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洋風丼 オーバーライス

弁当箱の研究をしていて、たまたま発見したのが「ポキ丼」だった。なんと寿司コーナーの中に置いていたから、これは弁当ではなく海鮮丼扱いなのだと思う。なんとも素敵なピンクの帯だが、製造表記のシールでデザインが台無しだ。企画部門(デザイン)と製造部門(弁当作り)のすり合わせができていないと言うことを実感する。よくある話だが、これがよくあるようではその企業の先はないぞと思う。自分の仕事でも起こしかねない「俺様はいつも正しい」という傲慢さの現れと戒める題材になった。
ちなみに「ポキ」はハワイ料理で生の魚、マグロや鰹などを醤油ベースのタレに漬け込んだものだ。現地で食べると、なんとなく鮮度は大丈夫かと言いたい店も多いが、そこをグッと我慢して食べると普通に刺身料理(みたいなもの)なので、そこそこうまい。ただし見栄えは悪い、真っ黒な魚がゴロゴロしているだけのものだ。

そのポキを日本風にアレンジすると綺麗な見栄えのものになる。これは素晴らしい。味付けもサラダドレッシング風でさっぱりとした爽やかさになっている。ちなみにレタスのあったところには温泉卵が入っていたのだが持って買える途中で潰れてしまっていた。取扱注意と書いておいて欲しかったなあ。

似たようなものを弁当売り場で発見した。チキンガーリックライスという名前に惹かれる。ガーリックは「引」の強い言葉だ。ただ、これもどこかで聞いたふうな名前だった。確かニューヨークの屋台弁当で売っている物の中に、チキンおアーバーライスというものがある。炒めたライスの上にドカンとチキンの切り身が乗っていて、それにヨーグルトソースがかかっているという代物だ。

蓋を開けてみたら、どうやらやはりチキンオーバーライスの日本分アレンジというものらしい。ただ、コメの上にかけるヨーグルトソースは採用されなかったようだ。漢字としては、ニンニク・チャーハンの上に焼き鳥を乗せたようなものだが、確かに洋風な感じがしているので、目新しさはある。食べてみると、食べ慣れた味の組み合わせなので、つまりニンニク味のチャーハン、鶏と目玉焼きという親子関係セット、添え物亜h炒めたパスタだから、なんとなく喫茶店で食べる昼ごはん的な感じに仕上がっている。
これも弁当というより洋風丼で、牛丼の一族と言えば良いのだろう。具材がライスの上にのっているが「どんぶり」ではなく「オーバーライス」という新種族が生まれつつあるようだ。食の世界の広がりは思いのほか早く進んでいるらしい。

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居酒屋の昼飯

池袋で用事を済ませた後、早めの昼飯をどこで食べようかと悩んでいた時、ふと思い出したのが大衆居酒屋のランチだった。普段は夜に酒のつまみとして食べているものをランチにしてみるのは面白そうだ。
思いついたら早速実行と、池袋西口の長いカウンターのある居酒屋に行って注文したのが焼きそばだ。ただ、これはどうも選択に失敗だったようで、夜にホッピーを飲みながら食べると実にうまいプレーンな焼きそばなのだが、昼間に単独で食べるとなんともプレーンすぎる。なんだろうか、同じ商品を食べながら時間帯で感じる満足度の差みたいなものが不思議だった。

そこでちょっと追加してみることにしてまずはマカロニサラダを考えもなしに頼んだら、あまりにも考えなしであることがすぐにわかった。マカロニと焼きそば、同族ではないか。救いは量が少ないことくらいだ。一口食べてすぐに過ちに気がつき追加注文をした。マカロニサラダは味変狙いでソースをじゃぶじゃぶかけて食べたら、あれまあ、というか当たり前だが焼きそばと同じ味になった。失敗。

どうもその日のイチオシであるらしいマグロメンチを食べてほっと一息ついた感じだ。これはソースではなく醤油をかけて食べた。熱々のメンチをハフハフ言いながら食べる。満足だ。しかし、こんな馬鹿馬鹿しい注文をしないで最初から生姜焼き定食とかミックスフライ定食にすればよかったなあと大反省することになる。

