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ジンギスカンの旅

こリスマスという期間は、人生の大半の時期をただただ忙しく働く日だと思って過ごしていた。神社やお寺の初詣の混雑と同じで、一種の職業的な宿命と諦めていた。それが、ここ数年はコロナのせいでもあり、家にいておとなしく過ごす時間と変わっていた。ただ、長年の夢であったクリスマスに何か休みっぽいことをしてみたいという思いもあり、たまたまポカリと空いた時間に路線バスでプチ旅行をしてみた。
実家のある郊外駅から路線バスに乗り、およそ1時間ほど離れたところに温泉兼キャンプ場という施設がある。冬だからキャンプはできそうにないが、温泉客は多いようだ。バスは温泉施設の入り口前に停車するので、なんとも便利な施設だ。ただ、流石にクリスマス当日に温泉にいく酔狂な客はいなかった。終点で降りたのは自分一人で、やはりクリスマスは誰かと一緒にすごすものなのか。
ただ、その温泉に行く途中の景色が、まさにThe北海道の冬という感じがした。真っ平な場所が延々と雪で白いというものだ。夏は、この辺り一帶、すべて畑か水田だったはずだが、雪に埋もれて見当もつかない。

キャンプ場の受付も兼ねる建物にジンギスカン専用レストランがある。世間的には「チキン」を食べる日だが、自分だけは羊肉を食べるのだという高揚感がある。
ところが、レストランにに入ると昼前にも関わらず、何組かの「アンチ・チキン」派と思われる客がいた。世の中には変わった人が多いものだなあ、と自分のことを棚に上げて感心してしまった。
ちなみに、室内はジンギスカン特有の匂いが充満している。入った瞬間から、帰りのバスの中を思い(つまり自分がジンギスカン臭を強烈に放つことへの申し訳なさ)ちょっと怯んでしまった。

単純な注意事項だが、温泉に入ってあとに、帰りぎわでジンギスカンを食べると、身体中が羊肉臭くなるので、温泉に入った意味がなくなる。ジンギスカンを食べてから温泉に入るという手順が正しいので、それを間違ってはいけない。
ちなみに、なぜこの場所にジンギスカン・レストランがあるかといえば、この町が味付きジンギスカン肉で有名だからだ。肉屋兼レストラン営業をする店もあるくらいだ。最近はすっかり主流になったタレ付き肉のジンギスカンだが、昔は冷凍肉をそのまま焼いてタレにつけて食べるのが、札幌圏ではスタンダードだった。だから、初めてタレ付き肉を食べた時は相当に驚いた。これまた邪道な食べ方だな、という感じだった。

ジンギスカンといえば七輪を使った炭火という固定概念があるが、現在は技術革新もあり無煙ロースターのような「煙吸い込み」グリルで、煙まみれにならずに済むらしい。すすきののジンギスカン屋もこうなっているのだろうか。数年前に行った店は、伝統的な煙モクモク、排煙施設なしの人間燻製製造機みたいなものだった。技術革新とはありがたいものだ。

このレストラン・オリジナルも含め3種類の肉違い(味違い)セットを注文できる。昔は肉をマトン(親)とラム(子)で分けたものだが、今ではロースという言い方もあるらしい。これはラムなのかマトンなのかと聞きたくなる。最近の北海道におけるジンギスカン事情に疎すぎるなと思い知らされた。
この一皿が二千円程度なので、焼肉屋に行ったと思えば、まあ普通な値付けだろう。ただ、個人的にジンギスカンとは焼肉の半額程度で、庶民のというか貧乏人の焼肉だという強固な思い込みがある。だから、ジンギスカンも随分と高級化したものだと改めて思った。
北海道では有名なジンギスカン肉ブランドの本店(滝川市)で食べたものより価格は高いのではないかという気がする。札幌市内にある、某ビールメーカー工場跡地の巨大レストランはなかなかの高級店だ。観光客目当ての価格設定でもある。そのレストラン並みという感じだ。
夏にはキャンプにきて、この店で肉を仕入れて屋外ジンギスカンを楽しむというのは良いアイデアのように思える。次回は夏だな。
とりあえず3食食べ比べをしてみたが、お気に入りは真ん中の肉だった。

