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只見線の旅 只見から小出

会津若松駅を早朝に出発して、只見駅に着いたのは9時近く。ワンマンカーはここで終了となり、車掌が登場した。この駅に至るまでには、いくつかのダム湖を見ながら山間を潜り抜けてきた。ここまでが、奥会津、福島県側の駅になる。この先の駅は、新潟県に所在するので、只見駅は県境の駅で会津の果てということになる。
只見駅に到着するまで、最初のダム湖周辺では、車窓から写真を撮る乗客が多かったが、ダム湖の光景が何回か続くと、次第に写真を撮る人は減り、ついには座席で寝たままになっていた。人の世の哀れ、みたいな感じの寝方だったのがおかしかった。やはり早朝から乗りっぱなしで3時間近い鉄旅だと、若くても老いていても疲れてしまうらしい。

停車時間を利用して駅の周りを歩いてみた。すると、そこに一枚の看板があり、越後長岡藩の人、河井継之助に関わりがある場所だと分かった。
戊辰戦争は京都伏見から戦闘が始まり、政府所在地である江戸の制圧を目的として西軍が東進した。幕府の大将である「征夷大将軍」が逃げ出したせいで、幕府軍は統制を失っていた。有名な勝・西郷会談で江戸の無血開放と江戸城(千代田城)の引き渡しが決まっていたのだから、この会合の時点で戦争は終了のはずだ。ところが、西軍は越後と奥州へ軍を進める。
その目的は、戦闘による資金強奪、つまり軍資金の足りな西軍が追い剥ぎ・強盗・恐喝を企んだのだ。後に新政府などと偉そうなことを言うが、革命軍の実態はテロ組織であり、ごろつきな反社会的集団と規定されるべきだろう。
ただし、歴史的には、どの時代のどの世界でも革命軍は常にテロ集団から始まり、強盗集団と化し、その後に自己を正当化する。これは一つの例外もないといって良いくらい、人類という種が持つ欠陥というか習性だ。だから、戊辰戦争が特異な形態であったとは言えない。あくまで普遍的で堕落的な行動を、忠実に実行しただけだ。
戊辰戦争で戦闘が激化したのは、越後長岡戦争と会津攻略戦を含む奥州戦線だった。強盗にやる金はないと突っぱねたから、ゴロつきに絡まれた形だ。戊辰戦争終了後の自己正当化により、名目上は尊皇攘夷から始まった革命思想の実現と言い張るようになる。だが、実際は倒幕に血道を上げたテロ活動と集団強盗であったが、勝てば官軍の通りに、明治政府成立後に事態は捏造された。この明治政府の主張が覆されるのは、70年後の敗戦で皇国史観が粉砕されてからだった。
ビジネスマンが大好きなし歴史小説の大河、司馬遼太郎氏も明治政府までは小説を書いた。この河井継之助を主人公とした北越戦争も題材にしている。が、その後の昭和軍政、明治政府の産んだ鬼子については沈黙している。流石に昭和初期の日本については、自己正当化の歴史観で語ることができなかったのだろう。

話を戻すと、西軍の強盗集団に果敢に挑んだのが長岡藩だが、その戦争の悲惨さに戦闘を主導した家老、河井継之助には批判も多いと、司馬遼太郎は語っていた様に記憶している。
ただ、東国における戦地で、司馬氏と同じ感想を持つ人はどれくらいいるのだろうか。この看板を見る限り、河井継之助を支持する人も多いような気がするのだが。越後と会津の境目で倒れた武人には、やはり敬意を表すべきだろうと思った。
余談だが、その西軍に侵略された長岡から出現したのが後の海軍元帥「山本五十六」であり、奥州討伐で散々にやられた東北諸県出身の陸軍要職者も多い。

只見駅から先は新潟県になる。小一時間で上越線と合流する小出駅についた。思っていた以上に小さい駅だった。長岡と水上を結ぶ上越線も、運行本数の少ないローカル線なので、複数路線が乗り入れる交通の要衝という感じがしない。小出駅での乗り換えには待ち時間があり、駅前を眺めてみたが極めてさっぱりとしていた。コンビニも見つからない。

