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味付きピーナッツの話

今まで全く気が付いていなかったのだが、なぜか沖縄の土産物店で味付きピーナッツが売られていた。沖縄産の農産物といえばサトウキビくらいしか思い浮かばない。熱帯性の果実であるマンゴーやパイナップル、パパイヤクラだろうか。そういえば島バナナという小さいバナナも沖縄で食べるとうまいぞ、などと思いだしていた。しかし、ピーナッツ、落花生が沖縄と結びつかない。
それでも試しに買ってみた。アメリカ製のハニーローストピーナッツという甘くコーティングされたピーナッツは好物なので、それと似たようなものであればうまいに違いない。ハニーの代わりに黒糖がまぶしてあるのだから、甘すぎるかもしれないが不味いことはないはずだ。
ということでホテルで実食して。うまい。沖縄のピーナッツ、うまいではないか。食べ始めたら止まらない。あっという間に袋の半分を食べ切った。冷静に考えるとすごいカロリーのような気がする。危ない食べ物だ。

もう一種類買ってあった味付きピーナッツは食べるのが惜しくなり家まで持って返ってきた。なんと、この「味噌入り」がはるかにうまい。これを沖縄以外のどこかで手に入れられないかと商品名をよく見でみた。買った時は、中にあるピーナッツだけ見ていたから、商品名は全くわかっていないのだ。改めてみると「ピー糖」というらしい。
気になって沖縄の落花生事情をネットで調べてみた。なんと、沖縄でもピーナッツはほとんど作られていない。沖縄本島の北部にある伊江島で伝統的に落花生を栽培していたので、ピーナッツ加工品が地域名産として残っているようだ。まあ、そんな蘊蓄はどうでもよく、この味付きピーナッツをまた食べたいとあちこち探していたが、なんと北海道にある沖縄物産館で発見した。日本の南の果ての製品を北の果ての街で買い、わざわざ埼玉まで持って帰るという、輸送代を考えると地球環境に全く優しくない買い物をしてしまったが、ひとかけらの後悔もない。


北海道の沖縄物産館で売っているのだから、有楽町の物産館でも売っているに違いない。探索の手は着実に繋がった。めでたし。時間ができたら有楽町に行ってこよう。
ただ、もう一点わずかに疑問が残っている。沖縄で名産になる砂糖コーティングのピーナッツの存在は、日本の落花生王国千葉で知られていないはずはない。ひょっとすると千葉バージョンのコーティングピーナッツが存在するのではないか。(味噌に入ったピーナッツは記憶にある)
どうやら、甘いピーナッツを求めて千葉まで遠征するしかない気がしてきた。まあ、千葉は沖縄より近いけれど、有楽町よりは遠い。千葉のアンテナショップなんて東京には存在しないしなあ。この冬の宿題だな。

街を歩く, 旅をする

セルフサービスの居酒屋

たたきのタレもまで 魚屋自家製特選タレ

足繁く通う高知県の漁師町で、魚屋の大将と二人で酒を飲むプチ忘年会をした。いつもはそれなりに混み合っている行きつけの居酒屋が、さすがに忘年会シーズンだけあり大人数パーティーがいくつも入っていて、店主が料理の注文を取れなくなっていた。とりあえず酒だけ頼のむと、魚屋の大将が何やら店主と交渉している。どうやら料理の手が回らないので、魚を持ち込むと言っているらしい。それなりの持ち込み料は払うということで決着がついた。
そして5分後、魚屋大将が自分の店からカツオ、大庄五人前を持ち込んできた。鰹の刺身と鰹のたたきのコンボだ。この一皿、居酒屋で注文すると軽く3000円は超えると思うが、とりあえずのつまみとしてはあまりに豪勢な「お通し」だった。二人で食い切れるはずもなく、最後の数切れは白飯に乗せてかってドンにしようと思ったくらいだ。これが、去年の12月、鰹のくい納め儀式となった。

おでんは大将のこのみで決まり 猟師町だからと言っておでんに鰹が登場したりはしない

鰹とお通しを食べながら、簡単に頼める料理としておでんが出てきた。というか、魚屋の対象がおでんの鍋から勝手に自分でとってきた。セルフサービスの極みだった。この日は大人数パーティーの料理が出揃ったのが二時間後、そこから自分たちの注文ができるようになったが、すでに鰹の食べ過ぎで満腹状態となり、腹にたまらないような簡単なつまみだけ注文した。これだったら、さっきでもすぐに出せた世、みたいな会話があったが、それはそれ。
セルフサービスの居酒屋というのは、案外楽しいものかもしれない。

