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二例目のトイレマーク

ちょっと前に小樽のコンビニで見つけた「座りション」指示版と同じものを池袋の居酒屋で見つけた。ひょっとして世の中では密かに、この座って使用運動が盛り上がっているのだろうか。
確かに和式のトイレが撲滅されるとともに、この座り使用は一般化してもおかしくないが、そうなると男子トイレの太刀使用を前提とした便器群はどうなるのだろうか。全て個室対応にすると、回転効率が落ちるので個室増という課題が生まれる。やはり、使用人数が大量な大型商業施設とか映画館やスタジアムのようなところは併用されると思うが、なかなか社会学的に面白いテーマなので、テレビでぶいぶい文句を言っているコメンテーターなる人種に、考察した上30字くらいで述べてもらいたいものだ。

その第一歩がオヤジ向け居酒屋から始まるというのも一興ではあるのだな。

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日本蕎麦屋の煮干しラーメン

街中の立ち食い蕎麦チェーンに行くと、たまに面白いメニューに出会うことがある。個人的な好みで言えば、よもだそばのカレーライスは捨て難い逸品だが、新潟バスセンターのカレーを肩を並べる競合だろう。
富士そばの中華そばも、蕎麦屋のラーメンとしては秀逸だと思うが、普通の醤油ラーメンのシンプルさと比べて遜色のないのが煮干しラーメンだ。どろりとして濃いめのスープに中太の麺がよく絡んでいる。トッピングを見ても、日本蕎麦の上に乗っているものの流用であるがバランスが良い。

天ぷら蕎麦を頼むか、煮干しラーメンを頼むかいつも悩ましい。一度これに、紅生姜天を追加した夢のコラボを食べてみたいものだ。

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どんくな夜

恵比寿の飲み屋街、その中に一軒の中華料理屋がある。かれこれ40年近く営業していると思うのだが、最初は内装も簡素な不思議な店だった。飲料メーカー名が入ったベンチが店内に並んでいる。まるでビーチハウス、海の家のような簡易店舗だった。おまけに看板には長崎ちゃんぽんと書いてある。中華料理屋と言うよりちゃんぽんの店だったらしい。
厨房で腕を振るうのはマレーシアの人だった。味付けが日本的な中華料理とはちょっと違うが、麺の腰が強いので気に入っている店だった。しばらくはいついってもひまそうだったが、ある時から急に混雑し始めた。
何度か店内を改装して、海の家からちょっとほの暗い山小屋風居酒屋的なイメージになったあたりからだ。どうやら夜の営業に力を入れるらしいとわかった。そこで、ふらりと夜に行ってみたら、なんと中華居酒屋になっていた。
今のように、町中華で酒を飲むなどと言うことが流行っていない時代だったが、個人的には中華居酒屋的メニューが気に入ってよく通うようになった。いつの間にか人気店になり予約をしないと夜は入れないこともあるほどで、それはそれで困ったものだなあ、などと思っていた。
その店で久しぶりに昔の仲間たちと一杯やることにした。ただただ懐かしい気分だったのだが。

うまいまずいを超越した つまみのめんま 味付けはいつ頼んでも違うけどね

この店で初めて食べたのが「めんまの炒め物」で、それ以来ずっと注文する第一定番だ。もう一つの名物は、長崎産すり身で、これは厚手のじゃこ天みたいなものだが、なぜ中華料理屋でこれが出てくるのかよくわからない。ちゃんぽんに乗っている揚げたすり身のようなものなのかもしれないなあ、などといつも不思議に思いながら食べている。独特の魚臭さがあるので、さつま揚げや蒲鉾とは系統の違う魚練製品なのだろう。
そして、なんといっても目立つのが鳥の唐揚げで、こちらは平く伸び切った唐揚げだ。あちこちで売っている、鳥のぶつ切りを揚げたものではなく、平に伸ばした鶏肉をそのまま厚め目の煎餅のように仕上げたものだ。一枚食べると満足するボリューム感がある。