只見線から降りた乗客は40-50人ほどだった。小出駅から長岡・新潟方面に向かうものが半数、水上方面に向かうものが半数といった感じだろうか。このタイミングで乗り継げば、各駅停車で首都圏に戻れば夕方には着く。この一本を逃すと、次の水上で乗り継ぎは3時間後になり、お江戸まで戻るれば夜になる。
首都圏方向へ向かう乗客は、いわゆる「撮り鉄」らしき若者が多い。カメラや三脚を抱えている。それに加えて、「乗り鉄」の高齢者カップルが数組いた。平日の昼下がり茹だるような暑さの中、列車を待っている。
この日、長岡地方は日本一暑い場所になっていた。前日は会津が日本一暑い場所だったから、暑い場所を連続して移動する羽目になった。しみじみ夏らしい旅なのだが、もう暑いのは勘弁してほしいというのが正直なところだった。

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只見線の旅 会津若松から会津川口

只見線走破の旅、その出発時刻は早朝だった。定刻の20分以上前に行ったのに、すでに座席の半分以上が埋まっていた。お江戸の通勤電車ですら、この時間はガラガラだというのに、びっくりしてしまった。
乗客の大半が、「只見線の旅」を狙う観光客のようで、地元民である通学高校生が座れないというなんとも申し訳ない状態だった。
まあ、乗客の大半が高齢者であり、その隣に座るのが嫌だったのかもしれない。が、高齢者の大半は空いた席に荷物を置いたままで、席を独占しているのだから、マナーの悪すぎるジジババという構図だ。大都市の通勤電車でこれをやったら、最近では暴力沙汰になるほどのマナー違反だろう。

この早朝の電車の次に小出に向かう電車は、午後にならないと運行しない。高校生の通学列車としてはあまりに厳しい環境ではないだろうか。朝寝坊したら、その日は1日休校しなければならないとは。

ワンマン電車で長時間走る只見線には、当然ながら車両にトイレがついている。発車までの時間は、ずっとトイレが使用中だった。会津若松から小出までは所要時間が4時間以上かかる。途中で喉が渇いても、腹が減っても、トイレに行きたくなっても、全て車内で済ませなければならない。
この日はドリンクと軽食持参、ティッシュペーパーも多量に持ち込んだ。結局、使用したのは飲み物だけだったが、万が一に対応して準備をするのは、ローカル線の旅で必須条件だ。

山間の木々に囲まれた中をひたすら走ると、会津川口についた。ここで、通学する高校生全員が降りた。途中の駅から乗り込んできた、若い「乗り鉄」軍団も一斉に降りてしまった。おそらく、この駅から会津若松方向に戻っていくのだろう。車内の平均年齢が一気に上がった気がする。

只見線は単線なので、この駅から会津若松方向へ発車する列車がホームに止まっていた。発車時間まではずいぶんあることと、おそらく会津に向かう乗客が少ないことも併せて車内には誰も見当たらない。ここまで来る列車の混雑ぶりと比べると嘘のようだ。

この会津川口から只見までが不通区間だった。それが再開したのが去年の10月で、日本に数あるローカル線の中で、廃線になることもなく復旧した奇跡の路線だ。同じように災害で運休していた区間が、そのまま廃線になった日高本線のような例もある。
只見線という赤字路線を復旧させるための努力はどれほどのものだったのだろうか。

只見駅でしばらく待ち時間があった。トイレ休憩なのか、上客のほぼ全員が降りて行った。すでに気温が上がり始めていたが、それでも少しはしのぎやすい気温だった。駅前に行けばコンビニでもあるかと思ったが、それは予想が甘すぎた。

とりあえずは只見駅まで来れば、只見線の旅は半分以上終わっている。来る途中で、只見線恒例の列車に向かって手を振ってくれる人たちにもあった。ダム湖の上を渡る鉄橋も堪能した。
今では、只見線が日本一人気のあるローカル線ではないかと思う。もう少し本数を増やせば、途中下車してそれぞれの街を楽しむこともできそうだと思うのだが、JRを含めて関係者の検討をお願いしたい。

街を歩く, 旅をする

会津若松市街 中心部で思う

会津若松市では市役所が改修工事中だった。工事の囲いの中に見える市役所はなんとも古風な味わいがある。あちこちで見かける高層ビル型市役所と比べると、実に風情がある。ただ、工事の案内板を見ていると、現在の市役所は複数のビルに点在しているようで、それはそれで市民にも職員にも不便なことだろう。それでも、大型ビルを建てて一元化しないのは、やはり歴史的建造物に対する思いなのだろうか。きっと会津若松は良い街なのだ。

市役所の周りは、これもお定まりの飲み屋街が出来上がっているが、その外れになんとも華麗なデザインのビルがあった。ギャラリーといわれれば「なるほどな」と思う端正なものだった。おまけに、絵画と茶道具の看板など、お江戸でも見かけることは少ない。それが、市内のメインストリートにある。文化の香りがする。

