街を歩く

ホッケの季節

ホッケというと北海道の大衆魚でナンバー1の位置にあると思う。ただし、開きとして干物になった姿が一般的だ。昭和中期までは、同じように乾燥させた干物として磨きニシンがあったがニシンの不良と共に高嶺の花になっていった。今でもそれなりのお値段がする。ニシン漁は最近漁獲高が回復しているそうだが、おそらく加工の手間賃が高騰しているせいだろう。
さて、北海道の大衆魚としてのホッケだが、実は5ー6月が旬だ。昔、元漁師のおっちゃんにそう聞いた。ホッケは足が早いので刺身で食べることはないが、漁師はとれたてのほっけを刺身で食うのだと言っていたので覚えている。
開いていない生のホッケはあまり目にすることはないが、この旬の時期だけはそれなりにお安く手に入る。ただし、個人的には生ホッケは身が柔らかく、焼いて食べてもあまり上手くないと思っている。干してから食べるというのは先人の知恵なのだと思うのだ。

今回見つけたのは真ホッケなので道南ものだろうと思う。少なくとも日本海側の北家だろう。縞ホッケという種類も存在しているが、それはオホーツク海、知床半島周辺の者が珍重されている。羅臼ホッケといえば高級品で大きめの干物は贈答品にも使われる。
生のホッケとはいえ流石に刺身で食べるのは難しいだろうが、最近では寿司屋に行くとたまにお目にかかる。網で撮るのではなく釣り上げた者だという。カツオみたいな話だ。
確かホッケは大量に獲れるとすり身の原料にもなるのではなかったと思うが、定かな記憶ではない。

あまり目にすることのない「まる」ごと1匹のホッケを見て、ちょっとあれこれと興奮してしまった。そういえばホッケの卵の醤油漬けはうまいものだったなあ。

街を歩く

伝統芸たる蕎麦屋で一杯

1年ぶりくらいになる。久しぶりのモッキリセンターだ。今年は昭和100年だそうだから、この店の開店、90年前というと昭和の初期になる。モッキリというのは、いわゆるコップ酒のことで、お江戸で言えば角打ちの店みたいなものだろうか。ただ、肴のメニューは充実している。カウンター席には昼からオヤジ族がのさばっているが奥には座敷もあり団体客がいたりもする。
昔は第一センターとか第二センターとかあったのかなあ、などと暖簾を見ていつも思うことだが、実際はどうだったのだろう。

メニューは昭和のストロングスタイルだ。小洒落たカタカナメニューは見当たらない。そして、表の看板には書いていないが「そば」がうまい。そばが置いてある居酒屋は明らかに戦前の伝統を守っているといってよろしい。(えへん)
締めといえばラーメンといえば、ほうけもの扱いされる時代が昭和初期だ。いや、蕎麦屋自体が居酒屋の前身だったはずで、蕎麦屋が食事処に変わったのは戦争が始まり食糧不足になった悪しき変化らしい。米が食えないならそばを食えという、どこぞのマリーさんみたいなことを言ったおバカな政治屋がいたらしい。

この日は遅い昼飯を昔馴染みのラーメン屋でと思っていたのだが、なんと定休日だった。そこで、急遽予定を変更してこの店に来た。海苔のついたそばを一本つまみ、蕎麦つゆにつけ啜る。それから冷たい日本酒を一口飲む。どうもこれが、昭和初期までの伝統的そば屋使用法だったらしい。
お江戸の町内には風呂屋と寄席と酒屋と床屋があったそうだ。そして食い物屋と言えばそば屋だったらしい。町内、つまり100m四方程度の領域で、江戸庶民の世界は完結していたのだ。その伝統的都市生活は明治政府の発足により急速に変化したが、その名残はあちこちに残っている。
占領軍たる明治政府軍人が急激に「江戸ナイズ」したせいだ。まあ、田舎から出てきた貧乏侍が大都会江戸の風潮に染まるのは、出世した気分を感じる最良の手段だったのだろう。無理も無い。豪奢な工芸品も没落した幕府用心から大放出され、成り上がり者の天国になった。そして江戸在住の旧幕府官僚はあちこちに放擲された。江戸文化の拡散は明治期に急速に進んだが、それは成り上がった田舎者たちのおかげというしか無い。
そのおかけの一面として、当時の属領たる蝦夷地にも蕎麦屋ができてお江戸の風情を楽しめるようになったのだ。北海道に残る老舗蕎麦屋は、そんな怪しいルーツを抱えているが、今ではその痕跡も見当たらない。すっかり高級化した料亭みたいな蕎麦屋が生き残っているばかりだ。
その蕎麦屋で一杯という良き風習を、この居酒屋が令和の時代に残していく最後の牙城になるものだろうか。まあ、蝦夷ではなく江戸の文化だけどね。