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日本列島 南北道行

成田からLCCで師走の旅をした。北の街との温度差は10度以上ある。機内はそこそこ暖かいのだが、千歳空港に降りた後のことを考えるとかなりの厚着になる。背中にリュック一つ背負っての旅なので、あまりもこもこと着込みたくはないが仕方がない。ダウンの重ね着をしようかと思ったが、そうすると交通機関内では暑くて仕方がない。温度調整に困るのは北向きの旅、それも冬場の特徴だ。

成田では上着一枚で大丈夫だったが、北の街について駅から歩き始めると突き刺すような寒さを感じる。一番外にはアウトドア用オーバーコート、一枚下にはダウンベスト、その下はフリースという防寒仕様で対抗するのだが、一旦室内に入るとこの季節の室温はだいたい27度前後。つまりお江戸であれば初夏の気温だから、筍の皮を剥くように服を脱いでいく。なんとも面倒臭い話だ。地元民は比較的薄着でコートの下は長袖シャツ一枚という着こなしが多い。
そもそも冬には屋外を歩かないのだ。市内中心部であれば、地下歩道が張り巡らされているため、大部分を地下で歩き最後の100mだけ地上を歩くというパターンが確立されている。だから、夜でも人通りは少ないがライトアップされたイルミネーションが雪道によく映える。

その雪国に行く直前には南国高知にいた。やはり12月ということでクリスマスデコレーションが公園を賑やかにしていた。当たり前のことだが、雪はどこにも見当たらない。気温は低いとはいえ雪が降るほどでもない。ジャケット一枚着ていれば夜でも街歩きに問題はない。なのに公園に人影はない。街に人が歩いていないのは、寒さだけのせいではないということだろう。
南国高知では室内が意外と寒い。北国では過剰な暖房が、いわゆる冬の贅沢として習慣になっている。店内が寒いレストランは、それだけで敬遠されるほどた。
ところが、南国土佐ではホテルの館内ですらうっすらと寒い。部屋の暖房を一旦最強に上げてしまうくらいだ。おそらく、冬のあたたかい部屋という概念がないのだと思う。冬の寒さに備えるよりより夏の暑さ対策が重要な地域なのだ。

そのちょっと前には、日本の最南の地にいた。やはりクリスマスを控えホテルの外もライトアップされているが、もみの木ではなく椰子の木だ。南国のクリスマスというのは妙に違和感があるが、それは体感温度のせいだろう。クリスマス=寒い季節というイメージが子供の頃から刷り込まれている。
お江戸に引っ越してきて最初のクリスマスに、雪が見当たらないのが不思議でしょうがなかった。それから随分と時間が経ち、雪のあるクリスマスが特別に感じるようになったが、半袖で過ごすリスマスはやはり珍しい。
ハワイに一年間住んでいた時に、一度だけトロピカルなクリスマスを体験した。クリスマスの当日に、小型のバイクで道を走っていてちょっと寒いなと思ったくらいだが基本は短パン、Tシャツの気候だ。体感温度は25度を超えていた。ハワイに赤い衣装のサンタクロースがいたかどうか記憶にない。赤い服のサンタを見かけたら、その暑苦しい雰囲気で記憶に残っていたはずだから、やはりトロピカルな地域にはトナカイの反りも含めて、存在しなかったのだろう。その後しばらくしてから12月のシンガポールに一週間ほど滞在したことがある。その時は蒸し暑さに閉口したものだが、寒くないクリスマスを迎える地があるのだと再確認した。暑いクリスマスはやはりちょっと変だ。


わずか一ヶ月の間に、日本の南から北まで旅をするなど、なかなかあるものではないなと思うが、その地の常識が違う場所では非常識になるのだと改めて感じた。ただ、雪のあるクリスマスと雪のないないクリスマス、寒いクリスマスと暑いクリスマス、どちらが良いと聞かれると「そもそもクリスマスなんていらない」と言いたくなる。
クリスマスは朝から晩まで働く日で楽しむ日ではないとずっと思っていた。前職でのトラウマの根は深いなあ。