大きな市民会館やホールがあるのが文化都市かというと、ちょっと微妙な気がする。確かに、施設がなければ市内で上演・公演される機会もないだろう。ただ、一年のうちに何回、芝居やコンサートなどの公演が行われるか。稼働率と投資回収みたいな考えを入れれば、都市人口に見合った施設を建造する、所有するというのはなかなか難しいものだろう。おまけに建築後に運営費用を捻出するのも大変だ。
それと比べて、工芸品が製造販売され、それを地域が支えるような活動は、もう少し地に足がついた文化活動のような気がする。

市役所近くの繁華街だったであろう商店街は、雪除けであると思われる屋根付きアーケードになっていた。ただし、残念ながら午後6時の時点でほぼ全店が営業終了している。あるいは、すでに閉店した後のようだった。見る限りではシャッター通りになっているようだった。

地方都市であれば、商店街の歩道には所狭しと自転車が停めてあるものだが、この場では自転車の数も少ない。核になる商業施設が足りないのか、夜には人が集まる文化施設が足りないのか。いや、おそらくそういう施設は自動車で郊外に行けばたくさんあるのだろう。市内中心部が人の集まる適地ではなくなっているだけだ。
特に冬の降雪が多い時期は、市内の狭い道、駐車場が少ない場所は、やはり不便なのだ。当然ながら、郊外に逃げた客が、夏になると街中に人が戻ってくるはずもない。会津若松は規模の大きい街だけに、中心部のさびれ具合が目立つ。が、人の活気がなくなったはずはないので、どこか街外れのショッピングモール辺りで映画を見たり、ご飯を食べたり、ダンススクールにかよったりしているのだと思うのだが。

そんなことを思いながら、少し気温が下がった会津若松の街中を歩いていた。この後に食べるつもりだった、会津ソースカツ丼の店は6時半に閉店していた。街をぶらぶら歩き回らずにさっさとその「食堂」に行っていればよかった、と後悔する羽目になった。夕方にしたお散歩の残念な結末だった。
教訓、旅先の街ではお目当ての店が閉まる時間を確認しておこう。閉店時間が早すぎることを念頭に活動しましょう。

食べ物レポート, 旅をする

会津名物を啖う

口福 とはこういう体験なのだなあ

会津の郷土料理は色々と有名なものがあるが、これまで会津に何度か来ているが、一度も予約が取れなかった店で馬刺しを食べた。ようやく念願が叶って一安心した。なんと、会津で馬刺しを食べようと思ってから、10年以上が経ってしまった。
馬刺しが有名な場所は日本のあちこちにある。熊本の馬刺しはニンニク醤油で食べた。九州醤油の甘さと相まって、実に濃厚な味わいがした。長野も馬刺しが名物だが、長野市の有名な和食店で食べたものは、生姜を薬味にして比較的あっさりとした味がした。熊本の馬刺しが中トロだとしたら、長野はあっさり系の赤身という感じだ。
そして、今回の会津の馬刺しだが、これは濃厚な赤身という感じがする。それを辛子みそで食べるのが会津流だそうだ。
お値段は当然ながらそれなりのものだが、ファミレスでステーキを食べるよりはよほどうまいものを食べた感がある。

この店のお通しが、漆の器に入った五品だった。野菜料理の一口サイズは、注文した料理が届くまでのつなぎとして実に良い加減だった。お通しは、あくまでメイン料理への繋ぎなので、味付けは薄い方が良いと思う。これを肴に、会津の酒を冷やで飲んでいた。

一合の日本酒を頼むと、卓上に漆の片口が置かれて、そこに一升瓶から冷たい日本酒が注がれる。いつもであればぬる燗を注文するのだが、この日は流石に気温が高すぎて、冷たい酒が欲しくなった。
大きめなガラスのぐい呑みにたっぷりを酒を入れ、一息に飲み干した。冷たい酒がカラッぽな胃袋に衝撃をもたらす。舌から喉にかけて冷たい酒が流れていくのがわかる。ビールは喉ゴシ、みたいなことを言う人もいるが、冷酒も喉ゴシに幸せを感じる。

鰊のうまさに開眼した

馬刺しを平らげつつ、追加で身欠き鰊の山椒漬けを注文した。他の店でも何度か同じものを注文したことはある。お店によって多少味の違いがあるのだろうとは思っていた。が、この店の鰊は浸かり具合が絶妙だった。思わずテイクアウトの注文をしたくなった。
馬刺しもうまかったが、このニシンの漬物があれば、日本酒を飲みに鰊をかじる、追加で日本酒を飲み、また鰊をかじるという、無限の連鎖ができそうだ。身欠きニシンは甘く煮付けたもの(炊いたもの)を蕎麦に乗せて食べるくらいかと思っていたが、この山椒漬けは別世界の食べ物だった。発酵食品は旨味を作り出すと言う意味で、やはり絶品が多い。その中でも、これはマイベストランキングでトップクラスと認定しよう。