この場所にバスで来たのは意味がある。北海道限定ビールを楽しむためだ。工場跡地レストランは観光客客向けの一大テーマパーク的な賑やかさがある。お客さんを連れて接待するのであれば、まさにぴったりな場所だ。そこであればビールもジンギスカンも堪能できる。ただ、一人でひっそりとジンギスカン&ビールを楽しむのであれば、工場跡地レストランは賑やかすぎる。八代亜紀的演歌な環境が望ましいが、店内が暗すぎると肉の焼け具合がわからなくなる。ほどほどに明るくて、ほどほどに静かなところが良い。まさに、郊外の店で、それも人が集う日にだからあまり混雑していないはずで、ひっそりと一人ジンギスカン道を嗜む。我ながら、良い場所を見つけたと思った。

この日も食べたのはジンギスカンのみ。全く夾雑物なしのストロングスタイルで楽しんだ。たぶん、こんなストイックな(笑)クリスマスの楽しみ方は、最初で最後だろうなあと思いながら。

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クリスマスは雪の中

何年振りかでクリスマス時期に北の街にいた。例年と比べて雪が少ないようだ。コロナの流行る前の年には、大雪で空港が閉鎖されクリスマスに空港で外国人観光客が夜明かしするという騒動があった。LCC航空会社の対応が悪く暴動が起きたはずだ。そんなことが嘘のような雪の少ない冬だった。

クリスマスといえば、某米国鳥唐揚げ屋が猛威を振るう(笑)時期だが、こと北の街に関して言えば、地味な勢力ながら決して侮ることができない、小樽発の唐揚げ専門店が有力だ。この唐揚げは冷めてもうまいので、実はクリスマスのパーティー向け商品としては優れものだと思う。だが、クリスマスの日に鳥唐揚げを買うために行列するなどまっぴらごめんだ。チキンのための行列など我が人生最大級のトラウマなので、クリスマス前に半身を買い込んでさっさと食べてしまった。
ただ、半身揚げを買いに行ったときに見つけたクリスマスセットのポスターが妙に気になる。この大小スペシャルパックの売り方は、某米国唐揚げ屋のなんちゃらバーレルのデッドコピーっぽい気もするのだが、まさかバケツ型容器に入ってないだろうなあ。それを確かめてみたい気もするが……………

クリスマス前日、実家の近くの駅前はこの程度の雪しかなくて、気温も高めのせいか路面は全面凍結状態で、実はこれが一番危ない。おまけにこの時期は、外気温が零下に下がり室内気温は常夏環境の25度以上であることが多い。なんと室内外の温度差が30度を超えるので、なかなか体温維持には過酷な状況になる。だから、クリスマスの頃は、あまり外に出歩かないほうがいいのだ。
暖かい部屋の中でキンキンに冷えたビールを飲み、アイスクリームを食べるのが、冬の北海道では定番の過ごし方でありますよ。クリスマスパーティーではTシャツ・短パンの人も多いだろうなあ。

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酢豚を食べに行って残念だったこと

外気温がマイナスになることが多くなる、北の街札幌の12月だが、実はこの時期のビールが美味い。それも生ビールでぐいっという飲み方よりも、瓶ビールでクイっと飲むのが良い気がしている。
理由は簡単で外は寒いが中は暑いからだ。北海道での冬といえば明らかに室内気温は夏並みだから、外の気温に合わせて重ね着をしていると、レストランなどで食事をするときには時間経過とともに一枚二枚と服を脱いでいくことになる。最後はシャツを腕捲りしてしまうこともある。部屋の中は当然のように乾燥しているのでビールが美味い。

