小売外食業の理論

回転寿司の対応を見に行ってきた

すしテロとか、ぺろぺろ事件とか言われている、SNSで発信された危ない映像の対応を確認してみようかと、被害にあった大手回転寿司に行ってみた。ニュースでは事件の後、売り上げが低下したと報道されていたが、店内はほぼ満員だった。気にする人は来ないし、気にしない人には関係ないということだろう。どうやら高齢者を中心に回転寿司忌避は起きているようだが、確かに周りの席に座っているのは高校生から30代くらいまでだった。昔よく見かけた高齢者カップルは1組だけだった。
郊外型の店であれば、もう少し年齢層の偏りがあり影響も大きそうだが。
具体的な店舗での対応を見ると、非常に簡単だった。寿司は回っていない。注文したものだけが上段の高速レーンで運ばれてくる。つまり完全なバイ・オーダー、注文が入ってから作る方式になっていた。ぐるぐる回る寿司の前提は、商品(皿)にイタズラされないという客と店の性善説関係によっているので、その信頼がなくなった以上、回る寿司はありえない選択ということだ。
他のファストフードでも類似事件が起きている、卓上の無料調味料やガリ、紅生姜、漬物などをどう対応するかが重要改善ポイントの一つだが、この店では「客の選択」に委ねることにしたようだ。
封印された小袋で、わさびなどが置かれている。昔は容器に入ってベルトの上を回っていたがテーブルごとの設置に変わったようだ。そして、ガリも小袋化されていた。
お茶も上部の小さい穴から粉茶を取り出す方式になった。容器に入ってる粉茶を小さじで取り出す方式はやめたようだ。

ただし、ガリ容器も残っていて、これは大量にガリを食べる客向けの対応だろう。たまに見かける、皿にガリを山盛りにしている客は(特に外国人観光客らしき人たちは)、小袋を大量に開けるのが面倒くさいと思うだろうということなのか。少なくともコスト面からの考えではないと推測する。

もう一つ気がついたのだが、全ての容器が綺麗に並べられている。割れたガラス理論ではないが、テーブルの上に乱雑に置かれていると、適当なことをしてもあまり気にならないという客側の心理を考えているのだろうか。このブランドは素早く対応している。良いお手本だ。
もはや性善説の維持は難しい。となると、客との心理戦にどう有利な位置を取るか、そこが具体的な対応策になるはずだ。ファミレスのドリンクバーの運営や、調味料のセルフサービス、食べ放題の料理陳列システムなど外食企業で類似の改良が必要な設備は多い。業界内で色々な試行錯誤が続く上で、最上な解答が生み出されると思う。
ただ、やはり今回の一連の事件は、運営側の怠慢でしかないと厳しく反省するべきだと思う。こんなことをする客はいないだろう」という思い込みで、「改善すべき仕組み」に金をかけてこなかったツケなのだ。被害者である回転寿司ブランドに同情的な意見もあるようだが、自分は全くそれには与しない。
失敗の原因は自分たちにある。それにどう早く対応できるかが企業力だ。自分たちの怠慢、無知を他人のせいにするようでは、飲食業、サービス業が存続する意味がない。迷惑行為をした者を法的に制裁するというのは、その次の作業だろう。
客の中の一定数は悪意を持っているという前提で、システムやオペレーションを組み立てる努力をせず、自分たちの怠慢を法的制裁で牽制するとしか見えないのだ。

自分がそういう悪意ある客ではないことを証明するため、写真を撮りにきただけではなく、寿司もちゃんと食べるのだということで、好みの寿司6皿をしっかりいただいて帰りました。茶碗蒸しとメンチも追加で頼んだことを付け加えておきます。

小売外食業の理論

福袋のハズレ通知は大手の策謀

もう古い話になる?が、マクドナルドの新年福袋に外れたと言う通知が来た。福袋応募抽選には、ここ数年毎年応募している。残念ながら当たったのは一回だけだ。そこに文句があるわけではないが、ハズレ通知の中に来年は当選確率が2倍になると書いてある。
これは微妙な表現だなと思う。来年も応募する気が満々(自分もそうなりそう……なのだが)な人間には、やる気を起こさせる。ただ、それほど気合の入っていない応募者の中には、「ヘン、うるせーよ」と言いたくなるものもいるだろう。
マクドナルドをはじめとする外食チェーン店の福袋は、大体が商品券で構成されているので売上という視点から見ると「需要の先食い」でしかない。しかし、顧客の確保、流出防止、利用頻度促進など「ヘビーユーザ対策」として考えると、これはなかなか興味深い集客戦術ということになる。最近では、応募・抽選・当選・連絡などもネット・アプリで完結するから、こうした「来年もまた応募してね」という長時間スパンの提案(販促)もできる。
ネット商売が勃興機の時代(もはや随分昔のような気もするが)には、ライフタイムバリューだのロングテールだの、あれこれカタカナ・マーケティング用語が噴出したが、結局のところ、常連客の囲い込みということでしかなかった。ただ、その手の細かい顧客対応が苦手だった大手チェーンが、ネット・アプリ環境が進化しネット販促が普及したことで、中小店よりきめ細やかな対応が可能になった。
というより、大手の得意技に仕立て上げたということだろう。ネット・アプリを使った販促は中小規模店には投入資金、運営技術共にハードルが高すぎる。
一時は万能兵器のようにもてはやされたSNSも、今では販促ツールとしては常用品となり、ツールとして差別化されてもいないし、目新しくもない。もはや古びた常備品というところだろう。
すでにSNSの販促効果はグッと低減している。アプリ制作などの導入費用や運営維持費を考えると、なかなか悩ましいツールだろう。SNSの次のツールが求められている、まさに、ネット販促戦国時代なのだ。そうした中で、マクドナルドは一人我が道を往くという感じで、強者の論理を実現している。(ような気がする)

決してハズレたから文句を言うつもりはないが、ハズレたおかげでネット販促のあれこれ、特に大企業に有利に働く市場環境などを考える機会になった。転んでもタダでは立ち上がらない、せめて石ころの一つも拾ってやるという貧者の論理を実践できた。(つもりだ)
でも、来年は当たるといいなあと、すでに応募する気になっているのだから、まんまとマクドナルドの策にハマっているのだ。