街を歩く

蝦夷地のマイル・ゼロ起点

今日で今年も半分終わってしまう。なんとも加速度がまし時の流れが早くなっている気がする。子供の頃の1日はもっと長かったんだよなあ……………きっと

ここが明治政府による北海道開拓の起点になる場所

北海道開基150年などといってとぼけたお祝いしていた年は、戊辰戦争150年と「リメンバー:を誓っていた東北諸県の式典と同じ年だった。おまけにその年は、西国で明治維新150年などといって浮かれていた。同じ日本の中でも150年の振り返り方はいろいろあるものだと感心したし呆れもした。
最近ではようやく復権がなされたアイヌの土地を強制占領したのが北海道開基ではないかと思うからだ。現在は共存空間なる怪しい述語の博物館もできたが、基本的には差別と迫害の歴史から目を背けてはいけないと、北海道生まれ北海道育ちである自分は思うのであります。
同じ話は、実は南の果て、琉球王国の併合でも起こっている。おそらく言語的、文化的、DNA的に言えば琉球は広い意味での日本民族(その定義は曖昧だが)なのかもしれないが、歴としたとした政治的独立勢力だった。ただし、島津氏に武力制圧されていただから敗戦国の自治という部分もあった。
この辺りは1000年以上かけて行ってきたヤマト朝廷の侵略と統一の最終段階だったと考えることもできる。ところがそのまま、半島から大陸、そして太平洋へと進出していった能天気ぶりは、まさに古代ヤマト朝廷の征服メンタリティーの直系子孫とも思える。
それが150年を祝う西国のスタンスだとすると、これはちょっと危うい。まあ、その時の総理大臣が長州出身だったせいもあるとは思うのだが。
早く沖縄県や北海道選出の総理大臣が生まれて、歴史的な見解を披露して欲しいものだ。

この起点となる場所だが、創成川と呼ばれる因果の野鳥にある。近くには、今ではすっかり観光客目当ての施設になってしまった二条市場がある。要するに開拓時代の水運の拠点だったということだ。
札幌の中心部を流れる豊平川は札幌の街を東西に分断しているが(というより川の両岸に街が広がったということだろう)、そこから運河を引き込み交通の要所とした。これが明治以前のことだ。その後、小樽札幌間の鉄道を敷設し大港湾都市小樽と陸路で繋げ、北海道開拓の中心地としたのだが、水運の重要さに変わりがなかった。だから二条市場の近くに「狸小路」と呼ばれる繁華街、歓楽街、風俗地域が出来上がった。おえどでいえば浅草と吉原みたいな関係になるのか。
鉄道駅と北海道庁ははここから北に500mほど離れたところに作られた。これも全国あちこちの城下町で見られる、繁華街と官庁街の切り分けルール見たいんものと同じだろう。

その水運の要であった運河も今ではすっかり名残でしかない。全国各地で川に蓋をして暗渠にしてしまった暴挙を考えると、今でも水が流れているだけマシというものか。ちなみに、この皮を源流(南側)に遡るとすすきのエリアではかもかも川という可愛らしい名前になっていて鯉なども泳いでいるのだが、そのいわれはよくわからない。札幌の原型は京都の街にあるそうなので、鴨川加茂川をあやかったのかもしれないが。

この運河を作った方「大友さん」は銅像になっている。確かに札幌開拓の功労者であるし、明治前の開拓者の代表とも言えるだろう。今でも札幌の小学生は札幌の歴史を学んでいるのだろうか。ただ、それは明治政府とその後継者に都合の良い視点で書かれた「勝ち組」の歴史だし、それを鵜呑みにしてしまうのは危険だなと理解するのに自分は40年以上かかったのだよね。
でも、かの北海道開拓初期を舞台にした「ゴールデンカムイ」が、その偏った歴史観に一石を投じてくれたので、今の若い方はもう少し違った見方をしているかもしれないなあ。

たまには酒も飲まずに、真面目に哲学、歴史学的考察をすることもあるのであります。ただ、この後は昼飲みオヤジの聖地、モッキリセンターへ真っ直ぐ繰り出したのですがねえ。

