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あこがれの神社詣

テレビの旅番組で度々見る「しまなみ海道」は、一度だけ車で走ったことがある。その時は仕事の用事だったので、景色など全く覚えていない。ただただ高速道路を走っただけだった。
ただ、そのしまなみ海道の真ん中、大三島に神社があり、そこには一度行きたいと思っていた。古代日本の歴史の中で、実はこの神社こそが最大のエポックメイキングなポイントだと考えているからだ。
古事記・日本書紀に記載された古代ヤマト朝の伝承は、征服王朝であるヤマトが古代中華帝国の正史に習って書き記したものだから、自己賛美と自政権の正統性を語るのは当たり前だ。だから、日本海側、九州北部にあった有力諸王国を征服併合した後、巧みにそれぞれの国の神をヤマト朝の神話体系に組み込み融和を測った。
出雲王国の神も九州南部の神も(おそらく神の原型はその国を率いた王達であり、最大の抵抗者たち)取り込んだ。それが国譲りだの最高神の兄弟だのと言う形で伝説、神話化されたのだろうと思っている。
その取り込まれた神の一柱が、この大三島の御祭神なのではないか。ずっとそう考えていた。最高神の兄であり、単独でこの神社に祀られている。天照系お付きの神もいない。神格としては最上級だろう。おそらく、出雲よりも強い勢力が瀬戸内の海運を古代日本で牛耳っていた。その一族がここに祀られているのではないか。
ヤマト朝が東進して日本統一を図る上で、瀬戸内の海上交通は現代のハイウェイと同じ高速幹線路だったはずだ。そこをおさめる一族を取り込むために、最高神の兄というほぼ最強の立場を与えたと考えられないか。
そんな古代日本を夢想すると、やはりこの神社には一度行ってみなければならないと思い続けて随分経つ。しかし、この場所は、実に交通の要所から外れている。あまりにも不便だった。しまなみ海道ができて陸続きになったとは言え、交通機関はバスを乗り継ぐしかない。なかなか踏ん切りがつかないまま時間が過ぎてしまった。

ネットでバスの時刻表をいくつも確かめ、松山から高速バスと島内バスをいくつか乗り継ぐと、大三島経由で広島空港に繋ぐことができることがわかった。気分はすっかり某テレビ番組「路線バス旅」になる。
早朝に出発すると夕方の飛行機に乗ることができる。弾丸大三島ツアーが設定できた。

多少のトラブルがあり、松山からではなく今治からしまなみ海道行きバスに乗った

高速バスも島内バスも接続が良いわけでもないので、各所で待ち時間がある。それはそれで、これがバス旅というものだとのんびり楽しむしかない。晴れていて暖かい日だったので良かった。

しまなみ海道を走る高速バスは、各島で停車するため、何度か高速道路から降りてインターチェンジ近くのバスストップ(大型停留所)で止まる。一人二人と乗客が降りていくが、乗ってくる人はあまりいない。
そんなローカル線なのに、外国人観光客は何人か乗っているのが不思議だ。そもそもネット(多分英語版)でバスの時刻表などが乗っているのだろうか。バス停の表示も日本語だけだし。なんだか不思議さたっぷりのバス旅だった。

ようやく訪れた大山祇神社の境内はさほど広いものではなかった。ここに来るまで思い描いていたのは、伊勢神宮より少し小ぶりな程度の大規模造営なお社だった。なんとも拍子抜けしてしまった。

最高神の兄様だというのになあ、もう少しなんとかならんもんかい、というのが素直な感想だった。感覚的には、三番目の弟のお住まい、程度な感じがする。

それでも、これまで日本の古社を随分と回ってきたけいけんからすると、このお社は隅々まで掃き清められ手入れがなされている。一宮とは言え寂れてしまっている神社も多い。それと比べるとしっかりと保持されている。参詣者が多いこともあるのだろうが、神社を支える氏子の方々の努力が伺える。