夜には魅力的に見える居酒屋の入り口も、昼間に見ればなんとも素気のない古びた建物にしか見えない。うーん、昼の顔と夜の顔の違いを見せつけられた。ただ、カウンターにいた客は何故か男女カップルの酔っ払いばかりで、定食を食べにくるおっさんはほぼゼロ。それもまた不思議な感じだった。朝早くから飲んだくれている?スーツ姿の男女って、一体どういう仕事をしているのだろうか。漏れ聞こえる会話からするとどうやら上司と部下らしい。不思議空間だった。

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うまいものの研究 その2

普段はあまり気にしていない「あまいもの」の流行だが、たまたまこのモンブランはテレビの昼番組で見たばかりだった。中がふわふわという情報だけ覚えていたのだが、それをたまたま入った池袋の百貨店で、特設コーナー的な場所で発見した。とりあえず一回食べてみても良いかと思って注文したが値段を聞いて驚いた。
今のスイーツと言われる甘いものは、1000円札を出してもお釣りが来ない程度には高いらしい。勉強になった。
このモンブランの外側は実に柔らかいクリームだったが、特筆すべきは中身のメレンゲ主体なふわふわ部分(もはや生地とは言い難いので)だろう。うまさは技術によって作られるということが実感できる。これまた勉強になった。
ただ、もう一度買うかと言われるとちょっと躊躇ってしまうほどには高価だ。甘いものには出し惜しみしないという方向けのものかもしれない。これ以外に抹茶味のバリエーションがあって、それがもっとうまいらしいと聞いて、うーんと悩んでいる。困ったものだ。

そう言えば恵比寿にあるフルーツサンドの店に行って、一包み2000円もするのかと驚いたこともあるから、やはりお江戸の名所では「平成」価格でものが買えない時代になったのだなあ。

食べ物レポート

うな重なのり弁

弁当の研究をし始めてスーパーであれこれ物色している。基本的にコンビニやスーパーで売っている弁当は上蓋が透明で中の具材が目で確認できる。ある意味わかりやすい。が、その分ありがたみが薄いというか、即物的というか、風情が足りない。だから、価格対比を強く意識してしまう。
持ち帰り弁当屋もいつの間にか容器がコンビニ型というか、上蓋が透明になってしまい、これまたいつの間にか弁当にかける包装紙も無くなった。コスト低減はわかるが、風情がなくなりなんだかなあという気分がする。

最近、スーパーの弁当売り場で中身が見えない弁当が復活しているのは、そんな風情を出すためだと思っていたが、どうやらもっと経済的で合理的な意味があるようだ。
中身が見えない弁当容器として一番最初に思い浮かぶのは吉野家の牛丼テイクアウトだ。ただ、あれは最初から中身が予想できるというか、想像通りなので中が見える必要はなかった。最近では吉野家のメニューも、あれこれと変化した牛丼や牛丼もどきが増えたので、中身が見える容器になる日も近いだろう。

その丼ものテイクアウトの延長線上に、蓋で中が見えない弁当がある。つまり平たい丼とでも言うべき、白飯の上におかずを乗せた単品型弁当だ。
牛丼は丼で提供される。その形状に近いの牛丼テイクアウトの容器だ。ただ、他の丼飯も牛丼と同じ丼型容器を使っている。が、鰻重のように米が平らにうすく盛られる浅く広い容器で提供されるとしたらどうなるか。
焼肉弁当や生姜焼き弁当では鰻重の変形が簡単にできそうだ。あるいは古典的な「のり弁」をトッピング増量タイプに変化させるかだろう。販売価格を上げるためにトッピングモリモリにするためには、丼型容器より鰻重型容器の方が良さそうだ。容器は深さがあるもの変えればなお良い。あるいは、米のメガ盛りなどでも深さのある容器が使える。
中身が見えない分は包装紙で説明をすることにして、おかずを変えても容器は一種類を使い回すと効率が良い。白身魚のフライをチキン南蛮に変えるようなバリエーション変化だ。と言うような思惑があれこれ見て取れる。コロナの時期に生まれた、本日の日替わり弁当でこの手法が使われ始めたようだ。その実物を実食してみた。

