書評・映像評

大人すぎる中学生の物語

ラノベは基本的に中高生・ハイティーンにターゲットを合わせたジャンル小説であり、主人公は高校生であることが多い。アニメのヒット作品でも巨大ロボットモノや、宇宙開拓時代の戦争ものにしても、大人になり切る前の少年少女が大人からの圧力や干渉に悩みつつ成長する物語に仕立てられている。ジャンル小説とはそういうものだろう。そこから派生して大人向けのラノベも生まれているが、主流はやはり高校生主人公のお話だ。
その高校生主人公を取り巻く同級生に味方や悪役を配置し、大人の敵役(大抵は教師)もあれこれ面倒を押し付けるという設定は、学園転生ものとして鉄板の舞台になっている。
ところが、なぜかこの物語では主人公群が中学2年生でありながら、その立ち振る舞いは中学生をはるかに超えた成人に近いにものなっている。
それだけでも違和感があるのだが、出てくる悪役がこれまた性格に一貫性がない(これは物語世界では最大の欠点になるもので、悪は悪で一貫して嫌な奴でいなければいけない)妙に現実社会を映し出した気持ちの悪い者だ。
確かに現実の社会で、一方的に悪い上司などは存在しない。8割は嫌味でパワハラの塊みたいな奴だが、残り2割は上司に対して忠実だったりする。100%の悪など存在するのは物語世界だけで、だから約束された悪のい役割を完遂してもらわなければならない。
ところがこの物語は、領民から慕われている善良な領主が、領民を救うため異世界から転生してきた中学生を奴隷のようにこき使い、使い捨て、挙句に死亡放置するという存在になっている。悪の権化として君臨してくれない、ダメな悪役なのだ。おまけに、あれこれ戦略級の政治活動?を企てる主人公が、その悪徳領主に対する仕返しが、なんとね小便疑惑で恥をかかせるという、小学生クラスの悪巧みだったりする。
おまけに同級生でトップの勇者適性を持った奴が、中二のくせにハニートラップに引っかかり、夜な夜なセックス接待に溺れる。なんとも混乱した世界設定ではないか。

そのせいなのだろうか、Webサイトでの連載は継続しているが書籍化は途中で中断して、コミック版は書籍版いこうも続いているという不思議な展開になっている。
おそらくWEB連載は書き手の都合で好き勝手に書いていても読者はついていると連載は続けられる。(そういう媒体だからだ)
ところが書籍化すると編集の意見や校正の都合で、お話の中の辻褄合わせが必須になる。すると書き手がやる気をなくす。
それ以上にネットでは読者がいるが、金を出して描く書籍では売れない内容であったりすると書籍化が打ち切りになる。
現代のメディアミックス作戦の中では失敗作扱いだが、WEB連載さえ続いていれば、テキストの書籍が打ち切りになっても(つまり原作がなくなっても)、WEB連載ベースでコミック継続ができるということなのだろう。
コミック内でのあれこれ設定の異常さや、不都合さ、一貫性のなさはこのように理解できるのだが。

キャラの柔らかい見かけとは裏腹に、結構アブノーマルな世界が描かれる、本来は18禁勿お話のような気がする問題作であります。ちなみに発行元は双葉社なので、大人向け出版社が少年少女向けに乗り出してみたけれど、あれこれある年少者問題に気が付かなかったというのが案外当たっているのかもしれない。迷作というか怪作というか……………

書評・映像評

聖者が誕生するサーガ?

