街を歩く

満州を舞台にした悪党物語

画像は出版元 講談社のサイトからの引用です 現在21巻で、おそらく物語の中盤

戦後80年とか昭和100年と言われる、2025年はあれこれと戦前の話をするものが多い。右翼も左翼、どちらも自分たちの思想強化?教化?のために論陣を張っているようだが、どれも歴史というもの理解というか把握に課題があると思う。まあ、退陣する首相が辞めぎわに何をか言わんと思うが、同家のように戦後のおさらいをしたがっているのだから、日本人にはおバカが多いと言われても仕方がない。
今更、現代日本史を語るのであれば、せめて明治以降のイケイケどんどん制作を推し進めた巨大新聞の記事を見直し分析すべきだろうし、敗戦後の新聞の手のひら返しの論調の裏付けもとらなければならない。こうあれかしと思う過去を幻想し、ネットの中に落ちている都合の良い記述を拾い集めるなど、歴史を語るものがすることではないだろうなと思うのだが。少なくともとも保守派の論調に出てくる日本の伝統なるものは、その大半が明治期に作り上げた「新興習慣」であり、リベラルサイドがぶち上げる民主主義や平和主義などは、昭和中期以降に出来上がった概念でしかない。旧大日本帝国の生態を含め批判するのも賛美するのも、趣味の世界でやるには害がないが、押し付けるのは勘弁してほしいと思うのだ。

その大戦前の世界で、最も日本人の欲望が蠢いた地域が満州だったと思う。戊辰戦争に勝利した貧乏な革命日本政府が、ほぼ50年がかりでようやく手に入れた大規模植民地だ。その経営には、さぞかし気合が入ったことだろう。
当時の満州は様々な民族が入り混じって混沌たる社会を作っていた。大陸にいる華人ですら正規軍(革命政府側)と犯罪者扱いされた馬賊(革命武装勢力の一部)が対立し、そこに侵略勢力である帝国陸軍、そして旧清朝帝国の没落貴族が入り乱れ利権を争う、まさに混沌とした社会だ。
日本からは海外移住という形の棄民政策が推し進められ、現住する諸民族と軋轢を深めてている。法治などという言葉は忘れ去られた暴力世界だったことだろう。
その混沌社会の満州で、ケシを栽培しアヘンを密売する組織が、どう生まれどう成長していくかという物語なのだ。話の根底は不幸なものたちの集団が、社会の軋轢や差別から立ち上がる怒りがある。搾取される側から搾取する側に立ち位置を変えたいという渇望がある。その手段が麻薬中毒者を作り出し借金地獄に落とし込むことにあり、誰かを蹴落として自分たちが浮かび上がるという、カンダタの系のような世界だ。救いがないと言えば、確かに救いがない。少年誌では決して載せられない物語だろう。エロやグロを超えた「知らせてはいけない世界の存在」精密描写だからだ。

アヘン密売業者も悪だが、それを妨害する組織、帝国陸軍、華人犯罪者集団、地方警察、すべのがさらに悪どい「悪者集団」として描かれる。お話のどこにも正義は見当たらない、ダークファンタジーだ。だからこそ、人の心の奥底にある何かいけないものを見たがる精神に働きかける。
お話のゴールは大戦の敗北により帝国陸軍が敗走し、守るべき民を見捨てるあたりだろう。大陸と半島に在住した日本人の大脱走に紛れて、アヘン密売組織がどこで生き延びるのかが最後のテーマになりそうだが。案外と日本には戻らず、東南アジアあたりで麻薬王になりましたという落ちかもしれない。まだ話は中盤程度、この先が楽しみだ。
全巻一気読みをお勧めします。戦後80年をまとめる訓話(笑)より、よほど歴史を学ぶのに向いている良書であります。