馬刺しもニシン山椒漬けも、一人前というには量が多いもので、それを独り占めして食べきったから満足度は極めて高い。ただ、これ以上料理を頼めるほどの余裕は無くなってしまった。
美味しいものをたっぷり楽しみ、さっさと引き上げる。これが人気店での客の嗜みだろう。この日は、1時間ほどの滞在だったが、その間にも5組以上の客が満席のため断られていた。
やはり旅先で旨いものを堪能するには、予約しておいた方が良いのだ。予約なしで飛び込みで店に入り、感性任せにあれこれ注文してみると言うのは、やはり若い時だからできることだ。満席で断られても、また来る機会はあるさと諦めがつく。だが、歳をとれば胃袋の許容度も下がるし、ハズレを引いた時のダメージも大きい。そもそも次回があるかどうかも疑わしくなってくる。
そんなことを思いながら、次回は冬に来て桜鍋というのもよさそうだ、などと考えていた。当然、熱燗でいただく。その時も予約必須だな。

今回の旅の学びでありました。

街を歩く, 旅をする

会津の街並みに感動した

会津の街で中心部は「お城」と言いたくなるが、お城周りは住宅地が広がる場所で、商業集積地としては市役所の周りになるはずだ。ただ、全国の地方中核都市共通の課題で、市役所の周りはすでに空洞化し商店街は虫食い状態になり、潰れた店の跡地が駐車場になるという、かなり無惨な光景が広がる。
これは、日本全国の県庁所在地で起こっている事態なので、福島県会津若松市だけの問題ではない。街中に繁華街が生き残っているのは、人口が50万人を超える大都市、あるいは政令都市くらいだろう。
北海道では札幌以外すでに全滅。東北でも仙台を除けばやはり全滅。北関東三県はギリギリ生き残り。中部では新潟と静岡、金沢以外の街はやはり厳しい。中国四国では広島、松山、高松はまだ繁華街が残っているが、それ以外の街では似たような寂しさだ。九州では福岡、熊本が別格として、鹿児島がちょっと元気なくらいだろう。
旧城下町は、どこも同じように街の空洞化、郊外化が進みきっている。アメリカでは1950年代に起こったことだが、日本では30年遅れで一気に進んだ。
ところが、そんな寂れた街の中でも元気な店や場所はあるものだ。このビルの名前は、まさに元気の塊みたいな感じがする。どうやら、会津若松市の市役所近くでは、まだまだ威勢の良い人・企業が頑張っているらしいのだ。

街頭にある看板も、なかなか威勢が良いではないか。酒蔵の多い会津地方だけに、まだまだ日本酒製造元の気合いが入っている。ただし、この名文句は間違って記憶していた。「東北に名酒あり」と思っていた。確かにうまい酒なので、脳内での誤変換が起きていたのだろう。思い込みとは怖いものだ。

交差点にある案内板だが、これはずいぶん低い位置にあるのが珍しい。普通に見かけるのは、頭の上の高い位置、道路標識などと同じような高さだから、この低い場所にあるのは、小学生向けかなと思ったが、ふりがななしの漢字だらけだから、そうでもないようだ。雪が多い地域だけに、こんな低い場所で雪に埋もれてしまわないか心配になる。冬の時期にも管理が行き届いているのだろうか。