平日の昼下がり、参拝者はさほど多くないのだが、これまた外国人旅行者が目立つ。境内の中だけを見れば日本人より多い気がする。
日本人観光客がローマに行って、バチカン見物に行くようなものなのだろうか。しかし、この場所に来る手間暇を考えると、実に不思議に感じてしまった。伊勢神宮を筆頭に西国には大社が多い。それなのに、わざわざここに来るとは、相当な神社通ではないか。

あれこれ考えながらお参りをした。1500年以上も昔に、この場所でヤマト朝の親分と瀬戸内海運の統領が会談したのかもしれないと思うと、なんだかむずむずしてくる。うーん、歴史は浪漫だ。

その古代日本に植樹されたという御神木があった。実年齢は不詳だが、確かに神木と言われる風格は備えている。これもまた歴史がある神社でしかお目にかかれない。伊勢神宮はお社内のあちこちに巨木、長命木はごろごろしているが、あれは伊勢神宮限定で、別格というものだ。

樹齢500年を超える樹木は確かに神の領域に近づいている気がする。この大木も1000年以上昔から、瀬戸内の主として人の生き方を見てきたのだろうか。さぞかし愚かしく感じたのではなかったか。

一番行きたかった神社でついにお参りを完了して、とても満足した弾丸ツアーでありました。でも、また行くことはないだろうなあ。

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おいでよ 久礼と誘われて

仕事柄あちこち旅をしてきた。一度っきりの町もあれば、何度も繰り返し訪れる町もある。年によっては2回3回と繰り返し訪れる場所もあった。そういう町では、何軒か馴染みの居酒屋ができたりもするのだが、おそらく自分の人生で一番長く繰り返し訪れているのがこの町だろう。
ずいぶん昔のことだが、仕事で使う食材を国産化しようという計画があり、その時に「ツナ」の調達先として考えたのが、高知県でも有名なカツオの町だった。なんのコネもなく、いきなりネットで探した相手に電話をかけ面談の約束を取り付けた。
その後、一人でノコノコと出かけて行って名刺を出したが、実は全く信用されなかったらしい。名刺の肩書きと風体がそぐわないという理由だったそうだ。後から聞いた話だ。確かに名刺の肩書きを信じてもらうには、それなりにTPOに合わせてスーツとネクタイは必要だったようだ。
ちなみにその時はチノパンにジャケット、背中にリュックサックという、全くビジネスマンらしくない軽装だった。(だそうだ、本人はあまり記憶にない)

この先は中村、宿毛と高知県西部まで到達する鉄路

JR四国、土讃線で高知駅から普通列車であれば1時間強。列車を降りれば駅前に商店街も見当たらない地方都市だ。すでにJR四国管轄にある駅の多くは無人化されている。この駅も特急が止まるにもかかわらず無人駅だ。

駅の中には昔の切符窓口が残っているが無人駅

駅前にはいつもタクシーが一台止まっている。駅前からコミュニティーバスも発着しているので、時間によっては発車時間待ちのバスが止まっていることもある。
5-10分おきにバスが来る都会の感覚からすると、3時間に1本という運行ペースに驚いてしまうが、田舎暮らしに慣れればそれはそれで使い方の問題らしい。
この町で月に一度のペースで仕事をすることになった。友人たちのおかげで、楽しいお仕事になりそうだ。長く生きていると良いことがあるものだ。

駅の構内に(改札口のすぐ外に)鳥居ができていた。八百万の神様がいるのだから、そのうちの一柱がカツオの神様であっても不思議ではない。御神体はなんなのだろうと不思議だったが、まさかカツオの頭ではないだろうなどと不謹慎なことを考えてしまった。

かわうそのしんじょうくん

この久礼の隣町は、最後の日本カワウソが目撃された町で、今でも生き残っているだろうカワウソの復活を応援している。個人的にも、四国山地の山奥でカワウソはひっそりと生き延びていると信じたい。
そのかわうそキャラ「しんじょうくん」をあしらった土産物をこのコンビニで買ってきたが、なんだか食べて良いものか気になって仕方がない。
次回行った時には、もう少し大量に買い込み罪悪感なしで食べてみたいものだなあ。

