小売外食業の理論

サイゼリヤ ミックスグリル

サイゼリヤに行ってよく食べるのはランチセットのハンバーグ。それもオニオンソースというランチの時だけに使われるソースが好みだった。ところが、ランチを含めたメニュー改定がありオニオンソースはなくなってしまったようで、実に残念なことだ。ではサイゼリヤにランチを食べに行かなくなるかといえばそんなことはない。価格と品質のバランスを考えれば、やはり日本最大の「良いファミレス」であることに変わりはない。
他のファミレスチェーンのように価格帯を守ることもせず2割3割という理不尽な値上げをして客数激減になることもない。それどころか決算成績を見れば絶好調だ。他の値上げしたファミレス企業と比べると、その差は明らかだ。特に便乗して必要以上逃げ上げしたチェーンは客に見限られて大幅な客数減を起こしている。その客を引き込んだのがサイゼリヤとしか思えない。

ネットにあげられていた決算論評を見てあれこれ考えた。メニューを絞り込んだことで客離れが起きたようなことを書いてあるが、そもそもネットの書き込みは無責任な「感想のダダ漏れ」でしかない。メニューを減らしたサイゼリヤ批判をしたものは、基本的に年に一回行くか行かないかのどうでも良い客だろうと思うのだ。そんな奴(客)が来なくなっても大した影響はないだろう。逆に毎週一回来てくれるような常連客をどう大事にできるかに注力し、腐心しなければならないのが外食業の基本中の基本だ。

今回のメニュー改訂で最大の課題はメニューが減ったことではない。ランチの合挽肉ハンバーグをなくしたことだろう。もともと低価格ランチ販売のためのコスト低減策が、合挽ハンバーグの導入意図だったはずだ。オペレーション的にも牛肉100%と合挽の二種類を準備することは負荷が大きい。それでも500円ランチを維持するために無理して行っていた。
だから、値上げを期に肉の一本化を図るのは意味がある。ただ、そこに残るのは熱烈なランチの合挽肉ハンバーグファンがいたかどうかだ。
ランチではしばらくの間、お安い合挽肉とちょっとお高い牛肉100%を選べるようにしていた。その間にじっくりと合挽肉ファンの存在量を確かめていたのだろう。合挽肉ハンバーグより高くても牛肉100%という選択が多かったのではないかと推察している。お安い合挽肉はドロップしても大丈夫そうだという見極めをつけて、ハンバーグの一本化に踏み切ったようだ。
評論をするもの、論評をするものにはこの辺りをもう少し見極めてほしいものだ。

ネットで散見する少数の文句に注目するのではなく、沈黙を守る常連客(主力客)の表に出てこない意見をどうやって見つけ出すか。そこに経営の力量が試される「ビジネス遂行力」があると思うのだがなあ。

論評者の経営体験やビジネス経験がそんなことから透けて見える。まともなことを書くためにも、サイゼリヤに行って値上がりしたハンバーグを実食した上で、あれこれ推論してほしいものだ。ちなみに、ドロップした商品の大半は安売りのために「見せもの」として並べていたサイドアイテムだ。また、それとは逆にサイゼイリヤとしては非常に高価格帯にあり、プライスラインとして異質だったものの排除もおこなっている。だから、主力商品の出し入れをしたのはランチ専用のハンバーグだけだったといっても良い。

それよりも注目すべきは、オペレーションの改善にある。営業利益改善の最大ポイントは、会計処理のセルフ化によるホールオペレーションの効率化にあるずなのだ。人員採用不足が引き起こす最大の課題を機械化で解決した。(会計は実に時間がかかるし、客の不満を起こしやすい)
セルフレジ導入はあれこれ試行錯誤は必要だが、従業員の効率化にとっては最大の業務改革になる。店舗の現場を見ていない評論だというのがバレバレだなと、とってもお得なミックスグリルを食べながら思っておりました。

小売外食業の理論

近くの天狗が大改装していた

居酒屋受難の三年間が終わり、業界では大手を含めた各社が手探りで次世代コンセプトを生み出そうとしている。天狗はその中でも先行グループに入ると思うのだが、都内で展開を始めた新型の大型店を、郊外でも広げる気になったらしい。
居酒屋というより、酒も飲める大衆食堂という仕切りで組み立て直したのが特徴だ。メニューはご馳走ではなく、昔懐かしというか平成に生まれ育った世代には見たことがない「新メニュー」「昭和の絶滅種」みたいなものが並んでいる。
以前にも書いたことがあるが、デミグラソースではなくケチャップがかかったオムライスや、豚骨ベースではないラーメンなどがずらりと並んでいる。
これを見て高齢者は懐かしい、俺たちの青春時代だ、みたいな感激をしたりするのだろうが、それは全く的外れだ。対象者はあくまで平成生まれの若い世代であり、開発者はジジババに期待をしていないはずだ。
この懐かしの昭和的風景は、平成中期に広がったエスニック系料理(タイ飯など)と全く同じ文脈で語られるべきコンセプトだ。つまり、昭和レトロを懐かしむのではなく、まるで異郷に彷徨い込んで異世界を楽しむという感覚だろう。
たまたま「表現されている味」が現代日本に通じる親和性があるという程度で、日本的な「何か」にあたるのではないか。台湾料理が妙に和食に似ている味付けだなと感じることがある。それに近い。

