街を歩く

美唄焼き鳥

ひさしぶりに美唄焼き鳥の店に入った。多分、3年ぶりくらいだろう。最後に入ったのはコロナの自粛直前で、店内には客がほとんどいないという感じだった。
それが、今回は「予約はおありですか」と最近よく聞かれるフレーズで、まず入店を防御される。予約なしの客は入れないぞという意思が強く見える。
そこでこちらも、予約なしで二人だけど……………と押してみる。帰ってくる返事はカウンターで良ければという強気なものだ。客がいなければ「お好きな席にどうぞ」と言っていたものだ。今ではテーブル席が空いていてもカウンター席を押し付ける。この辺りの、客の入り状況に合わせて接客応対を変えるというのが、嫌われる飲食業の原因だろう。少なくとも客の足元を見た対応をするのは、よく通ってくる客ほど見抜くものだ。
ちなみに、この美唄焼き鳥の店だけがそういう下手な対応をするわけではない。少なくとも、札幌圏全体ではどの店に行っても似たようなものだ。コロナ前後で比較して、明らかに接客応対の技術が低下している。やる気も……………落ちているらしい。


お江戸でも老舗と言われる店の一部を除けば、似たようなものだから仕方がないと諦めるしかない。だらしない対応しかできない店が増えたのは、優秀な店長や店舗スタッフを、コロナの時に切り捨てた経営者の責任というしかない。飲食業、外食業の経営者は記憶力に重大な欠陥があるらしく、苦境の時に学んだことをすぐに忘れる。おそらく脳内メモリーが2kくらいしかないのだ。

さて、最初に頼んだのはラーメンサラダた。北海道ではもはや居酒屋の絶対定番と言って良いが、いまだにラーメンサラダと野菜たっぷり冷やし中華の違いがわからない。この皿ではラーメンの麺が野菜の下に完全に隠れているというステルスバージョンだった。見た目では野菜サラダというのは、盛り付けとしてどうだろう?
ちなみにラーメンサラダはビビンパのように、上下をぐしゃぐしゃに混ぜて食べるものだと思うので、こういう平皿よりはサラダボウルのような混ぜやすい容器にしてもらえるとすごく嬉しい。

美唄焼き鳥は鳥を捌いた部位、内臓肉も併せて一つの串にミックスしてさしてある。一口ごとに味が違うといえば良いのだろうか。開店前の串打ち作業を効率化(サボりやすくした)したという点で画期的だ。
よく焼き鳥屋で盛り合わせの皿を注文して、それを串からハズしてバラバラにして食べるという方がいる。食べ方は人それぞれなので強制はしないが、違和感を感じることもある。つまり、バラしてしまうと「嫌いなパーツ」が混じり込んでしまうことだ。例えばレバーやモツは嫌いという人は、相当注意して各ピースを確かめなければならない。色々なものを少しずつ食べたいというニーズもあるのだろうが、この辺りは居酒屋の使い方みたいな定番ルールがあるわけでもなく、何とも難しい。似たような居酒屋あるあるをあげると、鍋奉行、焼肉奉行のような料理を仕切る人たちのこだわりだろう。鍋奉行Aと鍋奉行Bがたまたま同じ席にいたりすると、仕事の関係も含めた暗闘が始まる。居酒屋のメニュー選択は、時には争いを生み出す「武器」にもなる。気おつけましょう。


ちなみに、仕事で会食をするときは、そう言った面倒臭い問題が発生しないように、絶対的に「コース料理」、それもシェアしないものにする。だから、仕事飯で鍋料理など論外だ。どうしてもということであれば一人前仕たて鍋にしてもらう。

そう言った面倒臭い考えをしなくて済むのが美唄焼き鳥だ。理屈から言えばどの串を食べても違う味だし、シェアする必要もない。
金曜の夜の焼き鳥屋は大繁盛だった。コロナの時の厳しさを知っている従業員もいないだろうし(大半が首斬りになったハズだ)、またバブルの時のように横暴な接客が横行する時代が来たらしい。バブルの時期は飯を食べに行くと不快な思いをすることが多く、一時期は弁当を愛用していた。そんな、気が萎える嫌な時代がまたくるらしい。そこまではあと一息か。やれやれ。