画像は講談社サイトからの引用です

WEBで連載されていたものが書籍化され、コミカライズを経てアニメ化されるという、現代日本のメディア戦術を順当に繋いできた典型的作品だが、全くそんなことを知らずに読み始めた。
中年サラリーマンが現世では死亡して異世界に転生するという設定は、やり直し人生願望をもつ「サラリーマン」の支持を得た文学ジャンルとして確立した感がある。もともと少年少女向けハイティーン)向けのジャンル小説だったライトノベルは、主にファンタジーやSF的設定がなされたい世界で生きる同世代の主人公に感情移入して楽しむものだったはずが、いつの間にか元ハイティーンを読者とする中年向け小説に拡散し進化したということだろう。
その昔は怪しい耽美小説などと言われていた少年愛を描く作品もいつの間にかBLと呼称変化がなされて、文学ジャンルとして確立したのと同様な変化だ。元・少年少女を対象にした領域拡大であり、そのジャンルに根づいた主客層を逃がさない、取りこぼさないというきわmて真っ当なマーケティング戦略でもあるのだなと思う。少年ジャンプを読んで育った高校生を対象にヤングジャンプができ、その後社会人に成長した元ジャンプ読者をビジネスジャンプで逃さずに取り込む。まさに、これと同じ作戦で成功モデルを作ってきた。
煽りを喰らったのは本来はコミックを卒業するはずの、大の大人が読む(はずの)ミステリーや歴史小説で、この手のジャンルではベストセラーが全く出なくなっている。かたや累計1億部などというお化けコミックもあれば、累計1000万部というラノベの大ヒット作と比べると、一般小説はもはや消滅しつつあると言っても嘘ではないだろう。

とまあ、現代の文芸世界をザクっと眺めてみて思うことは、中年サラリーマンを読者層に設定したサラリーマン転生作品が多いことだ。そして、概ねよく売れている。その中でも、転生後にサラリーマン意識を持ち続け、異世界との文化摩擦・価値観の転換・異種族差別など現代社会にも存在する課題をデフォルメして見せるものが人気作として大量変化する傾向が見える。
すでにラノベ界最大のベストセラーであろう「スライムに転生したお話」は、一般サラリーマンが世界政治を語るまでの存在に成長しているが、中身はほとんど事なかれ主義のサラリーマンだ。
この作品では生き残るため仕方なく選択した仕事が「人を治す」という社会貢献度の高い職業であり、いつの間にやら社会改革を目指す「良い人」として成長するという形式になっている。魔王と対峙して世界を救うという少年向けラノベのテンプレ展開を、大人にはあれこれ事情があって、下ネゴやらヨイショやらやらせやらという腹芸も使いながら、変形させちょっとほろ苦く仕立て上げた感じだろう。

おまけにこの物語に出てくる大人は、ほぼ全員腹黒い悪党、あるいは悪党もどきであり、完璧に信頼できるのは奴隷契約で結びつけた、決して裏切らない手下だけなのだから、ほろ苦さもかなり増している。
表紙に描かれた爽やかな好青年風の主人公だが、お話し場はかなり屈折している。これはコミックではなく、原作ん小説、それも書籍版を読むほうが良いのかもしれないなと思う「サラリーマン小説」でありました。

書評・映像評

言ってはいけない 

この画像はAI生成です

橘玲は鋭い知性というものを教えてくれる。知性は時に危険であり、感情で動く人々にとっては、耐え難い天敵のようなものだ。この著者はなかなかに峻烈で知に関しては怠け者を許さない怖い人なのだ。
著者曰く知性とは人生の救済について必要なものだ。だが、それと等価に大量殺人の手法も分析するものだ。知性は毒でもあり薬でもある。知性とは人類にとって非情なものであることをしつこいくらい突き詰めていく。
人の価値観は多種多様であると認めるが、知性の働きで生まれる「事象の分析」には、善悪などの価値判断は関わらせない。分析の結果をよしとするか、都合の悪いものとして葬り去るのかは、分析の優秀さや精度では決まらない。好き嫌い、自分の価値観にあてはまるかどうかで判断される。「正しい」分析とは「好き」な意見が書かれている。それだけのことだと切り捨てているのが人の世だ。
というのが著者の言いたいことなのだ。だから、価値観に当てはまる分析は「社会に受け入れられる」。嫌な分析結果は「不都合な真実」として捨てられるどころか否定される。

