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日本100名城をまわる 川越城

初めて行った100名城は川越城だった

旧城内は公園になっていることが多い

きっかけはテレビのバラエティー番組だった。100名城というものがあることを知って、本屋にガイドブックを探しに行った。ペラペラとページをめくっていると見慣れた地名がある。家から車で30分もかからない場所で、晴れた日で気持ちが良いというだけでその城に行ってみることにした。帰りにはどこかでうなぎでも食べようか程度のお気楽な気分だった。(ちなみにその街はうなぎが名物なので、お城を見に行くのは「うなぎ食べたさ」のための良い言い訳だった)

駅からは市内観光の循環バスでお城の目の前まで・・・。が、お城などどこにもないのだ。間違ったか?慌てて100名城ガイドブックを見直す。やはり正しい場所だ。後から分かったことだが、よくテレビに出てくるような城壁を持った天守閣のある城というのは、きわめて例外的存在だ。今、日本に存在する城は、城跡あるいは城跡に復元されたレプリカが大多数であって、戦国時代からそのまま残っているものは数えるほどしかないのだと。

戦国期に築城された城の大部分は、徳川政権によって大きな制限を受けた。新たな築城どころか焼失後の再建も許されないほど厳しいものだった。まあ、城郭とは戦争の時に篭る場所であり防衛拠点だから、政権側としては反乱の道具にされかねないので建築を制限したというのは理解ができる。
その後、戊辰戦争が終わり明治政府が旧体制、徳川政権側の城を叩き壊した。まさしく反乱拠点の撤去ということだろう。だから、東日本には戦国期、徳川期当時の城はほとんど現存しない。西日本に古城が多く残っているのは、西国出身社が明治政府を牛耳ったからだ。そして、わずかに生き残っていた城も太平洋戦争の空襲で破壊される。
だから、お堀に城壁に天守閣という美しい姫路城のような城は、ごくわずかの例外を除くとほぼレプリカ、復元ものだ。大阪城も、名古屋城もレプリカで、リアルに残っている代表は松本城。

これが川越城の跡

さて、最初に訪れた川越城は、そういった意味でお殿様の居住用の館しか残っていない。それでも館の中には執務スペース、居住スペースなど大広間がたくさんあり、現代風に言ってみれば20LDKくらいになる平屋、南側庭付き、日当たりよく眺望良好みたいなものだった。確かに、300年くらい前はここがお殿様の公邸だったわけで、それなりに感動もするが、でもね・・・・。これがお城?と言いたくなるのも確かだ。
わざわざ持っていった一眼レフが泣くぞというくらいビジュアル的には地味だった。

南向き絵のお庭


ただ、100名城ガイドブックを見ると、全国にある城の写真が紹介されていて、中にはイメージ通りの姫路城級の美形もたくさんあるようだ。せめて一つくらいはきれいな城を見てみるかと、何気なく始めた城巡りだった。
その後、本屋で見つけた、『新100名城ガイドブック』なるものを読むと、好評につきあと100個追加しましたみたいなことが書いてあり、新旧合わせて200名城であることが判明。100も200も同じようなものだとスタンプ求めて名城巡りを開始することになった。自分でも、全ての城を巡りきれるとは思っていないが(北は北海道から南は沖縄まで、おまけにあちこちの離島にも分散している)、観音様巡りも一段落したことだし、やってみますか的なノリで始めたのだが・・・。

お殿様の公室

さて、初めての城は「川越城」。徳川政権5代目綱吉の時代に、柳沢氏が治めたことで知られる。元々は小田原北条氏時代の武蔵国北方の拠点であり、また新河岸川の水運によって商業集積地としても栄えた「河越」。ここを越えると北は東松山から厩橋(現在の前橋あたり)、沼田に抜けて新潟に至る。戦国時代には河越夜戦で有名な係争地でもあり、越後から攻めてくる上杉氏への対抗拠点でもあったようだ。
ただ、城がない。お城の後は公園になり、道を挟んで向かいには博物館がある。近くには川越大師 喜多院もある。小江戸川越の中心地だったはずなのだが。