街を歩く

桜と野菜炒め

桜の季節になると、晴れた日であれば2kmほど散歩して大きな公園に桜を見に行く。昔はビールを買って花見酒などと洒落込んでいたが、ここ最近はノンアルでふらふらと歩き回るのが良いと思うようになった。
お天気が良ければ、そんな桜散歩を何日か続けることができる。朝に行ったり夕方に行ったり、時間を変えれば光の差し方、光線の具合が変わるので、何度でも桜を楽しめる。ひらひらと舞い散る桜吹雪の中を歩くのも、これまた別の楽しみだ。

うまいのだが 春っぽいかと言われると

そして、その桜の季節に、春らしさをほとんど感じさせないのが「我が愛しの満洲」の凄さだろう。青菜と卵の炒め物は、ここ数年続く春先の季節商品だ。確かに青菜は早春に旬を迎えるものも多い。が、春をイメージするにはどうなんだろうねと思う。
最近では満洲の味付けがどんどん薄味になってきているので、野菜の味ははっきりわかるが、これは行き過ぎると家庭料理と違いがなくなるのではないか? 強い火で一気に煽るという「料理屋の中華料理」の顔が見えにくくなってしまうのが気にかかる。たっぷりのキクラゲは、個人的に嬉しい。厚めのにんじんも好みだ。ただ、これはクックドゥで作る野菜炒めとの差が……………

安定の味の味噌ラーメンと思っていたら、今回は味が薄い。いや、調理がブレたというより味付けを薄く変えたのかもしれない。確かに満州の客層は、平日を見るとすっかり高齢者施設になっている。独居老人が昼に集まる場所と言われても不思議ではないくらいだ。それに対応したメニュー変化・レシピー調整だとすれば……………

初めの頃はほとんど注文する客がいなかった「白飯・玄米」選択の玄米指定だが、最近では玄米を頼む客が目立つ。おまけに炒飯を玄米で頼んでいたりする。それを耳にすると、玄米の炒飯とはどんな味になるのか、などと気になってしまう。
何だか満洲は「餃子屋」から違う世界に飛び立とうとしている気がする、今日この頃。

食べ物レポート

ラーメン屋のチャーハン

札幌駅周辺でラーメンを食べようとすると、この時期は意外と大変だ。札幌駅の改修工事に伴い駅近の施設が一斉に閉まっているため「飲食店不足」が発生している。それに便乗したかのように、普通のラーメンが1000円越えになってしまった。
大通り周辺の繁華街に残るラーメン店は、何とか1000円の壁を超えないように頑張っているが、札幌駅周りの店は2030年くらいまで続く無競争状態を利用して、ぼったくりをするつもりらしい。
そんな環境でありながら、老舗のラーメン店は極端な値上げもせずに相変わらずの人気ぶりだった。この店のラーメンは自分好みのもので毎回利用しているのだが、ずっと気になっていた「チャーハン」を食べてみることにした。
確かに、この店の客の何割かはラーメンではなくチャーハンを注文している。サイドアイテムとしての半チャーハンが人気ということではなく、フルメニューの「チャーハン」が人気なのだ。

世の常識的な丸い小山のチャーハンをイメージしていたのだが、全く違うルックスで登場してきた。紅生姜の赤が鮮烈だが、見た目は極々普通だった。ただ、よくみると飯粒が油ぎっていない。油でベタついた感じはしない、サラッとした感じに見える。
食べてみたら、口の中で米粒がハラリと広がる。油に塗れた米団子を食べるような感じではない。舌触りもサラッとしているし、塩味も控えめだ。なるほど、これを単品注文する客が多いのが理解できる。
ただし、当然のことながら食べ続けると、味の単調さに飽きがくる。チャーハンの難しいのは最初の一口と最後の一口まで同じ味であることだ。つまり、舌の興奮状態が続かない。ラーメンと半チャーハンが人気なのは、互い違いに食べることで味変をして、炒飯の単調さを補うことにある。というのであれば、チャーハン単品を食べるとき、どういう味変で凌ぐか?という方法を編み出す必要がある。。ただし、体には良くない禁断の術だ。