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札幌が舞台の本 波よ聞いてくれ

画像は出版元 講談社サイトからの引用です

札幌を舞台にしたコミックはついつい読んでしまう。あちこちに出てくる街の風景を、ここはどこかと推理したり、ああ、ここに入ったことがあると納得したりする。
古くは「最終兵器彼女」の舞台が札幌と小樽だった。「テセウスの船」は札幌と近郊の町、「動物のお医者さん」では北大周辺、「チャンネルはそのまま」では旧HTV本社付近が登場する。
テレビ番組であれば、普及の大名作(大迷作)である「水曜どうでしょう」初期はは札幌と北海道ないのあちこちガロ蹴りになっている。ローカル深夜番組であり予算の都合だったらしい。(その後、舞台は日本各地、特に四国、そして海外へと広がる)
小説で言えば、イチオシが映画化もされた東直己「ススキの探偵シリーズ」で、原作のモデルにBARにはよく通った。(著者はこの10年くらい新作を発表していないのが残念だ)

さて、波よ聞いてくれというお話は、札幌の架空のラジオ放送局が舞台で、画風はシリアスながら途方もないほら話というか、ほとんどコメディーなので、真面目に読んではいけない。とも思いつつ、連載期間が長いこともあり、その間に起きた大地震と大停電をテーマにした甲斐もある。引きこもり女性の社会復活とか新興宗教法人の暴走とか、時事ネタもたっぷり盛り込まれている。
ただ、この本の一番の楽しさは「軽妙な会話」にある。その要因は、描き手の頭の中はどうなっているのだろうといつも驚かされる、日本語のアクロバット的誤用だ。チャップリンに代表されるスラプスティックコメディーをコミックの上で行なっている。日本のエンタメ界では、エノケンから始まりクレージーキャッツ・ドリフターズと続いたドタバタコメディーのコミック化と言えるだろう。(そう言えば、ドリフターズの直径後継者である志村けんの後、ドタバタ喜劇を演じるものはいなくなってしまったなあ)

現在は12巻まで発行済みだが、おいしく読むためには初版発行時の時事ネタを多少なりとも調べてみることをお勧めする。なーるほど、と思うことで楽しみは倍増する(かもしれない)

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スペクトラム の復活希望します

しばらく前だがネット上でスペクトラムという昔々のバンドが、動画サイトでヒットしているというニュースを見た。たまたま断捨離作業中だったこともあり、自分のCD/DVDコレクションの中からスペクトラムを引っ張り出して片っ端から再生した。うーん、いつ聞いても感動するなあ。
ホーンセクションが入ったバンドはほとんど存在しない。記憶にあるのは、シャネルズ改ラッツ&スターでメンバーが演奏していた。米米クラブでは専属メンバーにホーンセクションがあったくらいだろう。80年代後半から始まった演奏ではなく打ち込みによる楽曲作成術で、電子音もどきのソースは多用されたが、いわゆるホーンセクション、金管楽器の音はあまり使われていないようだ。(知らないだけかもしれない)
歌って踊るスタイルはジャニーズ系に代表されるアイドル路線では当たり前になっていったが、かなりハードめなバンドが踊るなど80年代には想像ができない。それだけ時代に先行していたコンセプトだったのだと思う。数年で解散してしまったが、その間もレコードは買い続けていた。あるときふと思いつき都心のCDショップに出かけて探してみたら、レコード全てがCD化されていて感動した。その場で全5枚を大人買いした。おまけでDVDも見つけて買ってしまった。我が人生で数少ないお宝となった。それが今ではネットで動画が見られるのだから、やはり時代は進んでいるのだなと、変なところで実感してしまった。

ネット世界で話題になっているニュースをあれこれ眺めていると、リーダーの新田さんがまだご健在だという。流石に再結成できるお歳ではないだろうが、プロデューサーとしてスペクトラム2(仮称)とか、スペクトラム Rebornとか、を誕生させてくれないものだろうか。ビクターだったらやってくれそうな雲するがなあ。

あれこれお騒がせした芸能人やミュージシャンがYoutubeで復活する時代なのだから、Youtubeで拡散したのをきっかけにゴローバル展開するミュージシャンになって欲しいものだなあ。

