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道の駅モーニング おまけ情報

高知県西方にある道の駅で楽しめる、食堂モーニングセット・メニューがこれ。トーストセットはよくわかる。おにぎりセットはちょっと珍しい。サンドイッチセットは、実は高知の喫茶店ではかなり当たり前の存在らしく、あちこちの喫茶店でたまごサンドのセットを見かける。丸いバンズではなく三角サンドというところが妙に奥ゆかしい気分がする。三角サンドは古典的な朝飯とは言えないが、昭和のおしゃれ感みたいな感じはあるなあ。

そして、朝からこんなに食べて大丈夫かな?というボリュームは全品共通している。その中でもボリューム最大ではないかと思うのがシイラバーガーセットで、実食した感想を素直にいうとこれはすでにディナーの領域にある。朝飯としては、この半分でも多すぎる。おそらくバーガーの重量は、サム◯イマックを超えていると思う。
うまいのは間違いない。ただ、これを小型にしたとしても朝飯にはあまり向いていない気がする。テレビのグルメ番組などでよく使われるインチキ英語「ボリューミー」というやつだろう。朝飯としてはボリューミーすぎるのだ。
しかし、あのボリューミーなる言葉はどこから出てきたのだろう。最近ではすっかり使われなくなった和製英語の典型、ナイター(ナイトゲームのことですねえ)などと同じように放送関係者か芸人が言い始めた言葉なのだろうか。聞くたびにイラっとする、気持ちの悪い言葉なのだがなあ。

まあ、言葉の話は横に置いて、このバンズからはみ出るシイラのフライは大きくてうまい。天丼のように白飯の上に乗せ、甘めのタルタルソースをたっぷりかけた丼にしてもらえば、間違いなく満腹系晩飯になるはずだ。
シイラバーガーの下にひっそりとあるカレーセットだが、実は個人的に朝カレーは好きだ。あのスパイスによる発汗作用は朝飯向きだと思う。そして、この店のカレーは、隠れ名物と言って良いくらいうまいポークカレーなのだ。これだけを武器にしてポークカレー専門店、あるいはカツカレー専門店を出せば良いのにと思うほど完成度が高い。しかし、いくら美味いからといって朝飯向きと言えるかどうか。

高知のモーニングセットはひょっとするとファミレスのディナーよりレベル高いのかもなあ。

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昔のの写真から 秩父夜祭り

夜祭の山車

一時期、秩父に足繁く通っていたことがある。札所巡りもしていたが、秩父が昔は独立国だったと知り、古代ヤマト王朝との関わりに興味があったからだ。秩父鎮守である秩父神社はおそらく独立国からヤマトの軍門に降ったあたりで一度変身しているのだと思う。古代秩父が独立国であったならば、神社の様式などが違うはずなのだが。島根や岡山にある神社は古代ヤマトと異なる形式を維持している。ヤマト政権が地域文化の象徴である主神の姿までは強奪しなかったことがわかる。まあ、反乱対策だったとは思うが。
秩父神社は江戸期に徳川治世で再度変身したらしく、古代の姿は残していない。そのためなのか、戊辰戦争後の革命政府が推進する皇国史観と神道礼賛政策とは対立しないで済んだようだ。
秩父は明治初期における富国強兵モデル地区だったから、革命政府も強く出られなかったのかなとも思う。まあ、西日本の田舎から出てきた下級武士にとり、関東の西の果てにある東国の田舎に興味が薄かったということもあるだろう。
政府の無関心が秩父夜祭を生き残らせたと考えれば、田舎者の政府は意外と文化の保存に役立つのかもしれない。世界史的に見れば、世界中どこでも田舎者が起こした権力は必ず文化破壊を行うものだが。ルネサンス前の西欧世界は、まさに田舎者が都会者に挑む「十字軍」という強盗集団を生み出した。
イスラーム世界が高い文化水準を保ったのは、イスラームを信じる世界の内乱で王朝交代が起きていたせいだろう。19世紀から20世紀にかけて欧州の田舎者、文化的に周回遅れとなったロシアの策動が混乱を引き起こした。また世界の田舎者だった北米大陸の国家が工業化に成功して、これまたならず者国家となったことが混乱を増幅した。
戊辰戦争後の日本も、田舎者の誇大妄想が大戦による破滅まで一直線につながっている。田舎者の暴力は、いつも世界に混乱を引き起こしているのは間違いない。