そして、その不都合な真実として切り捨てられる事象について著者は淡々と語る。世に存在する様々なタブー、語られると不愉快になる真実を取り上げる。それを世界のあちこちで行われた調査の数値を裏付けとして、不都合な分析結果を読者に突きつける。これは「痛い」。
彼はリベラルには優しくない。リベラル陣営の論者が、感傷論を政策に持ち込む点を冷ややかに批判している。だから、「人は平等だ」という、リベラル勢力のドグマを切って捨ててみせた。「人の能力は平等ではない」「人の能力は教育や努力によって改善されることはない」と知りたくない事実を曝け出す。ただ、リベラルの言うことを信じてはいけない、と言う論調ではない。だからと言って保守的な思想を擁護しているわけでもない。リベラルも保守も同じように救いのない「馬鹿者」といっているだけだ。


この本の中で人種に知性の差があるらしきことも、統計処理で説明してみせた。リベラルからすればあり得ない暴論だろう。昨今の北米政治の現状を見れば、歓迎される人種差別補強論になる可能性もある。しかし、著者は保守陣営の理屈も同時に切って捨てる。保守もリベラルと等しくバカだと。
そして、残酷で残念な分析結果の説明をした後に、彼はささやかな社会変革の可能性を提案する。
その「怪しいロジック」「禁断の世界分析」を楽しめるかどうか。それが、著者からの挑戦状なのだ。「あなたもバカですか?」と……………

知的アクロバットとはこう言う本のことを言うのだろうなあ。

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画像はAmazonからのリンクです
食べ物レポート, 書評・映像評

ナブラでご飯

プラカゴに入って売っているのはみかんだった

「なぶら」というのは業界用語で、カツオの群れをさす。高知に足繁く通ううちに、土佐弁のヒアリング能力は向上したが、それと合わせて「土佐言葉」「料理言葉」もカタコトながら覚えるようになった。自分にとって第三外国語は土佐弁と理解しているので、わからない言葉はともかく周りの人に聞く。言語習得には小学生並みの好奇心、向学心が重要なのだ。
その「なぶら」を冠とした道の駅がある。その中にカツオ専門レストランがあり、色々なカツオの食べ方を楽しめる。この地は高知県でも屈指のカツオ漁港であるだけに、観光バスに乗った団体客も押し寄せる。それだけではなく高知県内の観光、ビジネス、その他あれこれの通行人も群れてくる。まさに「なぶら」状態だった。よい名前にしているものだと感心した。

高知で定食を頼むと大抵の場合、沢庵がついてくる 沢庵ラブな県民性?なのだと思う

その「なぶら」の一角に入り込み、カツオで昼飯をすることにしたが、さすがにたたきを注文する気にはならない。前日、たっぷりとこれまたカツオの名所で、うまいたたきを堪能した後だった。
あれこれ変わり種のカツオ料理を物色してみたが、三色丼に食指が動いた。たたきとカツオそぼろとカツオカツの三点もりだ。たたきは普通にうまいが、カツオフライはいささか不思議な感じがする。ツナ缶をコロッケ状にしたような感じがする。ツナ缶コロッケと言われれば味の想像はつくだろうが、まさにそういう味だった。
そして意外に奮闘しているぞと思ったのがそぼろだ。カツオは熱を通すとやたら硬くなるが、このそぼろは調理の加減なのだろう、固さをあまり感じない。むしろ柔らかめの食感であるし、カツオの旨みがよく出ている。
売店でソボロが販売されていたが、確かにこれは家でも食べたい逸品だ。三色丼を堪能した。

高知では有名なカツオ漁船、明神丸の本拠地でもあり港近くにある加工場は体育館をいくつも連ねたような巨大施設だった。南洋で釣り上げられたカツオをこの町で一斉に加工しているとのことだが、小学生の社会見学に連れてこられたらカツオ産業に参加したくなるかもしれない。

高知県西部 四万十川流域はうなぎだと思うが、やはりカツオがメインだった。うなぎはサイドアイテム

店内ではカツオ関連商品がたくさん販売されていた。お江戸界隈ではあまりお目にかかることもないハラミの加工品があり、試しに購入試食してみた。珍味なのだろう。
しかし、POPに書かれている「攻め文句」が「お酒が進むよ♪」とは、なんとも高知らしい。このセンスは、敬服するしかないな。