会議中の光景はこんな感じか

その後、城巡りを始めて理解するようになったが、城跡は公園になるか、県庁や市役所などの官庁になることが多いようだ。特に、地域の行政の中心で商業の中心(城下町)だった場所は、鉄道の駅がお城から離れたところに作られたこともあり、今ではすっかり寂れた昔の繁華街となることも多い。おそらく鉄道駅が近くにできて街の中心地であり続けたのは、江戸城・皇居くらいしかないのではと思う。だから、城跡をあるくと「兵どもが夢の後」的な感じが強くする。

介護用の広間らしい

川越城は観光地的な城ではなかったこともあり、その先のお城めぐりをするスタートとしてはよかった。この後に見て回った家の近くの城が、これまた随分お城のイメージを裏切る「山城」が続いたからだ。

山城に行くと、これって城ですか?という疑問が・・・

食べ物レポート, 旅をする

青森のうまいもの 郷土料理

津軽三味線ライブで一杯やろう

青森の飲み屋街のはずれに津軽三味線ライブの店があり、たまに立ち寄る。最近は団体客も多く盛況が続いているらしい。昔は席だけ予約して料理は適当に当日注文することにしていた。
ところが今回は夏休み中という事なのか、とても混み合っているので一人前のセットを注文してくれと言われ、まあ、それも良いかと宴会セット風にしてみた。

刺身の盛り合わせや一品料理が色々と出てくるので、面倒くささがない。それはそれで便利なのだなあと納得した。セット料理の困るところは自分の嫌いなものが入っていると途端に興ざめしてしまうからだ。特に最近は若い人向けに和食でもチーズを多用する困った風潮があり、帆立貝のチーズ焼きなどが出てくるとげんなりしてしまう。(チーズがうまいという人が増えるのは仕方がない、高タンパク、アミノ酸、旨味成分多しの食材がチーズだから、ダメダメなポテトもチーズで変身する。万能調味料だから仕方がない)

しかし、青森の郷土料理的ラインアップにはまだチーズが不参加だった。

その中でも一番のお好みはホタテフライとイガメンチ。津軽地方ではイカのゲソの唐揚げを郷土料理として愛好しているそうだが、最近のイカの不漁で「イガメンチ」の販売をやめる総菜屋もあるらしい。イカの有効利用として、食べ残されてしまうイカゲソを下足天にするのも良いが、イガメンチは是非全国で普及してほしい「うまいもの」だと思う。
ゲソをみじん切りにしてキャベツなどを合わせ小麦粉で練り上げたものといえば、全く旨そうに聞こえないが、実物はうまい。イカ好きにとっては好物なのだ。

青森の漁場は北海道南部とかぶるので、基本的に魚種は北海道と同じだが、微妙に味が異なる。北海道の方が、より日本各地の料理と混血し、かつ乱暴(手抜き)なので、干して焼いただけという焼き魚が多い。酒粕につけたり味噌につけたりという料理は、やはり日本の伝統的な食べ物だろう。(北海道は日本に帰属してからまだ150年)

青森名物ホタテの貝焼き味噌は、個人宅では専用巨大帆立貝の貝殻が用意されているようだが、営業用にはステンのホタテ型皿で調理。味噌とホタテの組み合わせは、なかなか捨てがたいものがある。一時期はホタテが相当な期間、不漁だったようだが、今では戻っていいるらしい。青森郷土料理にはホタテはエース級なので、めでたしめでたしというところ。予想していた以上に火を通すのでちょっと煮詰まったくらいで食べるようだ。

「たか久」は団体客によっては入れないことがあるので、事前予約がオススメ。ほぼほぼ住宅地の中にある不思議な場所で、もう一軒飲みに行こうという時にはちょっと歩かなければならない。青森駅からだとタクシー利用が無難なほどの距離がある。津軽三味線のライブを見て、ねぶた祭りの体験もできる賑やかな店だが、料理も十分に楽しめる高いレベルだと思うよ。大間の本鮪とかウニとかも良いね。

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奥州街道の終わり 善知鳥神社(うとうじんじゃ)

善知鳥神社(うとうじんじゃ)というのは読み方が難しい。青森市の繁華街のはずれというか、元の繁華街の中心地らしい場所にある。ふらりと町歩きをしているとたまに行き着く特別な場所があるが、まさしくここがそうだった。