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高知といえば……どちらでしょう

一年振りくらいで高知に行った。高知空港でのお出迎えはいつも通りの龍馬さんだが、このかたの業績を存じ上げる人は旅行者の中にどれくらいいるのだろう。幕末期の人物では破格の人望を持つ方だ。幕末を描いた時代劇でも、大体は「良い人」として描かれる。主人公との絡みを約束された名脇役でもあり、認知度もそれなりのものだとは思うが。平均身長が150cmくらいだった江戸時代末期に170cmくらいの高身長だから、町を歩けば目立った人だったにちがいない。

もう一人、高知を代表する(のかなあ)人気キャラはこの方で、おそらく全国的な知名度、知っている年齢層の広さからするとこのかたの方が圧倒的かもしれない。少なくとも現時点で5歳から80歳くらいまでの日本人で、この方を知らないという人の方が珍しいのではないか。自分が子供の頃に見て育った世代もすでに孫が生まれるくらいの歳になっているはずだ。少なくとも増税大好き総理大臣より遥かに知名度が高いことは間違いない。もちろん人気度で言えば雲泥どころか天国と地獄くらいの違いがある。
あの世界的に有名なネズミキャラよりもある意味で浸透度は高いかもしれない。作者の故郷が高知という関係で、高知を代表するキャラとなっているはずだ。

JR高知駅に行けば、当たり前のようにキャラ列車が待ち構えていた。これが季節限定などではなく定時運行しているのだから、やは高知の人気者はすごい奴なのだ。

決して不味くはないが、高知に来て食べても満足度が上がらないなあ

高知のキャラについてあれこれ考えながら、駅で列車の時間待ちをしていた。中途半端な時間だったので、駅で軽く昼飯と思ったが、なんとこの日は駅の食堂(カフェ)が定休日だった。駅の飲食設備が休業とは、おそらく正月を除けば生まれて初めての体験だ。JR四国はどういう考えなのか、ちょっと不思議に思ったが、コロナの後は売れない日は休むという新しい慣習ができつつある。仕方のないことだろう。
結局、全国チェーンのベーカリー店舗でイートイン利用してパンで早めの昼飯にした。なぜ、高知に来てまでカレーパンだと言いたくなるが、ここは例の高知キャラに免じて許すことにした。流石に、あんぱんはあまりに失礼なので食べる気にはならない。カレーパンに追加してピザパンにしてみた。ピザパンマンはいたかなあ。しかし、この組み合わせではボリュームがありすぎ、軽食とは言えないレベルだった。
後で気がついたが、駅弁を買って列車の中で食べればよかったのだ。久しぶりに旅に出たせいか、あまり頭が働いていないようだった。やはり高知に来た時は、のんびりな時間を過ごして、昼飯はひろめ市場に行くべきなのだと反省してしまった。あのカオスな市場で食べる昼飯(夜メシもだが)は、エイジアの屋台メシ的興奮がある。次回は忘れずに行かなければ………