小売外食業の理論

コンビニのPB観察 その1   クリームパン

アフターコロナの時代は、値上げの時代になった。コロナの落とし子はいろいろあるが、その中で食料品を含む物価上昇は、デフレなき平成時代の名残を吹き飛ばしてしまった。今では、食品の値上げは「当たり前」のことになり、その波が外食にも押し寄せている。
値上げした食品価格が、少なくともその企業で働く従業員の給料に反映にされるのであれば良いのだが、どうも賃上げは抑え込みながら商品の値段を上げる経営者が多いらしい。そういう時代感のない経営をすると、手ひどいしっぺ返しがくるのが世の中の常だ。賃上げをケチる会社という風評で、会社の経営が揺らぐ。川下産業である食品販売業や飲食業の特徴だと思うのだが。
今はみんなが値上げするからうちの会社も値上げしようという便乗型企業は多い。このご時世に値上げの正当化は説明が簡単だからだ。みんなで渡れば赤信号も怖くない日本社会の典型だ。ただ、半年もすればその中から低価格を売り物にする「逆張り商売」が注目を浴びるようになるはずだから(歴史は繰り返す)、今のうちに値上げ商品と価格についてあれこれ調べておこうと思う。
値上げした企業・商品が競争に負けて値下げする時に、昔と今を比べてやろうという、意地悪い気分もある。どうせ値下げする時には、消費者還元とか社会貢献とかいい加減な理屈をこねくり回すのはわかっているから(これも歴史は繰り返すだ)、嘘つき企業として、犯人探しをしておいて証拠を残して見ようとも思う。
まあ、社会が実力主義偏重になりサラリーマン経営者が多くなると、短期的なビジョンしか持てないから、あれこれ面白いことが起きるものだ……………というのが今回の趣旨だ。

たまに食べたくなる小ぶりなクリームパン 薄皮まんじゅう的な優れものだ

さて、ちょっと長い前置きになる。今では当たり前になったコンビニのPB商品も、実は物価上昇の時代に始められたものだ。今となれば懐かしいダイエーが、メーカーに対抗して価格破壊の一環として大々的に始めたのが最初期のPBだった。当初は「価格は安いが品質はねえ」という感じだったが、だんだんに品質が向上しNB品と変わらなくなっていった。
ただ、コンビニはスーパーとは異なりPBの導入が遅れた。コンビニはもともとNBの定価販売が基本だったからだ。仕入れで規模の経済を生かして、個店経営より安い仕入れ価格を実現し粗利を増やす。その増えた粗利を本部と加盟店が分け合う、みたいなビジネス構造だったはずだ。コンビニの基本ビジネスモデルとは、卸業者(本部)が個店(加盟店)における販売ノウハウを提供し、取引先(加盟店)の囲い込みを図る、中間流通業者の経営改革と理解するべきだろう。
それがコンビニ各社が利益改善を図る中で、いつの間にかPB商品投入が当たり前の手法になってしまった。販売量の多いコンビニにメーカーがすり寄ってきたという方が正しいかもしれない。
この値上げの時代に、スーパーより強い購買力をもつに至ったコンビニ本部がどういう価格対応をするか、業界一位のセブンと二位・三位企業がどう対抗するのか、興味津々だ。
ちなみに、業界一位のセブンは問答無用で自分の理屈にあわせて値上げをしていると思う。ものによってはNB品より高いぼったくり商品と言いたくなるものもある。まさに強者の論理の実現だ。だから、基本的にセブン商品に対しての評価は辛口になるということを最初にお断りしておく。盛者必衰は歴史からの学びだが……セブン帝国は我が道をいくらしい。


今回の元ネタはネットニュースだった。大手パンメーカーの定番品が値上がりする。それと似たようなコピー商品はどうなるのか、というような話だった。NB品の値上がりを待ってコンビニPBと比較して見ようと思った。それぞれを買ってきて比べてみた。

左 PB  右 NB 
写真ではわかりにくいが、実際に見るとNBが一回り以上大きく見える

包装袋には重量情報が載っていなかったので、自分で計測した。NB品は38g(平均)に対してPB品は27g。内容量はNBが4個入りに対してPBは5個入りなので、総重量はNB152g、PB135gになる。重量比にするとNBはPBに対して126%と多い。そして価格比は144%。となるとお買い得なのはコンビニPBになる。味の好みは個人的なものだから、上手いまずいをコメントするつもりはない。試食した感想で言うと味に大差はないように思う。
製造元はどちらも山崎パンなので、製造ラインが別だが、製造ノウハウは共有されているのではないだろうか。パンの焼き色やクリームの違いはあるので、NB品をコンビニ向けに改造した(スペックダウンした?)ものであることはわかる。別物というより、二卵性双生児みたいなものか。若干、クリームの濃厚さが違う気もするが、それも好みの差の範囲だろう。
一包装で中身の個数が違うから、小さくてたくさん入っている方が良い人はコンビニで、一つの大きさや食べ応えが重要な人はNBをスーパーで買うのが良さそうだ。価格だけで決めるのならば、コンビニPBの方が安い分だけ価値があるかもしれない。ただし、コンビニは納入数が少ないので売り切れることも多い。その辺りが評価の差になりそうだ。自分の意見では、どちらでも良いのでは………と言うところだ。
クリームパンの他にあんぱんもあるので、そちらはもう少し中身の「あんこ」の味について、好みの差がでそうな気もする。
この調査の目的?は、NB・PBの優劣差をつけるというより、半年一年先に起こるであろう値下げの言い訳を楽しむ頼めの証拠・記録なので、しばらくあれこれ比較してみたい。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