そんなときには、中華料理屋に行って酢豚を食べる。理由は、多分だが、甘辛いあんかけの料理が冬の体感温度に合うからだろう。夏の暑い時期には、あの熱々あんかけ料理に食指が動かないということかもしれない。まあ、いつでも酢豚はおいしいけれどね。
北の街で通い慣れた町中華に行った。地下街のハズレにあり、外の寒気にさらされることなく歩いていける。冬の便利スポットだ。
いつもの酢豚とビールを頼んだら、ちょい飲みセットにするとお得だと言われて、言われるままにそれを注文した。酢豚を食べているうちに、餃子が追加で出てきた。なんだこれは?と思ったが、お得なセットとはこのハーフ餃子がついているということだった。なるほど、と納得したが。この餃子3個というのが微妙な量で、ありがたいような有り難くないような……………

普通に美味しい餃子だったが、この後に注文しようとしていたハーフラーメンのスペースが胃袋から消えてしまった。やはりサービスセットについては、注文前によくよく内容を確かめておかないといけないなと反省した。
それにしても、この餃子はかなり大きめのサイズなので、普通に餃子を注文したらそれだけでお腹がいっぱいになりそうだ。次に行くときには、このサイズ感を忘れずにいなければねえ。若い頃であれば、こんなものへっちゃらだったと嘆いてみても仕方がない。

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あまいからい が店の名前

岡山駅から少し離れたところにこの店はある。繁華街を歩くついでという場所ではなく、この店にわざわざ行く、そんな立地にある店だった。看板を見ただけでは何の店なのかよくわからない店名「あまいからい」に夜飯を食べに行った。昼間は行列ができる人気店らしいのだが、流石に夜もふけるとそれなりに空いている。

店の入り口を見ればはっきりと分かるのだが、ラーメンの店だ。黄色と赤のコントラストはいかにも中華な雰囲気がする。味自慢の一言が力強い。

店名の由来は、この店独自な「追いダレ」からきたものだそうだ。ラーメンを食べていて追加の味変をするための醤油ダレが置いてあるということだ。確かに濃い味好きのひとには、これは嬉しいサービスだろう。せっかくなのでラーメンを半分食べたところで、追いダレを試みることにした。

どうやら季節メニューらしいのだが、おでんも頼めるらしい。ラーメンスープで作るおでんに興味が惹かれて注文してみたのだが、何だか普通におでんだった。やはりおでんの出汁は偉大なもので、ベースをラーメンスープにしようが、鰹出汁にしようが、やはり具材に染み込む味わいという点では、大きな差が出ないようだ。このおでん、普通に美味いがラーメン味というわけでもない。中華紋様の皿に入ったおでんというのはちょっと不思議な光景だった。

さて、ラーメンだがこれまた特異な味というわけではない。普通にうまい。何度食べても飽きのこない味だと思う。やはり長く続く名店は、飽きが来ない、また食べたいと思わせる「普通の」うまさが重要なのだなあ。
ラーメンのスープ、麺、トッピング、そのバランスというか調和というか、これを揃えるのが難しいのだが、名店はさりげなくそれを実現している。半分食べて追いダレ実施した結果として、あまいのもからいのも、どちらも美味しかったですねえ。
個人的には、追いダレたっぷり入れた極濃い味が好みのようでありました。

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三原 滞在時間2時間

広島県三原市は港町らしい。新幹線も止まる駅だが、駅前は意外と閑散としている。広島空港行きのバスを待つ時間待ち三原の街にしばらくいた。城を眺め昼飯を食べ、それでも時間が余ったので、荷物をコインロッカーに預けて散歩をして回った。
まず駅前で見つけた看板がすごい。クマ出某注意という看板は、北の国でよく見かける。動物注意と書かれた「猿の看板」もみたことがある。しかし、プリンが危険物だとは知らなかった。三原の街はプリンで世界征服を狙っているらしい。

駅前にはタコもいたが、そこには「タコの逆襲」などとは書かれていない。怪獣映画の宣伝文句みたいキャッチコピーがあっても良さそうだが。瀬戸内海を挟んで広島県川と愛媛県川でタコ推しの街があるというのはうなずける。どちらのタコがうまいか、比較してみたいものだ。