エンタメ界でも某巨匠によって「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」など、昭和の名優を使ったリメイク物がヒットしたが、あれも物語のベースを流用したが、今の時代に合わせた解釈で物語を再構成したのが面白かった。
オマージュでありトリビュートなのだが、それを理解できるのはオリジナルをリアルタイムで見てきた高齢者になる。
その過去体験がない世代にとっては、全く新しい魅力的なストーリーであり、そこから遡って原作・オリジナルを見るという、じいさんばあさんとは違う楽しみ方があるように思う。同じように、この「大衆食堂」コンセプトは、リバイバルではなく令和の新解釈として見るべきだ。

そういう意味合いで、このナポリタンは昔とは違うとか、クリームソーダにはさくらんぼが必需品だな、などと文句をつけるジジイ(ババア?)は相手にしても仕方がないのだ。やたら文句をつけたがる前期高齢者には耳を傾けない、それこそがこのコンセプトを成功させる秘訣だと思いますよ。

ちなみに、メニューの大半は「天狗」スタンダードなものを流用しているので、上手な組み立て方だと感心しました。

小売外食業の理論

ファミレスの朝飯

ファミリーレストランはこの3年余りで随分と変化したように思う。コロナ対応であれこれやっていたことも、この半年ですっかり時代遅れというか、無用なものになっている。
最大手スカイラークでは、客席に設置していた電源を撤去している。客数不足でリモートオフィスがわりの需要を狙ったのだろうが、今では長居されるのが迷惑だと露骨に態度を変えている、そう理解している。変わり身が早いと前向きの評価をするべきなのだろうか。
必死になって推進していたはずのテイクアウトも、今ではすっかりお荷物扱いだ。喉元過ぎればなんとやらということらしい。100年に一度のパンデミックはもう自分たちの生きている間に出会うことはない、と考える経営者が多いということだ。
失敗に学ぶのか、失敗を忘れるのか、ごちらにしても知見として会社の知財化するつもりはなさそうだ。

コロナ時代の後遺症で原材料を含むコスト上昇、あまり健全ではないインフレが起こりその対応に追われている。この混乱状態を引き起こしている原因の一つだが、あまりにお粗末という気もする。
その混乱状態の中で、ランチを中心に低価格需要を取り戻そうという、言ってみればコロナの揺り戻しみたいな対応を取り始めたのが西国ファミレスの代表、ジョイフルというのは実に「らしい」と思う。全国チェーンでは、すでにスカイラークはサイゼリヤとのランチ戦争に負けた気配が濃厚だ。というかスカイラークが戦闘放棄したとも見える。だから、低価格帯での戦闘は西日本を中心としてジョイフルVSサイゼリヤという構図になりそうだ。これは外野から見る分にはちょっと楽しみだ。

バーガーチェーンのモーニングよりもはるかに安い

その低価格ファミレス代表ジョイフルが、朝食でも何やら怪しい企みを持っているらしい。このドリンク付きのトースト・ベーコン・野菜のモーニングセットは、大手バーガーチェーンの朝食メニューより安い。おそらく大多数の立ち食い蕎麦店よりも安い。
朝からガツンと食べたい客向けには、ランチのボリュームを超えるヘビーデューティーなメニューも用意されているが、軽くサクッと朝食をと思う客には、これで十分だろう。おまけに提供スピードがやたら早い。
朝の8時台なのに駐車場が混んでいるなと思ったが、やはり混むには理由があった。郊外型の店(周りは茶畑)でありながら客席の半分くらいが埋まっているのだから、朝食マーケットはこの先、一気に拡大するのかもしれない。某大手ハンバーガーチェーンも朝から混雑しているが、あちらは平均年齢が圧倒的に高い。というかジジババばかりだ。
ハンバーグ専門ファミレスのモーニングも盛り上がっているらしい。また視察に行こうと思うのだが、おそらくその原因は洋風・和風ファストフードが値上げをしすぎたせいだと思う。もはや牛丼屋は朝飯に使える価格帯では無くなっている。同じ値段を払うのであれば、居心地の良いファミレスの方を選ぶ客が増えたのだ。アフターコロナの時代の先駆けとして、今や、業種を超えた朝食戦争が起きそうな気配がする。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