うとうじんじゃの入り口

ホテルに戻る途中に飲み屋街の小路を適当に曲がったりしていると行き当たった神社だった。津軽地方の中心地は弘前で(お城があった)青森は、陸奥の果て、そして蝦夷への渡航地的な認識があった。だから、江戸時代には青森は出先機関がある場所だったはずだ。
明治以降の蝦夷の開発に伴い青函航路の需要が急増し、青森は交通の要衝の地となった

奥州街道終点記念の碑

では、この善知鳥神社はいつ頃からあったのか。奥州街道とは・・・と思いを巡らせる

奥州街道 終点は神社

奥州街道は、お江戸日本橋から宇都宮、盛岡を経由し、青森に至る街道だったようだ。

まさしくここは日本国の果てであり、ここから船で渡るのは蝦夷地なのだから、当然異郷であり、などと考えさせられる。

https://www.actv.ne.jp/~utou/index.html

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いけすのあるコンビニ

これがコンビニ?という驚異の店があるらしいと情報を得たのは去年の終わり頃だった。

青森県にあるオレンジハートというコンビニエンスストアの話だ。外見は普通のコンビニ、場所は青森市から車で1時間くらい走らせた場所にある。トラックなども走る幹線道路沿いのコンビニで、駐車場も広い。他のコンビニチェーンと違うのはポール看板がないことくらい。店名を「オレンジハート」という。ネットで見るとテレビなどでも取り上げられたことが多いようだ。では、なぜ田舎にあるコンビニがニュースネタになるのか。

答えは簡単で店内にいけすがある。ぶくぶくとポンプの泡が立ついけすに、カニやら貝やらが放し飼い?状態。もちろん売り物だ。しかし、こんな生き物(当然、調理可能、食用)を売っているのはなぜなのだろう?青森県のどこかの漁業協同組合直営店なのか?などと勘ぐりたくなるが、実はこのコンビニの最大の特徴は手作り弁当と惣菜なのだ。

訪れたのは朝10時と、昼のピークにはちょっと早い時間だったためか、商品の品揃えは欠品あり状態。それでも揚げ物は、ぼほほぼ完璧な品揃えだった。この惣菜を好きなように買っていくのは、おそらく近隣住民ではなく(山の中なので)、トラックドライバーやルートセールスマンの方達だろうと想像する。

揚げ物群には、当然のように青森津軽地方名物「イガメンチ」もあり、鳥の唐揚げよりこちらの方がよっぽどうまそうだ。g単位で計量し料金が発生する仕組みで好きなだけ買えば良い。レジの横の重量計で測るとイガメンチ二個でおおよそ80円。これが高いか安いかといえば、圧倒的に安い。大きさは、普通にあちこちにあるコンビニの鳥唐揚げの倍くらいの大きさだと思う。この二個で唐揚げ四個分程度だ。(L社の ○○あげくんとの比較で)
手作り感満載の不揃いな形がご愛嬌で。

カレーも量り売りなのだが、仕組みが面白い。
ルール1 まず入れ物にご飯を150g以上入れること
ルール2 そのあと好みのカレールーを好きなだけ入れる。

推測だが、カレールーだけ持っていく奴がいてそれだとコスト割れするのだね。そして、福神漬けもお好みで入れて、レジで計量すると、お値段が決まる仕組み。
ちなみに、このカレーは260円だった。ご飯は150g入れたので、お茶碗に一杯半程度。カレーとしては小盛り的な感じだろう。ビーフカレーが辛口で、好みの味だったのが印象的。イガメンチもうまかった。できればフライドチキンとか、焼きそばとかも食べてみたかった。

手作りのサンドイッチもラインアップが多いようだが、普段食べない海老カツを選択した。ポテトサラダとかカツとか卵とかの定番はもう少し安いようだ(この時点で並んでいなかった)

しかし、このいけすのカニはなんという種類なのか、そしてどうやって食べるのか、すベて謎だった。多分カレーの重量を計った重量計でカニも重さを測るのだろうな。
そして、コンビニのふりをしながら、この惣菜と弁当と生きた海産物以外は、今にも倒産しそうな閉店直前のコンビニ的な品揃えで、それにもかかわらず食材以外にも文房具とか石鹸とかスナック菓子とかが申し訳なさそうなぐらいで陳列されている。これはさすがに写真には取れないレベルだった。

関東圏で言えば、オリジン弁当がコンビニ始めました的な感じなのだが、それでもオリジンが生きたカニや貝を売るかというと、全くもって自信がない。
いやいや、青森すごすぎるでしょ。