揚げ物中心なおかずもりもり はらぺこさん対応だ

確かにオーバーな盛り付けで立派に見える。ただ、これはニューヨークのフードトラックで販売されて一躍有名になったチキンオーバーライスの流れを汲んでいるのではないか。のり弁の進化系と言うより、洋風丼の換骨奪胎の気配がプンプンする。
その辺りはもう少し追求してみたいのだが、米飯給食で育った児童たちがすでに30-40代になっている今の日本では、パンよりも米が人気者になっていると思う。1970年代に始まった日本の外食産業は基本的に洋物メニューで成長してきた。洋風が主導して和風がひっそり混じるという感じだった。だから、現在70代になる団塊世代はパン文化にすっかり洗脳されている。ところが、今の中堅世代は、パンにありがたみを感じない。たくさんある主食の中の少数派的なとらえ方だろう。
だから、その米飯大好き世代(親と子を合わせて)狙いに行くとすると、洋風丼がヒーローになりそうな気がする。弁当の研究を始めた理由だ。
ちなみに、こののり弁だが、容器をよく見るとうなぎのイラストが描いてある。本来は鰻重の容器だったらしい。とすると、去年の夏に使い残した土用の丑の日対策鰻重の売れ残り容器流用疑惑もある。うーん。これは根が深いそ。

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あの曰く付きリングは東京にも

個人的な意見だが、大阪万博については否定的だ。使い勝手の悪い埋立地を万博開催を理由にして、国の金も突っ込み土地改良してしまおうという魂胆が透けて見える。自分の金ではなく、他地域の人の金を使いその整備された「良い場所」にカジノをたてるという構想が、なんともいやらしい。カジノをたてたいなら自分で金を用意しろよと言いたい。
ただこの構図は大阪だけではなく、すでに終わった東京オリンピックでも大掛かりに行われた。代々木の国立競技場をめぐる一件では首相自ら動き、管轄の文科省から権限を取り上げるという豪腕ぶりで解決したのだから、政府が大阪府を批判できるはずもない。
同じように、国民みんなに金を出してもらって老朽化した地域インフラを建て直そうとした札幌オリンピック誘致活動が破綻したのは、東京、大阪と続くこのバカっぽいイベント開催型事業の裏側が見えてしまったからだろう。

札幌市ではオリンピックをあてにしていた施設建て替えの費用捻出で大騒ぎになっている。大阪では計画より大幅に増えた事業資金の後始末で、また大揉めするだろう。
その大阪万博を象徴するのが例の木造「リング」だが、あれは会期が終わると倒壊の危険があるため解体して燃やすようだ。木材の再利用は難しいらしい。壮大な燃えるゴミの集積物とは、なんとも気前の良いことだ。
その「リング」の縮小モデルを池袋で発見した。これを見て頭の中で大阪のリングを想像してみた。やはりなんだかバカっぽい気がする。壮大な建造物は人を畏怖させる物だ。例えば東大寺に行くとあの仏像とあいまりなにやらありがたみを感じる。出雲大社で本殿を見るとすごい物だと感動する。スカイツリーを下から見上げれば、良くぞ人がこのようなものを作り上げたと感心する。
さて、大阪にできる大きな燃えるゴミはどんな感動を呼ぶのだろうか。まあ、万博見物に行くつもりもないので実体験することはないだろう。せめて池袋のリングを見て想像してみるかと思ったが、あまりにもばかばかしいのでやめてしまった。池袋駅西口出てすぐの公園にあるリングは、なかなかイメージを膨らませてくれる良い建造物だった。

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うまいものの研究

仕事のついでにパッケージの研究をしているのだが、やはりこの富山名物ますのすしのパッケージは秀逸だ。中身の丸い桶に入った押し寿司と比べると二回りほど大きく見える。上底ならぬ上げ幅な容器なのだ。

ただ、二つを重ねてみるとあまり大きな差はない。桶の直径と箱の外寸はほぼほぼ同じだ。視覚的効果というか錯視というか、考えた人が偉いというしかない。

桶の中には笹の葉がびっしりと敷き詰められている。笹の葉には防菌効果があるというから、これもまた昔の人の知恵なのだろう。桜餅のように葉の匂いが寿司に移るという効果があるのははわからない。

笹の葉を捲るとびっしり枡が並んでいる。綺麗なピンクで、これをナイフで切り分けて食べる。どういうふうに切ってもよかろうと思うのだが、何故かいつもピザのように切って三角形の寿司を楽しんでいる。
外見から中身まで、いろいろな研究成果が込められている名作だ。食べ物としての完成度を学ぶには絶好の品物だが、あれこれ考えを巡らしながらあっという間に完食してしまう。美味さという点では、学ぶ暇がないほどあっという間に食べ切ってしまうのが問題といえば問題だなあ。