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沖縄の締めめし

仕事できていながら泊まっていたのがリゾートホテルで、部屋のベランダからは海が見える。眼下に広がる野球場はプロ野球のキャンプにも使われるらしい。ホテル周辺の飲食店で大量のサイン入り色紙が飾られていたが、それもプロ野球選手が大半らしい(と友人が言っていた)
確かに12月近くになっても半袖で出歩ける温暖な気候だから、アスリートの調整にはもってこいだろう。東シナ海で獲れる魚もうまそうだし。
などと感慨深く思っていたのは沖縄を離れる日の朝だった。仕事でなければもう二、三日滞在したいくらいだった。

そんな軽めの沖縄ロスみたいなものを感じつつ空港に向かった。リゾートホテルは公共交通の便が悪い。空港行きのリムジンバスに乗るのが便利だが、飛行機の時間にぴったりとあわせて運行しているわけでもなく、空港で二時間ほど待ち時間ができた。
同行していた友人と二人で最後の沖縄料理を食べようと、空港内のレストランを見て回ったら、なかなか良さそうな店があった。郷土料理の店とあるが、麺類を中心になかなかのラインナップだった。

やはり沖縄の締めといえば沖縄そば………とはならず、アグー豚の焼肉と島ラッキョウにした。アグー豚はコクがあってうまい。量産性が悪いのでお値段は高めだが、お江戸に戻れば手が届きにくい高級品になる。やはり最後はこれを食べておきたいと、シンプルな焼肉にした。
島ラッキョウは小ぶりでピリリと辛い。よく見かける甘酢につけたラッキョウとは違い、いかにも酒のつまみという感じがする。エシャロットに似ているが、それよりも辛味が強い。これもお江戸で、もっと販売してくれないものだろうか。
当然のように、この料理と合わせて最後のオリオンビールを飲み干した。沖縄はしばらく長期滞在したい場所だなあ、としみじみ思った。

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首里城 再見

火災で消失した首里城本殿?が再建工事中で、その建築現場が古代寺院の修復工事のような、外観をぐるっと囲む建屋で覆われていた。ちょっとした違和感もあるが、再建工事中に再度の火災などリスクを犯すわけには行かないのだろう。悪意あるものの存在を考えると、放火防止の方が主目的なのかもしれないなあと思ったりもした。

10年近く前に焼失前の首里城を丹念にみて回ったことがある。琉球王朝の文化遺産は興味深く一番近くにある異文化という感覚があった。建築様式をとっても大陸帝国の影響が強いことは一目でわかる。
近畿圏で見る鮮やかな朱色とは異なり、鈍い赤があしらわれた建物は、やはり草原という感じがするものだ。再建後の首里城は、ぜひ近代的な防火施設を備えてもらいたい。少なくとも日本各地から寄せられた義援金、寄付金は火災の再発防止に役立てて欲しいものだ。

ただ、首里城自体は先の大戦で焼け落ちていて、この前焼失した建物は再建されたものだ。建築当時に近い原材料を使い忠実に再現されたらしいが、歴史的遺物としては再建物でそれも数十年しか経っていない。沖縄のシンボルというには、ちょっと新しいかんじもする。
やはり、歴史を感じさせるのは独特の様式を持った石垣だろう。琉球王朝が琉球諸部族を統一した証として建築された大城郭の重みがある。

独特のアーチがある琉球様式とでも言いたくなる城壁は、戦国期に数多く建てられた城とはだいぶ趣が違う。早い時期に世界遺産認定されたのもよくわかる希ガスr。

琉球王国のシンボルとして残されている守礼の門と、近世日本の江戸城や二条城大手門を比べると、武の国と文の国の違い、治世に関わるものの発想が異なることが表れている気がする。江戸期は太平の世が長く続いたという評価がなされることが多いが、あれは武断による平和だったのだと理解している。部による統制が地方豪族の末端にまで行き渡っていたからこその平和だ。現代日本の統治形態もそれに近いが、現代の国家武装は(対外ではなく対内対応として)江戸期と比べて脆弱な気もする。
琉球王国に学ぶとすれば、その文治の有り様だろう。

資料館で見た首里城のジオラマはなかなか考えさせられるものがあった。平地の中央にぽこりと小高い高地があり、その全域を首里城としている。政治の拠点というより軍事拠点であることが明らかだ。防疫立国をしていた琉球王国は、政庁を港のそばにおいても良さそうなものだが、そこまで防備を緩めるつもりもなかったと見るべきか。