夜祭の絢爛豪華な山車を見て、そんなことを考えていた。秩父は田舎とはいえないなあと。

確か東松山で食べた味噌ラーメン屋の辛い麺 ヒーはー言いながらも激うまな記憶がある

行くたびに思うことだが、秩父夜祭はとてつもなく寒い。が、秩父だけでなく冬の観光地はとにかく寒い。冬は山の中とかに近寄ってはいけない。海沿いでも名古屋より東は近寄ってはいけない。
カメラを持つ手も悴んでしまいシャッターが押せなくなるほどだ。だから、冬になると赤いラーメンをよく食べていた。辛いラーメンがラーメンの主流になったのは一体いつからだろうか。
辛いラーメンのルーツの一つは酸辣湯麺だと思うが、それの進化系が全国あちこちで並行的な進化を遂げたというべきだろうか。千葉の勝浦担々麺は実に辛い。もう一つの千葉名物、アリランラーメンはもっと辛い。
埼玉はうどん文化圏なのでラーメン屋は目立たないが、味噌ラーメンのチェーン店では必ず辛い味噌味がある。神奈川の家系ラーメンにも「辛いそば」はあるが、勢力としては弱めだろう。広島の辛いそばや宮崎の辛麺は専門店になる程に別格の地位にある。

秩父によく行く蕎麦屋はあるが、そういえばラーメン屋にはほとんど行ったことはなかったな。今年の春キャンプは秩父に行って、帰りに辛いラーメン食べてみるか。あ、そういえば秩父には趁達があったか。あそこに辛麺あったかなあ。

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昔の写真から 仙台名物

仙台に毎月通っていた頃、仙台名物をあれこれ試していた。もちろん牛タンは何軒か試してみて、自分のお気に入り探しをした。仙台名物として一番納得したのは元祖冷やし中華だったが、これは自分の中にある冷やし中華のイメージが変わるほどのご馳走バージョンだった。
予想外に美味かったのは(おまけに安かったのは)マグロだ。塩釜、気仙沼という大漁港を後背に持つだけではなく、東北全域から魚が仙台に集まってくる。仙台は確かに海産物の美味い街だった。その中でちょっと異色だったのが「たらきく」というタラの白子だ。これが驚くほど旨くて、そしてお高い。冬の食べ物だが、街中の大衆居酒屋に行っても、これだけはそれなりにお高い食べ物だった。
そして、基本的には大衆魚と思っていた鯖が、これまたちょっと高級系な魚として扱われていた。三陸沖の鯖は高品質ということらしい。仙台は鮨屋も多く、おまけに大衆価格の店も多いので、居酒屋代わりに鮨屋に行くこともあった。が、そこでも鯖は高級魚扱いで、少なくとタイやハマチなどと肩を並べていた。
今思い返しても、仙台は日本で屈指の住みやすい街ではないだろうか。夏は東京ほど暑くない。冬は北海道ほど寒くないし雪も少ない。伊達家ゆかりの地であるのにはそれなりの意味があるのだな。

もう一つの個人的仙台名物がある。日本中どこにでもありそうだが、仙台でしか見かけたことのないメニューだ。
仙台のローカル居酒屋チェーンはマグロの旨さで人気だったが、その店で最大のお気に入りがカツカレー・ライス抜きだった。カツの厚みが厚すぎず薄すぎず絶妙なバランスなのだが、何よりカレーのルーがうまい。これはカツにかけるために作られたカレーソースというべきで、白飯と合わせ食べるように設計されていない。キャベツの千切りは箸休め的な位置付けのはずだが、実はカレーと合わせると超絶に美味い。
ああ、仙台に行きたくなった。カツカレー・ライス抜きでいっぱいやったら、文化横丁の小体な飲み屋で浦霞の熱燗……………やはり、仙台は良い街だなあ。

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昔の写真から オオカミウオ

人生に疲れた時は、こいつに会いに行くと良い

おたる水族館はとても小ぶりな施設だが、時々無性に行ってみたくなる。半島の先に突き出したような場所にあり、小樽駅から路線バスで行ける古き良き観光スポットだ。水槽には北の海育ちの魚が多く、海沿いには海獣のプールもある。
トドやアシカに餌をやるのはなかなかスリリングな体験だ。ちなみに餌はホッケをまるのまま投げ与える。トドがダイビングキャッチするのは、実に迫力のある光景だが、夏は臭いし冬は寒すぎる。
さて、なぜおたる水族館が好きなのかというと「オオカミウオ」が飼育されているからだ。オオカミウオはオホーツク海に生息しているらしい。うろ覚えの記憶でしかないが、日本海のあちこちで訪れた水族館ではこの魚を見たことがない。やはり、北方の魚だと思う。
このオオカミウオの顔が異様というか醜悪というか、魚界でも屈指の「コワモテな顔」だ。この顔をゆっくり眺めていると、人生のあれこれを悩んでいたとしても全てが忘れられる。人間に生まれてよかった、オオカミウオに生まれたら自分の顔を見て人生?に絶望してしまうに違いない、などと大変失礼なことを感じてしまうからだ。