チャーハンを半分くらいまでワシワシと一気喰いする。ドカ食いする。そして、腹の満腹中枢が働き始める前に、ビールを注文し軽く飲む。アルコールが胃を刺激するのを期待するわけではない。ここで気分を変えて、チャーハンをつまみにビールを飲むモードにする。気持ちの切り替えだ。
意外とチャーハンは酒のつまみとしてよくできている。適度な油分と塩気がある。少量ずつスプーンで掬って食べる。舌がチャーハンの味にだれてきたらぐびっとビールで押し流す。舌がリフレッシュされたら、また炒飯味を楽しむ。あとはこのループを延々繰り返すのだ。

他人様にお勧めできるやり方ではないが、怠惰な午後を過ごしても良いと思うときには、チャーハンとビール、意外と楽しい。ただし、食後はとてつもない眠気に襲われるのも間違いない。「混ぜたら危険」な炒飯&ビールランチであります。

街を歩く, 食べ物レポート

春のちゃんぽん

世間では大型連休の真っ最中だが、我が人生ではもはや週末、連休とは外出を避け(混雑しているので)家で大人しくしているものとなった。だから、全くウキウキしない。逆に早く終わってくれないかなあなどと思うようになった。人生も時期によって過ごし方は変わるものだとおもいしらされる。

多すぎると、ありがた迷惑的になってしまうコーン・マシマシ

さて、ちゃんぽんの全国チェーン店に、たまたま続けて行くハメになった。どちらもフードコートの店で、ラーメンを食べようとしたらラーメン店がなくなていたり、凄まじい行列ができていたせいだ。
これを業界用語(笑)ではセカンド・チャンスという。例えばフードコートで大人気のラーメン店(他の業態でも良い)があり、そこでは待ち時間が30分かかるとする。すると、そこに「待たずにすぐ買えるラーメン店」を出店すると、まさに漁夫の利を得て、そこそこ繁盛するというものだ。超繁盛店のおこぼれをもらうコバンザメ商法と言って良いかもしれない。今回のちゃんぽんは、まさにそう言った利用動機で食べることになった。何が何でもちゃんぽんが食べたいという、エッセンシャルなモチベーションが(ちょっと偉そうにカタカナ連ねてみました)存在したわけではない。


個人的にはちゃんぽんが好きだし、このチェーン店もよく利用している。だから商品に文句はない。だが、今回の春向け商品はちょっとすごかった。
たまたま「味噌味ちゃんぽん」を食べたことがなかったので試してみようと注文してみたのだが、従業員が「あと〇〇円で、コーンたっぷりの季節商品になりますよ」とセールストーク。マニュアルに忠実な良い従業員だ。基本的にセールストークは断らないことにしているので、言われるままにコーントッピングの味噌ちゃんぽんに変更した。
そして、手に入れた商品を見て絶句する。ビジュアルが……………凄すぎる、黄色すぎる。おまけに食べてみたら、味噌の味がしない。普通のちゃんぽんと違う味だということはわかるが、何だか思っているものと違う。とんこつラーメン店ではよく起こる現象で、スープと味噌のバランスが取れないことが多いようだ。どちらも主張の強い味噌と豚骨スープがケンカしているというところだろう。
おまけに、コーンが多すぎて食べるたびにコーンの味が混じりこむ。騙されたとまでは行かないが、ちゃんぽん世界の北の果てに飛ばされた、みたいな気分になった。