戊辰戦争の後、会津が生んだ偉人としては、やはりこの方になるのだろうか。お札にもなったし、お医者さんだし、苦労して大成した「偉人」伝の主人公だから、こういう扱いも当然だろう。
しかし、「青春通り」という呼び名はちょっと気恥ずかしくないか。などと、意地悪な感想を持ちはしたが、この青春通りの周りには小体で粋な店が多いようだ。中でも感心したのが、生姜焼き専門店だった。
そもそも生姜焼きの専門店というのがすごい。大都会であるお江戸でも、生姜焼きは町中華屋や大衆食堂の人気メニューではあるが、専門店はほとんど見かけない。うっすらとした記憶で、銀座か神田のハズレのどこかでみたような気がする。生姜焼きが名物という店は多いが、専門店を名乗る店は希少だろう。
その生姜焼き専門店を会津で見つけて喜んでしまったのだが、暖簾の横にある案内に心が持って行かれた。「本日のBGM」とわざわざ書いてある。ジャズ喫茶であれば、こんな書き方もありそうだが、生姜焼きの店なのだ。音楽が主体のサービスではないだろう。
そして、それ以上にすごいのは、フューチャーされているアーティストが「あがた森魚」だということだ。このシンガーソングライターの名前を覚えている人は、もはや限りなく少ないだろう。昭和中期のかなり個性的なアーティストだ。おまけに、全作品がCD化されているのか気になる。自分の所有物をひっくり返してみたら、一枚だけベスト盤があった。おそらく一日中同じCDをかけっぱなしにすることはないだろうから、往年のレコード(LPアルバム)をかけるのだろう。
この店も、いつか必ず行ってみたい。その時の特集アーティストは、誰になるのだろうか。あがた森魚に匹敵するとしたら、下田逸郎や中山ラビ、及川恒平あたりか。元気な音楽であれば、甲斐バンドや世良公則、シャネルズといったバンドが聴けそうだが。
しかし、実に実に会津はすごいなあ。

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会津七日町通り 歩いてみた

JR只見線で会津若松駅から一駅目、七日町駅はなかなか風情のある駅舎だった。この駅の前で、市内循環の観光定期バスがおり返す。只見線は会津若松駅を出ると、会津盆地の南部を東から西へぐるりと時計回りに周り、会津盆地の西の端から奥会津に進んでいく。だから、会津盆地の交通を担う主要路線だと思うのだが、運行本数が異常に少ない。この駅から隣の駅に行こうとすると、歩いたほうが早いという時間帯がほとんどだ。
ただ、会津の観光地である七日町通りの起点でもあり、駅を訪れる人は多いようだ。駅舎の中はアンテナショップと喫茶店になっている。

そこから街の中心部に向けて越後街道(七日町通り)沿いにしばらく歩くと、昔は問屋だったらしい渋い建物がある。周りに数多くある木造家屋も、どれも見た目に風情があるのだが、この店は食堂になっているらしい。
昼時を外してしまっていたので店の前を通り過ぎるだけだったが、郷土料理をアレンジして出してくれるようだ。次はのんびりとランチを食べにくるのが良さそうな店だった。

駄菓子屋が和菓子の名店になってしまった

ずいぶん昔、友人と会津に蕎麦を食べにきた。その時に紹介された会津駄菓子の製造販売店で、土産に昔懐かしい駄菓子を大量に買って帰った。いわゆる、小学校近くによくあった駄菓子屋ではない。10円20円といったチープな菓子(それはそれでうまいのだが)ではなく、昔ながらの「駄菓子」が並ぶ店だった。
その売り場にでんと座っていたおばちゃんが、これまた会話の上手い人で、そのおばちゃんと話がしたくて、会津に来た時には必ず立ち寄るようになった。
その店、「本店」は街の中心部から外れたところにあり、ちょっと不便な場所なので、駅から行くときはタクシーを使ったりした。
その不便さを解消するためなのか、七日町に支店を出した。それがこの店だ。ただ、本店のおばちゃんに会いたくて会津に来ているので、支店に立ち寄ることはなかった。
残念ながらコロナのせいなのか、時代のせいなのか、駄菓子の製造販売はやめてしまったそうだ。今では、すっかり高級和菓子ブティックという風情の店になっている。売っている和菓子は、デザインも優れたハイセンスなもので、実に美味しい。お土産にするには最適な隠れ名物だと思う。
ただ、やはり会津駄菓子を食べたい気持ちは無くなっていないので、いつか製造再開してくれないものだろうか。

お茶屋とも喫茶店とも言える店が、七日町通り沿いには数軒ある。どの店もファサードの作りが上手だ。こんな気温の日でなければ(摂氏37度だった)、外に並べられた縁台に座ってお茶を飲む、ソフトクリームを食べるなど楽しい経験ができそうだ。

土産物店兼喫茶店のテラス席には、会津名物「あかべこ」くんが暑そうにしていた。ちょっと表面を触れてみたら、これまた火傷をしそうなほど熱かった。やはり真夏に観光地歩きをしてはいけない、と強く思った「全国一気温の高い日」の会津でありました。
会津は漆器に焼き物が有名で、ぜひ骨董品屋に行ってみたいと思う。