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山中城で思うこと

個人的な事情であるが最近、北条一族サーガを延々と読んでいたので、じつは小田原北条氏贔屓なのだ。そして戦国期の西国武将に思い入れがないこともあり、城巡りでも西日本方面はさっぱり進まない。
伊豆、相模、武蔵を支配した北条氏が、首都小田原を西国武士の侵攻から守るため築城したのが山中城だ。箱根の峠道を三島寄りぬ下った山の中腹にある。箱根越え街道を城の中に抱き込んだような形に作られている。街道の左右から攻勢防御が可能なように、両翼展開している。想像していたよりはるかに大規模な山城だった。
が、この堅城と思われる山中城も西国軍の猛攻にはわずか半日しか持たなかったそうだ。数任せの力寄せだったから、拠点防御に失敗すると一気に前線全体が崩壊したのかもしれない。
この大規模な城を構築した北条氏の財力もすごいが、それを人数任せで攻略した西国武士団は、まさに戦国最後の戦闘で功を上げる焦りがあったのではないか。実際の歴史でも、小田原攻略の後は小規模反乱が多少起きた程度で、一旦戦国は終了した。
戦国最後の戦闘は、武力というより経済力の戦いだった。そして、箱根の坂は防衛拠点として実に脆かったという事実が、徳川の治世になり東海道をつかった縦深陣地構築につながる。江戸城の構造も、小田原城攻略戦の反省から生まれたようだ。ただ、徳川政権で山中城は防衛拠点として使われることはなかったようだ。
そして戊辰戦争の時代になり、徳川の大戦略であった東海道縦深陣地は身内の裏切りにより崩壊し、西国軍は簡単に江戸まで進駐する。歴史は繰り返すというものか。かつ西郷の会談による無血入城となった江戸攻防戦だが、江戸城に籠り西軍が江戸試遊に入場したところで、都市部を放火する作戦をとれば、兵糧を現地調達に頼っていた西軍は崩壊した可能性が高い。そこに東北、北関東からの徳川配下の増援があれば戊辰戦争はどうなっていただろう。腰抜け将軍を廃し戦闘意欲の高い第十六代将軍が担ぎ上げられれば………とおもってしまうのだなあ。歴史にIFはないのだが、太平洋戦争敗戦まで突き進むおバカな明治政府は生まれなかったに違いない。

城址には遊歩道も巡らされているので、元気に山歩きをしたい方には良いハイキングコースになるようだ。この日は雨混じりの悪天候で、入り口付近をうろうろしておしまいだった。
それでも土壁の高さを実際に見ると、この城を攻めるのは大変だっただろうということはわかる。それを力押しで落としたのだから、やはり圧倒的な兵力差だったに違いない。攻め手の武将がとても優秀だったというより、北条側が敵の数に圧倒されていたと思える。

城の脇を箱根峠越えの旧道が通っていた。石畳の道は当時からあったのだろか。おそらく江戸期の普請だと思う。ただ道路表面の滑らかさを見る限り、実物ではなく復旧したもののようだ。歩いてみるとなかなか急勾配の坂道で、今では道沿いに民家が立ち並んでいる。城が攻め落とされた後に住み着くようになったのだろうか。
まさに旧道は城の真ん中を通るような形だから、江戸期以降に住みはじめたはずだが、この山の中に住み着いた理由はなんだったのか、まったく想像の外だ。

山中城入り口には路線バスも止まる。案内所兼軽食の店もある。観光地でよく見かける茶屋という感じだが、中はさほど広くはない。テーブルが3卓ある程度の小体な店だった。雨降りの日ということで客は他に誰もいなかった。
箱根がそばの名所だとは記憶していないが、とりあえず茶屋に入ったら蕎麦を注文するだろう、と勝手に決めつけ山菜蕎麦を頼むことにした。しばし、天ぷらそばにするかどうか迷ったが、やはりいつものマイ定番である山菜蕎麦にして正解だった。

そばの上に山菜の漬物を乗せることを考え出した人は天才だと思う。天ぷらを始め蕎麦のトッピングは濃厚で脂っ気の多いものが使われる。かき揚げ、海老天、イカ天などの揚げ物や、豚肉やカレーなど濃厚系が多い気がする。サッパリトッピングではわかめをたま発見するくらいだが、やはりサッパリ系の代表は山菜だろう。(秩父でシャクシ菜の漬物が乗っている蕎麦を見かけた。あれはうまい)
お江戸伝統の花巻もサッパリ系蕎麦だが、あの海苔だけが乗った蕎麦では、海苔の役割がトッピングというより風味づけという感がする。ちょっと物足りない。

この茶屋の山菜そばの優れたところは、お麩が乗っていることだ。お麩はそれ自体食べると全く味がしない。鯉の餌になるのも仕方がないという、味のなさだ。ところが蕎麦つゆを中に染み込ませると抜群の旨さに変質する。存在感がいきなり爆押しになる。昔のラーメンにはよくお麩が乗っていたが、あれはさほどうまいと思ったことはなかった。つまり、蕎麦のつゆとお麩の相性が抜群に高いのだ。
お麩を発見してホクホクしながら蕎麦を食べ始めた。食べるとわかるが、普通の蕎麦屋と変わらない。茶屋のそばと馬鹿にしてはばちがあたる高いレベルだった。蕎麦のうまい街は文化度が高いと勝手に思い込んでいるので、三島は食文化レベルが高い町に違いない。
蕎麦を食べながら、北条氏の栄華と没落に思いを馳せた。お城にも感動したが、茶屋にも感動した。