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因幡・伯耆・出雲 旅の終わりに

鳥取市役所の前にある郵便ポスト 麒麟だそうだ

日本の古代史を初めて記した書物「日本書紀」は、大陸のスーパーステイトであるチャイナで始まった国家編纂「正史」に倣ったものだ。秦朝による大陸統一の後、次に成立した「漢」帝国の時代に始まった政治的慣習だ。前朝を滅ぼした帝国が自分の正統性を残すべく書く「正史」だから、常に滅びた王朝は悪様に描かれる。勝者が作る歴史書の典型だ。
それが悪いと言っているわけではなく、これこそまさに人類普遍の性質だろう。文化の東西を問わず、宗教の違いや人種の違いなどを超越して、常に人類は種として「前の支配者は悪である」と書き残している。これぞ普遍の真理だ。歴史に正義などない。勝者の宣伝であると言って間違いはない。
歴史書を書き換えたい、あるいは正しい歴史を教えたいと言う人たちがいるが、それぞまさに噴飯物だと思う。「正しい歴史」を書き残したければ、戦争には負けず、経済戦でも勝利し、時代のスーパーステートになるしかない。亡国の歴史は、いつも惨めで悪者の国にされる。あれほど頭の良い人たちが、それくらいわからないのかと思う。


ひょっとしたら不勉強で知らないだけで、どこかの国には「俺たちが滅ぼした国こそ人類の理想国家であり、それを滅ぼした俺たちはあまりに罪深く、人類の敵として断罪されるべきだ」と記された史書があるのかもしれない。ただ、そんな本が存在していたら、奇書、怪書、あるいは国家転覆を企む発禁本として焼かれていたに違いない。

「漢書」が書かれて数百年が経ったのち、「漢字」で書かれた「日本書」が作られた。当然ながら、当時の文明先進国である大陸王朝の文字を使い、その文法に従って書かれたもので、今の時代でいえば英語で書き記された「日本国憲法」みたいなイメージだろう。ともかく、自前の文字もなければ(古代の日本に独自の文字が存在したと言う人はいるようだが)歴史を記すモデルもなかったのだから、お手本通りに書くしかなかった。
それは、いつの時代でも文明後進国の宿命だし、日本だけがそうだったわけでもない。日本以外のアジア諸国でも漢字は多少のアレンジをしながら使われていた。大陸王朝に隣接する朝鮮半島、ベトナムは現代になり漢字を捨てたが、島国である日本では今ではしっかりと使われている。
戊辰戦争で新政府ができるまで、漢字(漢文)は唯一の正当的な文字だった。(それ以降は西洋文字が怒涛の如く流入しアルファベットによる支配になるのだが)
だから、「日本書紀」は漢字で書かれた漢文であり(それこそが当時のグローバルスタンダードで文明国の証だった)、自己賛美の塊になっているのも無理はない。
自分たちの王朝が、なんと「漢帝国」どころか「秦帝国」よりも建国されたのはが早いんだぞ、と書いてしまったほどだ。筆が滑ったと言い逃れはできない重大事だ。
大陸の支配者である帝国に知られたら、亡国の原因にもなりそうなまさに暴論だろう。おまけに、この書を記す前には大陸帝国に朝貢していたのだ。自分たちで、俺らはあんたの手下だかんね、だからいじめないでねと言っている。にもかかわらず、この「俺たちの方が先に国を作ったんだかんね、そこんとこよろしく」的な……………当時のヤマト政権権力者の頭の中をのぞいてみたい。多分、お花畑でいっぱいだったのだろう。

話が逸れてしまったが、日本書紀を書き記した古代王朝は、その統一過程で乱立する小国を一つずつ潰していった(はずだ)。中には、古代ヤマト朝に匹敵するほどの強国もあっただろう。その強国の支配者、あるいはその強国で祀られていた「国神」を、統一過程で吸収して自分たちの国作りの構成員として再登用した。神としての再定義をしたと言っても良い。
他民族が祀る「民族神」を自分たちの神の一族に加えて、何も違わなかったことにすると言う手口は、先進の古代文明国家でも行われたことだし、大ローマ帝国の神は古代ギリシア神族の名前を変えるだけで済ませたお手軽な借り物だった。それでも世界標準とされる高い文化を誇るローマ帝国にはなんの問題もなかった。
それと同じことが、古代日本で起きた。本来はヤマトを凌ぐ文明先進国家群、日本海沿岸諸国で起きたのは神の同化運動であったに違いない。大陸と直接交流できる日本海側諸国は、製鉄業を含む先進技術に長けていた。その技術が欲しいばかりに、古代ヤマト朝は当時の大国であった出雲・吉備津を制圧した。出雲国の筆頭神はいつの間にか高天原神族の子分扱いになった。おそらく出雲文化圏は広域に広がり、伯耆・因幡・但馬あたりまで広がっていだだろう。報ずる主神も同じだったにちがいない。