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滅びの国の征服者 という中年男の物語

画像はAmazonからの引用です ……………出版元の画像はリンクできませんでした

サラリーマン転生ものの話を続けるとして、最近見つけた傑作がこれだ。設定を含めてかなり骨太なストーリーになっている。背景世界も、おそらく現代文明が滅びた後に数千年から最長で1万年程度の後に再建された世界のようだ。人類が2種類存在し、現生人類の後継が大半で、少数派として長耳の人類亜種(おそらく遺伝子改変種)が北欧地域に追いやられながら生き延びているという感じだ。
そこに赤ん坊として転生したサラリーマン(引退済みか)が転生し、現世知識を活用して文明加速と新大陸への疎開を目指す。
ここまでをコミックで読んだのだが、当然ながらラノベの原作があり、その元は小説家になろうの任期作だった。ストーリー上でアニメ化を妨げる要素もなく、近いうちに制作されるだろうと思う。発行元がオーバーラップ社というちょっと変わった編集方針の出版社だから、主人公の性格は多少捻じ曲がっているし、世界を斜めから見るタイプだ。ジャンプ的な努力と友情と根性路線ではなく、マガジン的な予定調和的に活動し葛藤をあまり感じないタイプの主人公が活躍する話でもない。
どちらかというと転生前に不遇だったサラリーマンが、少年の肉体に宿りながらも中年の知識を保持しつつ、ゆっくりと肉体年齢にあった若い精神状態の戻るという、変形の輪廻転生にようる救いの物語だ。濁った中年サラリーマンの精神が浄化され若返るというのは、読者層の願望そのものだろう。
設定がよくで切れいるようで、物語の破綻も見当たらない。ばら撒きすぎて回収できない伏線というお粗末なものも見当たらない。おそらく原作は、大人が読める秀作なのではないかと想像できる。例えばA・マキャフリーのドラゴンライダーシリーズのようなものではないか。(あれはドラゴンの出現するファンタジー世界の裏側に、遺伝子工学と恒星間航行世界を支える科学技術という設定がある素晴らしい作品なのだが)

大人向けラノベ?という変な言い方をしたくなる良作であります。コミック全巻読んだので小説版に手を染めてみようか。

街を歩く, 食べ物レポート

今年のラスト冷麺

9月になると冷やし中華や冷麺が終わってしまう。それがちょっと悲しいなと思う。気になって幸楽苑のサイトを調べてみたら、まだ0面販売中とわかり、のこのこと出かけてみた。
見た目はゴージャス感がある冷麺だ。最近の幸楽苑は基本に立ち返ることを徹底しているようで、見た目も含めた商品の完成度はなかなかのものだ。冷麺や冷やし中華はやはり立体化したものが食欲をそそる。良い仕上がりではないか。
しかし、食べてみると難点下記になることがある。一つ目は麺の質だ。モチッとした食感はあるが、これは中華そばの範疇ではないか。冷麺特有の米粉を使った歯切れの悪に粘り感は感じられない。二番目はスープで、多分味が薄いのだと思う。麺と絡めると味がわかりにくくなる。
どうやら幸楽苑の商品開発チームは、冷麺をラーメンの変形として考えている節がある。おそらくそこが違和感の原因、大元だろう。そもそも冷麺のルーツは大陸本土ではなく半島北部であり、温かいラーメンと冷麺では「味の思想」が根底から違うはずだ。日本蕎麦のかけともり程度の差程度と考えてはいけないと思うのだが。冷麺風の冷たいラーメンとでもいうべきものに仕上がっているのが残念だなあ。
冷やし中華をこちらに寄せていくと面白いものになるのかもしれないなあ、などど今年最後の冷麺を食しながら思っておりました。