町中華と麺専門店の立ち位置

山田太郎 酸辣湯麺と鳥唐揚げをセットにしてみた

山田太郎という麺専門店では、定食メニューも存在する。サイドメニューである唐揚げや餃子を定食にして販売している。ただし、これはあくまでも麺業態の余儀であり、飯屋(丼飯とおかずの組み合わせ)になるつもりはないはずだ。
飯屋はすでに本業の山田うどんが、麺類専門店から定食+麺の店に転換して、おまけにうどん屋なのにラーメンを投入した業態変革を完了している。店名も「山田うどん」から「山田うどん食堂」になっている。個人的に見る限りでは、埼玉の最強定食屋ではないか。
その山田太郎で、微妙なサイドメニュー主役争いをしているのが餃子と鳥の唐揚げだ。どちらも人気商品だが、餃子のメリットは原価が低く抑えられるが調理時間が長いこと。唐揚げのメリットは調理に時間がかからないことだ。

サイドアイテムとして餃子に勝てるか

唐揚げの完成度はかなり高い。一般的に鳥唐揚げもも肉を使うことが多い。もも肉に生姜やニンニクなどを使ったタレに漬け込み味付けを施し、ボール状の肉塊をあげる。ただ、衣になにを選ぶかで食感はだいぶ異なる。そのあたりが、店のノウハウということになるのだろう。この店では比較的薄い衣でさっぱりとした感じになっている。
面白いのは唐揚げ単品を注文しても盛り合わせに野菜がついてくることだ。マヨネーズも付いているが、これは野菜向けではなく唐揚げ用調味料だと思われる。さて、この唐揚げと餃子、どちらがサイドアイテムの勝者なのだろう。値段は唐揚げ一個、餃子3個、どちらも140円という手頃な設定だ。実食した結果として、個人的には唐揚げが優勢になりそうな気がする。
複雑なメニュー構成を持つ町中華と比較的絞り込んだメニューで運営できるラーメン専門店では、オペレーションに求める基準が違う。専門店であれば、より単純な工程でできること、調理時間が短いことが重要だ。町中華であれば食数を稼げる低原価アイテムの存在が必須だろう。
餃子の王将が店内手作りにこだわっていたのは、この低原価維持にあったのは間違いない。(すでに餃子は手作りの方がうまいというのは伝説だろうと思っているので)

満洲の9月限定 辛い麻婆茄子

埼玉の町中華である満州は、店名にある通り餃子推しのブランドだ。基本的に全てのセットに餃子がついてくる。注文する客もそれはわかっている。餃子と合わせて食べることを前提に味付け、レシピー設計されているのだろう。
肉もりもり系のメニューが少ない。豚生姜焼きくらいしかない。チャーシューメンはあるが、チャーシュー単品は存在しない。つまり、肉を食いたければ餃子だよ、と暗に言われているのだ。牛肉を使ったメニューもない。昨年には好物だった鳥唐揚げも廃番にされてしまった。(これは悲しい)
つまり、山田太郎とは全く異なる方向感で、餃子専門で唐揚げなしのブランドとして構築されている。月替わりメニューも基本的には野菜が主力の料理になっている。
実に戦略的なメニュー企画、商品開発だろう。町中華でありながら、極めてファストフード的発想でメニューとオペレーションを組み立てている。業界の教科書的存在だろう。

コロナを乗り越えた外食企業の戦いは、値上げと客数減少の防止という二律背反する課題を解決することだ。次の生き残りステージでは、勝ち組同士が激突する。(コロナで生存失敗したブランドはそろそろ淘汰が完了するので)
それを横から観察するだけというのは、楽しいのか悔しいのか、ちょいと微妙だけれど。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

しばらくぶりの山田太郎

ふと思い出して、山田うどんが経営する山田太郎に行ってみた。おそらく半年ぶりだと思う。面白いことだが、この店はほぼ2ヶ月に一度新メニューを投入してくるのだが、個人的な感覚で言うと当たり外れが大きい。ただ、新メニューを食べてみて気に入らないとしても、後悔するような大ダメージは受けない。商品開発者の意気込みが空回りしているなとか、味のバランスが偏ったのかなとか、あれこれ想像することで流している。チャレンジは大事だと誉めておく。
今回は、夏に合わせて(9月でもまだ猛暑日が続いているので)酸っぱ辛い麺を投入したらしく、それを食べてみることにした。
ちなみに、酸辣湯麺は他の中華屋でもよく頼むのだが、店によって駄作が多いメニューの典型だ。酸っぱ辛いが売れてるらしいので、うちでも作ってみました的な完成度の低い酸辣湯麺は非常に多い。確率的に言えば、ほぼ5割で「ダメ」に当たる。実に博打な食べ物だ。そして今回の勝負は、惜しいレベルで負けだった。