山頂部分は全部が城の領域だ

世界遺産に認定されたとはいえ、沖縄にある城はあれこれと歴史的な政治活動を考えさせてくれる。文化遺産というよりも、権謀術策の記憶と考えた方がよさそうだ。
などと怪しい考えをめぐらしてはいたが、早く再建工事が終わると良いなと思う。首里城で食べるブルーシールのアイスクリームはとても美味しいのだ。

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波上宮で 古を思う

沖縄一宮「波上宮」は沖縄県庁から歩いて15分ほどの海沿いにある。観光案内を見るとバスで近くまで行けと書いてあったが、バスの案内所で聞くと「まず、バスの便数が少ないので、歩いて行ったほうが早い」と言われた。おすすめに従ってグーグル先生のマップガイド通り進んでみたら、なんと神社の裏側に連れて行かれた。これは秩父や関東の札所巡りをした時にも頻発した。神社は鳥居の前、寺は山門の前に案内して欲しいものだが、異教の国に本社があるせいか日本の寺社仏閣あんなにには冷たいままだ。

波上宮の成り立ちの説明があったが、どうもこれは素直に納得し難い。少なくとも明治の初期に国際問題の揺らぎから日本に併合されるまで琉球は歴とした独立王国だったはずだ。日本の一部であった薩摩藩が武力侵攻した江戸初期からは、清朝と薩摩(つまり江戸幕府の統治する地方政権)に両属しながらも独自の王権を持った支配体制が確立していた。
その独立国が日本の神道に帰依していたかというと、極めて怪しい。どちらかというと独自の宗教があったと考えるのがよほど自然だろうし、文化的には日本より大陸帝国との繋がりが強かったのだから、道教や大陸仏教の影響下にあったと考えるべきだろう。
まあ、武力侵攻は時として宗教的な共生を伴う。大航海時代以降ヨーロッパ諸国の行った蛮行はいつも「砂漠の唯一神を奉ずる宗教」と一体化していた。宗教の普及活動は形を変えた文化侵略だと思っている。

戊辰戦争後の明治政府は、当然ながら江戸期の全否定で成り立っていたから、琉球の文化を守るなどかけらも考えていなかっただろうし、国家神道の統制下におくには当然ながら官弊社を置く必要があった。などと、歴史のあれこれを憶測していた。
この日の参詣者は日本語を話さない人ばかりで、これまた不思議な国際情勢のなせる技だと笑ってしまった。八百万の神を矯正された土地に、八百万の神などかけらも関心のない民族が位押し寄せている。まさに歴史の滑稽な姿だ。おまけに御朱印をもらっている外国人観光客もいるのだから、すでに御朱印は観光記念スタンプと認識されているらしい。

薩摩に侵略され併合された歴史がありながら萬民泰平を掲げるのは、どういう気持ちになるのかなと不思議に思った。おまけに国家鎮護とは、まさに悲しいフレーズではないか。琉球王国が復活することは2度とないだろうに。
実に皮肉なことばかり考えさせられた。北方の植民地である蝦夷地には京都から勧進されてきて神社がある。今考えれば、あれも同じようなものなのだな。まあ、古代ヤマト朝は西から東へ延々と侵略を繰り返してできた国家だから、その矛先が南北に向かっただけのこどた。

お参りしながら歴史に思いを馳せるのはいつものことだが、今回はだいぶ苦い思いになった、救われたのは、神社の裏側にあっけらかんとした明るいビーチがあり、若者たちが楽しんでいる場所だったことだ。宗教的なあれこれを思い悩むより、ビーチで楽しい時間を過ごすのが正しい生き方のような気もする。

タコス屋のフードトラックもあり、良い意味で異文化の混じり合うビーチは平和の象徴みたいなものだ。

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同じ名前の違う食べ物

沖縄にある唯一の鉄道というかモノレールは空港から那覇都心部に出るのに大変便利だ。ただ、首都圏の超過密鉄道に乗り慣れていると、2両編成の車両が可愛らしく見える。前回乗った時は空いているなあと思ったものだが、今回は何度乗ってもかなりの混雑ぶりで、おまけに3両編成の運行もあるらしい。渋滞の多い沖縄で公共交通機関の便利さは身に染みる。

そのユイレール「県庁前駅」で降りると那覇の有名繁華街である国際通りの入り口がほど近い。もう一つの交通拠点であるバスターミナルからはちょっと離れているが、沖縄本島のおへそみたいな場所だ。
その近くで見つけた食堂で、ちょっとチャレンジしたい食べ物を見つけた。