そして、もう一つの三原名物が「ダンス」のようだった。これは初見だが、西日本では有名なものなのかもしれない。

瀬戸内海の島を結ぶ港があるとのことなので、駅前から港まで行ってみた。西に行けば呉、東に行けば尾道だが、広島県の町としてはだいぶ東寄りにあるらしい。まあ、この辺りは広島(安芸国)というより備後国だから、古代中世を通して広島とは別の土地だったはずだ。村上水軍に代表される「海の民」の影響が大きかっただろうし。

港町らしく大きなスクリューのモニュメントがあった。戦中、戦後に活躍した旅客船のものだったようだ。船のスクリューは水面下に沈んでいるから目にする機会もない。なるほど、大きなものだと改めて感心した。

港の案内板を見ると、確かに三原周辺には小さな島が多い。橋を渡すほどの交通量も必要ないから、連絡船で繋がっているようだ。
よくよく地図を見ると、ウサギで有名な島があったり、レモンで有名な島があったりするが、どの島へも船で渡るしかない。レモンの島に入ってみたいものだが。
いつか、時間ができたら、小さな島をぐるっと巡るのも良さそうだ。瀬戸内海賊の気分になって見るのも乙な旅だろう。ウサギの島に行くときは人参を持って行かなければな。三原駅周辺、2時間の観光だった。

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呼び込みに誘われて

岡山駅正面に立つ高島屋の裏手は、どうやら岡山の飲み屋街にあたるらしい。もう少し西側に行けば、ちょっと怪しいお店も存在しているようだが、岡山は立派な教育県なので風俗店は見当たらない。まあ、健全な飲み屋街で間違いないだろう。
その裏通りを彷徨き回っていると、タバコを吸いに表に出てきたらしい居酒屋のお兄ちゃんに声をかけられた。看板を見るとなかなか良さげではあるのだが、前日も焼き鳥を食べたのでどうしようかと迷ってしまった。
特にいくあてがあるわけでもなく、岡山名物〇〇がたべたいという欲求もない。行き当たりばったりで、どこかの店に飛び込もうとしていたから、通りをもう一回りしたのちにこの店に入ることにした。

岡山には銘酒が多いはずだが、不勉強で全く見知ったブランドが見当たらない

注文をするときに、先ほどのお兄ちゃんが「「戻って来てくれてありがとう」と一言かけて来た。こちらは曖昧に頷き、おすすめはと聞くと鍬焼きはどうかと言われた。いつものように、「じゃあそれで」と全く人任せな注文をしてしまった。その後で、メニューを真剣にみて追加を選ぶことにしたのだが、結局追加したのは鶏皮の酢の物だった。

当然ながら、こちらの方がすぐに出てくる。食べてから後悔した。この鶏皮はうますぎる。鶏料理はこれだけにしておいて、別の肉を頼めばよかった。まあ、旅先でよく起こる居酒屋あるあるだった。
しかし、旅先で居酒屋に入るたびに思うことだが、なぜお江戸の居酒屋と同じ名前のメニューがこんなにうまいのだろうか。お江戸を標準にすると、人生ちょっと不幸なのではないか。
まったく感覚的な話だが、お江戸より2割安く、お江戸より2割以上美味いのが地方都市の居酒屋レベルだ。初めてお江戸に出てきて入った居酒屋の法外と思える値段と、出されたものを食べての落胆を思い出す。まあ、それにもすっかり慣れたけれども。

続けて出て来た鍬焼きは、平たく言えばクワのような形の鉄板で焼いた鶏肉で柚子胡椒をつけて食べるものだ。宮崎名物、地鶏焼きインスパイアな料理だった。こちらもうまい。ただ、一人で食べるには量が多い。一人飲みの欠点は、時にこうした大ボリュームメニューに当たってしまうことだ。
鶏皮もかなりの量だったので、この日は鶏料理二皿で満腹になってしまった。うまいものを食べた報いだと諦めるしかない。できれば、もう一品か二品試しにたべてみたかったなあ。鳥肉に関しては素晴らしい店だったから、他の肉も試してみたかったのだが。