書評・映像評

ワードプレスに悩まされています

文字変換がうまくいかないため、文章作成に悪戦苦闘するワードプレス利用者の男が当方くれる様子

ワードプレスの調子が悪い。バグなのか、自分のPCの問題なのか、はたまた知らないうちに設定変更してしまったのか。
文字を打ち込み変換確定すると、その単語や句が文頭に挿入されてしまう。変換完了するたびに起こるので、文章を作成するのがほぼほぼ困難だ。仕方がないので、エディターで文章を打ち、それをコピペして作成するという苦行中だ。
他のアプリケーションでは起こらない。サファリの中でも異常は起こらないので、ワードプレスのどこかに「変換完了文字は文頭に貼り付ける」機能があるとしか思えない。元に戻したいのだが、全くやり方が見つからない。

だらか解決法を知っていたら教えてください。

書評・映像評

長くよんできた本

延々と読み続けているコミックは多い。それでも途中で飽きてしまい読むのをやめることもあるし、作者の都合で掲載が止まることもある。前者は現在米国放浪中のサックス奏者の話で、主人公の勝手な性格についていけなくなったと言うのが、珍しい購読終了の理由だ。
後者であれば、異世界で凶戦士が自分の信ずるものを見つける旅に出る話で、描き手が突然亡くなるトイアクシデントのためだった。現在は描き手の仲間、弟子たちで話の続きが描き出されているのだが、やはりこれは読むのをやめようと思った次第。

引用元は小学館の紹介サイトから

そんなあれこれとは全く関わりなく延々と読み続けているのが、大人のサザエさんとでも言いたい名作「深夜食堂」だ。作中では連載中にコロナの時期もあり、コロナネタも出てきたが、基本的には平成中期で時間が止まっている。出てくる人物は変われど、その誰もが抱えるちょっとした人生の宿題というか問題があり、それを誰が助けるわけでもなく、悩み苦しみ解決に至る。時には解決しないまま本人がいなくなる。という、オムニバスで一話完結型のお話だ。
舞台は、どうやら新宿歌舞伎町のハズレ、ゴールデン街の一角らしい。まだストリップ劇場が現役というのが設定なので、客層もバラエティーに富んでいる。普通のサラリーマンも紛れ込むが、ユニークな裏社会の面々も多い。刊行ベースは一年に1-2冊なので、随分と長い付き合いになるが、主人公(たぶん)である食堂のマスターは全く歳を取らない。
小学館、講談社、集英社というコミック出版大手の中で、やはり大人の話が上手いのは小学館だなと思い至る根源的作品(ちょっと偉そう)だと思う。ご興味があれば電子書籍でも読めるが、大判の紙製コミックで読むことをお勧めする。高齢者の目に優しい小学館だな。

久しぶりに連載誌であるビッグコミックオリジナルを買ってみようか。浮浪雲とか釣りバカ日誌とか、大人のサザエさんストーリーが懐かしい。

コミックの購入サイトはこちらだけど、決して宣伝ではありません。念のため。あくまでご参考の便利情報ということで
 https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098628148  