どう見ても異相であるし、そのすごい顔の連中が水槽の中で何匹も群れている。オホーツクの海でも大集団で泳いでいたりするのだろうかと想像するだけで恐ろしい。もしも自分がティラノサウルスに生まれ変わったとしても、その凶相にはあまりたじろがないのではないか。おそらくオオカミウオに生まれ変わった時ほどの衝撃は受けないような気がする。
いい歳をしたおっさんがそんなことを考えながら、オオカミウオの水槽前でずっと立ち続けている光景の方がよほどホラーかなとも思うが。
やはり心が疲れた時にはおたる水族館に行って人生の自信を取り戻すのが良振る舞いというものだ。しかし、北はこのおたる水族館に始まり、オホーツクの水族館にも行った。南は沖縄美ら海水族館まで日本の水族館のほとんどに行ったような気がするが、このオオカミウオに匹敵する凶相は見たことがない。基本的に魚の顔は平和的で平面的だからどの魚を見ても違和感を感じることはないのだが、この魚だけは別格だ。見た目だけでいえば、ジョーズを遥かに凌ぐ。

たっぷりオオカミウオと対面して癒しを受ける。そのあとは、階上にある食堂で蕎麦を食べながら、あるいは名物オムライスを食べながらビールをちびりと飲むと、我が精神世界は完全復活を遂げている事に気がつく。水族館は精神安定に良いところだよなあ、と書きながら思い出していた。来週は、小樽水族館に行くとするか。

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昔の写真 千葉に旅をした時

地名とは思えないネーミング

コロナの流行前に、関東にある道の駅をぐるぐると回っていた。全制覇するのには確か2年かかったように記憶している。関東といっても首都圏に道の駅はほとんど存在しない。主力は首都圏を外れた地方都市、中小町村地域だ。昔ながらの道の駅、つまり観光地の休憩所風なところも多いが、最近では地域観光の拠点としてそれなりの金を突っ込んだであろう(当然、補助金も莫大だったはずだが)大規模施設も増えている。
その中で、お気に入りといいたい道の駅が千葉県内房沿いにある「保田少学校」だ。廃校になった小学校を改造した面白いところだ。

教室は店舗になっている。一部は飲食店になっていて、なつかし系のメニューが並んでいる。3年B組は、確か中華料理店でった。
体育館は吹き抜けの市場になっていて土産物や磁場の野菜、産物が売られていた。校庭は駐車場と休憩施設になっている。

2階建ての小学校

全国のあちこちで廃校をいろいろな施設に変えているようだ。こうていがきゃんぷじょうになっていたり、教室が長期滞在用の宿泊施設になっていたりする。まあ、学校だけに限らず昭和中期に補助金で建てられた中古物件、老朽化物件が余っているのが地方都市の現状だろう。札幌市のようにオリンピックを誘致して国税で老朽化施設を建て直そうという邪な考えを持つ自治体も多いらしい。
大阪万博の目的は、万博後のカジノ建設のインフラ整備を国税から騙し取ろうということだと一部のメディアが暴露しているが、それも大阪だけの話ではない。典型的なのが長野五輪で、オリンピック開催を言い訳に新幹線は長野まで伸びた。沖縄の高速道路施設も似たような経緯だった。全国の至る所で起こっているイベント誘致ビジネスは官民合わせた「ぼったくり」戦略と言って間違いないと思う。
そういえばつくば万博と愛知万博ではおねだりインフラ整備はあったかなあ。茨城は何も起きなかったのではなかったか。TX開業は筑波万博とはかん駅なさそうだ。とすればずいぶん健全な話だが本当だろうか。茨城県にはおねだり体質がないということかもしれない。
愛知は、世界のトヨタの本拠地だけに、会場周辺の高速道路網が進んだくらいか。セントレア空港の開港もこの時期だったかなあ。ただ、あれはまさにトヨタの万博だったような気もする。

などなど、全国で広がる巨大おねだりプロジェクトを振り返ると、この学校再利用の道の駅など実に可愛らしく思えてくる。千葉県、ひょっとしたら環境先進県であるのかもしれない、と見直したのであります。