出雲大社の復元モデルを見るとその卓越した技術力がわかる。本来の出雲大社は現在の10階建ビルくらいの巨大建造物だったようだ。文明の劣る国は常に先進国を滅ぼし、その成果を安直に手に入れようとする。これも人類という種が持つ、根源的な戦争の原因だと思うのだが、古代日本でも文明大国出雲は軍事強国ヤマトに敗北し、日本書紀の中ではずいぶんな書かれようになってしまった。国譲り説話は、体のいい領土割譲だ。まさに実効支配の元、歴史が書き換えられると言う現実だ。
長々と書いているが、出雲を中心とした石見、伯耆、因幡と言った、現在の鳥取・島根両県に渡る日本海側は、決して裏日本などと呼ばれるはずもない先進諸国だったのだと言いたい。そして、軍事力には劣っていた。

この辺りを日本書紀、あるいは古事記から読み取るのは歴史学者に任せておけば良いかというと、そうでもない。学者は常に正しいことを唱えるわけではない。特に歴史に関しては、権力者に都合の良いことをしゃべくるだけなのだ。暴力的な権力者の前で真実を口にすることの難しさ、ガリレオ・ガリレイの苦悩を思えば明らかだ。


この国の歴史も、戊辰戦争後の明治政府を主導した革命家たちが、自分たちに都合の良いように歴史観を歪めたので(これが皇国史観というものだろう)、古代史に関してはヤマト朝廷賛美型の解釈をする学者が多かったようだ。これもまた世界共通の事象で、革命家はいつも暴力を見せつけ前政権時代の文化を破壊する。
というか文化を楽しむような教養ある者は、暴力的な革命家にはなれない。古今東西の暴力革命成功者を見ればわかる。おまけに暴力革命に失敗すると反乱者、大規模テロ主導者として処刑され歴史的には「極悪人」と認定され、同時に文化の破壊者、無教養な蛮人扱いされる。古代ヤマト朝は出雲で同じようなことを行ったはずだ。

因幡の白兎の話から始まる出雲・伯耆・石見・但馬の伝承はもう少し研究されても良いのではと思うのだが。出雲大社の奥には、出雲国が滅びる前の記録が残っていたりしないものだろうか。現地に行ったから感じる「ものの哀れ」感だ。

ちなみに出雲国の沖合にある隠岐島に流された天皇や公卿はいるが、八丈島に流されたものは反乱で負けた武家と犯罪者だ。この流刑地の違いも、西国東国異文化論として、あるいは出雲ヤマトの文化対立みたいな立ち位置で眺めてみると、ちょっと面白いかもしれない。

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コナンと鬼太郎

鳥取空港に来たのは初めてだった。なんとなく来たことがあるような気になっていたが、どうも勘違いで記憶違いだったようだ。実際に行ったことがあるのは米子鬼太郎空港だったのだ。アニメキャラの名前がついた空港だから米子と鳥取を混同していたようだ。
中国地方の空港は二つ名持ちが多い。いや中国地方に限らず、地方空港の多くが二つな持ちでイメージアップを図っているように見える。
この「鳥取砂丘コナン空港」は砂丘とコナンくんのWネームだからなおすごい。ちなみに県西部には「米子鬼太郎空港」がある。人口が60万人の鳥取県に二つも空港があるのだから人口比で考えれば、首都東京をはるかに凌ぐ。お隣の島根県には「出雲縁結び空港」があるが、ここも米子空港とは距離で50kmほどしかはなれていない。県境を挟んでるとは言え驚くべき近さだ。羽田空港と米軍横田基地(空港)みたいな関係だ。
島根県西部にも鳥取県と同じように、第二の空港「萩・石見空港」がある。ここは島根県に位置するが、空港名に萩がついているのがおかしい。つまり、萩は地名ではなく(笑)二つ名としての扱いなのだ。清水の次郎長のように地名がふたつな扱いになっている。「萩の石見」空港という感じだろうか。この場合の萩は地名ではなく花の名前なのかもしれない。まあ、山口県出身の政治家(誰とは言わないが)が空港誘致に活躍したことが明らかにわかる「お名前」だ。
広島県と山口県では広島空港、山口宇部空港が二つ名無し。新人の岩国錦帯橋空港は米軍基地との共用だが、東京に行くなら新幹線より飛行機が速いと言うのが売り物らしい。実際には観光路線として東京から人が来てほしいと言うことなのかもしれない。錦帯橋は飛行機で行っても見る価値がある名所だし。