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新青森駅にて

新青森駅で降りたのは初めてだった。東北新幹線終着駅だった頃から何度か使っている新青森駅だが、いつも青森駅から在来線で乗り継いでいたので、新青森駅を外から眺めるのは初めての経験だった。駅前には何もない。レンタカーの営業所が立ち並ぶだけの広大な空間。駅ビルもない。なんとなく、さみしい感が漂う。
北海道まで新幹線が延伸したので、最終駅ではなくなったが、状況的には変わらないだろう。(函館北斗駅も似たようなものだ)

新青森駅

夏のねぶた祭りが終わったばかりのせいか、駅構内にねぶたのミニサイズが展示されていた。新幹線乗り継ぎ客は足を止めることなく通り過ぎているのが残念だ。個人的にねぶたは好きなので、しばらく眺めていた。乗り換え時間に余裕があってよかった。

五所川原

青森のねぶたは大きく分けて三種類ある。テレビでよくやっている踊り子が跳ね回っているねぶた祭りは青森市。五所川原市の立ちねぶたは高さが25mくらいの、ウルトラマンやゴジラ実物大みたいな巨大なねぶたが練り歩く。そして弘前市は扇絵のような上品な山車に乗ったねぷた。(ぶ、と濁らない ぷ だそうだ ネ・プ・タ)

弘前 ねぷた

青森のねぶたは祭り終了後、優秀作品が展示館に安置され展示されている。これは一度観に行くべき(SLの動態保存のような)、現物保存であり、展示館内の照明と合わせて何やら8月の夜を思い起こさせる。

青森 ねぶた

帰りがけに買った駅弁は、隣県秋田県の大館名物 とりめし。
実は弘前の駅弁が一番お気に入りなのだけれど、青森では売っていないのだよね。
根底にあるのは「青森VS弘前」の微妙な対抗意識だと思うのだが。

実はこの大館の鶏めしも秋田県内の比内地鶏弁当に押されているらしい。うーん、北東北もなかなか生存競争が大変だ。

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仙台七夕考

静かな夏祭りは都会の証明か?

仙台の七夕は花火大会で始まる。仙台駅から一番町にかけてアーケード商店街が七夕飾りで埋め尽くされる中、花火大会が開催される西公園まで人出が途切れなく続く。
仙台の七夕は商店街の威信をかけたイベントなのだろう。それぞれの屋号をつけた七夕飾りがこれでもかと並んでいるのだが、やはり圧巻は仙台を代表する百貨店「藤崎」前のツルの飾り。当然ライトアップもされているので絢爛豪華で、きらびやかだ。ちょっとイラけた場所にもなっているため、インスタ向けスポットとなっている。周り中がアングル求めて右往左往しながら写真を撮っている。外国人観光客も混ざっているが、七夕自体があまり宗教色が強いイベントでもないので、綺麗な飾り付けのフェスティバルとして楽しんでいるようで、それは良いことだな。

一番町 藤崎前のツル

仙台は野外イベントが多い街だ。秋になると芋煮会(山形よりも仙台が本場という仙台市民が多い)、繁華街を埋め尽くすジャズフェスティバルもあるし、冬になると光のページェントでゾロゾロと歩き回る。密閉度の高いテントの中で、冬なのにビールを飲むあたりは札幌でも見る光景だが、仙台は雪がないので冬でも歩きやすい。

一番町 藤崎前

駅前からのアーケード街では、店頭での屋台販売がびっくりするほどの情熱で展開されている。食い物屋が自社製品を売るのはわかるが、なぜ呉服店の前でビールを売ったり、金融機関の店頭で焼き鳥を売っているのかは、意味不明だが、そんなカオスな賑わいがお祭りというものだろうと納得している。
実は、そのカオスに輪をかけるのが仙台市民の通行ルールのなさだ。なさすぎる、自由すぎると言って良い。一般に大都市で強制的なルールがないと、概ね左側通行になるらしい。人間の身体的な特徴からくるものだと聞いたことがある。右利きが多いからだともいう。札幌や名古屋、東京八重洲の地下街など大体この左側通行になっている。一部の例外的な中央歩きは、中小都市からの旅行者、あるいは外国人観光客だろうと思う。
ところが、仙台では全員が右左の区別なく、中央を含め好きなように歩いている。横一列で3ー4人で歩いていたりする。 喋っているのを聞くと、しっかり日本語だ。
実に歩きにくい、目の前から人が押し寄せてくる。波に立ち向かうようなものだが、左右どちらかによれば解決するかというと、全く無理。中央突破はもっと無理だった。
仙台市民よ、原始的に本能で歩くのはやめようではないか、と強く訴えたい。