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すすきの マティーニ・ナイト

スタンダードなマティーニ うまい

北の街で有名な老舗のバーに来たのは半年ぶりだった。前回はかなり渋めのアイラモルトを飲んだ記憶がある。今回も、例のヨードチンキ臭い酒を飲むつもりだったが、ふと気が変わりカクテルにしてみた。ついた席がカウンターで、シェイカーを振るバーテンダーの姿が目に入ったからだ。
あまり深く考えず、マティーニにしたのは口当たりの良さと、本格的なカクテルにしたいかったせいだ。カクテルのお作法として、冷えたカクテルグラスについた水滴が、滴り落ちる前に飲み干すのだそうだ。そんなカッコ良いことを、教えてくれた先輩はいない。そもそもバーに連れてきてくれるような小粋な先輩に出会ったこともない。バーは全て一人歩きで覚えた。
この飲み方もカクテル関係の本を読みあさった時に覚えたことだ。確かに水滴がこぼれるほど時間が経つと、冷えたカクテルがぬるくなる。それはまずい。

ウォッカマティーニ・オンザロック アメリカのバーでは普通に頼める


お江戸のバーでそんなことを考えながら、くいくいと3杯ほど違うカクテルを飲んでいたら、年配のバーテンダーに呆れられたことがある。やはりカクテルはビールのようにグビグビ飲むものでもないのだ。

二杯目は、ウォッカベースのマティーニをロックにしてもらった。味変という意味もあるが、カクテルグラスで飲む二杯目はちょっと酔いが厳しい。ロックで少し薄まったものの方が優しい気がする。
マティーニといえば世界的に有名な大英帝国の諜報員が好んで飲む酒だが(映画の中で)、あのレシピーはかなり特殊で、バーに行って頼むものではないような気がする。相当にスノッブな飲み物だ。あの女たらしの情報員はただのアル中オヤジなのかもしれない。しっかりとしたバーでは諜報員スタイルのレシピーでも作ってっくれるはずだが、気恥ずかしくてそれを注文したことはない。

強めのカクテル二杯で締める夜は、なかなか深いものがあったのだよね。

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そばフェス 会場を見てきた

大通公園でのイベント、そばフェスは今年が初めての開催とのことだ。北海道は日本有数のそば産地だが、国産蕎麦はなかなかお値段が高いので、国産蕎麦粉を使った蕎麦はもはや高級品だ。北海道産蕎麦粉など滅多にお目にかかれるものではない。それをイベントでやってしまおうというのは、なかなかの心意気ではないか。
似たようなイベントとして長野県松本で行われる蕎麦祭りがある。今年で17回を迎えたようだ。松本城のある公園で全国各地の有名蕎麦処からも出店される賑やかなイベントで、コロナ前は毎年のように通っていた。蕎麦フェスも同じように長く続いて欲しいものだ。

10月下旬、新蕎麦の時期の開催は、北の街でもギリギリのタイミングだろう。この時期を過ぎると、外では蕎麦を食べる気が起きないほどに冷え込む。

この時期は一斉に紅葉が進む。一週間あれば街の彩りが変わるほどだ。ただ、今年はたまたま暖かい天候に恵まれたようで、大通公園を歩いていると軽く汗ばむくらいの気温だった。ただし、その3日後にはダウンを着て歩く人もいたので、気温が急激にアップダウンしていたのだけれども。