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FB 腹のたつメッセージ

Screenshot

文面を見るだけで日本人が書いたとは思えない怪しい文章だが、今時のAIであれば大陸語や半島語をこれくらいの怪しさで日本語訳できるのだろう。

MagenerはManagerのスペルミスなのか。それともあえて紛らわしい言葉を使ったか。昔、デスノートというコミックで、ネットに悪さを仕掛けるやつをサーバーから遡って特定して懲罰するという「夢のような機能」があったが、差し詰め現代であればアクセスしたスマホを爆発させるとか、PCのマザーボードを焼き切るとか、そんな対策ができないものかと思う。新しいメディはいつもエロと詐欺から使われ始めるのは、人間の欲望が、つまり色と金につられる生態が全然変わっていないということだろう。詐欺は騙される方が悪いみたいな社会通念があるようだが、人類の歴史を振り返ると詐欺には厳罰を与えた方が効果があるようだ。ハムラビ法典に倣い詐欺をした奴は舌を抜くくらいの厳罰主義にしなければ、現代の宿痾は治せないだろうに。いや、舌を抜くのではなく画面が見えないようにするのが良いのか?それとも入力ができないようにするのか。

罪人に優しい世界は、社会の不安定を招くだけではないのかなあ。

とりあえず中学生の作文としても怪しいと感じる文章に出会ったときは注意しましょう。

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Youtuberを初めて生で見た

高知駅のホームで特急の待ち合わせをしているときに、隣のホームで停車しているアンパンマン列車をよく見かける。この列車は子供に人気なのだと思うが、平日であれば思ったほど小さな子供連れの家族旅行者はいない。特にアンパンマン大好き世代の子供達は、まだ自前のスマホを持ったりもしないので、列車の外側を指差してみるくらいで、さっさといなくなることが多いようだ。

乗客が降り人影もまばらになったホームに、およそ三十代なかばくらいと思える女性がスマホ片手に歩いていた。近づいてくると何やらぶつぶつ喋っているのがわかる。ホームの端から端まで往復しながらのつぶやき行進はちょっと微妙に不気味ではある。一瞬、怪しい人なのかなとも思ったくらいだ。
どうやらぶつぶつ言っているのはイヤホンマイクを繋いだままナレーション?をしているらしいことがわかった。歩きながら列車の外観を動画に撮っているのだなとも理解できた。
これがYouTuberというやつなのかと、ようやく思いついた。アップされた動画を見ていると気がつかないが、自撮りなのか自分で撮影しているものに説明をつけているのは、なかなか薄気味悪い光景なのだとわかった。

自分であれができるかとなると、全く自信がない。YouTuberとは鉄のメンタルの持ち主にしかできないのではないか。現物に遭遇してそんなことを思いました。ぶつぶつ言いながら歩く姿は、ある意味鬼気迫るものがありますよねえ。

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ホテルの朝食

ホテルのビュッフェ形式の朝食は実によろしくない、と椎名誠氏がエッセイの中で激白していたのを覚えている。伝統的な旅館の朝食、特にあじの開きを愛用しているとも述べていた。椎名氏のエッセイは好みなので随分と読んだものだが、(多分、新宿赤マントはほぼシリーズ全巻)この朝食の好みについてだけは頷けない。
ビュッフェの朝飯が好きなのだ。理由は簡単で、朝から野菜サラダがたっぷり食べられる、そこに尽きる。野菜サラダさえ食べ放題にして貰えば、あとはご飯だろうとパンだろうとなんでも結構だし、そこに焼き鯖があろうが鮭のペラペラな薄切りがあろうが、あじの開きがあろうが全く関係なし。卵焼きでも目玉焼きでも良いし、海苔と佃煮だけでも良いくらいだ。大事なのはたっぷりの野菜サラダ(キャベツの千切りときゅうり?)があれば良い。
地元も名産品がずらっと並んだ函館の朝食ビュッフェに人気ホテルにも行ってみて、朝から山盛りいくら丼を食べたが、その時もメインは野菜サラダだった。外資系のビジネスホテルや温泉付きで有名な日本資本のビジネスホテルを選ぶ時も、たっぷり野菜サラダが食べられることが選択の条件になっている。

旅先ではどうしても野菜の取り方が少ないから体の自衛策という意味合いもある。アメリカに出張で行った時、一番困ったのはヘビーで甘い朝飯をとりながらのパワーブレックファストというやつだった。特に、中西部や南部地域ではコッテリと甘い朝飯が主流だった。
だから、野菜不足になるとマクドナルドに行ってサラダを買って食べていた。ちなみに、アメリカで一番お手軽にサラダを蹴えるのがマクドナルドなので、日本のマクドナルドももっと野菜を売って欲しいものだが。その代わりをコンビニが担当しているということだろうか。
東海岸、西海岸のシティーホテルに泊まると、こってり甘い朝飯からは解放されベジタリアン天国と言いたいくらいの朝飯にありつける。特に、西海岸はその傾向が強い。
久しぶりにビジネスホテルのビュッフェ朝飯を食べてみたら、ドレッシングが5種類もあったので驚いたが、ひょっとするとこれはインバウンド観光客の影響なのかもしれない。