書評・映像評

すでに昭和は歴史の彼方

画像はヤングマガジン公式サイトのものです。
明らかにダーク系にみえるが、中身は本当にダークストーリー。

久しぶりに衝撃的なコミックを読んだ。
時代は昭和初期の満洲。歴史的にはほぼ棄民だったと思える満洲開拓団の一員である若者が、戦傷して復員したあとにアヘン商売に手を染める。それを犯罪への加担とするか、人生の転落と見るか。現代の倫理観で言えば明らかに犯罪なのだろうが、当時はアヘンの栽培と販売は国家事業だった。帝国陸軍が最大の麻薬卸だというのだから、暴力団以上の反社会組織だったということになる。
闇のアヘン販売に手をつければ、アヘン商売を仕切る関東軍(帝国陸軍満洲派遣部隊)と青幇(中国の裏社会を牛耳る組織)の双方から追われる身となる。
明治後期の帝国陸軍による犯罪を描いた「ゴールデンカムイ」と似通った設定のようにも見える。「金神」は、それぞれの欲望に塗れた登場人物が、最後にはどんどんと死んでいく、かなりダークな物語だった。
清朝末期から昭和にかけて満洲を描いた名作には浅田次郎作「蒼穹の昴」シリーズがあるが、これも出てくるキャラが皆濃すぎて、おまけにほとんどが悲惨な末路に至る。浅田作品では珍しい、救いの薄い物語だ。
その二作と比べても、こちらの方がよりダークな展開になっている感じだから、少年誌での連載は無理だろうし、青年誌であっても中身はかなり重い。
昭和の満州を舞台に悪逆非道な関東軍、満州経済を仕切る経済博徒な満鉄、国威高揚を狙った宣伝工作に暗躍する満映。中国の裏社会を代表する青幇と悪役は揃いすぎるくらい揃っている。おまけに、中華帝国の中に組み込まれた異民族、モンゴル人が絡み合い複雑な抗争と人間関係が描かれる。
実写化されても映像化が難しいシーンも多い。その上、帝国陸軍を始め満州駐在の日本人は基本的に悪人扱いなので、シナリオ起こし自体が困難な気もする。
貧困だった時代の日本を振り返るという視点は、満州ものの作品に共通するものだが、ここまで日本を悪と突き放したストーリーも他に見た記憶がない。
同様に満州を舞台にしたコミックは村上もとか作「龍ーRON」があるが、こちらは主人公の設定のせいか、明るい物語だった。それと比べると、この満州アヘンスクワッドの暗さは強烈だ。

改めて思うが、昭和初期はすでに100年近く前のことで、すでに歴史的時代扱いになってしまった。某国営放送の大河ドラマでも明治を扱うことはあるが、そろそろ昭和が舞台になる日も近いようだ。敗戦による、あの時代のトラウマを感ずる世代もすでに大半が鬼籍に入り、ようやく感情任せではなく歴史的に語れる時期になったのだろう。
戦争の時代には同じ日本人でも、加害者であるものもいたし、被害者であるものもいたことを、冷静に語る人たちが生まれてきたということだ。
昭和中期には戦争を知らない子供たち、などという免罪符があったが、その方達もすでに後期高齢者となった。
戊辰戦争後の明治政府と昭和の軍閥政権は連続したものなのだが、なぜか昭和の政権だけが切り離されて「悪」として語られることが多いような気がしている。それも敗戦による民族的トラウマなのかもしれない。
悪かったのは日本人(自分達)ではなく軍部だった。暴走した軍部が国を滅ぼし、自分達はその被害者だ。というような解釈が、昭和の時代においては、暗黙の認識だったような気がする。
そのトラウマがない世代(おそらく平成生まれ)が、クリエーターとなって歴史検証を始めた。良作品だと思う。

公式サイトはこちら → https://magazine.yanmaga.jp/c/mas/

書評・映像評

文明再生 にハマる話

画像はオーバーラップ 公式サイトからリンクです
ちなみにどちらも獣耳キャラではありません。イラストと本の中身はだいぶ印象が違うのだけれど。

崩壊した文明を再興するという話が好きだ。一番最初に読んだのは超名作SFであるアジモフ作「銀河帝国の興亡」だった。次に感動したのはライバー作「闇よ落ちるなかれ」だが、これは文明再建というより文明の衰亡を防ぐという話だった。
子供の時に何度も繰り返し読んだ、サバイバルものの典型である「ロビンソン・クルーソー漂流記」がきっかけだったと思う。個人のサバイバルから人類、文明のサバイバルへと興味と関心が移った感じだろうか。
核戦争で荒廃した社会を描く「北斗の拳」よりも、崩壊した文明再建を目指す「Dr.Stone」の方が気に入っている。(どちらもお話としては大変面白い)
なので、この本の題名を見た瞬間、不見転で手に取っていた。題名が素晴らしいの一言に尽きる。「文明再生記」と書かれているのだ。読まずにはいられない。