ほろ酔い気分で歩いていた帰り道、これまた声をかけれらたのだが、その声が随分と小さい。教育県岡山には存在しないと思っていたキャバクラの呼び込みで、確かに見上げてみれば、一見するとやたら明るいスポーツバーのようにものがある。それがキャバクラらしい。というか、こんな明るい健全ムードでキャバクラ営業できるのか、さすが教育県だなと変な感心をしてしまった。
こちらの客引きはあっさりとご遠慮してホテルに戻った。岡山の夜、二人の客引きに声をかけられたが、なんとも不思議な街なのだ。

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岡山で一番うまいもの賞

岡山初日で買えなかった「たくあんサラダ」なパンを翌日手に入れた。見た目は限りなくシンプルなコッペパンだ。横須賀で買ったコッペパンサンドに似ている。つまり中身が何にもわからない「謎」パンだ。

中身を開けてみたら、マヨネーズで和えたたくあんが具材になっていた。これまたシンプルの極みだ。
どころが、食べてみたら、感動の嵐だった。今まで食べたパンの中で一番美味いかもしれない。これまで食べたことがなかった、それが盛大に悔やまれる。人生にたまたま仕掛けられた罠にハマった気分だ。なぜ、このパンのことを知らなかったのだろう。人生の大事な時間を無駄にしたような気さえする。我が人生で、最良の師である「某ケンミンショー」でも、このパンのことはしらされていないのではないか?

岡山、すごいぞ!!であった。

「福神漬けサラダロール」は前日食べて感動していたのだが、改めてもう一度食べると、こちらも「たくあんサラダロール」とは甲乙つけ難い名品であるとわかる。龍虎決戦と言いたい。嗚呼、美味しい。

中身はカレー味のマヨネーズに福神漬けが入ったものだ。シンプルだが美味い。やはりこれを食べる時は、たくあんサラダと福神漬けサラダ、各一本づづを購入し交互に食べるのがよろしい。一度に2本食べると相当に満腹になるが、どちらか一本だけ選べと言われても選択に困る。
このサラダロールを食べるだけのために岡山に住むのはしんどいが、これを食べるために岡山に行くのは、アリだと思う。それほどの名品だ。
なんとか、東京に出店してくれませんか、岡山のキムラヤさん。お願いします。

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吉備津神社で古代国家を思う

備中国一宮、吉備津神社は一度来たことがある。桃太郎伝説の絡みで、この地にいた有力氏族である「うら伝説」を聞いたからだ。うらとは温羅と書く。おそらく古代ヤマト朝による侵攻と吉備支配の過程で残された物語だろう。
大和国に王朝首府をおいた古代ヤマト朝が中国(西部戦線)北陸(北東部線線)丹波(北西戦線)東海道(東部戦線)の4方面戦線を同時に構築した時の西国侵攻主導者が吉備津彦だったというのだ。
個人的には、この話は盛りすぎだと思う。日本書紀の話は、基本的に針小棒大な作り話が多い。大陸の大国に倣い正式な歴史書を作ろうとした勢いのまま、筆が滑るというか虚飾まみれのホラに膨れ上がっている気配が濃厚だ。今風に言えば、盛りすぎというやつだ。
古代において街道すら整備されていない小国分立状態の時期に、4方面作戦が同時に行えるほど国力があるわけもなく、また人口を考えても兵員数には限りがあるだろう。仮に各方面の諸国家と大和の国力対比が10倍あったとしても、予備兵力を考えれば4方面作戦は無理だ。軍事の常識に古代も現代もない。兵量(人の数)と武力(兵器を含めた質)の掛け算で勝負は決まる。
だから、吉備国で古代ヤマトとの戦争が起こりヤマトが勝った時に、吉備王国の王族をヤマトの一族扱いにして支配者とした。それがヤマトから派遣された将軍と称される吉備津彦のあり姿ではないかと思う。
本来、征服者であれば子孫が支配を受け継ぐ(ヤマトの代官として)はずだが、吉備津彦に子はいなかったようだ。ヤマト朝としては吉備王国の支配者の血筋を消したかったのだろう。