街を歩く

街歩きの風景

やはりブラブラと街中を歩き回るのは楽しい。何がしかの発見もある。今回の面白看板(提灯)はこちら。最初は通り過ぎてしまった。二三歩いってから脳内でようやく言葉が咀嚼されて、思わず振り返りもう一度見に戻った。
狸小路近くにあるホルモン焼きやの前にかかっていた。確かに札幌の街では塩ホルモンが一般的ではない。タレに漬け込んだホルモンをタレにつけて食べる。しかし、この塩対応というのは肉の処理のことで良いのか?
ひょっとして接客の放棄なのではと思い確かめてしまった。うまいなあ、と感心するコピーワークだ。まあ、ホルモンやで無言の接客、塩対応をされてもあまり腹は立たないかもしれない。高級焼肉店であれば「神対応」も期待したくなるが、庶民の味方ホルモン焼き屋であればなんとでもしてくれという感じだ。焼き鳥屋も塩対応が名物の親父がいたりする。
まあ、それも昭和の過ぎた風物詩だろう。

もうすっかり夏なのでホルモンを食べにいく季節だ。寒い時期にコートなど着込んでいると、ホルモン焼き屋では煙で燻されてしまう。夏のTシャツ一枚くらいの季節こそ、煙を気にせず汗かきながらホルモン食べるのが良いのだ。次回はこの店の塩対応を確かめに行こう。

街を歩く

結局、もとにもどったなあ

食べただけでは塩味と思わない濃厚さ チャーシューの出来も良い

千歳空港にあるラーメン道場なるラーメン村?で順番に店を回り全制覇したのがコロナ前だった。その後、コロナの終息と共に客足が戻ってきて、あちこちの店では30分待ちの行列もできるようになった。コロナの間はどの店も待ち時間ゼロだったのだが。
行列してまで待つほどの味の差は、はっきり言って存在しない。どこの店も十分にうまい。接客はどこの店も愛想がなく「問題あり」だと思うがカスハラ騒ぎを起こすほどの酷さでもない。千歳空港内の商業施設は過去数十年にわたる従業員不足の歴史があり、どの店も等しく接客レベルは低いと思っている。
そもそも空港の人材プールは千歳市にあるのだが、この街は自衛隊とその家族が大半を占める「軍都」なので、働く人そのものが少ない。時給競争も激しく、店舗間での移動もよくあるそうだ。
だから、ラーメンの味も変わるのかというと、それがなかなかどうして安定している。個人的に思うのだが、そもそも料理人の調理数量が町場のラーメン店の比ではないほどに多い。そして、どの店もメニューをそれなりに絞り込んでいる。熟練度が増しやすい仕組みだから、どうやら味のブレが起きないようだ。
ということで、いちばんのお気に入りだった店に戻ってきた。それも、第定番の塩ラーメンだ。あちこちで浮気してましたが、すみません、戻ってきましたという感じなのだ。

この店では「我流札幌塩ラーメン」一択だろう。おまけは何もいらない。追加のトッピングも不要だ。熱々のスープに入った硬めの麺をすすることで、極上の10分間を堪能できる。味噌も醤油もうまいが、それは普通の旨さだ。

ラーメンいっぱいが千円を超す時代になったが、その10%は消費税だ。消費税が消えれば、千円を超えなくなる。そうなると明らかに消費が増える。1000円の壁は心理的、感覚的なものだから、実は消費に対する負の乗数効果が大きい。
まあ、自民党の頭の悪いおっさんたちは算数もできないから、消費税を無くしたら経済が良くなるという理屈がわからないらしい。議員の採否ではなく、自分で路上チラシ配りでもして稼いだ1000円でラーメン一杯を食べられないということを体験してみろと言いたいが、まあ、バカは死んでも治らないというからなあ。

1000円越えのラーメンを食べながら旨さの満足感はもちろんだgあ、政治屋の老害について腹立たしく思う不愉快さを同時に感じてしまい、ちょっと複雑な気分なのでありました。