瀬戸内海側では「岡山桃太郎空港」がある。瀬戸内海を挟んだ四国では、松山・高松が二つ名無し。松山坊ちゃん空港と書いてほしい気もする。高松は、一択で高松うどん空港だ。讃岐は空海の聖地だから、そちらを使うと言うことも考えれれるが、日本中の仏教関係者を敵にまわしそうな気もする。
「徳島阿波おどり空港」と「高知龍馬空港」はそれぞれ県を代表するビッグネームだ。どうやら、人口が少ない県ほど空港が二つ名持ちになるらしい。

さて、砂丘コナン空港だが空港ビル内はコナン展示館にもなっている。これをお目当てに来るファンも多いに違いないという精緻な作りだった。すごいぞ、鳥取県と言いたい。ネーミングライツの正しい使い方であり、まさに見習うべき見本だなあ。

空港ビル自体は最近改装したようで、施設もオシャレ感満載、地方空港にありがちな寂れた風情はかけらもない。都会的でハイセンスだ。羽田空港の猥雑さなどと比べると清々しささえ感じる。

滑走路の向こうは日本海が見える。海沿いの空港は展望デッキに上がって景色を楽しむのが良い。海岸線と水平線、その手前に人類が作った最大規模の乗り物が置かれている。自然と人工の対比としては素晴らしいものではないか、といつも思うのだ。
特に日本海側にある空港は西陽が指している時間、陽が落ちる直前あたりが美しい。天気の良い日には空港に遊びに行く人がいるそうだが、まさに、この砂丘コナン空港はそんな人のためにある空港だなあと思った次第。駅からバスで20分程度だから、鳥取の人にとっては使い勝手が良いだろうし。

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しめ縄であれこれ考えてみた

松江から車で30分ほどの山中に熊野大社がある。主神は素戔嗚(すさのお)なので、出雲王国併合後に出雲大社の押さえとして、国の反対側に置かれたのだろう。出雲大社はどちらかと言うと海寄りにある。熊野大社は瀬戸内海に通じる交易路の山側にある。政治的軍事的意図が見える立地だ。
ただ、ここまで車で来るとわかるが、なんとも辺鄙な場所だ。現代の都市住人から見れば山間僻地と言いたくなるほど山の中だが、古代から中世にかけては日本海と瀬戸内海をつなぐ要路であり便利な場所だったのだろう。

御神体が山とか岩である神社は、祭神がその土地固有の神様であることが多い。が、ここは征服者である素戔嗚とそのお妃が祀られている。地についた国神ではなく、支配地に引っ越してきた神様だから、場所はどこでも選べる。神域は比較的平ら名所だった。やはり神様にもすみやすい場所はあるものだ・

お参りをしようと思い気がついた。かかっているしめ縄が出雲大社と同じ様式だ。これは何を意味するのだろう。神社本殿の建築様式は時代や地方によって色々と変化する。
有力貴族の氏神などの場合は独自な様式が好まれるようだが、いわゆる国衙にある一宮は国家権力の出先機関であり、地方の独立性は存在を認めていないはずだ。国神が有力神であった場合は、それを弾圧するのではなく高天原神族に系統ごと取り込まれる(と言う体裁をとる)場合が多い。
だからこのしめ縄のように、出雲大社の様式を高天原神族系の神社で踏襲するのは、何か重大な理由があるのだろう。はっきり言って、素戔嗚が大国主に遠慮する理由がよくわからない。