クリスロード

おまけに七夕飾りは地面から1mくらいの高さまでぶら下がっている。そのため、目の前には七夕飾りが障害物のように立ちふさがる。飾りの一つ一つを暖簾をくぐるように押し分けながら歩くのは、これまたしんどい。かと言って、飾りと飾りの間を通ろうとすると反対側からものすごい速度で突入してくる高校生がいたりするので、これまた罠を仕掛けられたような気分になる。ぼーっと七夕飾りを見ながら歩くと、相当ひどい目にあうことは間違いない。正しい行動をとるのであれば、一旦通路の端にに近いところで停止、ゆっくり前を確認した後、見上げて鑑賞する。見終わったら、また前を確認し、歩き始めると言ったところか。

名掛丁

仙台駅から一番町まで、大きい道を二度ほど渡らなければならない。そこで赤信号で停止すると、前方から待機して人の波が押し寄せてくることになる。これも大変だ。こちらから渡る「右左関係ないよ!的集団」と、向こうからくる「中央突破プラスサイド波状攻撃だからな!的集団」が横断歩道の中間で激突、左右にフェイントをかけながらすれ違うという、一見すると阿鼻叫喚的図式が発生するのだから・・・。
此処一番に勝負をかけた浴衣カップルみたいな連中も多いので、街の中がいささかヒートアップしている。おそらく年明けくらいに結婚するお幸せなカップルも随分生まれるに違いないと思わせる、仙台の七夕の夜。

平日夕方でこの人手

個人的には歩き疲れて、一人で居酒屋に入って冷酒とともに牛タンでも食べるかという気分。一番町あたりの店はどこも大混雑なのだろうけれど、ちょっと駅前に場所をずらせば良さげなお店はあるものだ。魚居酒屋で頼む牛タンも悪くは無いよ。

牛タンで終了

牛タンで終わりにする仙台のお祭りだった

食べ物レポート, 旅をする

花巻市 マルカンビル大食堂

何は無くともオムライス

花巻市にある元百貨店の大食堂がは百貨店閉店後再開された。それがマルカンビル大食堂。そしてここには懐かしき昭和の百貨店大食堂が再現されている。和洋中全てが揃う、ファミレスなどなき時代の勇者なのだ。寿司でもラーメンでも天ぷらでも、なんでもありなのだけれど、やはり一押しの品はオムライス。卵とケチャプのコントラストが美しい。

そして中を割ると出てくるのがケチャップ味のチキンライス。あー、至福のときだ。写真が赤っぽいのは、この時夕日が差し込んできたせいで、何やら面妖な照明を当てた感もするが、自然光。
ともかくこれがうまいオムライス。業界デフォルトと言って良いと思う。

もう一つのオススメは、マルカンラーメン。世の中でよく言われている広東麺、中華あんかけのかかったラーメンで、これもアツアツをハフハフ言いながら食べるのがよろしいかと。

そして、最大の名物は箸で食べるソフトクリーム。高さ推定20cm越え、旨し。

一階エレベーター前には、観光客向けの写真撮影スポットもあり、なかなか楽しい。

メニューはこんな感じで盛りだくさん。家族みんなで行っても誰もが好きなものが注文できると思われる。エレベーターを降りたところに大きなサンプルケースがあり、あれこれ迷いながら選んだメニューの食券を買うというシステム。