おそらくこれが、ちゃんぽん界の全国標準

次の機会には、真っ当なオリジナルを注文しようと、ちゃんぽん(並)、何のサイド追加もなしで頼んでみた。食べてみれば、ああ、これぞまさにちゃんぽん的な安心感がある。
ただ、どうもコロナの時期にあれこれと商品改良をしてテイクアウト対応可能にしたせいか、何とも言えない違和感というか微妙な味の違いを感じる。これは物理的な変化というより、情報を入れたせいで味の判断に予断が入っているということかもしれない。たとえばスープの温度は同じであっても、油を変えると舌にまとわりつく感じが変わるので、熱さぬるさの判断が変わってしまうみたいなことだ。炒め油にしても動物油と植物油による味の違いは、そんなところに出てくる。
食べて感じる熱さや温度は物理的に変化がないのだろうが、舌が感じる体感温度みたいなものは異なる。だから、知識や情報が味に影響するというのは、些か悲しいものがあるのだが、それも脳の機能というものだ。職人がフライパンを振る調理法と、専用機械で均一に加熱する自動調理の間には、やはりまだまだ差があるらしい。
それでも機械化された方が、出来上がりのブレが少ない。職人芸に至らない素人もどきが作る素人芸(不味い商品)にぶち当たるよりは機械が作る一定品質の方が数段上だろう。


最近では我ながら呆れるくらいなので、もう少し事前の情報を無視して、単純にうまいまずいで物を食べた方が、人生幸せな気がする。

春の桜を見るたびに、あと何回桜を見ることができるだろうと思い始めたらジジイらしい。(ババアの定義はちょっと違うと思うし、よくわからない)今年の桜を見ながら、うまいちゃんぽんの未来に思いを馳せることになったが、それは残りの人生の過ごし方としてあまり面白いものではないような気が……………

食べ物レポート

三色団子 北海道スタイル

九州で見つけた団子は、一つの串にごまあんとみたらしが上下に分かれてかかっていた。人生で初めて見た衝撃の品物だったが、その衝撃とは別に実に美味しく食べた。ひと串で二度美味しい、絶品だ。あれが自宅周りのスーパーで売っていたら、けっこうまめに買うのになあと残念に思う。そして、今回は北の街で、自分のイメージ通りの三色団子を見つけた。
ごまあん、みたらし、ねりあんがひと串ずつ入っている物だ。これこれ、まさにこれだとその場で喜んでしまった。

この三色団子はいつでも売っているわけではない。かと言って特定の季節に売っているわけでもない。なぜか、ある時突然売り場に出現して、いつの間にかなくなっているという「不思議」商品だ。
今回も、これを買って三日後には売り場から消失していた。何と「謎」の多い物だろう。全国あちこち旅をして、団子ばかり見て回っているつもりもないが、意外とこの3色別々串セットは見当たらない。ヨーカンパンのような地域特性があるのかもしれない。自宅周辺は焼き団子でそれなりに有名な地域なのだが、この手の三色団子セットは見たことがない。まあ、人生の一大事というほどのことでもないので、新種に気がついたらまた何か考えてみよう。

街を歩く

山菜そばとトースト

ひさしぶりに朝、駅の立ち食い蕎麦屋に入った。この朝の蕎麦を注文するときにはいつも迷う。馴染みの富士そばであればモーニング蕎麦一択だが、駅そばでは場所によって多少アレンジというか「推し」が異なっている。しかも、気がつかないうちにトッピングあり立ち食い蕎麦は五百円時代になっていたのだ。記憶しているきつねそばは350円くらいだから、コロナで外出自粛を強制されているうちに、何と200円ちかく値上がりしていたのだな。政府の支持度合いというか首相の人気度は、立ち食いそばの値段と反比例するらしい。(独断と偏見です)
大衆の一般色である立ち食い蕎麦や牛丼の値段が安定している時は、なんだかんだ言いながら政権の支持率は高止まりする。安倍政権が長持ちしたのは、この物価に対する肌感覚が良かったせいだろう。それでも消費税を上げて、いったんズタボロになった。現政権は、この肌感覚がない。きっと重症な皮膚病にかかっている。不人気なはずだ。まさに政権交代のチャンスなのに、野党も含めみんなダメダメらしい。政治屋が劣化したときは、必ず革命が起こるものだ。維新などと名乗るエセ革命派は論外だが、動乱の季節は近いような気がする。それを立ち食いそばから嗅ぎ分けるのは、至難の業だが(笑)