記憶モードではいけないと写真を引っ張り出してみたが、やはりサイズの大小はあるがしめ縄の形は同じに見える。やはり出雲神族の支配地は特別扱いだったのだろうか。今では、それを気にする人もいないほど同化されている。
皇国史観でガチガチの「宗教者」たちは、この天照系高天原神族と出雲神族の関係をどう捉えているのだろうか。個人的には保守系(あるいは右翼と呼ばれる思想)が皇国史観にこだわる理由がよくわからない。そもそも皇国史観の元は江戸期に起きた、武家政権の正当性議論(簡単に言えば徳川家は武家政権始まりの源氏よりもすごーく偉いの理論付け)だったはずだ。もっと言えば、将軍家になれなかった水戸徳川の恨みつらみ成分も、それに多く含まれているように思う。
そんな理論を、徳川家政権を潰した明治政府が使うと言うのはなんともおかしみを感じる。まして明治政府が敗戦により全否定された現代で、どう言う理論になっているのだろうと思うが、宗教だから理論付も整理も要らんと言われればそれまでと納得する。

こちらは出雲大社の拝殿 しめ縄が同じ形式


まあ、そう言う宗教人と話をしてみたいとはけして思わないけれど。出雲国はあちこちに古代の証が残っている歴史ロマンの宝庫だ。凡庸な推理小説などを読むより、神社巡りをして歴史のあれやこれやを推理する方が余程面白いと思うのだがなあ。

食べ物レポート, 旅をする

厚切りの刺身がハードすぎる

鳥取島根を根城に展開している居酒屋チェーンがあり、その鳥取駅前にある支店にふらりと立ち寄ってみた。なんともにぎにぎしい店頭だが、元気な居酒屋はこんなかんじなのだ。
入り口前に教室で授業に使うようなホワイトボードが置いてある。そこには本日のおすすめがびっしりと書いてある。なぜにホワイトボード?と思ったが、夜になれば黒板は見ずらい。よく考えられている。

店内は相当賑やかだった。居酒屋で特有な従業員の掛け声、これが結構すごい。おまけに客の中には子供連れのグループもあり、子どもの声、親の声、おまけについてきた爺さん婆さんの声が入り乱れている。これを賑やかだというか、喧騒と捉えるか。
まあ、お通夜のように静かな居酒屋も気持ちが悪いので、これはこれでよしとしよう。
カウンター席であれば一人で静かに酒が飲める。と思っていたら、さすがに人気店であっという間にカウンターも満席になってしまった。カウンター席で大声を出す客はいないのが救いだ。
メニューを眺めていると、やはり見たことのないものが並んでいる。遠くに来たのだなという感じがする。サワラのたたきは珍しい。サワラは関西以西の食べ物だと思うのだが、瀬戸内海一帯から日本海北部まで食されている。昔はサワラが獲れるのは新潟あたりまでだったのが、今では秋田の北部まで広がっているようだし、この前に聞いたニュースでは函館沖でも釣れるらしい。
サワラが北上すればするほど、西国の食文化が広がる。人の移動だけではなく気候変動も食の進化を促す時代だ、やれやれ。ちなみにここ数年、北海道でもえりも岬沖で酒が取れなくなり、その代わりのようにブリが大漁らしい。北海道の人はあまり鰤を食べる習慣がないので、下魚扱いのようだ。

名物の刺し盛りを一人前にして頼んだ。普通は三人前くらいのギョッとするほど盛りの良い刺身盛り合わせが人気の店だそうだ。一人前の一皿を見て、その身の厚さに驚いた。お江戸のペラペラ系刺身を見慣れている身からすると、この厚みはぶつ切り級に見える。すごいぞと喜んで食べ始めた。すぐに、厚切りの欠点がわかってしまった。歯応えのある新鮮な刺身を分厚く切ったものは味が強く感じる。一切れ目はすごく良い、が二切れ、三切れと食べ進めると急速に満腹感が押し寄せてくる。
身の量というより、魚の味の濃さに圧倒される。生の魚はもうご馳走様という感覚になる。よく考えれば、この刺し盛り一皿(一人前)は、ステーキに匹敵するくらいの肉量なのだ。自分の体力(食の限界量)も減っているから、食べ始めの早い時期に体が正直に反応するらしい。普段はイカだのタコだのという軽量級で低カロリーの刺身を好んで食べているせいで、この豪速球なカンパチやらサワラやらというサカナサカナしたラインアップに、強烈な一撃をくらったということになる。

もう少しあれこれ頼んでみようと思っていたが、この日は刺身だけで早々とギブアップになってしまった。鳥取の刺し盛り、破壊力抜群でした。
それよりなにより、箸袋の一言が……………好きだなあ。また行きたくなる名店でありました。