千歳空港のラーメン店は行列の長さではなく、自分の舌でお店を選んで欲しいものだ。ねえ、ラーメン好きらしい自民党総裁のじい様よ。

街を歩く

後悔したことの回収

全国あちこちを旅してきたが、一つ後悔していることがある。それは、ご当地ソフトクリームをもっと食べておけばよかったなということだ。
たまたま千歳空港でいつもとは遠く離れた搭乗口から乗り込むことになり、待合室の中をずいぶんと歩いてしまった。そこで、これまでは見たことのないアイスクリーム屋のカウンターがあるのを発見した。一度通り過ぎたのだが、10歩ほど歩いて戻ってきた。
北海道名物のソフトクリームと思っていたのだが、そうではない。今は製品の命名で使えなくなってしまったが、かの有名な全国ブランドの「コーヒー牛乳」がソフトクリームになっているではないか。
そのカウンターにたまたまオヤジが二人も並んでいた。ひょっとしてこれは高齢男性向けの商品?などと思い、ついふらふらと列に並んでしまった。コーヒー牛乳(古いなあ)では、他の乳製品メーカーのブランドもあるのだが、やはりこのスノーマークが一番信用できる。

バニラアイスとのミックスもあるが、ここは男らしく(ジェンダー問題を含む誤った表現です)オーヒー味オンリーにしてみた。見た目は、確かにいつものコーヒー牛乳っぽい。色もそれらしい。食べてみたら、一口目はまさに口の中に広がる杖対コーヒ牛乳味だった。再現性が素晴らしい。
二口、みくちとどんどん食べ進めると微妙な違和感が生まれる。舌がアイスクリームの冷たさのせいで麻痺しているので、コーヒー牛乳の柔らかい味が感じられなくなり、ただただ甘いだけのアイスクリームになってしまった。うーむ。コーンで注文したのでのんびり食べているとどんどん溶けて流れてくる。仕方がないからどんどん食べるしかないが、どんどん味がわからなくなってくる。
カップで注文してちびりちびりと食べればよかったのだ。

とりあえず、これからどれだけ旅をできるのかはわからないが、ご当地ソフトクリームをできるだけ食べてみたい。そしてその時には、コーンで注文せずに、カップで頼むことを忘れないようにしなければな。北海道であればメロン味とかとうもろこし味は存在しそうだが、ジンギスカン味とかタラバガニ味なんてやつは遠慮しておこう。利尻昆布味は……………いけそうな気もする。

街を歩く

牛丼 理想系になるまで

写真を撮った後で紅生姜を3倍足しまして完成

羽田空港の第2ターミナルモノレール改札の横に吉野家ができて、たまに牛丼を食べる機会が増えた。自宅付近には牛飯やMはあるが、Yのつく店がないのでしばらくご無沙汰していた。都内に出るとどこにでもあると思い込んでいるので、実は牛丼屋で飯を食うことがほとんどない。ふと気がつくと一年んくらい食べていなかったりもする。
北海道から出稼ぎに出てきてそのままいついたこともあり、牛丼といえばYという刷り込みがある。当時の北海道には牛丼屋が存在していなかった。少年ジャンプで人気だったレスラーキャラの好物が牛丼であり、当時は幻の牛丼に憧れていたものだ。

その後、近くに飯屋が存在しない畑の真ん中の店舗で勤務していたため、おそらく一生分の牛丼と鳥から弁当を食べたような記憶がある。牛丼のスタンダードをその2年間で徹底的に学んだのだが、当時は汁だくなどという言葉は存在していなかった。夜の8時ごろに行くと、町と仕込みの最中に当たることが多くあり、仕込みたての牛丼の玉ねぎはシャキシャキ、仕込み直前の玉ねぎはクタクタみたいな見分け方?をしていた。仕込み前の残っているたっぷりと煮詰まった牛丼は実にうまい。これに当たるとちょっとだけ幸せを感じる。

さて、その懐かしの牛丼を再現してもらえないかと思っているのだが、最近は調理のコントロールが良いのか、煮えすぎた牛丼には当たった試しがない。実に残念だ。
ただ、今のタッチパネル式の注文ではご飯の量とつゆの量が選べる。コッテリ系のラーメン屋における注文呪文みたいなことができるのだ。そして自分専用の呪文といえば、ご飯少なめつゆ多めとなる。そうして出てきた牛丼に自分でベニ酒が大盛り、唐辛子大量投下すれば、カスタマイズ化完了だ。これだとアタマ(肉部分)と米のバランスが最適化される。普通盛りはコメが多すぎるというか肉が少なすぎるというかバランスが悪い。肉を多くするアタマ大盛りも、幾多のネット調査の結果を信じれば大盛りと言えるほど肉は増えていないそうだ。(玉ねぎは増えているらしい)