豚汁定食だ。テレビの旅番組で見て気になっていた。読み方が「とんじる」なのか「ふたじる」なのか迷った。記憶が曖昧だったからだが、どうやらトンジルで注文が通じてほっとした。
味噌汁をおかずにした定食が世の中にないわけではない。ただ、この沖縄豚汁はとてつもない具沢山だと記憶していたが、まさにその通りだった。具の間を埋めるように汁がある。というよりこれは和風のシチューというか、ちょっと汁の多い肉じゃが的な料理ではないか。
豚汁というからには豚肉が入っているが、主役は明らかに野菜だった。そして、よく食べる豚汁と決定的に違うのは、鰹出汁の強さだ。豚汁特有の豚の旨みが出た濃厚な味を跳ね除けるように、鰹出汁が主張している。これは、確かに美味い。が、これが豚汁といわれるとちょっと違う料理のような気がする。甘めの味噌のせいもあり、まさに沖縄和風シチューとでも言いたくなる「汁料理」だった。
よくトンカツ屋などで出てくる豚汁とは別物だが、個人的にはこちらの方が好みだ。確か、これに類似した具材モリモリの「味噌汁定食」というものも存在していたはずだが、今回は発見できなかった。

ふらりとはいった那覇中心部のデパ地下にある食堂で、実に感動的な食べ物に出会った。巡り合わせのありがたさだなあ。

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中城 なかぐすく の景色

沖縄には中世に築かれた城跡が多く残っている。先の大戦で全島が戦場と化した島で、それでも城壁が残っているというのはすごいことだ。世界遺産として残されているのはすばらしい。今回は観光はなしにして城跡を巡ることにした。
那覇市から一番近い城跡は「なかぐすく」だ。市内の道は渋滞気味だが、そこを抜ければ意外と早く着く。

城の入り口に大きな看板がかかっていた。気持ちはよくわかる。オラが城を自慢したい、その気持ちが表れている。ただし、この番組を見ている城愛好者としては、ちょっと誤解を招く表現だろうなあと、思ってしまう。
正確に言えば「第12回に放送された諸城の中で、最強の城に選ばれました」なのだけれどもね。まあ、それにめくじら立てる人もいないだろうし。

入口から緩い坂を登り切ったところに城跡はある。山頂を整地して作った典型的な山城だ。面積はかなり広い。

石灰岩を積み上げ曲線を持った城壁は沖縄特有な様式だ。直線だけで組み上げられた戦国後期の城とは趣が違う。やはり、琉球は日本と異なる文化と伝統を持つ独立国だったことが想起される。
江戸城に代表される戦国様式の日本的城とは別物なのだ。積み上げられた石壁は綺麗に断面が加工されている。ジグソーパズルのようにきっちりと嵌め込まれているのが美しい。

中城城から見下ろす景色は、海と平野を見渡すものだ。琉球時代の城は、武装拠点でもあり支配者の威厳を見せる権威の象徴でもあったのだろうとは容易に想像できる。まさに領民を睥睨する位置にある。日本の城で言えば、岐阜城や安土城がこれに近い。
しかも、このような山城が沖縄本島にはいくつもあるのだから、琉球王朝時代には城を築かなければならないほどの戦乱が続いていたということだ。

沖縄を離れる時に、空港トイレの壁で見つけたポスターだが、これが城の構造を一番わかりやすく説明するものだった。飛行機に搭乗する15分前では気付くのが遅すぎるすよねえ。それとも、また沖縄においでよという巧妙な宣伝だろうか。
ぜひ、城の入り口にこれを拡大して掲示して欲しいものだなあ。

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リゾートホテルの眺め

コンベンション会場の近くにあるホテルは、いわゆるリゾート仕様で部屋から海が見える。開催中はずうっと曇り空だったが、最終日にようやく晴れた。目の前に広がる海は東シナ海。普段見慣れた海とはちょっと違う気がする。まあ、気持ちだけだが。

エントランスから一段低くなったところが庭の見えるガーデンカフェになっていた。お江戸でも一部の高級シティーホテルであれば、こんな感じの良いところもあるが、やはり窓の外に並ぶ熱帯樹がリゾート感を盛り上げる。吹き抜けがもたらす開放感も合わせて、ビジネスとは程遠い世界を醸し出す。