一人中華三昧を楽しむ

辛い肉野菜炒めとでも言えば良いのか 「爆弾炒め」は野菜たっぷり

中華料理屋に行って一人飯を食べようとすると、基本的な一品に小皿がついたセットを注文することになる。麺や丼は当然一人前だが、あれは食事としての完成度が低いというか簡素すぎるのが寂しい。そう感じる時には、定食・セットのお世話になるしかない。回鍋肉セットとか、酢豚セットとか、エビチリ定食みたいなものだ。サラリーマンのランチで考えれば全然リーズナブルで当たり前だろう。高級中華料理店であれば、小皿が2・3品ついてきて相当にゴージャスなものも選べる。町中華であれば餃子定食とかレバニラ?定食とか「がつん系絶対定番」も存在する。
ただ、色々な料理をちまちま食べたいという中華の食べ方となると、これは一人飯では難しい。絶望的に難しい。だから、中華をしっかり食べる時には5ー6人のパーティーが必要になる。それが世の常識というものだとは理解している。それでも、一人で「中華ちまちま喰い」をした時はある。そんな時には、日高屋に行く。居酒屋使いする夜パターンを、すこし変形して使ってみるのが良いと思う。
まずはメインの一品を決めてそれを頼む。それに追加するのは全て「小皿」シリーズにする。日高屋の優しいところは、餃子も3個で頼めることだ。今回は頼んでいないが、サイドで餃子を選ぶのは一人中華のお決まりと言える。

日高屋の小皿メニューは中華というより居酒屋のつまみに近い。が、そこはちょっと妥協して、イカゲソ唐揚げと焼き鳥(という名の鶏肉甘辛煮?)にした。これにラー油をかけたり、酢と胡椒で味変したりすると、気分はそれなりに中華感が出る。そして白飯の代わりに半チャーハンを頼む。よくあるラーメンを頼むと半チャーハンセットにできるという限定しばりメニューではなく、単独で半チャーハンが頼める。これも日高屋は偉いなあと思うところだ。ちなみに、半ラーメンも単独メニューとして存在するから、半チャー半ラーメンという掟破りな組み合わせも注文できる。日高屋、偉いぞと本気で褒めてしまう。

手間をどう考えるかで値段設定は変わるだろうが、世の中の町中華経営者は本気で日高屋的少量・半量メニュー対応を考えるべきだろうと思う。いや、中華に限らず全ての飲食コンセプトに適応できる考え方だ。アフターコロナの時代に、原材料価格上昇と人手不足から値上げやむなしという雰囲気が広がっている。特に大手チェーンは値上げにためらいなしの対応だ。しかし、賃上げが後回しになっている社会構造では、この値上げが受け入れられるとは思えない。すぐに価格競争が再開する。その時に、中小規模の経営者はどう対応するかの回答が、「定番の少量化」ではないかと思っている。
ちなみに、同じ町中華大手の満洲餃子では、日高屋とは別の考え方があるようで、それはまた別の機会に考えてみたい。
昼のピークを過ぎた頃に楽しむ一人中華三昧は、なかなか真面目なビジネsyテーマを考えさせてくれるものなのだ。

小売外食業の理論

コロナの後の居酒屋戦線考察

具の見当たらないソース焼きそばが酒の肴には向いている

コロナの第七波などとメディアが騒いでいた夏が、おそらく外食の復活期だった。半年近く経ち振り返ってみると、ああそうだったなあとわかる。メディアも視聴率が取れないせいか、コロナ報道は下火になっていた。オリンピックが終わり一年が経ってみれば、予想通りというか当たり前というか、汚職の摘発が始まり大手広告代理店がまな板の上で処分を待っている。おまけに談合疑惑も発生し、公取が出動する事態にまで発展した。市民感覚的にはオリンピックの熱狂もすっかり冷め、一年も経てば、「悪い奴」退治のニュースをネタにオリンピックを小馬鹿にする風があっても不思議ではない。まさに、居酒屋のオヤジネタにぴったりだ。居酒屋復活を祝うが如き、オリンピック汚職ネタで大いに盛り上がったことだろう。
オヤジ族と言えば、ひっそりと昼飲みに移行していたジジイ層を含め、居酒屋が昼営業を縮小し通常モードに移行すると、当たり前のように夜活動に戻ってきた。あの周りを無視したような大声というか喚き声も復活した。やはりオヤジ族には学習能力がない。孤食だの黙食だのという言葉は記憶にさっぱり残らなかったようだ。
ただ、コロナが終わって(?)、行動変容しないオヤジたちを置き去りにして、居酒屋は様々な変化をしている。生存戦略と言っても良いのだろう。基本的に「値上げ」を行い、省力化を進めている。意外なことにオヤジ対応の低価格居酒屋である「一軒目酒場」が、その変化の先頭を走っている。そこで見つけた重要な変化を二点あげてみたい。
一点目が、「具なし焼きそば」推しにあらわれる、低単価維持を見せかけるメニュー再構築だ。値上げごまかしのフェイクメニューというと言い過ぎかもしれないが、目眩し作戦であることに間違いはない。酒類の大半が1-2割の単純値上げをしている。その値上げ感を和らげるのが、定番商品の価格維持と新商品として肉系商品(ただし少量化している)の導入だ。揚げ物を中心に、値上げはしていない定番品もある。値上げの主力は、冷製の肉料理、つまり手間要らずですぐ出せるものを、高価格帯400-500円台で提供し始めた。
そして、腹を膨らませる膨張剤としてのつまみが、焼きそばやマカロニサラダといった炭水化物系の食べ物になる。これを壁面の「メニュー札」を使って推しメニューにそている。マカロニサラダに至っては価格を上げずに増量したようだ。
濃い味付けにした炭水化物系のメニューを価格上げずに増量するというのが、値上げ感を和らげる基本戦略となっているようだ。これは他の居酒屋でも同じようだし、ファミレスの昼飲み用サイドメニューも同じような傾向がみられる。まあ、オヤジ対策に考えることは皆同じということだ。