別の日に大手ファミレスチェーンで朝飯を食べた。トーストにゆで卵というシンプルの極みだが、なぜか朝にトーストを食べると胃もたれするという厄介な体質なので、バターなどは使わない。いちごジャムを薄く塗ってたべる。このトーストと茹で卵とコーヒーのセットは、とても長らく380円だった。感覚的には20年以上変わらない、物価の優等生だった。
それが何と500円を超えていた。値上がりをするのに文句をつけるほど常識がないつもりはない。ただ、値上がり幅がすごい。増税メガネのやつ……………成敗してくれる。と思うくらいには八つ当たりしたくなる価格だ。
朝から物価問題でヒートアップしてもなあ、と思っていたら連続で「値上げ」にぶち当たりあれこれ腹立たしく思ってしまう。この首相は歴史の教科書に、たった1行だけ書かれるに違いない。

「書き残すべき実績は何もないが、増税めがねと憎しみをこめてののしられた凡人政治屋だった」と。

食べ物レポート

いただきもの

寡聞にして国産アボカドが存在していることを知らなかった。たまたまいただいたものを見て、あやまあ、と思った次第。ともかく大きい。スーパーで売っているメキシコ・アボカドしか知らないので、アボカドのシュリについて知識がない、比べようもないが、持った感じはずしりと重い。また、皮の中がしっかりと硬い感触がある。
しばらく室内に置いておき、柔らかくなるのを待ってみた。毎日、皮を触り確かめるのだが、なかなか柔らかくならない。二週間ほどしてようやく少し押すと柔らかい感じがしたので、半分にして食べてみた。
身は柔らかいのだが、完熟アボカド特有の溶けて崩れるような感じはしない。すべすべの果肉がとろけるような感じだった。なめらかというのが一番当たっている。味は、思っていたよりもあっさり目で、サラダによく合う気がする。

スーパーで買ってきた普通のアボカドと比べてみた。子供のゲンコツと大人のゲンコツくらいの差があるのがわかる。
最近はデパートに行った時に国産アボカドを探してみるが、どうもお江戸では出回ってはいないようだ。貴重なものをいただいたことは間違いない。感謝。

食べ物レポート

カツカレー あれこれ

ここしばらくカツカレーを連続で食べた。それに深い意味はないが、時々カツカレーが無性に食べたくなる。学生時代の刷り込みでカツカレー=ご馳走という脳内方程式がある。だから、ちょっと疲れたなと思った時の飯は、あるいはちょっと頑張った後の飯は、カツカレーになることが多い。ほぼパブロフの犬状態だ。

自宅近くの洋食屋 サン のカツカレー とても普通でボリュームタップリ

見た目からして、これぞカツカレーというのが、自宅近くの洋食屋で食べるカツカレーだ。ルーがドロドロ系なので、最近のスパイス系カレーとは全く別物だ。ファストフード各社が提供する、さらりとスパイシーみたいなカレーとは全く別料理と言っても良い。
カツの肉は薄めだが、カツカレーの大事なポイントは「厚い衣」にある(きっぱり)と思う。その厚い衣をハフハフ言いながらカレーのルーで味をつけ食べるのが好きなのだ。中の肉はすでに痕跡程度の薄さでも文句はない。いや、確かに肉はおまけだ。
衣が十分に厚いと、カレールーに合わせて追いソースをかける。これが、何とも絶妙にうまい。カレーには追いソース派が多いようだが、カツカレーに関しては全面同意する。

新宿 はやしや 芸術的カツカレー

新宿にある馴染みの洋食屋では、カレーが少しスタイリッシュというかスープ的ななめらかさらさら系になる。カツは別添えという感じになるので、このカツをルーの海の中に投入して食べる。これが美味い。
カツカレーのライス抜きというメニューを仙台の居酒屋で見つけた時、何とこれを今まで知らずに人生を送ってしまったとは……………とものすごく残念に思った記憶がある。それくらい、カレーのルーとカツのペアは相性が良い。酒の肴ランキンで少なくともベスト5に入れたい。この店でもぜひカツカレーライス抜きを出してもらいたいものだ。
この店はレストランというか洋食堂でありながら、酒の肴になるメニューが多すぎるのが困りものだ(嬉しい)。イチオシはオムライスなのだが、2番目がカツカレー、3番目がミックスピザだ。昼の一人酒をやるには最強の食堂だ。もしライス抜きカツカレーで酒を飲むなら、冷たい日本酒が良い。二品目、三品目の魚も待ち構えている。野球で言えば先発、中継ぎ、ストッパーの完全チームが組まれている。しかし、それはまさに禁断の組み合わせ、飲み過ぎ決定の地獄コースだな。

ゴリラーマークのカレーが美味い 5・5!

