャキ、仕込み直前の玉ねぎはクタクタみたいな見分け方?をしていた。仕込み前の残っているたっぷりと煮詰まった牛丼は実にうまい。これに当たるとちょっとだけ幸せを感じる。

さて、その懐かしの牛丼を再現してもらえないかと思っているのだが、最近は調理のコントロールが良いのか、煮えすぎた牛丼には当たった試しがない。実に残念だ。
ただ、今のタッチパネル式の注文ではご飯の量とつゆの量が選べる。コッテリ系のラーメン屋における注文呪文みたいなことができるのだ。そして自分専用の呪文といえば、ご飯少なめつゆ多めとなる。そうして出てきた牛丼に自分でベニ酒が大盛り、唐辛子大量投下すれば、カスタマイズ化完了だ。これだとアタマ(肉部分)と米のバランスが最適化される。普通盛りはコメが多すぎるというか肉が少なすぎるというかバランスが悪い。肉を多くするアタマ大盛りも、幾多のネット調査の結果を信じれば大盛りと言えるほど肉は増えていないそうだ。(玉ねぎは増えているらしい)

ずいぶん昔、Y社の部長さん(店長経験者)に聞いた話では、マニュアル遵守のため「つゆだくで」と言われても、「つゆだく。かしこまりました。」と返事をするだけで、実際には規定量しか入れなかったのだそうだ。マニュアル厳守時代のことらしい。今では、しっかりとつゆたっぷりになる。(自分の目で確認しました)

美味しい牛丼はカスタマイズするに限るのだよね。