出てきた酸辣湯麺を見て、ああ、これは失敗だったなと直感した。見た目が辛そうではない。それだけで、この手の商品は客の期待を裏切るのではないか。麻辣系の坦々麺はビジュアル的には赤くないが、それでも辛さや痺れを想像してしまう。実際に食べると辛さと痺れで脳天を突き抜ける刺激がある。その経験値がビジュアルと味の差を許容すると言う、凝った設計の商品もあることはあるが。やはり、見た目と味が直結している方が、期待通りの味を保証する方が、大衆向けの店には必要だろうと思う。
つまり、酸辣湯麺は辛くて酸っぱいのだから(酸っぱいのビジュアル化は難しいが)、やはり見た目重視で赤くて辛そうでなくては困る。(個人的見解です)
食べた感想は、酸っぱいタンメン、チョイ辛にしてみましたといった感じだった。卓上にあるラー油をドバッと追加して、ようやく酸っぱくて辛いものに味変できたが………
やはり、「酸っぱい」と「辛い」はチューニングが難しいのだろう。カレー屋や辛いラーメン屋のように辛さを5レベルくらいから選べるようにする仕組みを取り入れた方が良かったのではないか。
まあ、あれこれ注文をつけたい変更点はあるが、あくまで個人の思考としてだ。埼玉タンメンの変形として設計されたはずだから、万人受けするマイルド指向が開発テーマなのかもしれない。辛さを追求するのであれば、辛味噌別添とか、選べる2種の唐辛子とか、もう少し捻りがあると良かったな。正直な感想だ。来年にはきっと改良版が投入されるだろうと期待しつつ。

開店当時は自分のスマホから注文する仕組みだったが、コロナ終息とともに使い勝手の悪いシステム(スマホは画面が小さいのでメニュー一覧が見にくい)から、普通のタブレット注文端末に変わっている。
この画面構成が他のラーメンチェーン店よりわかりやすい。同業と比較すると、埼玉が誇る二大町中華チェーンでは、この部分が立ち遅れている。一つはいまだに紙メニューしかない。もう一つでは画面が単調でうまそうに見えないと言う根本的な欠点がある。どちらも、改良に頑張ってほしいものだ。

注文タブレットの下には、紙メニューがしっかり存在していて、従業員が口頭で注文を受けてくれる。すでに、非接触とか隔離とか言う言葉は死語になっているようだし。経営的にはオーダーエントリシステムかタブレット注文か、どちらに限定したいだろうと容易に想像できる。ただ、どこのレストラン、食堂チェーンでもこの注文の仕組みの二重構造は撤去していない。典型的な二重投資になっている。
これもそろそろ見直して良い頃ではないか。写真入りのメニューブックはスカイラークが元祖だったらしいが、すでに50年が経過した古典的なシステムだ。団塊の世代と言われたボリューム層もすでに人生の最終期に入り、後期高齢者として社会活動が鈍っていく。団塊世代に向けた様々な仕組みや対応はそろそろ見直す時期だろうと思うのだけど。

街を歩く, 小売外食業の理論

販促の技術

夏の王道、と言われるとなるほどなと思う。この販促用POPは、メーカーの営業担当者が作ったものが、それともスーパーの売り場担当者が作ったものか、立ち止まって考えてしまった。
企業ロゴが入っているから、スーパー担当者が勝手に作ってはいけないものだろうという気がするが、メーカーが黙認しているのかもしれない。
面白がって、2・3日ほど観察していたら、山盛りだった袋がだんだんと減ってきた。なぜか補充はされていないみたいで、山の高さがどんどん低くなってくる。
期間限定だから売り切れごめんなのだろうけれど、最後に残った一箱みたいなタイミングは陳列がどうなるのか楽しみだ。

小売外食業の理論

養老乃瀧本店?ビルで

池袋に所用があり、そのついでにお勉強がてら「養老乃瀧」本店(本社ビル)にある、一軒め酒場に行ってみた。本社ビルだけあり、グループ内の別ブランド数店舗が同居している。韓国料理のレストラン(居酒屋?)があるのも初めて知った。後でネットでメニューを調べてみたが、何やら面白そうなコンセプトだったので、次回は「韓国飯」を挑戦してみよう。
これも初めて知ったのだが、この一軒目酒場は本店である?せいなのか、朝8時から営業となっている。ここに朝から酒を飲みにくるのは一体どういう職種の人なのか。深夜営業を終えた飲食店の従業員みたいな方たちだろうか。三交代勤務で稼働する工場の近くには、こうした朝から営業する飲み屋が存在しているようだ。都内で言えば王子や赤羽などで見かける。しかし、西池袋に24時間創業の大工場があったかどうか、全く記憶にない。おそらくだが、単純に朝から酒を飲むオヤジが多いだけかもしれない・・・