ずいぶん昔、Y社の部長さん(店長経験者)に聞いた話では、マニュアル遵守のため「つゆだくで」と言われても、「つゆだく。かしこまりました。」と返事をするだけで、実際には規定量しか入れなかったのだそうだ。マニュアル厳守時代のことらしい。今では、しっかりとつゆたっぷりになる。(自分の目で確認しました)

美味しい牛丼はカスタマイズするに限るのだよね。

街を歩く

デートで焼き鳥

昔からよく来ているコスパの良い焼き鳥屋は、あれこれ営業努力の結果、子供を連れて家族がやって来るファミリーレストランより人気のあるチェーンになった。

ところが普段は土曜になど来ることもないので知らなかったのだが、なんとデートディナーの人気店になっている。

ちなみに土曜の午後7時.カウンター席はカ2人掛け11組あり、なんと半分以上がカップルで年齢は20 代から60代という感じ。

会話の少ない倦怠期?カップルとか、どうみてもバリバリの怪しい関係な感じもあり、人生の縮図を見るようだ。個人的感想と推測です。

さて、自分の過去を振り返ると、デートでガールフレンド?を焼き鳥屋に連れてくるのは、どれくらい付き合いが進展した後だったかと不思議に思った。半年付き合った程度で焼き鳥屋はハードルが高すぎた。

チラチラと観察していると、どうも酒はほとんど飲んでいない。定番の締め飯である釜飯を食べに来ている気配がある。

この店も一号店開店以来50年が経過したはずで、どうも子供時代に親と一緒に来てファミレス使いしていた世代が、焼き鳥屋ではなく飯屋として来店しているみたいだ。

オヤジ世代としては忸怩たるものがあるが、こうして釜飯屋として若い世代に支持されるのも生き残り戦略としては正しいなあ、などとほろ酔い気分で思うのでありました。

街を歩く

吉祥寺の餃子

全国あちこちに「みんみん」というあの餃子屋はたくさんある。暖簾分けで増えたということでもないようで、漢字で店名を書いていたりひらがなだったり色々とバリエーションもある。
そもそも日本の焼き餃子は大陸の料理ではないのだそうだ。ラーメンと同じで日本流のアレンジらしい。

台湾の友人曰く、餃子は蒸すものか茹でるもの(水餃子)が南方系の正式料理らしい。香港名物の飲茶の世界がまさにそれだ。
そして北方であれば、日本の餃子のように焼いたものもあるが、その形は端を止めない春巻きのようなもので、水餃子などのように皮を摘んでまとめたものは、焼いたりしないらしい。
日本では紅虎餃子房の鉄板餃子が北方系料理の正しい実践形式のようだ。あそこは大陸から厨師を呼んでいたから間違いないと思う。

オーソドックスな見え方の餃子でした

さて、この店で実食したのは大ぶりで皮が厚めの餃子だった。これぞお江戸的餃子という感じがする。可もなく不可もなし。文句のない普通の餃子でこれはこれで美味いものだ。餃子ランキングを競う三大都市、宇都宮、浜松、宮崎の好みを言えば、宮崎餃子が一番好みだが、お江戸の餃子は宮崎餃子の親戚筋というか似たような感じがある。

よく見えないけれどアサリ入り

餃子の追手に頼んだのがアサリチャーハンで、これは珍しいものだ。チャーハンに入る魚介系と言えばエビとイカが双璧をなすと思っていたが、アサリはすごい働きをしているのだなあと感心した。
どこかのラーメン屋で食べたニンニク醤油炒飯もなかなかは苦慮っ苦があったが、同ヤラっ炒飯世界ではあれこれと面白いことが起きているらしい。

混雑している店を嫌う癖があるが、たまには頑張って入ってみるのもお勉強になるなあ。

街を歩く

吉祥寺のお気に入り

メンチカツで行列ができる人気店だが、チャーシューの切り落としがうまいのだよね。

コロッケも実にコロッケらしい。

これが吉祥寺でいちばんのお気に入り。

その隣にある小体な和菓子屋で、幻の羊羹ではなく定番のモナカを手に入れると、それから何日間は幸せな気分になれる。こちらも吉祥寺に行けば、まず最初に立ち寄るお気に入りスポット。

30代になるまで、この街に住みたかったんだよね。

今だとちょっと賑やかすぎるから、たまにお散歩しにいくくらいでちょうど良い。