蕎麦を食べるにはチケットを買い、それぞれの産地が出しているブースで蕎麦を手にいれる。今年が第一回なので、どの店の蕎麦(どの産地の蕎麦)を選ぶかの情報が全くない。
記憶の中にある蕎麦の名産地といえば、幌加内、江丹別、新得(北海道的難読地名で、ほろかない、えたんべつ、しんとく)だが、そこからも出店されている。
蕎麦という料理は簡単そうで、実は蕎麦とツユの合わせが難しい。蕎麦はうまいがツユがね……………という店も多い。特にツユの味は絶対的な美味さというものが存在しないようだ。地域の好みで味が違っている。昆布出汁が強かったり、甘味が強かったり、あるいは塩味控えめであったりするので、地方によってはこれが蕎麦つゆなのかと思うほどの変化がある。だから、自分の好みを押し付けてもいけない。
個人的には、お江戸の蕎麦屋はやはり味が濃過ぎる気がする。味のバランスとしては「長野県中央部 松本付近」の蕎麦とツユの組み合わせが良いと思うのだが、それも個人差というものだろう。経験的に北海道ではツユに特徴がある蕎麦店・地域は少ないように思う。

この時期なので、テントは風除けの覆いがあり、なんと室内には石油ストーブが設置されている。耐寒設備としてよく考えられているとも思うが、なんだか避難小屋での緊急食堂みたいだなとちょっとおかしくなった。
全体的に働いているスタッフがほぼ全員、若い方だったのも意外だった。偉そなおっさんもいないし、確かに蕎麦祭りというよりそばフェスという言葉が似合っているスタッフだった。

蕎麦と酒がセットで売られているので、蕎麦以外にも酒のつまみ対応の出店があるのが嬉しい。ただ、夕方からここに来て酒を飲むのは、相当に防寒対策をしたとしても覚悟がいる。おそらく震えながら蕎麦をたぐった後、暖房の効いた居酒屋に逃げ込んで二次会ということになるのだろう。まあ、それも北国の「寒い」秋の楽しみ方というものか。

個人的には、夏の公園ビアガーデンよりも楽しみ甲斐があ流と思うけれどね。

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この葡萄が食べたいからの妄想

種アリなので不人気らしいが、

お江戸の周りではほとんど見かけない「キャンベル」と言うブドウがある。小樽周辺ではこの葡萄を栽培する一大産地があるので、地元では一般的な葡萄だ。糖度はとても高い。巨峰などの大粒ブドウよりよほど甘味があると感じる。(糖度を測ったわけではないのであくまで感覚的なもの)
このブドウを使ってワインが作られているのだが、仕上がりがちょっと甘めというか,ワインというより葡萄酒という言葉が似合う。ワインは葡萄で味が決まるのだが、ヨーロッパ系のワインとは随分と違っている。
甲州や信州でも地元特有の葡萄を使ったワインが製造されているが(こちらが日本ワインの本場だ)、出来上がったワインは酸味がキリッとしたヨーロッパ系ワインに近い味がする。

ワイナリーの社長に聞いた話だが、同じ品種でも土地によって葡萄の味は微妙に変わるそうだ。だから、いくつかの畑で取れた葡萄を使って原酒(原ワイン?)を作り、それをブレンドすることで味に幅を持たせる。フランスのボルドーなどは、数ある名シャトーでそのブレンド技術が一子相伝みたいなものになっているらしい。
だから、このキャンベルという葡萄を使ったワインも、もう少し幅が広げられるのではないかと、ずっと思っていた。

葡萄の栽培はまさに惜しげもなく人手を投入することが必要な農業らしいが、生の葡萄を売るのではなくワインに加工することを起点として、高付加価値を生み出す「新型農業」の取り組み方にかえられないだろうか。
最近では夏の気温上昇のせいで、本州の葡萄産地がじわじわと北上しているが、そのため北海道で葡萄栽培をはじめるワインの作り手も増えている。
生の葡萄であれば、移送の問題(移動中に粒が落ちてしまう)がある北海道は首都圏向け販売には不適地になる。キャンベルがお江戸で食べられないのも、まさにそれが原因だ。だが 、ワインという加工品にすれば輸送問題は心配無用になる。