ちなみにこの日のメニュー?は冷奴とじゃこおろし、野菜サラダに野菜スープ(味噌汁ではない)という、実に植物繊維たっぷりのもので、ソーセージや焼き鮭は不要だった。たっぷり食べてもお腹が重くならない。良い1日は良い朝飯からだなあ、などと思っていた。

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商店街の惣菜屋が素敵だ

高知市内の繁華街にあるかまぼこ屋がお気に入りだ。かまぼこやと言っているが、実際には主力と言えるのが揚げ物で、それも魚練製品に限らずメンチカツやチキンフライなど素晴らしいラインナップだ。もう少し暖かくなればここで惣菜と弁当を買って高知城あたりで屋外ランチにしたいほどだ。
特に嬉しいのが、河内名物の芋天で甘めの衣で厚く覆われた、なんとなく沖縄の天ぷらを思い出させるボテッとしたフォルムだ。天ぷら屋で売っているカリッとした薄衣ではない。甘い厚い衣を楽しむもので、おまけに妙に油っぽい。そこが良いのだ。
こんんかいも芋天を買ってしまった。ご飯のおかずというより3時のおやつだ。そして、なぜかかまぼこ店で田舎寿司も売っている。お値段は実に安い。今まで見つけたことがなかったのは、午前中の早い時間で売り切れるかららしい。10時ごろに買いに行くと弁当も含め全部揃っているようだった。
散々高知にきて末に一番の好みが地元の惣菜屋になるというのは、まあ、ちょっと嬉しいことだろう。このかまぼこ屋の近くにある持ち帰り弁当屋も気になっているので、それは次回かなあ。あとは、高知市内で町中華の店を何軒か見つけてみたいものだ。どうも高知ではカツオを食べ過ぎてしまい、関心が他に向かっているということなのだろう。

この店、おすすめなんですよ。

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高知の鮨屋

高知の繁華街帯屋町のアーケードの中に鮨屋がある。昔から気になっていたが、河内でわざわざ寿司を食うこともあるまい。河内名物のあれこれを食べたほうが良いと思っていた。が、今回は「土佐巻き」の研究をするべく、街中の鮨屋を物色してみた。不思議なことに鉄火巻きはあっても土佐巻きを置いていない鮨屋ばかりだった。
ふと思い立ち、ひろめ市場に行ってみたら、さすが観光客相手の飲み屋名所だけあり、持ち帰り用も含め3件で土佐巻が売っていた。
ちなみにスーパーでも鮨コーナーではなく、惣菜コーナーに置いてあった。どうやら土佐巻は寿司ではない何か扱いされているらしい。

この寿司屋の入り口で見つけたサンプルによると、元祖らしい。確かにあちこちの飲み屋で見かけた土佐巻はこんなルックスをしていた。太めのカツオと薄切りニンニクが撒かれた太巻きだ。鰹の味もさることながら、薄切りニンニクのガツンとくる味が酢飯を合わさると、鮨業界の常識を上回るミラクルな味になる。飯というより、まさに酒の肴であり、正しい鮨道を具現化している。

さて点何で席につき「土佐巻」を注文した。他の巻物は概ね400-500円だが、土佐巻は別格で1000円越えしている。
出てきた元祖土佐巻はどうも店頭のサンプルとは異なるように見える。カツオとニンニク以外に青シソの千切りのようなものも入っている。料理としては一段高いレベルだろうか。ただ、自分の持つ土佐巻のイメージである野鄙さに欠ける。洗練されすぎというか、まあ、単純にニンニクが少ないということかもしれないが。

鮨は全国でかなりバリエーションがある食べ物で、使用する米の品種や合わせ酢によって全然別物になる。個人的な感想で言えば、大阪の鮨飯は甘い。お江戸を中心とする関東では塩と酢がきつめなことが多い。米は比較的ぱらりとする旧ササニシキ系の米が多いようだが、西国に行くと東日本の米の流通が減ることもあり、ちょっともっちりとしたブレンドになっているようだ。

土佐巻は、そんなあれこれをぶっちぎるほどの野鄙さが魅力だと思うが、さすがに元祖の店ではそれなりに洗練された方向に進化したようだ。やはり食べるとしたら居酒屋の方が向いている食べ物かもしれないな。