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会津若松駅からぶらり歩くと

JR会津若松駅から隣駅「七日町」まで歩くと20分程度だろうか。七日町は会津と越後を結ぶ越後街道沿いに広がる繁華街だったそうだ。今では、だいぶ観光客向けの店に変わっているが、土蔵や木造建築が立ち並ぶ。老舗の漆器店などもあり見た目に楽しいまちだ。その七日町まで、観光客向けの市内循環バスが通っている。そのバスが通る道沿いに、会津若松駅から七日町の駅まで歩いてみた。

駅から5分ほどの距離にある喫茶店で、店頭看板というには物々しい懐かしのヒーロー像を発見した。ただ、喫茶店の店名とは全く関係がなさそうだ。石巻の町では、街全体で「サイボーグ戦士」の像が市民の安全を見守っているが、その兄弟分であるこのヒーローも会津の平和を守るため日夜活躍しているのだろうか。
軽食もできる喫茶店のようなので、晩飯でも食べに行こうかと考えていた。ちなみに、このヒーロは数ある石ノ森ヒーローの中で、おそらく一番悩み深い性格だったと思う。ギターを担いだ渡り鳥的な生活は、ヒーローにも辛そうだなと思っていた記憶がある。

そのすぐ近くに、これまた伝統的な大衆食堂を発見した。店頭のサンプルケースをのぞいてみると、食べてみたいメニューが大量にある。ヒーロのいる喫茶店にも心を惹かれてはいたが、今日の夕食はここにしようと決めた。
だが、午後7時に来てみたらすでに閉店していた。あまりに夜の閉店が早すぎる。実に残念だ。

サンプルケースにある説明を読むと、会津ソースカツ丼はどうやらこの店が発祥らしい。ちょっと前にテレビでみた旅番組で、会津ソースカツ丼の話が出ていた。なるほど、ここが生誕の地だったのか。カツ丼を好んで食べることは少ないが、この店のソースカツ丼は姿勢を正して食べてみたかった。再訪するしかないなあ。

おそらく休業しているらしい薬局の看板がなんとも懐かしい。もはや販売しているのかどうかもわからないが、グリーン仁丹とはなんとも懐かしい。仁丹といえばジイ様がよく食べているジジくさい何かだった。食べている周りまで、いかにも薬臭い匂いがする。仁丹とは湿布の匂いと共通する、古い薬というイメージがあった。
ところが、グリーン仁丹は若者向けの爽やかな「フレッシュ仁丹」みたいな感覚があった。ただ、仁丹に爽やかなイメージを持たせるのが難し買ったのだろう。ブレスケア商品としては、いつの間にかミント系で洋風な名前のついたタブレットに置き換わってしまった。

その先を歩いていると、漆器店の脇にちょっと窪んだ空間があった。なんだろうと覗いてみると、eyesと店名らしきものがある。後ろには小さい扉があるようだ。銀座のクラブや六本木の隠れ家レストランあたりだと、こんな小粋な体裁の入り口があるが。漆の器を売る店が夜の営業、二毛作でバーをやっているだろうかと頭の中で疑問符が点滅する。
しばらく考えて閃いた。eyesはアイズとよむ。つまり「会津」のことなのか。読み解く難度の高い店名だったのだ。どうやらバーなどではなく工房のようだ。(いまだに正体は不明だが)実におしゃれなファサードだと感心した。
その近くに民家を改造したカフェがあった。引き戸を開けると落ち着いた空間がある。ただそれ以上に感心したのが、引き戸の上にある欄間だった。普通のレストランであれば、この欄間の位置には内照式の看板をつける。
そこに、ガラス枠に嵌め込んだ細工の整った欄間を飾るセンスはすごい。夜になれば店内の照明が薄く漏れてくる綺麗な飾り窓になるはずだ。
全国あちこちの観光都市を歩いてきたが、改めてみると会津若松の町は美的センスのレベルが高い店が多い。おまけに民家を改造した木造建築の店舗ほどセンスが良い。通り全体をタウンマネージメントで体裁を整える街もあるが、どうやら会津若松の駅前から通じる道は、「個」の力、センスで出来上がっているみたいだ。

やはり旅先は徒歩で歩き回らなければ見つからない「良さ」や「楽しみ」がある。この日、会津若松は日本で一番暑い場所の一つだった。熱中症の危機を覚えつつ街中を歩き回り、感動するやら、気が遠くなるやら。次回は、少し涼しくなった時期に来たいものだなあ。

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会津若松駅の光景

会津若松に来たのは、仕事を含め7度目か8度目だ。自動車旅の途中で寄ったこともあるが、大抵はJRを使った移動にしている。来るたびに駅の中が変わっている印象があるが、外回りの景色はあまり変わらない。
特徴的だと思うのが、駅前の駐車場がガラガラだということだ。パーク&ライドという使い方はされないようだ。会津市内完結型のビジネスマンが多いのか、あるいは郡山市や福島市までは自動車移動するからなのか。多分、車移動が中心なのだろう。駅前のバスの発着も目立たない。