どうも葡萄農園も跡継ぎ問題が深刻なようなので、一時期はやったクラフトビールで町おこしより、カリフォルニアのワイナリー的に6次化された農業・工業・商業複合体ビジネスを北の大地で生み出せないものかと思った。
農業福祉連携法人にして、社会的弱者の自立支援と徹底した機械化による効率追求を合わせて行う。収益あるビジネスにして永続化させる。補助金で持たせるのではなく、儲かるから続けられるというのが重要なポイントだ。ちなみにカリフォルニアのワイナリー経営は社会的経済的に大成功した「成り上がり者」が目指す最終ゴールらしい。日本の金持ちも、北海道でワイナリーを持つという夢・理想を抱いてくれないかな。

何を食べても酒がらみのビジネスしか思いつかないというのは、我ながら呆れてしまうが、地域おこしというより北海道という土地だからできるビジネスとして大規模ワイナリーを……………という妄想をしてみました。

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北の大地とローカルフード

LCCの便で北の街にやってきた。チェックインの時に座席指定はしないまま適当に席が決まる設定を選んだら(これだと1000円くらい安い)、窓際の席になった。普段は窓席を選びはしないので、何やら新鮮な光景が見えた。
山の際まで畑が続いている。アメリカの畑は飛行機から眺めると、視野の全部が同じ色だった。(地平線まで全部とうもろこしとか全部小麦とか、とにかく単色だった)
北の大地でも収穫が終わった10月ともなれば(日本でも同じように)、土の色で一色になる。畑の区画は小さい物でも100m四方くらいだから、隣のうちまで歩いていこうという気が起きないほどの広さだとはわかる。

それでも空港に近づき高度が下がれば、それなりに工場や住宅が現れてくる。北日本最大の空港都市は自衛隊の主力基地に併設されているから人口も多い問はたくさんあるから、空輸できるような高価な工業製品の製造にも向いている。まだまだ人口は増えそうだ。とはいえ、今の住宅地のすぐそばには原生林が広がっているのだから、やはりここは日本の中でも異郷に近い。ライフスタイルもアメリカンな気がする。

空港から JRで20分ほどの小都市に実家があり、駅近くのスーパーに寄ってみた。いきなり、ドがつくほどのローカルフードにお出迎えされた。普段生息している埼玉県ではまずお目にかかることがない。
「ほっけ」のフライだ。おまけに大きい。ホッケの身

は比較的淡白なのでフライにするとうまい魚だと思うが、残念ながら小骨が多い。それを気にしなければ、ホッケフライは安いし腹がふくれるボリューム感もある。貧乏人の味方だとずっと思っていたが、いつの間にやら貧乏人向けではないお値段になっていた。学生時代には丼飯とホッケフライが一番安い定食だったのだがなあ、とため息をついてしまった。
そしてホッケフライの横に並ぶのは鮭フライで、これもお江戸界隈ではまず見かけることがない。弁当のおかずであれば焼き鮭はありふれているものだが、鮭フライはまず登場してこないはずだ。おまけにホッケフライと変わらないほどの大きさで、値段も同じとは。ホッケが出世したのか、鮭が落ちぶれたのか、なんだかこれも微妙な気分になる。昔は、鮭こそ魚の王様だと思っていたのだがなあ。

みてわかる通り、一面の茶色なので、鮭もホッケもビジュアル的な要素はかけらもない。エビフライのようなルックスの違いもない。この茶色を見て中身の味を想像するには、北の大地で生活した経験が必要だろうと思う。転勤や入学で移住してきた南方日本の人たちには、なかなか得難い経験になると思う。
ちなみに、この鮭フライ、ホッケフライ、どちらもたっぷりソースをかけて食べるとうまいと思うのだが、醤油でもなかなかいける。最近の食べ方ではマヨ醤油で食す新人類も大量にいるらしい。