花巻市中心部、日曜の夕方でありながら残念ながら人影なし。日本の地方都市はだいたいこんな感じになってしまっているが、大食堂の中だけは人で溢れていた。

花巻市は宮沢賢治の博物館で有名だが、街の中をぶらついても良いのではと思うし、マルカンビル大食堂には必ず立ち寄るべきだ。

旅をする

旅をするという事 看板や石碑や・・

これまで随分と旅をしてきた。旅をしたいから、旅ができる仕事をしてきたと言っても良いくらいだろうと思う。これまでで一番遠いところは、メキシコのリゾート地 カンクーン。成田からほぼ1日かかる。それ以外では、成田からの直行便で行けるとことが大半だったので、それほど遠いぞと思うことはなかった。ただ、辺境、僻地にきたぞと感じたことはある。デンマーク王国の半島部にある工場を視察に行った時、バイキングはこういうところに住んでいたのねと納得する光景だった。モスクワ空港もあまりにも暗くて、停電しているのかと思ったが、それが平常だとのこと。あかりの感覚が違うと悟った。最果て感が最高だったのは、アメリカ合衆国ネブラスカ州のコーン畑。フィールドオブドリームズの世界だった。小型機で行ったので、低空を飛ぶのだが、1時間ずっとコーン畑の上を飛んでいた。

ただ、遠いところはに行くことだけが旅ではなさそうだ。うちから歩いて5分でも旅の感慨はある。ちなみに、車で5分で新田義貞の合戦跡地に行ける。

士道館の石碑は家から5分の場所にある。極真空手のエースだった方の道場があるが、今ではキックボクシングジムになっている。同年輩の少年コミックに読みふけっていたジジイには懐かしい名前だろう。なんと言うか、ツワモノどもの夢のあと的な気配が濃厚に漂うが、跡地ではないのでね・・・。

日本最南端の駅の後ろにそびえるのが開聞岳で、水面から一気に立ち上がる山容は、すごいの一言に尽きる。山の方に向かって車を走らせるとどんどん見上げる角度が高くなる。北海道の要諦さんも似たように平面から立ち上がるので、近ずくとすごいと感ずるが、凄さでいえばこちらの方が上だろう。鹿児島でいえば桜島もすごいが、美しさでいえば開聞岳だと思う。

城巡りをすると学習することが多い。城の保存は地方自治体が行なっていることが多いのだが、実は展示内容が意外と足りない。下手をすると城の説明より、周りの昆虫や魚の説明が多いこともある。おそらく「軍」「戦闘」に関わることが教育委員会のタブーになっているのだろう。しかしだ、人類はその発生以来、おそらく2万年以上も戦争絵押し続けてきて、今現在でもどこかの国で戦争は起きている。その事実を否定しても仕方ないし、戦争は無くならない。何が起きたかを学んで、それをやめるというステップなしでは、ダチョウと同じだ。(ダチョウが怖いものがくると、地面の穴に頭を突っ込んでみないふりをするという、本当かな?)
怖いものは見たくないでは対応も対策もできないと思うのだが。(ライオンが来たら、逃げるか戦うかどちらしかない。地面に頭を突っ込んでいたら、ただ食われるだけだと思うが)
八王子城の掲示物もそういった類いのものだった。北条氏、関東防衛の要の城だったのに、そして防衛戦に失敗した城でもあり、学ぶことは多いはずなんだがなあ)

道の駅は、日本全国で1000を超えるそうだ。町おこしの切り札として使われることも多いし、最近は地域活性化の温泉とケアセンター併設の市場みたいな作りが多い。幹線道路沿いにあることもあれば、なんでこんな場所と言うわざわざ寄り道しなければいけないような場所もある。高速道路のサービスエリアの補完として作られていたりするので、設備もしっかりしているし。トイレの清掃なども管理面では目をみはる進化をしている。この高知県中土佐町の道の駅は、向かいが港で「海の駅」になっている。海の幸、山の幸の販売所もあるので、休憩するには良いところだ。高知県の海沿いに走ると実に気持ちの良い景色が広がるが、休憩場所としての道の駅は実に楽しみだ。関東圏の道の駅は全制覇したので、現在は西国巡り進行中。

日帰りで電車の旅というのも良いものだ。ここ一年ぐらいは秩父によく行っていた。うちから電車で片道500円、1時間の旅。駅を降りて町の中を散歩して回る、ランチにはちょっと珍しいものをいただきましょう的な小さな旅になる。秩父市街のお店周りをする中でも、このパリー食堂の暖簾は、秩父第一、屈指の名品だ。料理もなかなかの代物だし、すぐ近くには秩父神社もあるし、昔栄えていた時代の秩父の栄光の残り香と言うところか。
秩父といえば、武甲山だが、秩父市街のこの辺りからはまさしく目の前にそそり立つ、その異様な山容は記憶に強制的に刷り込まれるような印象の強さがある。その武甲山にも負けない、パリー食堂のインパクト、凄すぎるなあ。

やはり旅の記憶は写真で補強だ。それも看板がよろしいようで。

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今年行ったところの看板 札幌・山形・仙台・内房

札幌では味噌ラーメン発祥の地、三平の暖簾。

山形市で居酒屋 山形フード満載。

山形県北部の名品 冷たい鳥そばの人気店 色は本店

東京渋谷 井の頭線脇の狭い小路で 長崎飯店はちゃんぽんが有名?