その静かな駅前に立つホテルによく泊まる。駅近が理由だが、最近は駅前の反対側に全国チェーンのホテルも立っているので、ホテル間の競争が激しいようだ。それでも利用するのは、毎回この少し古びたホテルだ。
そのホテルの一階に喫茶店があり、どうやら夜になるとお酒が飲めるようだ。たまたま到着した午後の時間帯は準備中の札がかかっていた。夕方になると、軽い居酒屋的な営業に変わるのだろうか。

店頭のガラス窓に貼ってあったのは不思議なポスターだった。大丈夫、間に合います。とはどこかで聞いたようなセリフだが、確かに飲み始めてから終電者までの発車時刻が書かれある。飲み始める時にお店の人に一声かけておけば、乗り遅れることもなさそうだ。終電は午後9時台なので、ちょっと急ぎ目で飲む必要はある。
今回の目的である只見線の発車時刻を見ると、なんといきなり19時台まで乗車できない。午後6時に仕事が終わると、1時間半ほど時間を潰さなければならないのだ。これでは通勤に使うはしんどいかもしれない。
なんだか自分の高校生時代を思い出した。いささか交通の不便な場所に住んでいたためJRの運転本数が少なく、時間帯によっては1時間半から2時間ほど駅で時間待ちをすることがよくあった。それを思い出したのだ。
今では10-15分間隔で運転している近郊通勤線だが、当時はローカル線の極みで、朝の通勤通学時間だけは1時間に2-3本運行する。あとは2時間間隔みたいな運転で隔世の感がある。陸の孤島に住んでいるという感じがあったし、こんな間引き運転しかできないJR(当時、国鉄)は解体されるわけだと思っていたし、恨んでいた。が、今でもそれと変わらない状況があちこちのローカル線にはあるのだ。
ローカル線の運転本数が少ないのは、鶏と卵みたいな関係があると思う。運転本数が少ないから不便で乗らなくなる。乗らなくなるから儲からないので運転本数を間引く。この繰り返しでローカル鉄道は滅びていく。負のスパイラルだ。

そんなローカル鉄道の「観光客誘導作戦」が鉄道むすめというキャラ立てプロモー^ションだが、これは「乗り鉄」の一部には好評らしい。御朱印巡り旅の現代版として、もっと活用されても良いのではと思うが。確か三陸鉄道のキャラが、人気があるというニュースを見た記憶がある。
会津鉄道はなかなか乗車難度が高い路線だが、一度乗ってみたいものだと改めて思った。少なくとも路線名だけでは記憶に残りにくいが、こういう目立つキャラと合わせ技で覚えてもらうというのは、ブランド確立のための基本手法だろう。
そういえば会津鉄道は。猫の駅長さんでも有名だったか。このお嬢さんが手に持っているのは鉄印帳だろうなあ。今更、この魔の誘惑「鉄印の旅」に乗せられてはいけない。

只見線全面運転再開はニュースにもなっているし、旅番組などでも度々放送されている。お盆を過ぎて少し暇になったと思って乗りに来たのだが、なんと高齢者の乗客が多いことに気がついた。
ちなみに、会津若松駅は只見線の始発駅だが、終点の小出駅まで行くのは、一日3本しかない。早朝、午後、夕方の3本だ。だから、沿線の景色を楽しもうとすると、朝一の始発、あるいは午後の便しかない。ところが午後の便は、小出についてからの移動がちょっと不便になる。小出駅がある上越線も、なかなかのローカル線なので、小出から長岡・水上間の運行本数が少ない。必然的に朝一の始発に乗る「高齢者客」が多くなるのだろう。ただ、そのためには会津若松に前泊しなければならない。

会津若松駅では、伝統的なキャラである「会津地方の牛」の像がお出迎えしてくれるのだが、今回は新キャラが増えていた。見た目は同じ赤い造形だが、どうやらこれはトマトのキャラらしい。やはり、宣伝はキャラ全盛時代なのだ。
郡山から磐越西線で会津若松までは1時間強。山の中を走る旅なので沿線風景は木と森ばかりだが、会津盆地に入ってくる時に空間が広がるところが気に入っている。