お話は前世の記憶を持った転生者が、文明崩壊し中世レベルまで後退した社会にうんざりして、なんとか自分の知っている安楽で安全な社会を取り戻そうと悪戦苦闘し始める話だ。
主人公はまだ10歳の少年だが、前世記憶が残るせいか、やたら大人くさい発言をする。子供らしくない子供が、次々と失われた文明の技術を取り戻していくのだが……………というものだ。
文明再興における最大の道具は、本であり、識字率をあげること。つまり教育だというのがメインテーマのようだ。実に楽しいお話ではないか。ワクワクして一気に五巻まで読み切った。続きが早く読みたいのだが。刊行ペースは一年に二冊程度。完結するまでには何年かかることか。良作なのに。

そこでコミカライズされた原作を読もうと探しているが、書店では見かけたことがない。ラノベ作品に特有の事情で、書店の店頭で販売されているのはせいぜい直近半年で発売されたものばかり。ほぼ雑誌扱いなのだ。大長編化しているベストセラー(だいたい三十巻くらいになっているもの)であれば全巻揃っていることもあるが、十巻程度で完結した作品は、まず書店ではお目にかかれない。結局、本が欲しければAmazonで注文するしかない。
棚の数に限りがあるという書店の事情もあるだろう。ただ、おそらくラノベの読者の大半が、「紙の本」ではなくデジタルブックで読んでいるのではないか。となれば、書店に在庫があるかどうかはあまり問題ではない。
自分のことを考えてもコミカライズを読んだ後で原作を読もうとしたら、買う形状は電子書籍だろうなあと思う。便利でお手軽、いつでも買えるし、いつでも読める。

つらつらと考えるに、まさに本屋受難の時代なのだ。だから今回はあえて、「紙の本」を行きつけの書店で注文しようと思っていたら、なんとその本屋も来年では閉まるらしい。困った時代だ。文明再建はデジタルの波で邪魔されてしまうらしい。

「コミックのサイトはこちら →
https://comic-gardo.com/volume/4856001361321536399

原作の特設サイトはこちら →
 https://over-lap.co.jp/narou/865545739/

書評・映像評

隠れたベストセラー ラノベの発行部数

ふと気になって調べてみた。 今年上半期のベストセラーだが、一位は村上春樹作「街とその不確かな壁」で、38万部だそうだ。現代日本文学の高みであることに間違いはない村上作品は、発売とともによく売れるのだなと感心してしまう。昔のように100万部は届かないようだが、それでもさすがの村上作品だ。
紹介記事はこちら ↓
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023060100096&g=soc

発行元の新潮社サイトはこちら
https://www.shinchosha.co.jp/special/hm/

Amazonに載っている表紙

そして、こちらがアニメ化、コミカライズされたラノベ作品だ。 本編全13巻+外伝 と合わせてシリーズ20巻になる。Webサイトで連載された小説が物理的に印刷された書籍になったもので、ラノベはだいたいこのコースで商業的成功を収めるようだ。ただ、こちらの累計販売部数は550万部を超えるらしい。発行部数を巻数のあたり平均値で考えると一作当たり28万部程度となる。村上作品と比べて一冊当たりの発行部数では劣るが、それが20巻出ているという時点で驚異的な数字だろう。

https://over-lap.co.jp/narou/865540550/

Amazonに載っている表紙

村上春樹新作は3000円近い高額本だ。大学の教科書とか、学術書的な値付けだが、それでもベストセラーになる。単行本は高すぎるので、文庫化を待ち望んでいる人も多いだろう。
かたやラノベ作品は700円台だから、高校生の小遣いでも買える程度。そもそも発行部数を比べることが間違っている、ジャンル違いともいえる。
ただ、23年上期ベストセラーリストには、愛読している磯田道史氏の歴史解説本や橘玲氏の現代社会考察などの新書も含まれている。新書版の本は概ね一冊1000円以下なので、価格的な部分を言えば、村上春樹新作が圧倒的に別格なのだ。
ことのついでだが、ベストセラーによく顔を出す時事ネタ的な本で言えば、今年のランキング10位に「安倍晋三 回顧録」が入っている。