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満州でつけ麺は……………

まだまだ日中は暑い日が続いている9月だが、なんと冷やし中華は終わってしまっていた。個人的には冷やし中華は通年商品で良いと思うのだが、少なくとも5月の連休から10月いっぱいくらいまでは、冷やし中華の適性温度帯と考えて良さそうだ。
満州の冷やし中華は業態スタンダード的で安心感があるのだが、終わってしまったものは仕方がない。諦めて9月の限定商品「つけ麺」を頼んでみた。
結果としては、昨年に引き続き残念な仕上がりだった。つけ麺に和風も洋風もあるものかと思うのだが、この商品はなぜか和風というネーミングで、それはそれで良いのだが、つけ汁の味が弱い。
世間ではつけ麺が人気なので、とりあえずうちも出してみよう的な、完成度の低い仕上がりだなあと思う。確かに満州の客層は高齢者が多いので、そちらにシフトしているのかもしれないが、やはりつけ麺のスープ、つけ汁は濃厚感がある頑丈な味が良いと思う。麺の太さもスープの強さに合わせて太めにしないと、かの名店「大勝軒」が見せるスタンダードつけ麺とは比較にならないのではないか。
来年、ブラッシュアップしたつけ麺を登場させてくれると良いなあと思っております。

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渋谷の駅前 いつもの定点観測

渋谷駅前、ハチ公前広場の看板が変わっていた。イメージ的には若者向けらしい。日本語が見当たらないというのも広告的にはすでに当たり前の表現だが、にしても情報量を絞りすぎではないかと思う。
看板の後ろに建築重機が立ち並び始めたので、ここから一気にビルがニョキニョキと伸びていくことだろう。ただ、写真を撮った後で気がついたのだが、看板の前で必死に何かを訴えている集団がいて、また何かの募金活動でもしているのかと思ったが、よく見てみると宗教団体だった。
宗教団体の宣伝をするわけにもいかないとは思うので、しばらく待っていてもなかなか立ち去る気配もなく、写真を撮ってからマスクをかけるしかないと。

ただ、渋谷の交差点付近はすでに外国人観光客に占拠されたよう場場所だから、もっと日本人率の高いところの方が宣伝効果はあると思うのだけれど。
日本人に向けて、日本語表記なしの広告と、二位本後の演説を無視して通り過ぎる外国人の群れが、奇妙な対比として目に映った次第。渋谷は、Quiaな街なのだな。

その看板の裏側にある、旧東急百貨店東横店の解体工事は終了し事故避けの覆いも外された。JR山手線ホームから工事の光景が見えるようになり、現在は地下の基礎工事をしている段階のようだ。大型クレーンがいくつも建てられているので、この先は一気に鉄骨の組み上げだろう。外観ができるまではおよそ一年くらいだろうか。このビルの完成で渋谷駅周辺の再開発は終了になるはずだが、渋谷駅の工事は初めてお江戸に出てきた頃から続いているエンドレスなもので、またきっと新しい工事を始めるのだろうな。

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お気に入りの店で

新宿紀伊國屋本店の地下にある食堂街は、耐震工事の時にテナントが入れ替えになり一新された。今でも生パスタの店やカレーの店は残っているが、伝説的に混雑していた居酒屋は靖国通り沿いのビルに移転した。席数も増え使い勝手の良い店位になったので愛用している。
昼営業のランチも充実しているので、ビジネス利用ではたいへんありがたい。

店名の由来は知らないが、この漢字の音を当てた名前は、何やら昭和の怪しい時代によく見かけた。昭和の終わり頃から平成にかけてはすっかり廃れてしまった漢字の音当表て表記だが、どうやら昭和の暴走族がいなくなった頃とリンクしている気がする。当時の突っ張り少年も今や後期高齢者の仲間入りだしね。
平成はおしゃれな横文字、それも読み仮名なしのアルファベットだけ、というのがずいぶん流行った。レストランもクラブもラブホも、読み方のわからない店名で溢れていた。

この店のお通しは、実にお通しらし。どこぞのチェーン居酒屋で出てくる『工場製ポテトサラダ』をお通しにする暴挙とは程遠い。本来のお通しは無料で、料理が出てくるまでの繋ぎとなる小皿的なものだろう。今ではすっかり有料お通しが当たり前になり、実は居酒屋の経営は有料お通しの稼ぎで持っているようなものなのだがら、昭和が産んだ歪んだ食文化の代表とも言える。それでも美味いお通しであれば我慢もするが、工場製のポテサラやひじきの煮物などが出されると、腹を立てる若者が多いのは理解できる。(ちなみに年寄りは何十年も続いた風習に諦めしか感じない)
だから、このお通しはぴかりと光る。秀逸な一品と言って良い。