豚のタンの冷製 なかなかうまいが、お値段はそれなり

二つ目の転換点は、メニューに「人間」が登場してきたこと。低価格居酒屋が値上げをしたくなると最初にすることが、素材の品質を訴えかけ価格価値を上げようとすることだ。要するに「高くても、美味しい」路線に変更するという宣言なのだが、大方これは失敗する。低価格居酒屋に集まる客のニーズに、高くてもうまいものはない。安くてうまいものが望ましいが、それも難しいのは客も理解している。だから、安くてそれなりな味のもので十分だと思っている。高くて、それなりのものは論外としてしまう価格圧力だ。
では、素材訴求が失敗すると何をするか。次は「人」の宣伝をする。料理長を登場させてレシピーのユニークさを語ったり、有名シェフとのコラボを自慢したりする。最近のコンビニ弁当も同じ手法をとっている。要するに、誰かの権威に寄りかかる「ちゃっかり値上げ戦略」だ。これが意外と効き目がある。特に、ヘビーユーザー、つまりその店の常連客には評判が良くなる。
金があればもっと高い店に行くのにな、とは思っていないのがヘビーユーザーだ。この店は、安くて適当にうまいと思う「俺のお気に入り」「自分の店」意識があるからだ。だから、その常連客にターゲットを絞れば、「人間商標」は意味がある。看板に使われる「ヒト」が、自分達の代表に思えてくる。著名人や有名人に同化できる。あるいは、自分たちが飲み食べしているものの「正統性」が担保される(気がする……)からだろう。
ただ、この店はオヤジたちに心情的に寄り添ったふりをしながら、注文のデジタル化を進めている。それも全席にタブレットを設置するかわりに、個人所有のスマホからQRコードでアクセスさせる。タブレットというデジタルギアを置くことで、デジタル拒否層を刺激しないようにした。オヤジの心証をよく汲み取ったものだ。
しかし、デジタル許容層にはスマホで注文させるという進化は取り入れた。店内にはデジタル感を出現させない「あざとさ」だ。スマホが使えず、デジタル注文に抵抗があるジジイ層には、従来通り従業員が注文を受ける。このあたりの匙加減が絶妙だろう。この店を安い酒場として使っている20代から40代の層にとっては、スマホ注文が主流になっている。
結果として、店内に「すいませーん」と従業員を呼ぶ声は少なくなった。残ったのはジジイとデジタル非対応オヤジの声だけになった。今や居酒屋も体感的には半分くらい静かになった。

紙製のグランドメニューもしっかりテーブル各席に置いてある。コロナ前のメニューは商品写真もなく「字面」だけしかない、素っ気のないものだった。カードケースに入っていて、裏表をひっくり返して見ればそれが全てというシンプルさだった。メニューの中身もほとんど変化なしで、日替わりメニューが別添で置かれているくらいだから、オヤジでも注文に苦労することはなかった。
それをファミリーレストランのような商品写真入りの「面倒臭いもの」に変えた代わりに、同世代のおっちゃん写真が登場している。共感を強める手法と考えれば、これはなかなか革新的な変化だ。ファミレスが変化の方向を見失いのたうち回っているのと比べると、アフターコロナの居酒屋は、なかなか強かなのだ。

小売外食業の理論, 旅をする

もう一つのうまいものin金沢

金沢駅の正面に立つと、一際目立つ華麗な門に出会う。日本の駅で一番美しいと感ずる金沢駅の入り口だ。同じような観光都市であっても、新幹線を降り立った場所は実にがっかりすることが多い。その典型が京都駅で、南北どちらの入口も「らしさ」などかけらもない。
東京駅は、オフィスビルこそ首都の景観だと言い張れば、なんとなく説得ができそうだ。特に丸の内は、丸ビルなどの風景こそ首都のあり方であり、お江戸風情など全く昔語りのノスタルジーと切り捨てている。そう思えば良いことだ。改装後の東京駅丸の内側は、その首都のあり方を伝えている「名所」だろう。たった150年前の建物すら保存しようとしない、近代日本の潔さだ。
逆に中途半端なのが、新大阪や新横浜、新神戸などの「新」がつく駅で、これはいわばどうでも良い駅の象徴だ。昭和中期の文化とは、こういうものだったという反面教師なのかもしれない。東北新幹線の駅は、どこの駅も同じ見栄えだし、九州新幹線では駅舎が街から浮いている気がする。
だから、やはり、金沢駅はすごい。

そのすごい(と想う)駅の近くにあるホテルで会食をする機会があった。レストランの入り口には、ドーンと大皿が飾られている。この皿には実用的価値はない(と思う)。美術品として作られたものだ、この皿の上に料理を乗せたりしないはずだと思うのだが………
それにしても、この状態をなんといえば良いのだろうか、言葉を選ぶのに困る。皿を陳列している、では正しい意味にはならない。飾るというのとも違う気がする。訪れた客に美しいものをお見せする、ということだろう。押し付けがましさはない。美しいものは、隠してしまうのではなく、見せるものだという意識だろうか。
やはり、古都というものが作り出す文化は、たかが100年程度では仕上がらないということがわかる。お江戸でも江戸文化が完成するまで200年余りかかった。そのお江戸を継承していない文化強奪都市「東京」は、強奪後150年経ったいまでも古都を名乗る貫禄はない。

ビルの中隔に庭園を作ろうとする試みは、文化強奪都市東京でも見かけることはある。ただ、規模で見ると箱庭程度の貧相さだ。京都の町家改造レストランで見かける小ぶりのものがよほど立派にみえるものだ。設計思想の根底に、あざとい経済効率が入り込むから東京の箱庭は貧しく見える。それなら盆栽でも並べておけば良いのにと思う「なんちゃって箱庭もどき」がほとんどだ。
この金沢のホテルでは、レストラン面積の1/3程度が空中庭園になっていた。席効率だの回転率だのという、レストラン経営の公式からすると、無駄の極みというしかない。その不経済な代物が平然と存在することが、古都の古都たる所以なのかと思いしらされる。

おいしく懐石料理をいただき、ゆったりとした時間を過ごした。おそらく、贅沢というものは、こういうことを言うのかと思う。レストラン、飲食店、外食産業、いろいろな言い方はあるが、食べ物を提供することを生業とする者にとって、味という無形のもの、雰囲気という無形のもの、過ごした時間の満足度合いという計量できないものをどうしつらえるのか。その一つの答えが、ここにあるなあとぼんやり感じていた。

味の嗜好は個人差がある。万人がうまいというものは無い。それでも、見た目や盛り付けや器で楽しませることができる。料理は舌で味わう前にも目で楽しむものだ、というのは人類にとって不変の事実だ(と勝手に思っている)。
それは日本料理だけのものでも無いので、日本料理文化礼賛論者とは一線を画しておきたい。なんでも日本が一番という文化的狂信者はどうにも好きになれない。
どこの国の料理にしても、器と料理のバランスこそが、美味しさの秘密であることは確かで、家庭料理とプロの料理の一番の差は味付けではなく「豊富な器」が可能にする美なのだと思う。