ところが「発行部数」だけで見ると、ベストセラーリストには乗らないようだが、ワンピースに代表される人気長編コミックの発行部数は、いつでもこの村上春樹新作の部数を超える。人気コミック作品の新刊は、およそ50ー100万部に近い数になる。
そして、典型的な隠されたベストセラーであるラノベの人気作品も、10巻で累計100万部越えなどという作品、シリーズものはザラにある。リアルなベストセラーは、まさにコミックとラノベの中に埋もれている。
大型書店に行けばこのことは明らかなのだ。すでに文庫本の棚とコミックの棚を比べると、コミックが圧倒的に優勢だ。文庫本の棚を見ても、ラノベの占める比率は相当なもので(書店員の選択テイスト?によって比率は変わるのだろう)、明らかに時代ものよりは多い。
そして、文芸作品などと言われる単行本は、すでに絶滅危惧種的な扱いだ。馴染みの本屋数軒を回ってみても、単行本の棚数は文庫本と比較して1-2割程度でしかないし、並んでいる本の大半は、おそらく一年以内に返本されるだろうと思われるラインナップだ。そもそも売れる本はロングセラーになる前に文庫化されてしまうから、単行本の命はきわめて短い。


書店の立場から見ると、紙に印刷されたテキストが大好きなはずの高齢者が読む本より、若者しか読まない(読者対象が少ない)ラノベ?作品とコミックの方がよく売れるということだ。ちなみに、人口比で考えると、高齢者は若者の倍に近い読者人口になっているはずだから、時代物とラノベの比率はある意味でおかしい。
これを説明するとすれば、高齢者は人口が多いが、本を読むのは嫌いな活字否定派ばかりで、若者世代は人口は少ないが読者率は高いという解釈になる。
おまけにラノベのかなりの部分は電子出版で販売されている。それにもかかわらず書店での陳列面積は、ラノベが優先されている。つまり、日本の書籍業界は、予想以上に若者向けに対応しているらしい。
書籍離れと言われて久しいが、本当に書籍から離れているのは高齢者を中心としたオールドタイマーである、と言えるのではないか。
若者を中心として紙に印刷された本は買わない「新しい読者層」が育っていて、紙ではない新しいメディアで作品を読む「ニューリーダー」が形成されているのは間違いない。

この二作の表紙を見比べるとあれこれ思うことはがあるのだが、黒バックに文字という表紙と、色鮮やかな美少女イラストの表紙は、まさに今の日本における書籍と読者というテーマが露骨に現れていると思うのだ。

追記:たまに平日の図書館に行くと、溢れているのはジジ(なぜかババは少ない)なので、活字好きの高齢者、特にジジは図書館で無料の読書を楽しんでいるのかもしれない。それはそれで、本屋にとっては役に立たない読者層ということになるのだろうが。中古本販売のブック〇〇も、ジジの姿が多いなあ。

書評・映像評

コロナとの暮らしを振り返ると

写真はイメージです (笑)
Photo by Dom Gould on Pexels.com

「深夜食堂」の最新刊(二十六巻)を読んであれこれ考えてしまった。このコミックはテレビ番組として何シーズンも映像化された。その後、映画にもなり、最新版はNetflixで放映された。新宿ゴールデン街にある(と言う設定)、深夜に開店する飯屋に出入りする人々のあれこれを描いた作品だ。物語の中で季節はうつろうが、年月は変わらない「永遠のサザエさん」状態にある。基本的に社会の変化は感じにくい、あるいは表現されない類の作品だろう。ところが、時事ネタどころか社会変化が重要なテーマになってしまった。

深夜開店する店だから、当然のようにコロナの初期は休業、あるいは昼間営業をするしかない。その当時のドタバタは前巻に描かれている。後々コロナと言う狂騒社会を検証する時には新聞や雑誌の記事などより、こうしたコミックの方がよほど参考になるだろうと思う。(テレビや新聞会社では最近流行りの捏造騒動が起きそうだ)