一軒め酒場は一号店からずっと観察してきた。自分の中では外食産業のいくつかある「ブランドの定点観測点」の一つで、平成不況が生み出した居酒屋第4世代みたいなものとして認識していた。チェーン店でせんべろ(1000円でベロベロに酔う?)を目指した面白い業態だと思っていた。
祖業である「養老乃瀧」がファミレス化というか、メニューの激増で一体何屋なのだと言いたくなるほど居酒屋から業態離れして行ったので、それを軌道修正したシンプルコンセプトという見立てをしていた。あとは平成の大トレンドである安い、早い、うまいという某牛丼チェーンみたいな三つのテーマを実践しているという理解だった。
平成期前半から中盤にかけて外食業界のトレンドは、「昭和レトロ」というテーマ性は重要ではなかった。バブルが崩壊した後の、この先何を目指せば良いのかという試行錯誤の時代だった。そもそも時代を象徴するようなテーマがないのが、平成前期の特徴だろう。
だから、一軒め酒場も最初のうちは「せんべろ」推しではあったが、「昭和ノスタルジー」的な部分はきわめて薄かったように思う。

ただ、このコロナの3年間は若干軌道修正した感があり、店頭に大きな暖簾がかかったり店内を改装して「昭和ムード」を強調している。本店には初めて入ったのだが、なぜか提灯が大量にぶら下がりお祭り的イメージがある。カウンターの前には大型テレビがかかっていて、確かにスポーツバーというより昭和の街頭テレビとまでは言わないが、大衆食堂でプロ野球中継を見るような昭和感がある。
この日は何も考えずに入ったのだが、まさに世界野球の決勝戦、それも最終回の攻防という一大イベントのタイミングだった。店内は野球観戦ジジイで、満席だったのには思わず笑ってしまった。なぜ、家で見ないのかと不思議だが、酒飲みながら観戦したいということなのだろう。
最後のバッターの時には「今からしばらく野球を見るのに忙しいので、注文受けません(笑)」みたいなノリの良い従業員さんだった。
しみじみ昭和の居酒屋感があったのだが、それは狙っているものでもないだろうという気もした。

日替わりメニューは紙に書かれたものだが、定番品はスマホからの注文になる。ただ、カウンターに座っていた野球観戦組(全員高齢者)に対しては口頭注文で対応していた。この辺りがアフターコロナの過渡期対応だろう。場所にもよるが、平成のせんべろコンセプトで捕まえていたシニア世代(?)も完全リタイア組になり、客層としては減少していく。そこに新しく取り込むべき客層として団塊ジュニアから平成生まれまでの世代が想定される。団塊ジュニアはデジタル世代の先駆けであり、平成生まれに至ってはデジタルネイティブなので、メニューの電子化、決済のスマホ対応などなんなく適応する。
時には情弱と呼ばれるデジタル・マイノリティは少ないはずで、特別な配慮も必要ないだろう。ただ、その新ターゲットに対しては「せんべろ」コンセプトに変わる新しいテーマが必要なる。それが「昭和のテーマ化」であり、これまではメニューの一部に過ぎなかった昭和感が、店内外装にまではみ出してきたというところだろうか。
メニューは少量安価が基本だから、酒のつまみ、それも一人飲みに向けた仕立てとなっているのは明らかだ。

梅味好き、冷麺好きとしてはうれしい一品

前々からちょっと不思議だなと思っていた締めのメニュー、冷麺を頼んでみた。昭和レトロ的なメニューとしては随分唐突だなと思ったのだが、この店が入っているビル(本社ビル)の前に立って看板を見てようやくわかった。新コンセプトである韓国レストラン・居酒屋とのメニュー・原材料を共有するという文脈で理解できる。つまり、一軒目酒場向けの昭和テイストメニューではなく、会社全体として懐ろの事情が重要ということだろう。
どちらにしても平成から令和にかけて、客層の変化を柔軟に対応していこうという意図はよく見えてくる。やはり、この店はしばらく定点観測対象としていこうと思う。居酒屋業界大手が、変質と迷走を続けている今、小回りのきく次世代チェーンから新たなトレンドが生み出されるのではないかと思う。
居酒屋冬の時代がテーマレストランの芽吹きになるのかもしれない。