ドロドロ系カレーの代表といえば、金沢発祥のカレー屋に間違いない。神田界隈のオシャレ系カレーとは質が違う。世界が異なる。雑居ビルの地下とか、飲み屋ビルの2階とか、こんなところに飯屋を作って大丈夫かという場所に店がある。
ただ、熱烈な信者がいるので不便な場所であっても通い詰める客がいるようだ。今まで行った店はでは、どんな不便な場所であっても昼時は待たされる。行列ができている。ある意味中毒性が高いカレーなのだろうと思う。
トレードマークはキャベツの千切りだがこれに福神漬けをのせると、カレーと合わせて「無限メニュー」になる。カレー→キャベツ→福神漬け→カレーの無限ループが完成する。
この店の基本トッピングはカツだが、他にも選択肢は多い。ただ、やはり定番の薄め(肉も衣も薄い)カツが良いようだ。それをおかずとして酒を飲む、という暴挙を試みるのも悪くはない。

この店は酒飲みには優しくないが、ビールを清涼飲料水のように飲むことを勧めているらしい。出てくるのが缶ビールという割り切りもすごいが(ちなみにガストもそうだった)、実はこれにとても感謝だった。
アサヒの生ジョッキ感は二度ほど買って試してみたが、そのありがたみが全くわからなかった。泡がうまく立たないせいなのだが、どうやら冷却しておくことと静止状態に置いておくことが、良い泡の発生条件らしい。今までは、スーパーで買ったものをブンブンふり回して持っていったキャンプ場で飲んだため、泡の発生が不適切だったようだ。
今回は、これぞまさに神泡という仕上がりで、確かにこいつは美味い。カレーを食べに来て違うこと、有益な人生の知恵を学べるのは一石二鳥と喜んでもいいだろう。

カレー天国日本は良いところだなあとしみじみ思う。ちなみにハワイでは日系人が伝えて変形、進化した現地的カレーがある。小さな食堂などでカレーを見つけたら食べてみると良いが、あれはほとんど別物、ハワイアンカレーなるものに進化しているので、違う意味で感動する。カツはローカルでもkatsuと書いてあったりします。Chicken “Katsu” curry みたいな感じですねえ。

街を歩く

久しぶりの狸小路散歩

誰でもわかる立体感版

桜の季節にはまだ早い札幌で、外国人観光客が溢れると思っていた狸小路ががら空きだった。どうも、インバウンドな観光客は桜を求めて南下しているらしい。街の中が静かでありがたい。
以前も書いたことだが、札幌駅周辺が新幹線乗り入れのための改良工事と称して大閉店している。昼も夜も飲食店が超満員だ。そこから玉突きで狸小路界隈まで外国人観光客がうろついているのだが、英語メニューなど置きもしない「堅物」店舗も多いので、ちょっと渋めの店だと外国人がいない(入れない)ことも多い。
オーバーツーリズムに関して、現場の意見を拾うメディアは少ないが、店主からは基本的に歓迎勧される。単純に客数が増えるからで客に日本人も外国人も関係ない。払ってくれる金が円である限りだが。
マナーや接客の面倒から、現場の従業員は否定的な意見が多い。要は、面倒臭い客で、たまにキレてくる厄介者が多いからだろう。できることであれば「日本人限定」と張り出したいくらいの肌感覚の従業員も多いようだ。経営者と従業員の意識ギャップを放置して置けるほど、飲食業は人手が足りているとは思えないのだが。
狸小路を歩きながらそんなことを考えていた。たまたまなのか、何とびっくりな立て看板を見つけた。日本人向けではないらしい。日本語は僅少だった。何というか、中途半端な……………
個人的にはこの店には入りたくないぞ。とも思わせる不思議看板だった。