独自な建築様式なのだそうだ

そんなことを考えるきっかけになったのが、吉備津神社の特異な建築様式だ。この独特フォルムは吉備津神社だけのものらしい。ただし、その造形は古代に確立したものではなく、中世に生まれたようなのだが。中世になり古代から続く禁忌が外れた、みたいな妄想をしてみたい。その時期は南北朝の紛争で天皇系統の正当性があれこれ取り沙汰された時期でもあるし……
出雲も統一ヤマト朝による被征服国だが、出雲大社には独自の様式が残されている。ヤマト朝の支配様式というか、大国の王族、神族は根絶やしにせずヤマトに同化した形で存続させたのだろう。
おそらく完全撲滅させると反乱が起き、それに対応できるほどの超絶した国力があったわけではないからだ。古代ヤマト朝は豪族の連合政権で大王も持ち回りみたいなものだったようだから、同化政策が現実的かつ主導力だったと思う。
吉備国や出雲国のような海上貿易を行う大国との関係は、征服というより緩い連邦からの統合みたいなものだったのではないか。

どちらにしても、古代ヤマト朝が精一杯に背伸びをして中華大国に見栄を張った結果が、日本書紀の盛りすぎ伝説になっていると思う。現実的には、案外周りの国にペコペコと頭を下げながら同盟国を増やしていった、勤勉で臆病で腰が低い国づくり過程だったのではないかと思う。
そもそも文書記録を輸入文字である漢字に頼っているのだから、それだけで国の立場というものがわかる。現代日本の歴史をアメリカ英語で記述して、それを国家としての正史とするみたいなものだろう。
当時でも存在していたはずの国粋主義者であれば、自国の歴史を他国語で記録するというのは、なんだかなあと思っただろう。現代であれば、Right Wing方面から集中砲火を浴びそうな暴挙なのに、今ではそれを正統歴史書として扱っている。やはりこの国は古代から変な国なのだ。
大陸国家が、特に春秋戦国から漢代に至る時代を、宗教面に視点を置いて、古代日本にどのような影響を与えたかは考察してみたいものだ。大陸のスーパーステートが東の小国である島国に与えら宗教的影響は、日本神話にどのような衝撃を与えたのだろう。それが日本の文化の源流、特に神道形成への影響は大きかったはずだ。道教の成立や仏教の伝来以前だから、古代中華帝国の宗教体系はかなり呪術的なものだったように記憶しているが。
それと同じ時期に滅ぼされた国である吉備国の成立は調べようもないだろうが。歴史は妄想からだなあ。

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予期せぬ登山

朝早くに岡山の街を出て高速道路を走る。その時には気が付かなかったのだが、中国自動車道は山の中を走るのでずいぶんと高度が高いところに道があるようだ。高梁の町近くで高速を降りると、そこからくねくねとした山道をずいぶん時間をかけて降りてゆく。川沿いに伸びる平坦地に着いた時は、一仕事したなと感じるくらい坂道を降りていた。
その一番下から、また山の上にかけて登っていくと頂上に城がある。事前に調べていたら、山の中腹に駐車行がありそこから20分ほど登るとのことだった。20分とは軽い山登りだなとナメ切っていた。自分の体力を過信していたバチが当たった。

駐車場脇には登山の心得は書いていない。登っていく要所にあるビューポイントらしいものだが、それも無視して上り始めた。douyaら、そこのポイントで休みながら登れという「正しい助言」だったのだが……………
5分で後悔した。

要所要所に立て札があり、あれこれ注意が書かかれてあった。一番初めに見たものは「慌てて登るな」だったが、この時点ですでに上り切れるかどうかが大問題になっていた。逃げるなら今だぞ、的な心情になっていた。

こういう具合に階段になっているのはまだ良い方だ。少なくともこの先に階段の端っこがあるのは理解できる。とりあえず、この階段を上り切ったら考えよう、と自分を騙しながら一歩一歩上る。10歩登っては一休みみたいな気分だった。