食べ物レポート, 小売外食業の理論

回転寿司 値上げ対策考察

回転寿司の対策あれこれを考えてみた。まず最初は、寿司の皿が回っていないので、回転レーンの回っていくベルトしか目に入らない。これは食欲をそそるものではない。目の前をマグロやエビやウニが回っているから、あれこれ食欲が湧いてくる。追加でもう一皿食べようかなどと思う。黒いプラスチックの板を見ていると、実は相当に食べる気が失せる。
そこで、一生懸命考えました的な「ボード」が回っていた。題して「背徳の三重奏」なのだそうだが……… 広告をあれこれ表現する時に、駅前マンションの広告のようなポエムと形容することがある。中身の感じられない、具体性のない、形容詞がずらずらと並んでいるのが特徴だ。最近では新聞を購入する人も減っているので、もはや廃れた芸だと思っていたが、媒体が折込チラシからネット広告に変わっただけで、「ポエムなコピー(広告表現)」は健在だった。
そして、そのポエムがついに寿司業界まで進出してきたかと、感心した。というより、苦笑してしまった。なるほど、それほど困っているのだね、という感覚がする。食べ物の表現で具体性のない形容詞、あるいは食べ物に使われない形容詞を使って、一世を風靡した「食べ物レポーター」は確かに存在する。ただ、その表現は、言ってみれば「芸風」なのであり、広告には向いていない。
うまさを感じさせ食欲をそそらなければ、広告コピーとしては失格だし、ポエムというしかない。もし自分が広告の発注者だったら、このコピーには相当難しい判断をすることになるだろう。それが苦笑の理由だ。
ちなみに三重奏とはサーモン、チーズ、炙り(これは素材ではなく技法だが)のことらしい。この複雑な内容を。回転レーンに乗ってまわっていく広告で読み取るのは、かなり高度なテクニックが必要だ。少なくとも動体視力が優れていなければ無理だな。

その次に気がついたのが、一皿二貫ではあるがネタは2種類、つまり一貫付けになっているメニューが激増したことだ。この皿は赤貝とつぶ貝の二種盛りで、これ以外に相当な種類の二種盛りがメニュー上にはある。さて、こうした理由はなんだろうかと考えてみると、ネタの数を減らしてしまいメニューが寂しくなった。その対策として二種盛り皿を作ると、数学的にネタの順列組み合わせになるので、メニュー数は爆発的に増える。ただし、客の立場からするとお気に入りの組み合わせを見つける作業はとてつもなく面倒だ。タッチパネルの注文法を変えて、好きなネタを好きな数だけ、ただし注文は2個単位になるというようなロジックを組み入れるべきだろう。
単純に言えば、たくさんメニューがあるように見せかけたい「なんちゃってメニュー改変」だと思う。システム改造にかける予算がないのか、やる気がないのか、どちらとも言えないが………

三つ目に気がついたこと。イカの耳をメニューとして提供するのは、なかなか珍しい。ゲソはたまに見かける。ただ、食材ロスを減らすという意味で、これはグッドジョブだろう。魚は歩留まりが悪い原料なので(通常仕入れ重量の半分くらいが生ゴミ化する)、これまで捨てていた部分を加工して食べ物化するのは大賛成だ。

四つ目として気になったのが海鮮ユッケというか魚の切り身をミックスしてネタにしたものだ。これも食材ロスを減らす意味がある。また、いろいろな魚がミックスされることで生まれるうまさというか「新しい味覚」というメリットが生まれる(かもしれない)。
すでに軍艦巻きの世界は、ウニやイクラという大物ネタではなく、カニカマを使ったマヨサラダ、ツナサラダ、炙りベーコンやチャーシュー、牛カルビなどなんでもありな「食の無法地帯」だし、そのチャレンジが楽しいという面もある。寿司ネタは魚でなければいけないという固定観念を捨て去り、「スシ」とは一口サイズのコメの上に、なんらかの具材を載せたものという設定で考え直せば、新しい世界は生まれる。(ちょっと大袈裟だが)
ラーメンの世界でも醤油が主体の時代に、客の冗談から生まれた味噌ラーメンが今では大定番に変わっている。ハンバーガーの世界でも、照り焼き味はレギュラーバーガーより人気がある。回転寿司の次の突破口は、寿司の常識を超えた新しい味の発見にあるのではないかと思っているのだが。
ただ、そのためには真面目にうまい寿司の再定義をしなければならないはずで、それができるかどうかだなあ。

小売外食業の理論

回転寿司に行ってみた 2

大変世間を賑わせた回転寿司チェーンの店に行ってきた。あの後は何か変わったのだろうかという単純な興味だった。肝心の鮨はずいぶん値上がりしていたので、この業態はもう一波乱起きそうな気がする。単純値上げを受け入れてもらえるほど、客が満足しているかどうかがチェーン間の勝負になるのだろう。
さて、まず入り口付近で「交換できますよ」と書いてある。やはり気になる人はいるだろうから、当然の話かなとも思うが、そもそも「気になる人」は店に来ないのではないか、自分の中ではセルフボケツッコミ的なテーマになってしまった。多分、こないよなあ。

お店の中での禁止事項で、明らかに今回の一件で追加されたと思うのが、イラストの右側2コマだただ、これも事件前にはあったのかもしれない。なかったかどうかは記憶にない。禁止事項のあれこれに関して説明文があるが、文章の表現が「お断りします」と「禁止します」など揺れがあるので、いかにも急いで対応した感があるが、どうも文言のこなれが悪いかなあと感ずる。「付け焼き刃」的な感が否定できない。

回らない回転寿司が本格化すると、先行している他チェーン店が有利になるのか?