サラダというにはちょっと小ぶりだが……………

今回初めて食べたかもしれないのが、このアゲ麺の乗ったカリカリサラダで、今までなぜ食べたことがなかったのだろうと頭をひねることになった。カリカリとした食感がうまい。中華料理屋でサラダという感覚がなかっただけなのだと思うが。それともここ最近できた新メニューなのかなあ。
さらに驚くべきことだが、壁に書かれたメニューに「パクチー料理」がデカデカと乗っていた。これも時代の変化だなと感心したが、パクチー大好き、デトックス大好きな若い女性はあまり来ない店なのだ。そんなおっさんたちの集まる店でもパクチーを食べるようになったのかと驚いてしまった。というより、呆れてしまったというのが正しいかもしれない。
そんなことを考えていたら、隣の席に制服を着た女子高生(多分)がやってきて、思わず狼狽えた。女子高生の来る店ではないのだがなあ、などと思っていたら、みるからにチャラい系男子が引率してきたようで、女子高生の前でビールを飲んでいるではないか。なんともシュールな光景だと思った。女子高生の目の前でビールを飲むヤンキーみたいな映画に出てきそうなシーンというかイメージえいぞうが浮かんできたが、本当にそんな奴がいるとはねえ。時代が映像に追いついたらしい。
いや、あれは女子高生のコスプレをした上級コスプレヤーだったのかもしれないと、後から思いついた。どんくの夜は、どんどんと令和的な変化を起こしているのだな。

相変わらずカオスな夜の恵比寿でありました。

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1111の日

11月11日はポッキーの日ということは覚えているが、それでもこんな巨大陳列をするほどのお祭りかなどと思ってしまった。ただただ驚いたのは、ポッキーってこんな色々な種類が作られていることだ。季節限定品もあるし、何より『超』のつくポッキーが存在することだった。つい、一つ二つ買ってしまったが、このポッキー売り場は10日でおしまい。11日にみに行ったらなんとポッキーの日当日にも関わらず半分になっていた。
うーん、なんとも現金な売り方だろうとバカにしかけたが、確かにイベント当日でもジャンジャン売ろうとしているのは売れ残りみたいなものかもしれない。バレンタインのチョコもそうだな。売り場が賑わっているのはせいぜい前日まで。
当日でも大騒ぎして売っているのは(スーパーなどで)クリスマスのチキンくらいだろうか。それでも翌日には同じ売り場がおせち料理コーナーも大転換するのだから、するどい商売とは売り場を時間単位で変化させるものなのなのだなあ。
ちなみに近所のセイユーは会社が売却された後、ゆっくりと売り場の変化が起きていて、このポッキー売り場もその一例らしい。なんだか、昔々、俺たちは文化を創造して販売しているといっていたセゾングループを思い出す。セイユーもその一員で、ちょっとおしゃれなスーパーを目指していた時期もあったのだが、米国スーパーに買収されたあとは、大型コンビニみたいなつまらない売り場になってしまった。時代が一回りして、売り場の提案力をあげていこうという試みは、一種の先祖帰りかもしれない。

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インスパイア系味噌ラーメン

ラーメン屋には系列というより、暖簾分けで広がるグループが存在するようだ。日本蕎麦の世界でも暖簾分けで広がる名店網が存在するのと同じだ。薮や砂場のような100年ものの暖簾もある世界だから、日本蕎麦の暖簾分け社会は随分と広いようだ。
ではラーメン業界ではどうなるのか。お江戸界隈で最大勢力は横浜家系と言われる、吉村家から巣立って行った一群ではないかと思うのだが、個人的にはサンマ節で有名になった武蔵系を推したいところだ。
札幌ラーメンの店で言うと、やはり裾野が広いのは味噌ラーメン、すみれの系統だろう。すみれと純連は兄弟ブランドのようだが、そのどちらからも卒業生たちが濃厚味噌ラーメンの世界を広げて行った。
そのすみれ・純連系統に彩未と言う、行列のできる店がある。ここからも修行後分派の店が生まれているそうなので、もはや第三世代どころか第四世代まで生まれる時代になったみたいだ。
それぞれお弟子達は修行を終えた後に、自分なりの趣向を凝らした進化系を目指すのだから、味噌ラーメン世界は拡散と浸透を進めている。九州系とんこつラーメンにもミソは押し寄せているし、ニューウェーブの豚骨魚介Wスープ・ラーメンでもミソはもはや絶対定番となった感がある。

かすかに生姜の味がする

さて、久しぶりに小樽の街外れにあるラーメン屋に行ってみた。市場の出口に店を構える小体なラーメン屋だが、店内に入るまで味噌ラーメンではなく醤油ラーメンを食べる気満々だった。ただ、メニューを眺めているうちに、あれ? この店は確か味噌ラーメンの店だったのではと、うっすらとした記憶が戻ってきて。
結局、味噌ラーメンを注文し食べながら、ああ、この味は……………と思い出した次第。食べ進むうちに、隣の客の会話が聞こえてきて、どうやらすみれ系のラーメン屋であるらしいことがわかっった。ただし、自分の味の感じからすると、すみれではなく第二世代の彩未のような感じもする。まあ、それほど繊細な舌を持っているわけでもないし、すみれには何年も行っていないから正確に味を覚えているともいえない。