カフェといえば、その近くには最近閉店してしまった老舗のクラシック喫茶、名曲喫茶店があったのだが、音楽系の喫茶店として再興したらしい。名前が何だか微妙な感じもするが。六本木にあるかの有名店と……………関係はないよなあ。以前の名曲喫茶時代の音響システムが残っているのなら、一度行く価値はある。ここは、日本人以外配送もないと思うのだが。

エスニック系食堂といえば良いのか、コロナの間に開いた店が模様替えをしていた。確か最初はタイ料理の店だったような記憶があるが、ベトナム料理の店だったかもしれない。コロナの間は一度も開店しているのをみたことがなかったせいだ。
どうもタイ+ベトナムで再調整するようだ。タイとベトナムは隣同士の国だが、料理は微妙に違っているような気もする。大丈夫だろうかと思うが、そこはエイヤっと乗り越えるのだろうか。東南アジア的エトスで健闘を祈る。ただ、この店はどうみても日本人向けの気がする。

昔アルバイトをしている時に、よくお使いで買い出しに行かされた「市場」だが、当時も市内繁華街では食料品店がなくなっていて、貴重な買い物場所だった。その市場がどんどん変わっていった。肉屋がなくなり、そこが蕎麦屋になり、八百屋が消えた後はおでん屋になる。みたいな変化を続けて、今では個性的な居酒屋、食堂が並ぶ飲み屋横丁に変化してしまった。
ここもコロナの間は死んだふりをしていたようだが、今ではふらっと入るのも難しい人気店になっている。狸小路のあちこちが似たような変化を起こしているが、街が生まれ変わるにはどうやら30年くらいかかるらしい。

確か夏祭りにはライブ演奏ステージになっていた空き地が、ついに正式に「空き地」になったらしい。札幌都心部では珍しいまとまった広さの土地だが、狸小路はすでに大量のホテルが出来上がっているので、この場所がどうなるか興味深い。少し中心部からは外れているので(400mほど)、下北沢の芝居小屋集合体、小さめのライブスペース複合体みたいなものができないかなと思う。

鳴物入りで開いたススキノ角のビル、狸小路駅前通り角のビル、どちらも驚くほどつまらないビル、商業施設になった。どうも、この街の商業施設デザイナーたちはもう少しお勉強が必要なのではないか。
狸小路の活用は、全国的に見ても都心部再生として面白いプロジェクトだと思うのだが。ビルを建てるのではなく、その場所を活用して人を集める、楽しませる空間づくりとしてプロデュースする。そんな感じだろうか。やはり天才が必要なのだろうね。

街を歩く

三軒 並んで身内合戦

札幌狸小路4丁目、それなりに人通りは多い場所だが、そこに山岡家が三軒並べて店を作った。もともとのオリジナル山岡家は札幌で豚骨ラーメンを広めた立役者で市内の各地に店舗がある。知名度も高い。
その山岡家が、冬の間にゴソゴソと工事をしていた店は隣にある味噌ラーメンの店になった。隣のテナントが空いたから拡張してみました的な、小ぶりな店だった。開店したら行ってみようかと思って工事を見ていたのだが、すでにしっかりと客が入っていた。人気店になったらしい。
ところが、何とその隣にもう一つ違う店が開いていた。煮干しラーメンの山岡家だ。看板もトレードマークの赤地ではない、白黒バージョンだ。確かに、世の中には魚介スープ+豚骨スープのW仕立てラーメン屋は多い。それをやってみたくなったのだろうか。しかし、わざわざ別系統のブランドを立ち上げる必要があるのだろうかとは思う。それも並べて建てるとは……………

この光景はなかなかすごいものがあるなあ。牛飯松屋ととんかつ松屋が並んでいるのはたまに見かける。しかし、この3軒並びというのは吉野家とすき家と松屋が並んでいるのよりインパクトがある。

なんか好きだなあ。次回は、順番に試してみよう。