回転レーンの上から寿司の皿は消えていた。注文すると流れてくるのだが、他チェーンにある特急レーンのような造り込みにはなっていないので、物理的に事故再発を防ぐ(他人の注文した皿に悪さをするのを物理的に防ぐ)仕組みにはまだなっていないようだ。
間仕切りのアクリル板が設置されていて、自分の前の空間が狭くなっているから、皿にいたずらをしにくくわなっている。とりあえず対策してみました感を醸し出す。
これまでは客の善意に頼ってきたから仕方がないとはいえ、再発予防という点ではまだまだ発展途上というレベルだ。法的措置による「脅し効果」で再発防止が図れるというのなら、まさにこの世に警察はいらないという古典的な皮肉が帰ってきそうだ。
従業員の悪質投稿に対しては勤務時間中のスマホを取り上げる?(事務所に保管させるなど)で、業務的に対応ができた。しかし、客(を装っている犯罪者)に対しては、有効な対抗策は現時点で見つけられていないということだろう。

調味料は従来通り卓上に置かれているが、入り口の文言を信じれば、希望するとこれを全取り換えしてくれるということだ。醤油を舐めたやつもいるし、箸を舐めた、生姜を直喰いしたなどありとあらゆる悪戯、悪さが動画で上がっているから、それに対応するとしたら全部を取替えするしかない。
客席内の従業員数は、それに対応できるほどの人数配置ではないから、全客に対して対応は難しいというのは見ればわかる。この辺りも、見る人から見ると「なんちゃって対応」という感じがするのではと思う。

ガリもお茶も昔の通りで、個包装などの対応もしていないようだ。ただ、全店対応が遅れているだけで、順番に新しい仕組みを導入しているのかもしれない。たまたまなのか、この店では他チェーンで見たような変化は感じられなかった。
一番変わったなと思うのは、皿の色で価格が変わっていることだ。120円、180円、360円になっていた。これは昔の回転寿司スタイル(全皿均一価格ではない)に戻った訳で、「全皿100円均一」が持っていた、強いそキュ力はかけらもない。業態のコア・コンピタンスを捨てたということた。この値付けだったりプライスラインの持ち方が今後の回転寿司チェーンの差別化、マーケティングでの騒乱要因になる。均一価格に変わる戦闘力をどこに求めるかだが、普通であれば味の高品質化、つまりもっとおいしくなりましたにある。しかし、このチェーンは昨年、公取の指導を受ける「おとり販売」で信用力を低下させているのだから、味の強化作戦は取りにくい。どうするのだろうか。

一貫、180円というのは冷静に考えると、均一価格時代の約4倍に値上がりしたことになる


悪意ある犯罪者(客とは言えない営業妨害者)により、店内オペレーションの転換を迫られるチェーン本部としては物理的な改装も必要で、ある意味無駄な?設備投資になりかねない。ただ、悪意ある犯罪者、無自覚な犯罪者が撲滅されるはずもないから、普通の客に対する「安全安心」の担保は必要で、それに加えて値上げをするというのは、難度Cを超える離れ業と同情する。

数ヶ月ぶりに行ってみたが、原材料値上がりを転嫁する値上げ策はうまく行っているのだろうか。それに伴うオペレーションの変化、メニュー改変、マーチャンダイジングの変化などは、もう少し時間をかけて観察してみようかなと思った。現時点では、まだ現場がこなれていない、混乱状態が継続しているような感触がある。
コロナの覇者になるはずだった回転寿司業界が、予想外の事態にジタバタしているのを見ると「盛者必衰」とか「諸行無常」という言葉が思い浮かぶ。たかが回転寿司の話ですが、あれこれ考えさせらるものなのであります。

小売外食業の理論

昼夜 1・5毛作居酒屋

昭和レトロのレストラン、居酒屋についての考察の続き、二番目のお話になる。この「大ホール」という看板から分かる通り、新業態は「大衆食堂」と言う決め事、コンセプトで始めたようなのだ。では、大衆食堂という言葉のイメージはなんだろう。最近ではよく使われる「町中華」という言葉にも同じようなニュアンスがあると思う。
自分なりの考察だが、一つ目は昼夜通しで開いているのが原則、長い営業時間であることだ。夜に一本勝負をかける居酒屋とはそこが違う。二つ目は定食主体の食事メニューで、白飯と味噌汁がセットになっているのがメニューの基本構成だ。変化球として、飯と白飯が一体化した丼もある。丼の変形として、カレーライスなどのかけご飯系も準定番としてある。要するに主役は「白飯」にあり、つけ合わせとして軽めに一品追加できる小皿も豊富なことが多い。冷奴やきんぴらごぼうといった、簡便な副菜が中心となる。
大衆食堂では、その白飯のおかずや追加の一品を頼み、酒を飲むことも可能になっている。飯屋が簡易居酒屋に変わるという感じだろう。昔は駅前には必ずそういう店が一軒はあったものだ。多用途に対応した街の便利な食堂という点で、専門チェーンが全国に展開する前は繁盛している商売だった。
これに対応する形で、町の中華料理屋が意識的に居酒屋方向にメニューを広げて行ったのは昭和中期以降のことだったと記憶している。