もうそろそろ天辺に着くのではないかと思った頃、「ここが中間地点」という看板に出会い、完全に心が折れた。気分は9割下山する方向に向いている。それを騙して、また上り始める。立ち止まる。考える。このダメダメサイクルが延々と続く。

中間点から石段を延々と上り、たまに平坦な場所に出るが、そこを少し歩くとまた上り坂が始まる。頂上に近づくにつれ、そうしたギミックというか期待感を抱かせた上で裏切るみたいな道作りになっていた。この城を攻めることになった兵隊はさぞかしフラストレーションが貯まることになっていただろう。築城主の底意地の悪さがあから様に感じられる。だから名城と言われるのか。

ようやくゴールかと思った見晴台のような場所がある。そこから山の下を見下ろすと高梁の街、民家が見える。景色は良いが、そこから振り返るとまた山を登る坂道が見えてくる。実にけしからんつくりだ。

精神衛生上、全くよろしくない山道を登ること40分。すでに規定時間の倍近くになっていた。天守閣がある広場には入場券を買ってはいるのだが、その切符売り場に上がるたかが十数段の階段が無限の高さに思えるほど疲労困憊していた。

天守閣周りの小さい広場でしばし休憩していると、汗が急速に冷えてきて寒い。ただ、夏であれば暑さでもっと早くギブアップしたような気もする。岡山の城廻は地獄の旅だなと思った。
明治の大規模城塞破壊の時代を生き延びたのは、この山登りの面倒臭さのせいだったかもしれない。少なくとも現存12天守の中で、この場所が一番しんどいのは確かだ。
ひいひいいながら駐車場まで降りてきて、土産物売店の方に、エスカレーターくらいつけた方が良くないですかと聞いたら、働くもの全員そう思っていますとのこと。客から言わないとなかなか管理団体が腰を上げないそうだ。
だから、声を大にしていいたい。備中松山城にエスカレーターをつけよう運動を始めませんか。もちろんクラウドファンディングもつけましょう。そうしないと永遠に設置されそうもない。

お城の公式ホームページ?はこちらhttps://www.city.takahashi.lg.jp/soshiki/9/shiro4240131.html

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津山城は霧の中

津山城は小高い丘の上に立つ山だった。石垣が平面加工してあるので、築城技術が整った頃、つまり江戸前期くらいに作られたものだろうと推測できる。岡山から鳥取に抜ける中国縦貫道の要所である津山に大きな城があるのは理解できる。
ここと、岡山城で縦深陣地を形成するのは戦略的に意味がある。ここを迂回しようとすると鳥取から豊岡、亀岡と抜ける京都周りの経路になるが、それもまた盆地を順番に下して行く長い戦闘が続く。秀吉の鳥取、岡山攻めに時間がかかったのはこの二正面制覇が問題だったのだ。

城の麓から天守閣後まではかなりの高低差がある。最初から嫌な予感がしていたのだが、これがこの先延々と続く備前、備中、美作国の山登りの始まりだった。

途中経過は省くことにするが、高さの違う石段を延々と上り続ける。石垣も何度か曲がりくねる、防衛拠点特有の構造だから、あとどれくらい登れば頂上に辿り着くのかもよくわからない、希望を持たせない作りだ。
天守閣跡は御殿が広がっていた平地だったが、そこには、よくこの高さを登ってきた、ご苦労、というずいぶん上から語りかける看板もあった。褒められても嬉しくない。

てっぺんで一休みしたあと降り始めたら、予想以上に足に来ていて階段を踏み外しそうになった。

山頂からは津山の町が見えるはずなのだが、思っていた以上に見通しが良くない。霧に霞んでいるせいだ。冬の晴れた日であればもう少しすっきりとした気配になっているのかもしれないが、山の中で曇天、霧雨状態であれば見通しが効かないのも仕方がない。
ものすごく疲れた割に達成感が感じられない。城から降りても町巡りをする気力も湧いてこない。こういう困った日もあるものだと諦めてさっさと退散することにした。