最後に出てきたいちごのシャーベットの器に一番驚かされた。シャーベットの出来栄えは素晴らしい。甘さ控えめなのが、和食の締めとして調和している。ただ、この華麗な皿が伝えてくるものが、金沢のご飯を「目で楽しんで」いただけましたか、と言うメッセージのような気がした。すごいな金沢。
金沢発のファストフードチェーンができれば、なんだか日本食文化の革新になりそうな気がしている今日この頃。金沢カレーが進化すると、何か革命的なことになりそうなのだけれど。

街を歩く, 小売外食業の理論

ファストフードDXと古典的手法

所用があり朝早くから渋谷に出かけた。用事が済んで軽く朝食でもとろうと、久しぶりに和風ファストフードに入った。ツルッとうどんでも食べようと思った。券売機で食券を買ったあと席についてみたら、あれあれ?と気がついたことがある。
マクドナルドではモバイルオーダーアプリを使うことで、テイクアウト注文をするとカウンターに並ばず座席まで注文した商品を持ってきてもらう(店内配達というべきか)仕組みがある。コロナ流行の初期に開発完了して実用化されていたが、実際に使ったことはない。それが、この和風ファストフード店でも導入されているのに気がついた。
確かに、これは客にとっても従業員にとっても便利だろう。客の立場からすると席に座ってゆっくり考えて注文できる。券売機での注文は商品を選んでいる時に、後ろに次の客が並ぶと、無言のプレッシャーがかかるという致命的な弱点があるからだ。後ろの客を気にして慌てて注文を決めると、追加注文の機会が消える。店側からすると買い上げ点数増加、単価アップの機会が失われるマイナス要因になる。
従業員の手間を考えると、スマホアプリ注文では現金管理がいらなくなる。釣り銭の確保や現金の残高チェックなど雑用が消える。客とは非接触になるので注文時のトラブルも減る(少なくともスマホアプリの不具合は従業員のせいではない)。
客がどこの席についたかもわかるので、無駄に「いらっしゃいませー」などと言いながら客席管理をする必要もない。そもそも、日本語を喋らなくても商品提供が完結する。これは都心部の店舗で究極の救いだろう。

素うどんではなく、ハイカラうどんを頼んだ。いつも思うことだが、なぜあげ玉の入ったうどんが「ハイカラ」と呼ばれるのだろう。確か京都あたりでの呼び方だと思ったが。関西圏というか近畿というか、あの周辺の言語感覚は東国とは随分と異なる。東京を中心とした東国文化が優れているとは言わないが、近畿圏、西国の言語や食文化は、東国から見る時には異文化として捉えないと、無用な差別意識や優越意識を呼び込む。差別の発端は宗教や思想などではなく、食べ物や見た目で始まるものだろう。プロ野球やサッカーの贔屓チームの違いですら喧嘩が起きるこの国で、食べ物の嗜好が違うと文化差を言い連ねるバカたちがどれだけいることか。
ハイカラうどんと、たぬきうどんの違いを考ているうちに、東西異文化と差別意識に思いが至った。朝から高尚な知的活動をしてしまった。

異文化ついでに、おそらくほとんどの人はこんなことをしないだろうなと思う、「文化の果て」的行動をしてみた。牛丼に乗せる紅生姜をうどんの上に乗せてみた。紅生姜好きの衝動的行動だったが、あれれと思うほどうまい。牛丼文化とうどん文化の奇跡的合体だ、麺と丼飯のマリアージュだと、文化論考察の第二弾をしてしまったほどだ。
ちなみに大阪府南部では、紅生姜の天ぷらというものが標準で存在しているが、大阪北部になると見かけることが少ない。大阪の南北ですら食文化が異なるようだ。人と人が仲良く暮らしていくためには、異文化探索は重要だなと改めて思う(笑)

朝のハイカラうどんを食べたあと、渋谷駅に向かって歩いていて見つけた立ち食い蕎麦屋の店頭ポスターにまたまたびっくりさせられた。左側のつけ汁そばは「酢辛」だから、これはラー油そばの進化系だろう。「酸辣湯麺」の応用なのかもしれない。豚肉とニラというパンチのある組み合わせだから、明らかに「みなとや」インスパイア系を上回る進化だ。
ところが、それよりもびっくりなのが「時価の松茸そば」だった。時価って何と言いたくなる。鮨屋のマグロでもあるまいし…… この二枚のポスターでわかるのは、立ち食い蕎麦は異形な方向へ進化しているようだということだ。
原材料高による値上げの欲求と高級化路線は相性が良い。松茸蕎麦は、その現実的な対応ではあるが、一体どれくらいの注文があるのだろうか。逆に左の新つけそば、一杯五百円というのはなかなか巧妙な作戦で、盛りそば380円や天ぷら蕎麦450円?(きちんと値段を確認してはいないが)を、500円に引き上げる効果は明らかにある。
なんだか、古典的なマーケティング・テクニックだが、意外とこれが効き目がありそうで、うどんファストフードのデジタル対応と比べて、あれこれ考えさせられてしまった。
早朝の渋谷は、なんとストリートで学ぶ、発見と考察の研究機関みたいなところだった。

小売外食業の理論

居酒屋DX 予想以上に高度化

平成生まれのオヤジ向け低価格酒場、大衆酒場の元祖というべきこの居酒屋が10年ぶりくらいで店頭イメージの改装を行なった。あまりの変わりぶりに、最初は店が潰れてしまい、後釜が入ったのかと思ったほどだが、よくよく見ると店名は同じだった。
そもそも昭和の大居酒屋チェーンが、平成不況の真っ只中で代替わりというか時代に合わせて変化対応した業態だった。それがコロナの大暴風の中で、令和バーションに進化したようだ。
コロナ期には、流石にこの店もメイン顧客のオヤジたちですら自宅待機やら早期帰宅やらで利用が減っていたはずだ。
おそらく家庭内圧力もあり、帰りに一杯というオヤジ行動は制限されていたはずだ。コロナ時代の「狂気」は過ぎ去ってみれば笑い事だ。が、社会全体が牙を剥いたような魔女狩りをしていたことをエアすれてはいけない。その魔女狩りで滅びつつある業種は多々ある。パチンコ屋などはその典型だろう。夜の商売も元通りに復活するのは無理ではないか。演劇などのエンタメ系ビジネスでは、脱落した演技者やスタッフが業界復帰できるのだろうか。
当時は大多数のオヤジたちが所属する家庭でも、魔女狩りのような行動制限が続いていたことは間違いない。居酒屋はとんだとばっちりを食らった。そして3割が消滅した。