結果的に、町中華と大衆食堂のメニューは重なり合ってしまう。チャーハンとラーメンとカレーライスが、どちらの店にも標準装備品となる。カツ丼や餃子も共通品になる。日本人の食生活が広がったと考えるべきだろうし、大衆価格で提供する商品は専門店化・高級店化しない「一般大衆のもの」的として広がっていく。大衆食堂と町中華は、同じ方向に収斂して行ったはずだ。
この「てんぐ大ホール」は、その昭和の飲食業で起きた収斂進化を、令和の時代にアレンジしようとしているように見える。つまり、昭和レトロ感は「町中華と大衆食堂」が併せ持った、なんでもありな、それでいて普段食べたことがあるものばかりに、メニューを収束させるのが狙いだろう。
世の中に溢れる様々な専門店、鮨や蕎麦のような和食系、ステーキや焼き肉のような肉主体レストラン、あるいはエスニック系などのとんがったコンセプトとは一線を画す。なんでもありで、どれもこれも安心感がある、食に冒険を求めない平成生まれのスタンダードを狙っているのだと思う。決して昭和オヤジのノスタルジー向けのコンセプトや商品ではない。 
結果的に、昼夜ともに定食があり、酒も飲める二毛作ならぬ1.5毛作(定食+軽飲み需要)に仕上がっている。

今の若い世代の好物やサーモンとネギトロだと思っている。どちらも脂分の多い魚料理だが、骨がないのが最大の特徴だろう。そして食感はねっとりとしている。この食感が重要なポイントで、脂分の補給はマヨネーズが重要な役割を果たす。宮崎のローカル料理だったチキン南蛮が全国国なる最大要因は、あのタルタルソースにあると確信しているが、魚料理にもマヨネーズは必須アイテムだ。おにぎりのツナマヨにそだてられて平成生まれ世代は、醤油と味噌で生きているわけではない。体の中身はマヨネーズとチーズでできていると断言する(個人的な見解で何の物性データもありません 笑)
だから、一目見て品質の見極めがつくマグロの切り身なので主力商品として推す訳がない。みんな大好きマグロの増強品を小皿に盛り上げて提供する。それを海苔で巻いて食べてくれ、ということなのだが、海苔は2枚だ。ということは、このネギトロを二口で食べるということになる。
こんなメニューが昭和の時代にあったかと言われるとかなり微妙で、確かにどこかの居酒屋でネギトロなどを海苔で巻いて食べるスタイルはあった。うにであればあちこちで見かけたこともある。しかし、このネギトロは味が調整された「マグロ製品」だ。やはり、平成の新種メニューと考えるべきだろう。

定食屋の絶対定番メニューの一つである生姜焼きも面白い変化をしていた。個人的なイメージだが、豚肉の生姜焼きとは甘辛い醤油味で生姜がたっぷりと効いているというものだ。ところが、この生姜焼きは塩味(いわゆる塩だれを使っているもの)で、おまけに生姜は後乗せだった。横にキャベツの千切りがついているのは、つけ合わせとしてスタンダードかもしれないが、マヨが横に置いてあるのはキャベツ用なのか肉用なのか微妙な感じだが、おそらく肉用だと思う。
このような平成時代に起きたアレンジが、昭和レトロのカバーの中でしっかり形作られている。思いつきで作られたコンセプトとは思えない。強かな計算があるような気がする。冷静に考えれば「ノスタルジーマーケティング」の対象者は、少なくともしっかりとした市場規模、マーケットサイズが必要だから、完全引退した団塊世代はもとより、現在進行形で引退しつつある昭和世代は対象外にすべきだろう。
このてんぐ大ホールのメニューの大半は、既存のコンセプトである居酒屋天狗からの流用品だが、ネーミングや提供サイズを変え、値段を組み替えることで新しい価値を生み出している。旧居酒屋を換骨奪胎して、客層としては昭和世代を放棄し、酒を飲まなくなった平成世代を惹きつけるコンセプト・リメイクとして考えると理解しやすいと思う。
自分の勝手読みなのかもしれないが、急速な店舗数拡大を見ると間違ってもいないような気がする。平成の勝ち組負け組の延長線上で、令和の勝ち組負け組は決まらない。外食大手各社の動向を見ると、マネージメントでも世代交代が急速に進んでいる気がする。
この店のメニューを深読みするのは、なかなか楽しいぞ。