さて、この日はまず鱧の湯引き、茄子の煮浸し、地鶏の串焼きという、かなり健康志向の料理で始まったのだが、2ラウンド目になると同行者の強力な好みが発動され、テーブルの上はあっという間に茶色軍団な揚げ物で占拠された。
なんでも家庭では健康志向の食品しか出してもらえなくなり、こういう「脂に満ちた食べ物」は外食するしかないとのこと。付き合わされた身としてはコメントを控えるしかない。
クリームコロッケなど絶品ではあるが、どじょうの柳川とかお江戸の伝統的な料理もたくさんあるので、そちらの方を試してもらいたいのだけれどね。
もはや美味しい居酒屋は文化遺産扱いにして保護しなければいけないと思う、今日この頃であります。

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きつねとたぬき

甘く煮た油揚げが載っていればきつねそば、揚げ玉が乗っていればたぬきそば、というのが関東圏でのそば事情だが、西日本に行くとこの呼称が変わる。東西文化圏の差を端的に表す一例だ。
では、、油揚げと揚げ玉両方が乗っているそばはなんというのか。ムジナそばというらしい。ムジナとはアナグマのことで、たまに狸などと混同されるらしいので、たぬきや狐と同じように人を騙す動物?扱いになっているせいでの、ムジナそばなのか。まあ、もっと安直に決めた名前のような気もする。
そのムジナそばにこれでもかとトッピングを山盛りにしたのが「特選富士そば」だ。これはムジナよりも強力な「人をばかす動物」の名前をつけるべきだろうと思うのだが、どんな動物にがいるか。思い浮かぶのは、ぬえとかスフィンクスとか空想世界の動物というか魔物の類しか出てこない。
令和的なネーミングで言えば、「全部のせ」という即物的な表現で良いのだろう。言葉のあやみたいなものはどんどんと消えていく……………

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新宿駅東口 アルタ前

新宿駅東口のランドマークだったスタジオアルタは閉鎖され手直し工事が始まっている。これによって、地下通路からの上り口が閉鎖されたこともあり、実に不便なのだ。西口でも小田急百貨店の改築工事によりあちこちの地上向け出口が封鎖され、新宿地下街はダンジョン化している。せっかく新宿駅の工事が終わったと思ったが、永遠に工事の続くJR新宿駅という伝説は続く。
さて、東口にある旧アルタ前で待ち合わせる間に写真を撮ってみた。目の前を通り過ぎる通行人のおよそ1/3が外国人のようだ。夕方であり、歌舞伎町方面に向かう人の流れも同じ程度の外国人比率で、いったい彼らはどこを目指しているのか、とてつもなく不思議になる。
スマホで写真を撮るようになり、便利だったり不便だったり、色々と思うことがある。まずいつでもどこでもかなりの精度で写真が撮れるのはありがたい。が、撮った写真を見返すとあれまあと思うこともある。この写真も、その典型で写真の上下左右が歪んでいる。一番わかりやすいのは左側の街灯だろう。
スマホのレンズの特性(魚眼レンズ的な広がりが出るが、周りが歪む)なので仕方がない。薄暗いテーブルの上にある食べ物を撮るような近距離撮影には問題ないのだが、風景、遠景を撮るとこうなる。ちなみに望遠機能を使わないで最大画角で撮ると歪みは少ない。この辺りは一眼レフカメラより使い勝手が悪い。

フラットに撮ったものがこちら、西口の高層ビル方面にあたる。小田急百貨店が工事中なのだが、ビル自体の骨組み、外郭が立ち上がっているので、あと一年くらいでビルの姿は完成するだろう。そのあと、半年くらいで内装完了か。
この写真は周辺部の歪みが少ないが(望遠にしていないため)、夕方なので光の量が足りず暗い写真になってしまう。工事中のビルに望遠でピンとを合わせたあと、望遠を外すと光量調整が出来るはずなのだが、この時はスマホが光量対応しきれなかったようだ。
高機能一眼レフカメラとの対比をしても仕方がないが、スマホのカメラ機能はそろそろ限界みたいだ。この先についてくるのはAI編集機能なのだろうし……………