改装された入口周りのイメージチェンジは理解できる。商品のわかりやすさを全面に押し出している昭和や平成ノスタルジーを感じさせるメニューばかりだ。開業当初のコンセプトである「安い」は表面上消えたようだ。安い居酒屋からノスタルジー・郷愁メニューへ転換はマーケティング的には大きな意味がある。「安い」を支えていた若者には期待しないという対象顧客絞り込みの表れとも見える。オヤジ専科として生きていく決意表明みたいな気もする。
店内に入ると、いきなりQRコードを渡され、これでスマホから注文できるという。ただ、「もしよかったら………」という追加ワードがあり、なるほどオヤジの中にはスマホ非対応というかガラケー依存者もいるからなあ、その辺りの微妙な対応が何やら情け深いのか、こちらをデジタル・ダメオヤジと見下されたのか、あれこれ悩ましい。周りを見渡すと、やはり口頭注文も多いから、仕方がないか。
気を取り直して、QRから画面を読み出してみた。なかなか使い勝手は良い。某回転寿司屋や多くの居酒屋に置いてある、注文のしにくいタブレットから比べると数段上のレベルだった。画面遷移もわかりやすい。
蛇足だが、注文用タブレットの開発者(発注企業内担当者だけではなく製造側IT企業を含む)は、本当に店で注文したことがあるのかと言いたいくらい、バカロジック、ダメダメシークエンスの塊が多い。きっと低予算、低開発能力でやっつけてしまうせいなのだろうな。

新メニューとしては揚げ物が増加していた。それと、定番メニューを含め値付けは1割ほどあげたように見える。新製品は旧製品との入れ替えを含めメニューの半分以上になっていた。定番メニューは値上げをしたまま残している。売上点数の低い定番はカットしたので、値上げを目立たせないうまいやり方だ。値上げしても注文したくなる定番を残し、値上げを目立たせないように新商品群を大量投入して新しいプライスラインを作る。上手だなあと感心した。

定番商品については細かく手を入れている。例を上げると定番マカロニメニューは1割以上値上げしながら、見た目で5割くらい増量している。勝手な想像をしてみると、メニューを改定するにあたり、単純に値段を上げたのではない。これまでの販売実績から、一人当たりの摂取重量であるとか注文数や注文の組み合わせなどを分析したのではないだろうか。いわゆるトランズアクション分析だ。大衆居酒屋がそこまでやるか? 考え過ぎかもしれないがと思いつつ、量が増えたメニューもあれば減っているメニューもあり、原価だけで調整したようにも思えない。大規模データ分析は、今後の外食企業における主要分析技術になる……………はずなのだがなあ。メニューのABC分析程度でお茶を濁して生き残れる時代ではないだろう。

新価格コンセプト(と勝手に命名してみた)で、おそらくこれが導入目的の一つ「原価の調整用新メニュー」だと思ったニラ料理だ。目的は、「低価格」「低原価」「高粗利」の実現であるはずだ。
ニラをぶつ切りにして辛いソースをかけるだけ。オペレーション・フレンドリーでもあり、今回の新製品投入では、メニュー体系の見直し、商品のイン&アウトを検討したような気がする。

そして、なぜか店内メニュー札を含め「推しメニュー」になっていた焼きそばの存在だ。これも明らかに低価格・低原価・高粗利商品に見える。焼きそばながら具材はほぼない。キャベツすら存在しない。お祭りの縁日で売られる屋台の焼きそばより簡素だ。これ以上はシンプルにできない究極の「素・焼きそば」だろう。青のりとマヨネーズで食べる「素・焼きそば」は、ほとんど「酒のつまみ」と化している。量も食事というには少ないが、これをつまみに酎ハイを飲むとすれば逆に、多すぎる量かもしれない。
スマホ注文だけがDXではないのだ、としみじみ感心した。メニュー、それも量と価格の再検討をした上で、注文画面のメニュー配列も検討したはずだ。
オヤジ向けの大衆居酒屋で起きている進化こそ、苦境に喘いでいる外食産業各社が学ぶべきことだろうなあ、と焼きそばをつまみながら真剣に考えた。ちなみに日本最大のファミレスチェーンは自社のDXをあれこれ喧伝しているが、実は単純値上げしかしていない。業界的には周回遅れランナーに近いような気もするのであります。配達用猫ロボも役に立っているのかな。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察 #3 ユニクロが産んだ後継者

失われた30年というのが平成日本の評価だが、その30年に日本はSPAという技術を磨き込み、世界ブランドが日本侵略を諦めるほどの「内的攻勢」をしていた、とも理解できる。
海外有力アパレルブランドが日本市場で苦戦した、あるいは撤退した大きな要因として、カジュアル衣料市場のでユニクロが果たした役割が大きい。グローバル企業が描いた基本戦略、つまり世界規模の調達力を使って価格メリットを出すというものが、ユニクロによって妨害されたというのが本筋かもしれない。
アウトドアメーカーの巨人たちが投入していた1着1万円のフリースジャケットを、1500円というとんでもない価格で粉砕したのがその最初だ。その後も、1着3万円はするはずのダウンジャケットを5000円程度で発売し、高級ダウンジャケットというマーケットを破壊し尽くした。