今回の巻では、そのコロナ社会が少し落ち着いて深夜営業を再開できるようになった時期、それでも客はマスクをかけているという微妙な時期にあたる。
一話ごとに、コロナの前と変わることのない庶民の暮らしぶりを切り取っている。人情噺が中心で、コロナに影響を受けて人生を棒に振ったような登場人物はいない。それだけに、マスクをかけている客たちの姿は、のちの時代になってこのコミックを読む読者には、コロナの時代にみられた特殊な社会状況を解説しておく必要があるだろう。
同じ社会混乱期の中で制作されたテレビドラマや映画をみてみると、マスクをつけた登場人物はいない。コロナなど全く起きていないパラレルワールド(並行世界)の話かと思いたくなるほどだ。確かに、演者たちがマスクをかけて登場すると、半分覆面状態だから顔がわかりにくいと言う物理的演出の問題もあるだろう。

ただ、マスクをつけてもドラマを成立させることは可能で、仮面ライダーなど主人公の戦闘シーンでは顔が全く見えない。敵役に至っては最初っから人の顔をしていない。また、アニメ的な演出をするのであれば、正義の味方(良いもの役)は青いマスク、悪者は赤いマスクなどで見分けをつけることもできるだろう。
だからこそ、コロナ時代の映像制作ではあえて意図的にマスクなしの社会を描いていたはずだ。撮影現場では政府の諸注意を守って撮影しています、などと言うテロップも入っていた時期がある。記憶にある限り、マスクをつけたり外したりするリアルな社会を映し取っていたのは、「孤独のグルメ」くらいではないだろうか。旅番組などではマスクをつけた出演者が動き回っていたが、あれはドラマとは違う類の番組だろう。
だからこそ、コミックというメディアの中で「マスク社会」のドタバタをリアルに記録した作品は貴重だと思う。10年後に紙媒体での出版が事業として残っているかは微妙な感じがしているが、電子出版は紙媒体と比べてはるかに作品の生存性は高いから、この作品が電子媒体ですら読めなくなることはないだろう。未来の読者に向けて「コロナの社会」とはどんなものであったかの解説文を、ぜひ巻頭に付け加える改定を行なって欲しい。

そんなことを考えていて思い出したことがある。先の大戦で宣戦布告が遅れたまま戦争を開始して、散々国民を煽っておきながら、最後には無条件降伏を受け入れ終戦するまでの期間が3年半あまりだった。コロナの狂騒期間は3年ほどだったから、大戦後に戦時の社会を振り返ってあれこれ議論が湧き上がったのと同じように、コロナ時代のあれこれ、馬鹿馬鹿しさを振り返るべき時がすぐにやって来る。
特に政治屋のバカっぷりと、一部医療関係者の売名行為、テレビメディアを中心とした扇動行為があったことを歴史の事実として記録し忘れないようにしなければいけない。ただ、このリアルな歴史が捏造され改変され記録されるのも目に見えている。昭和20年代に起こった右派左派それぞれの戦争の記録を読み返せば、同じことが起こることは容易に予想がつく。そして、悪徳政治屋はいつでも自分たちに都合の良いように歴史を書き換える。というか、都合の良い歴史を記録する。
別にこれは日本だけに限ったことではなく、人類が文字を発明した頃から延々と続く種族的な性向だ。人類は「嘘つき」がデフォルトな状態の生物であることに間違いはない。

とすれば、このような「コロナの日常」を設定にして、同時代性の高い情報を切り取っている作品は大切に保存しておくべきだと思うのだ。少なくともコロナ社会の狂気は、歴代の自民党政権・内閣で最強最長だった総理大臣、そしてその後継内閣を叩き潰したのだ。だからこそ、後世で語られるべき歴史的時代だったとも思う。
ついでに言えば、アフターコロナの自民党内閣は、先代の強さもなく日和見のくせに、戦後処理もまともにできない、歴史に残らない有象無象であるとも思うので、すぐにみんな忘れてしまうだろうなあ。

深夜食堂のサイトはこちら→ https://www.shogakukan.co.jp/books/09861634