仙台駅前 アーケードの裏道にある ワインと焼き鳥の店 絶対おっさんを拒絶している

仙台駅東口のはずれ パルコ2の裏側 おさんしかいない立ち飲み屋 昼は立ち食い蕎麦屋

仙台名物横丁の飲み屋 文化横丁 餃子の名店 八仙 正しくは中華料理屋だが餃子注文率100%

千葉内房 道の駅保田小学校 食堂室?と言いたい、中華料理屋。 金八先生いますか?

旅の記録が簡単にできるようになったことはありがたいことだ。そして写真というか画像は、兎にも角にも記憶喚起力がすごいので、何百字書き連ねるよりも、記憶を呼び覚ますには向いている。

ただ、問題点は例えばラーメンの写真で店を思い出すのはむずかしいが、看板の写真でラーメンを思い出すことはできるという非対称的な記憶だということだ。だから、ラーメンと看板をセットで写真に撮っておくのが望ましい。更に言えば、駅名地名看板→店名看板→商品写真という三昧セットがもっとよろしいということに最近になって気がついた。記憶力の衰えを、デジタル記録という外部記憶装置で補う。うーん、これはサイボーグ化の第一歩だなぁ。

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夏にはダム巡り  北海道編

長万部駅に到着  おしゃまんべ と読む

北海道の地名は元々がアイヌの地名を、音を当てて感じの地名を振ったので、恐ろしく読みにくいものが多い。この長万部はまだ読みやすい方で、音威子府(おといねっぷ)とか、倶知安(くっちゃん)、神居古潭(かむいこたん)、屈斜路(くっしゃろ)などはまだ読めるギリギリ。判読不能となると、音更(おとふけ)、積丹(しゃこたん)、後志(しりべし)、幾寅(いくとら)など漢検1級で通用するか?という状況だ。

長万部は、函館と札幌の中間点

その昔、鉄道が敷設された頃、札幌=函館間は主要幹線で、当時の商都小樽を経由する函館本線が本命だった。室蘭が一大工業都市化すると、太平洋周りで夕張方面の炭鉱地帯と結ぶ室蘭本線が延伸する。その途中の苫小牧と札幌が結ばれる千歳線は、支線のようなものだった。函館本線と室蘭本線の分岐地点が長万部だった。北海道内の幹線の結節点だから、当時は随分賑やかだったことだろう。

今では千歳空港と札幌をつなぐ千歳線が主力になってしまい、函館本線は特急も通らないローカル線になってしまったが、なんと新幹線が函館本線に寄り添い建設中。長万部も新幹線駅として復活するようだ。特に、有数のスキーリーゾート地で外国人に占拠された感じもあるニセコは、千歳空港からのアクセスが悪く、新幹線開業後は人の流れが変わりそうだ。千歳空港からバスで移動するよりも、函館空港経由で新幹線移動が100倍楽だろう。

ご当地キャラ まんべくん

長万部は噴火湾で取れるカニが名物だった。今ではすっかり獲れなくなったようだが、長万部の毛ガニ、そしてカニ弁当は有名だったのだ。だから、ご当地キャラもカニの姿。ただし、残念なことに駅弁は観光案内所売店で冷凍品のみの販売で、汽車(いまはディーゼル車)に乗ったローカル線の旅のお供にはならない。