カジュアルなアウトドア、と言う目新しさだが、作業靴の進化系とも見做せる

ただ、そのユニクロも30年近くたち、価格戦闘力の低下は否めない。一度、ブランドとして力をつけると、そのブランドにより値上げが可能になる。本来、ユニクロは低価格高品質を求めることを習性として築き上げたブランドであったはずだ。それが苦しくなると値上げをするのが、第二の習性になれば、コアな客層から離反が始まる。
最近のユニクロってさ・・・とヘビーユーザーが言うようになる。第二創業期などと言われるブランドの成長痛が生まれる時期だ。
企業が成長に伴うブレを修正し、創業拡大時の理念に戻れば、強い老舗になる可能性はある。あるいは値上げを含め、より新しいブランドを作り上げれば、ブランド転換が成功する。しかし、大方の企業はその二方向とも正解に辿り着けない。
大方の終着点は「高くて低品質でコスパが悪い、昔のブランド」と言う評判だ。特にアパレルメーカーは、この手のブランドの低落、陳腐化の先例には困らない。流通業でも、退場していった大企業は、ほとんどこの「値上げの罠」に陥って倒産・破綻していった。おまけに一度落ちたブランドは、いろいろなファンドも含めた再建屋が乗り出しても再生できた例は少ない。

本格的な山歩きに使えるかは問題ではないだろう。ヘビーギアのタウンユースとして考えるべきだ。

ユニクロが一山当てたのは「フリース」で、その次の山は「ヒートテック」「エアリズム」というインナーの新素材による高機能化だった。その後は、ブランドに寄りかかったファッション化と値上げが基本戦略になる。画期的な新素材や新技術と言う「ヒット」は、一部の女性用アンダーウエアを除くと、ほぼ見当たらない。
すでに新素材のノウハウは流出しまくっている。低価格帯ブランドでは「しまむら」が、大手流通業ではイオン・IYが同様な手法でストアブランドを展開している。正しく言えば流通業界において、ファッション衣料全般がユニクロのデッドコピー化したと見るべきだろう。
それに対するユニクロの反攻はといえば、有名タレントを使ったCMの増量くらいだろうか。そして成長の基盤を海外展開の求めた。ただし、これはすでに没落したアメリカアパレルブランドが行った戦略とほぼ似通ったもので(完全コピーというべきか)、その成功モデルは少ない。というより、アメリカの先例に学ぶと必ず失敗する戦略、と言うことがわかっている。ユニクロは反面教師に学ぶことができるかどうかなのだが・・・。

ソール(底面)の厚さは、重要な技術だろう。厚くて(クッション性が強くて)歩きやすいかどうかがポイントになる

その隙間をついたかのように、ワークマン製のアウトドア衣料、アウトドアグッズが連続でヒットしている。コロナ化でのキャンプ・アウトドアブームという追い風はある。ただし、ヒットの基本はそこではない。
ワークマンは作業服という実用性一点張りだった商品群にファッション的な要素を持ち込んだことで、「プロ」ユースの差別化を図ってきた。かといって、デザインだけで売っているわけではない。あくまで機能重視で、作業着という専門性の高い製品群の差別化要因が付け加えたファッション性だった。また、大量生産を軸に低価格化を推し進めてきたブランドでもある。
その「高機能」「低価格」なプロ仕様製品を、対象顧客の方向を変えたのがアウトドア商品群だと言えるだろう。アウトドア市場は、極めて限定された「プロ仕様」が牽引している。つまり危険な高山登山用品であるとか、ジャングルでの生存製を高めるサバイバルグッズのような狭いマーケットだ。
お気楽な野外遊びのためには、そこまでの生存性は求められていない。所詮、1泊2日程度の平地での遊び道具だ。そこにプロ仕様で高額の製品を購入しなければならないとすると、顧客基盤の拡大には不向きだろう。
逆に、そこまで高機能ではない「中機能」「低価格」製品を準プロ仕様で開発し、市場投入することで差別化することができる。その時の準プロ仕様が、ガテン系作業服の延長にあったということだろう。ファッション化を目指したユニクロには到達できない世界だった。
そして、この世界(アウトドア製品)は、機能性の改善、新素材の投入で爆発的な成長を達成することができる。例えば、防水靴(長靴)の延長でマリンシューズが生まれたり、その進化改変として川遊び用の靴が生まれる。
LLビーンのヒット作、ハンティング用防水靴は画期的なアウトドア製品だったが(今でも人気はある)、素材としてのゴムが進化すると革+ゴムではなく、オールゴムの靴が出来上がる。ワークマンのサファリシューズ(もどき)は、オールゴム製品として進化した典型だろう。
最近では、虫が寄って来なくなる(忌避性素材を使った)Tシャツや、焚き火で飛んでくる火の粉に強い(対燃性)など、アウトドアでしか必要とならない機能での新製品が投入されている。この手の製品については、素材の改良で毎年新製品を投入できる。市場が拡大することで量産効果を発揮し、価格の定着ができれば、ヘビーユーザーが毎年のように買い換えるドル箱商品になる。
この手法はまさしくユニクロの成長戦略だったはずだ。それが、全く畑違いの(ファッションアパレルではないブランド)ワークマンに受け継がれ、より永続性の高い売り方に変化した。さらにワークマンは、「ワークマン・プラス」「ワークマン女子」などサブブランドによるブランド展開も上手にしている。まさに、サブブランド「G.U.」の拡大に苦労したユニクロに学んでいるかのようだ。ユニクロの後継者が産まれかかっているかのように見える。

ちなみに今後のワークマンの進化を予想するとこんな形になりそうだ。
作業着ブランド
→軽アウトドアグッズ・衣料拡大(現在)
→タウンユースアウトドアでファッション化開始
→アウトドア風ファッション(5年後)で、機能性・プロ仕様を薄めつつカジュアル・ファッションブランドに転生

その時には、ユニクロが諦めたロードサイド店舗を中心に店舗拡大ができるか。衰退した都市部を諦め、全国の地方都市郊外で生存可能な形態に進化できるか。そこがユニクロを超える境界線のような気がする。