首都圏からは程よい移動距離の旅になるので、「乗り鉄」系の方にはおすすめの観光地だと思うのだが。次回は磐越西線完全制覇に挑戦してみたい。

駅弁

宇都宮の駅弁

郡山のお祭りキャラらしい

各駅停車の旅を何度か繰り返しているが、今回は日程を間違ったようだ。お盆が終わった後だから旅行をする人間は減っているだろうと思っていたのだが、予想を遥かに超えた大混雑で、各駅停車の旅なのに満席、立ったままの乗客も多い。
どうやら、高齢者のジジババが一斉に移動を開始したようだ。大きな荷物を持った高齢者がやたら目立つ。中には杖をついているのに大きなリュックを背負っている強者もいる。それ以上に混雑の原因だったのが、高校生のスポーツ系合宿と思しき団体だった。ユニフォームを着ての移動は、学校名から名前まで一目でわかるので、この個人情報のやかましい時代に大丈夫かと思うが、男子ばかりだからお目溢しなのだろうか。
今回の移動中、どこにでもわんさか大量発生していたスポーツ男子団体だったが、お盆が過ぎた後で宿泊費が低下したタイミングをねらい、一斉に活動しているようだ。
今までの各停旅経験で言えば、ガラ空きなはずの客席がほぼ満席で、のんびり駅弁で昼飯を楽しもうと思っていたが、車内で弁当を食べられる雰囲気ではない。結局、宇都宮で買った駅弁を郡山まで持ち歩き、駅で食べるハメになった。

全国あちこちに「鳥飯」の駅弁は多い。個人的には秋田県大館の「とりめし」が最高位にあると思っているが、九州折尾名物「かしわめし」も評価が高いようだ。お江戸でもあたりまえのように「とりめし」駅弁は売っている。チキンライス弁当もとり飯の変形版としては捨てがたい。
ただ、宇都宮のとり弁当はずっと気になっていた。宇都宮が駅弁の発祥地であるという歴史的業績に対する期待もある。それ以上に、この宇都宮の駅弁屋さん諸品が実に名品揃いだからだ。

煮卵が圧巻のボリュームだった

蓋を開けてみると、構成は実にシンプルで、他のとりめし弁当と比較しても、オーソドックスと言える。焼いた鶏肉と鶏そぼろ、オボロ卵、この辺りまではだいたいとりめし定番の組み合わせだろう。見て驚いたのは煮卵が入っていることだ。煮卵を取り上げてみると、なんと丸々一個だった。大抵は半分にカットしたものが入っているのだが、この弁当では煮卵が完全体だ。おまけにオボロ卵が入っているのだから、随分と豪勢な卵推しだ。
とり肉ととりそぼろ、どちらも甘さは控えめで、個人的な好みにぴったり合う。鳥の焼いたものが入っている弁当では、焼いた鳥につけるタレが甘すぎるものが多いので、これくらいの控えめさがありがたい。鶏肉の旨みもよく感じられる。
唯一の難点といえば、ご飯の量がちょっと多いかなという程度で、腹ペコの人にとってはちょうど良い量なのかもしれない。完食した上で、個人的なとりめしランキング上位に決定。
これはまた食べてみたい駅弁だった。できれば「すいている各駅停車」の中で、車窓の風景を見ながらのんびり食べたいものだなあ。

駅弁

新潟駅の駅弁

新潟駅で駅弁を買い込み昼飯にしようと思ったのだが、なんと8時半を過ぎでも駅弁がお店に来ない。配送時間の遅れなのかもしれないが、前日は同じ次巻に揃っていたはずだと、ちょっと慌ててしまった。それでも8時40分にはようやく到着して、棚に並べる脇から一つ取り出して購入した。
今回は、開戦系にしようと思っていたので、あまり迷うことなく決定した。新潟の駅弁といえば、海老千両という名作があるが、今回はマス、酒、カニで「まさか」と名付けられているいくらの乗ったご飯だ。寿司と書いてあるから酢飯だろうと期待していたが、確かに良い塩梅の酢飯だった。

見た目は綺麗なカラーバリエーションで、味付けは駅弁としては薄めだった。酢飯と鮭がよくあっている。思っていたよりご飯が少なめなので、具とのバランスも良い。押し寿司にありがちな、コメがぎゅうぎゅうもりで、お印程度の薄い魚の切り身が乗っている、コメと魚バランスが悪いものとは違う。
ハジから順番に食べて行ったが、カニを最初に食べて、ますの切り身、鮭のほぐし身、いくらと味の薄い順から食べていくのがよさそうだ。
旅の終わりにしみじみしながら食べるのに向いている、お上品な駅弁だった。各駅停車の旅を駅弁で初めて駅弁で終わるというのは、なかなかよろしいものだ。