ピリカダム ご当地キャラ

長万部から一走りすると、ピリカダムに着く。北海道の道の特徴というと、道幅が広い(冬は除雪のため道幅が狭まるから)、冬になるとセンターラインが見えない。何キロも直線道路が続くところが多い。などなど、北海道特有の道路事情がある。もう一つあげると、軍用道路なのだ。韓国のように飛行機の滑走路として使うのではない。冷戦時代、北海道はソ連に対峙する前線扱いだったので、北海道開発庁と言う役所が北海道の道路維持を行なっていた。基本的に北海道防衛の主力部隊は千歳と旭川に駐屯する陸上自衛隊二個師団。どちらも高機動型(つまり戦車が主力)であり、道内のどこにソ連軍が上陸しても対応できるように、びっくりするような田舎道でもしっかりと舗装されていた。山の中だろうが、海沿いの人の住んでいない場所であろうが高規格の道路が整備されていたのは、戦車移動の為だ。

北海道の地図を見て、北部の海岸沿いに遠ている道路がわかると思うが、ここは漁港以外には人もいないような超過疎地だ。ところが、道はとてつもなく立派だ。四国の山中の国道を走った経験(部分的に1.5車線になるほど狭い)からすると、同じ過疎地でも道の扱いが全然違う。ちなみに四国には戦車部隊はいない。(はずだ)

だから、北海道の田舎で戦車が通らないと想定されている場所は、単純に道がない。あるいは放置されている。トンネルがあっても狭い。重要道路では、戦車を乗せたトレーラーが移動できるだけの天井の高いトンネルが作られている。(と推測しているのだが)
そして長万部から日本海側に抜ける道は、昔は戦車道ではなかったので、やたら不便な道だったが、いまでは高速道路との接続線ということで随分立派になった。その立派な道の横に突然現れる、これまた立派なダムが、ピリカダム なのだ。

ピリカダム ご立派なダムであります

ピリカダム

ピリカダムは、右手にダム管理事務所などがある。国道からの取り付きもそちら側だ。左手は、ずっと山に千和いたところで、コンクリートのダムが石積みのダムに変わると言うレアもので、その構造の複雑さとダムの幅も含めてダムランキングでは高い順位にある(のではないか?、ダムランキングなるものが世の中に存在するのかは定かではないが)

留萌ダム 山の中でひっそりと 岩積みダム(ロックフィルの造形美)

留萌ダム

札幌から100kmくらい離れた場所、日本海側にある町、留萌。に診療が盛んだった頃は、腹巻きに札束突っ込んだニシン漁師がぶいぶい言っていた町であり、炭鉱の町でもあったはず。それが今や衰退続きで、見る影もない、典型的な北海道的過疎地だ。それでも高速道路が延伸したので、車でヒョイと遊びに行ける場所になった。その留萌のちょい手前で、山の中に入ると出現する留萌ダム。ダムの壁面が岩を積んでいるので、まるで城壁のようだ。これはコンクリートで固めたダムと違い、なんとなく自然っぽいっていうか、昔の人たちが作ったらこんな感じという雰囲気がある。建設費が経済的らしいし、景観も良いので、近くに公園が併設されたりすることが多い。
ここでは国交省のお役人に、ダムアンケートを受けた。どこから来たのか、どうやって知ったのか、交通手段はなどなど。北海道では微妙なダムブームが起きているらしく、どんな山奥のダムに行っても一日一人や二人が訪れているらしい。

幌別ダム 端正なロックフィル

幌別ダム

幌別は、室蘭の近くにあり、登別温泉と室蘭市の中間くらいに位置する。町は適度にコンパクトで、北海道に点在する典型的な地方の町だ。その市街地から10分程度で到着する、随分お手軽なダム。ロックフィルダムは、積み上げた岩が城壁のように見えている場合と、このダムのように草で覆われて、一見土手のように見えるものがある。町の近くであれば、こうした瓦の土手みたいな方が見た目が良いだろうというのは簡単に想像できる。そして、ダムの前に広がるのは芝生に覆われた広々とした公園なので、普通の人が見るとこれがダムだとは思えないだろう。残念ながら、土手の雨に柵があって、土手を登ることはできない。土手の上からは、ダム湖が広がるのが見えるので、結構良い景色になっているのだが、進入禁止。それがちょいと残念だ。このダムを見に来たら帰りは温泉で決まり。

ダムは山の中にあるので、基本的に冬に訪れるのは厳しい。おまけに北海道は夏が短いし、秋になるとダムの周りはクマだらけになるし、冬はホワイトアウトで遭難するし、春はまたクマが出てくるし、実にダムに行くタイミングが短すぎる。それでも北海道のダムは、もうすぐ半分制覇だ。

ダム巡りの旅のお供はダムカレー