夜になると窓の外はライトアップされた椰子の木がみえる。どうも昼よりも夜の方が、余計リゾート感が増す。明るめの照明の効果があるのかもしれない。シティーホテルの薄暗いホールはあまり好きではないのだ。お江戸のホテルで言えば、外資系の名前がついたホテルは全体的に室内が暗い。どうやら夜の闇に対する価値観の違いが欧米人と日本人の間には深い溝となっているようだ。その意味げこのホテルは日本人向けだと勝手に納得している。

沖縄は日本ん最西端にあるので朝の日の出が遅い。7時を過ぎたくらいでようやく世が開けてくる。コンベンションほーつが二つ並んだ向こうが、沖縄の大都市部になる。まだほの暗い時間に通勤車両が連なっているのが、テールランプの行列になって見える。きぶんはあめりかだなあ。などと窓の外を見て思っていた。

外気温は半袖Tシャツで歩き回るほどの暖かさだったが、ホテルロビーではクリスマスツリーが飾られていた。どうやら映える写真撮影スポットらしい。沖縄の記念に撮る一枚としては相当に違和感があるがなあ。
ちなみに南国のクリスマスデコレーションで思い出すのはシンガポールの街内だった。ショッピングモールではクリスマスセールが開催されていたが、外はムッとする暑さに妙な気分になったものだ。

沖縄ではホワイトクリスマスなどテレビの中でしか見られない光景なのだろうなあ。この日、テレビニュースで見たのは、青森の温泉で雪道にスタックしている外国人観光客のエピソードだった。雪の降らない土地からの旅行者が雪道をレンタカーで走ろうとする。おばかな話だが、それでも地元の観光業者が手助けして……………という美談だった。その前に、レンタカー会社が貸出の時に「雪道ドライブ」を注意喚起する、あるいは貸し出しを中止するべきと、ニュース編成者は思わないのかなあ。

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沖縄でコンベンション

沖縄に仕事で出かけることになった。おそらく7-8年ぶりだろう。那覇市から車で30分ほどのところにあるビーチ沿いにコンベンションセンターとリゾートホテルが固まった場所がある。そこで外国人バイヤー向けの商談会が開かれるというのだが。
コロナを挟みつつ10回以上開催されているようだ。個人的な感想を言えば、安倍政権時代の沖縄経済・観光の浮揚策だった感じがする。出展者の名前を見ても中小企業振興策であるようだ。沖縄の企業ばかりでなく日本のあちこちから参加している。確かに、海外向けの商談会仕様だが(実際に海外バイヤーの姿もある)が、どうも微妙に趣旨とは異なるバイヤーが多い気もする。
そもそも、なぜ沖縄で開催するのだろうという素朴な疑問も湧いてくる。それでも長く続いていくうちに少しずつ「商談会」の性格が変わっていったのだろうか。

商談会自体はイベントホールの中央にコマ割りされたブースで時間を決められて行われる。開催している間ずうっと「商談開始です」「商談終了、5分前です」「商談終了、これから休憩15分間です」と、号令がかかり続けていた。気分は小学校の運動会だ。あるいは軍隊式の訓練か……………
2階には商談に来たバイヤーたちが座っている。商談を上から眺めているのだから、プロスポーツの観覧席みたいなものか。なんとも不思議な気分になる会場だった。

コロナの影響を受けて、事前にオンラインであれこれ打ち合わせをした上で、本戦は会場でという仕組みらしい。予約時間にバイヤーがブースに来て商談というのは、歯医者の治療みたいな感じがした。ただ、どちらが患者でどちらか医師なのか。実に複雑な仕組みを考えだしたものだ。
その割に会場には支援要員が多い。それはそれで困った時にありがたいことだが、この運営費用と見合うだけの商談結果が生まれるものだろうか。官主催のイベントというのはいろいろな意味で面白いものだ。

会場に来て壁や天井からぶら下がる掲示物をみて、初めて正式名称を理解した。「大貿易会」というのだね。
ぶつぶつと書き連ねてきたが、結果としてたくさんの日本人バイヤーと話をして商売に繋がりそうな感触はあったので、これはこれで良い催し物なのだなと思う。出店者は旅費をかけてやってくるのだが、東京でも大阪でもかかる金はほぼほぼ同じだから、沖縄で開催されてもあまり違いはないか。師走間近の寒い時期だが、沖縄は暖かかったから確かにその分だけでも「良い開催地」だったとも思う。

貴重なリゾート地での体験だった。一度もビーチに行きませんでしたけど。