小売外食業の理論

ワークマンとユニクロ SPAの考察#2 価格破壊と品質

SPAの特徴とは、製造・流通過程での中間マージンをけずった徹底的な価格破壊にある。そして、直接調達のメリットを活かした「高付加価値」がその推進力になる。機能は一流ブランドと変わらないが、価格が半額というのが典型的な販売戦略になる。
安かろう、悪かろうというディスカウント店の(悪しき)特徴とは異なる、訳合って安いが高品質という「驚きと納得」がブランド強化の基盤だ。
ユニクロが関東進出を図った初期の店が、たまたま隣町にあった。通行量の多い街道筋の路面店で、いわゆる倉庫型店舗だった。最近ではあまり見かけないユニクロ単独店で、建坪500坪という大店法規制が存在した頃の典型的なロードサイド立地店舗だった。
以下は余談になる。大店法は個人商店を守るという趣旨の法律だったはずだが、結果的にはチェーン店による郊外型店舗の加速を促し、街の中心部にある商店街の消滅を早めたという天下の悪法だった。
その後は法改正により規制が緩むと、郊外には中途半端な独立店が立ち並ぶ姿は消え、大型ショッピングモールができた。あるいは一つの敷地の中に複数店が出店する集合型ショッピングセンターが多発した。そのため商店街は街ごと消える事になる。昭和から平成にかけての悪政の見本だ。
アメリカで20年以上前に起きていたダウンタウンの崩壊を全く学ばない経産省官僚の失政だと今でも思っている。先行市場で起きている事態や課題を学ばない(学べないが正しいか)経産省の体質は、日本の中小企業を滅ぼす元凶の一つだろう。

安全靴から進化したカジュアルシューズは低価格

話を戻すと、SPAの「高機能」「低価格」は、宣伝広告や運営費用(人件費や家賃)の低減も必要だ。だから、家賃の高い場所に出店したり、宣伝広告費(テレビ広告など)を使い始めた時が、ブランド変質の転換点だと思って良い。
簡単にいうと、高い家賃を払うためにマージンを増やす。そのためには、宣伝広告で「ぼったくり価格」を成立させることが達成条件になる。ぼったくりと言っても、580円が650円になるとか、780円が980円になる程度の値上げなので、元々低価格だから100円あげるとマージンが2割近く上昇する。これが、SPAの値上げマジック効果になる。
しかし、この値上げマジックは悪魔的魅力があり、一度始めるとやめられない。ユニクロはこのマジックの罠にはまった後、延々と値上げを続けることになる。それも基幹商品であるフリースや機能性インナーでそれを始めてしまった(シェアが高く低価格商品の値上げほど悪魔的波及効果が大きい)ことで、ユニクロは次の段階に進まなければならなくなった。
ファッション性という機能とは別のソフト価値の領域に進まざるをえない。ソフトな価値こそ、いくらで値をつけるのも売り手の勝手という「典型的なアパレル産業」の特徴だからだ。
銀座に出店したあたりから、ユニクロの変質が始まった。それは、決して進化とは言えないブランドの変容というべきだろう。地方都市の衣料品店から始まったとしても「アパレル専業のDNA」から逃れられないということかもしれない。

軽くて、底が厚いのが技術の進歩のようだ

ただ、アパレルでユニクロの後継企業が生まれてこなかったのは明らかだ。ユニクロが行った素材開発から繊維メーカーと共同し、画期的な原料製造を自前で調達する。販売企業が製造の源流まで踏み込むという手法が、もうかると証明されてしまった。その一方、ユニクロ的手法では先行投資が膨大になることも明らかになった。
つまり、中小企業では手を出しにくいパワーゲームになり、その領域に手を出せるのは流通大手、つまりイオンやIYといった巨人企業だけになってしまった。
中小アパレル企業は従来型のデザインと既存素材の変化で、一部のファッション嗜好を捕まえるという伝統芸に縋るしかなかった。だから、マンションメーカーと呼ばれる零細企業からユニクロのようなジャイアントが生まれる確率は限りなくゼロだろう。当然ながら、ユニクロの後継者は違う世界から出現した。
SPAの手法を自前の商品に取り込むことで、一般アパレル市場を侵攻してやるという異業種参入だった。それがワークマンという企業だ。

見ただけではブランドもので5000円超の靴と見分けがつかない

ワークマンは北関東、群馬に本社を置くベイシア・グループの一員だが、本業はガテン系の作業着および安全靴、作業靴に特化した専門店だ。ただ、作業着にファッション性を取り入れた(色使いやデザイン差)サブ・ブランドを作り、ダサい作業着をカッコよく見せるという手法で出店を重ねてきた。
出店立地も街道筋の路面店ばかりで、それも町外れにある「わざわざいく場所」というか、畑の真ん中みたいなところばかりだ。現場に行く途中で立ち寄るにはちょうど良い、業界人には便利な立地を選んでいるようだ。その分、一般人には馴染みのない場所で、ふらっと立ち寄ることもない不思議な店だ。
だから、一部の業界人には有名な専門店という位置付けだったはずだ。ところが、作業着、作業靴という特殊性から、「軽い」「吸湿性」「乾燥性」「丈夫」などの通常衣料とは異なる機能性を追求し、それに特化した商品が出来上がっていた。
ファッションとは違う方向から「高機能」衣料品が出来上がり、ファッション性と無縁な分だけ低価格が実現されていた。それを最初に誰が発掘したのかは明らかではないが、ネット上で情報が急拡散し「ワークマンの〇〇はすごく高機能」という評判ができあがった。
靴の分野ではユニクロと同時期にチヨダやABCマートが製造販売一体型のビジネスモデルを組み上げブランドとして成立させていた。ただ、彼らもほぼほぼ靴専業だ。そこに作業着と作業靴の専門ブランド、ワークマンが機能性と低価格を武器に「衣料品」と「靴」を抱き合わせたブランドとして、一気に一般人向けに解放された。
口コミではなくネットでバズることで急速に広がったブランドとしては、ここ最近では最大の人気者になる。
店舗に一度行けばわかるが、すでに客層が変化している。あきらかにガテン系ではない高齢者カップルが、作業着ではない服を買いに来ている。ユニクロの初期爆発期に起きた客層の拡大と同じだ。若者向けの先端ファッションだったフリースジャケットが、ジジババの普段着、防寒着になった時期のことだ。ワークマンの作業用防寒着が、タウンユースになる。安いからジジババが飛びつく。市場規模が拡大し、新機能や高機能化が進む。業容拡大を促す正の螺旋が生まれていく。
ユニクロの後継者は直系のアパレル業界からではなく、傍系から生まれてきた。