ホッケも干物オンリーではなく、使い道を考えると面白い料理素材になるのかもしれないなあ。

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ディープすすきので演歌な夜

開業60周年だそうでもはや老舗中の老舗

久しぶりにススキノの真ん中で一杯飲むことになった。どうやらススキノの夜はほぼ完全復活したようで、人気店に限らずほとんどの店は予約なしで入ることができないほどの繁盛ぶりらしい。コロナの反動というべきか、これが普通の生活だったのかと疑ってしまう熱気が夜の街中に溢れているらしい。個人的な感覚で言えば、昔懐かしのバブル期に近い感じがする。

その超がつく老舗の炉端焼きの店で炙りたての魚とぬる燗を楽しむことになった。炭火の炙り台の近くに大きな土瓶がかけられていて、そこから柄杓でぬる燗の酒を注いでくれる。燗の加減が絶妙で、ついつい飲み過ぎてしまうのが玉に瑕といった感じだ。

大ぶりの魚を豪快に食べるのも良いが、秋も深まったこの時期では小さい魚をちびちびつまむのも良さそうな気がして、注文したのがししゃもだ。スーパーの魚屋で売っている「ししゃもの類似品」ではなく、本物のししゃもだった。ああ、うまい、というしかない。口福という言葉が頭をよぎる。

炉端焼きの店とはいえ炙り魚だけではなく刺身も注文できる。好みのものだけを注文したら、何と皿が真っ白になった。今ではすっかり高級品化している「イカ」、そして「ホタテ」と「八角のルイベ」の3品だった。特に八角のルイベは絶妙な脂のノリだったから、これまた酒が進む。薄暗い店内で八代亜紀の歌が脳内BGMで流れていた。ただ、店内ではおっさんとジジイの蛮声が響き渡っていたので、しっぽりとした雰囲気とは無縁だったが。

良い友人と美味い肴と美味い酒。ディープススキのを楽しむには、重要な3点セットでありました。この店は、開店60周年を迎えたそうで、良きかな良き哉。

食べ物レポート, 旅をする

新潟のカレー料理インスパイア

去年新潟に行った時には見かけなかった(見つけられなかった)、土産物の新作があった。一つ目は、バスセンターのカレー味という柿の種で、そもそもバスセンターの立ち食い蕎麦屋が万代そばという店名であると初めて知った。
食べてみると、確かに一般的なカレー味のスナック菓子より甘さが感じられる。独特なカレー味で、言われてみればこんな味だったかなあと納得する程度には似た味わい?がある。
新潟は柿の種の本家本元がある土地柄だから、こういう変わり種柿の種も人気がありそうだ。お土産にすると、バスセンターのカレーの蘊蓄を語るきっかけにもなるし、手頃な土産物と言えそうだ。まさに、手土産には好都合な、お手頃な一品だ。一家に一袋的な感じだと思う。
新潟から帰る時の新幹線で、これをつまみにビールを飲むという状況を考えてみれば、これまた実にぴったりする優れものだ。

これも今回初めて知ったものだが、新潟では有名なカレー味のとり半身唐揚げが、ローカル名物として存在している。一度食べてみたいと思ったが今回は機会がなかった。次回はぜひ挑戦したいものだが、そのカレー味唐揚げを再現したもののようだ。
これもその鳥唐揚げ専門店の監修だということだから、食べた感じから元の唐揚げの味を推測すると、かなり辛めでスパイスが尖っている味付けのようだ。ガラムマサラ系のスパイシーさが強いのではないか。
カレー味のスナック菓子としては、相当に辛めの設定になっている。車内でビールのお供というより、家飲みの時に箸でつまみながら(手が汚れないように)、ハイボールでも飲むのに合いそうだ。
今回は一つしか買ってこなかったのが残念だ。いくつか買い置きをしておきたい代物だが、これは新潟でしか売っていないだろうな。
最近、あちこちで亀田製菓製のローカル味小袋スナックを見かける。全国のご当地名物をコピーした商品は、地元+観光客土産として市場価値があるからだろう。
おそらくコロナ環境下での観光業不審も影響していたのだと思うが、なかなか目の付け所が面白い。ご当地版キットカットはかなり昔から存在していたが、コメ菓子の方がより人気になりそうな気もする。
しかし、新潟市民はそんなにカレー味が好きなのだろうか