ルックスだけ見ると、味噌ラーメン(特に札幌の純蓮・すみれ系は)は見分けがつきにくいので、やはり舌の記憶に頼るしかないのだが。
ラーメン屋としては珍しい店名だなとも思う。懐かしのラーメン映画に「たんぽぽ」というラー屋が登場した。それにあやかった名前だろうか。みかんの花だから柑橘系の果物「蜜柑」なのだと思っていたが、食べているうちに「未完」と言うことかなと気がついた。
あくまで進化を続けるつもりだ、と言う店主の心意気なのだろうか、と思った次第。ありそうな話だ。そういえば、小樽には「初代」と言う名店もあった。永遠に初代の心意気を忘れないというようなお話であった(ような気がする)。小樽のラーメン屋はすごいなあ。
あちらはどうなっているのか気になってしまった。次回は初代に行ってみるか。それとも「すみれ本店」に行って味の再確認をしてみるか。うーん。悩みどころだ。

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鮭ではなくブリなんです

最近の日本列島付近の海流は異常をきたしているようで、ここ数年北海道では鰤が大漁続きだとは聞いた。そもそも、ブリは日本海側を新潟あたりまで北上して回遊を終えるはずの魚だったが、今では対馬海流が強まったため新潟どころか青森を超えて、青函海峡すら突破する。大間のマグロも同じようなルートで北海道青森沖合が一大漁場になっているが、そこにブリも参戦しているのだという。ブリはマグロよりも元気が良いのか、青函海峡をつき抜けて東方面海域に進出し、襟裳岬沖あたりで北からくる千島海流にぶつかるまで頑張っているのだ。
ところが、襟裳沖合はもともと北からの寒流に乗って鮭が帰ってくる場所なのだが、ブリの大群に押されて鮭がいなくなってしまったそうだ。
何年もかけて自分のホームに帰ってきた鮭が、ぶりに邪魔されて母なる川を遡上できないという、なんとも哀れなお話になっている。鮭だけが困るわけではない。鮭を獲れないと漁師も困るだろうが、鮭漁の網の中には鮭ではなくブリだけが入っている。まあ、鰤が鮭より高く売れれば、これは外道ながらの豊漁と喜ばれるのだが。
しかし、基本的に北海道人は鰤を食べない。例えば、札幌の居酒屋で鰤ダイコン、つまり居酒屋における定番煮ものにお目にかかることは稀だ。カスベ(エリ)の煮物かカレイの煮物が北海道的な定番に魚だろう。そもそもブリの刺身もほとんど食さない。ぶりの豊漁では金にならないのだ。
ただ、鮭ではなくブリしか獲れない期間が何年にもなると、流石に北海道人も鰤を食べるようになったようだで、最近ではスーパーで北海道産ぶりを見かけるようになった。値段は、明らかに安い。重量単価でみると秋刀魚より安い気がする。
鮭漁で取れる外道な魚なので値段は安い。まさに猫またぎと言われそうだ。鮭の値段と比べれば1/10くらいではないか。

だからなのか、ついに北海道産のブリがその安値を武器に関東圏に進出してきた。半額セールの特売目玉商品なのだが、北海道生まれとしては、これを実食して良いものだろうかというためらいがある。本当は襟裳沖の美味しい鮭を食べたいのだ。なぜか鮭がブリに振り替わってしまうというのは、無念のような気がしてならない。
それにこの大ぶりなサクでは一人で食べきれそうもないし、悩ましいものを見てしまったなあ。

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画期的な提案

まあ、気持ちはわかる。掃除する人の身になってトイレは使いましょう。ただ、この方式を徹底するには幼稚園から教えなければいけない「社会努力」だなあ。人類の半分を担うものの自覚に頼るのではなく(ジェンダー的発言だが、男という生物はその手の認識能力がけっって意的にダメな生存不適合種だと思います)、小児期からの教育で変革するべしということか。
エスカレータの片方開けるという文化も数十年前には存在しなかったが、いつの間にか全国に広がった。ただ、大阪以外は右アケ、大阪だけが左アケというのは文化人類学的な検証課題だと思うが。その右開け習慣が、事故発生多発で問題となっている。その原因は旅行に持ち歩くキャリーバッグの普及という技術的な問題解決から派生したと思うと、これまた面白い社会学的研究テーマだなあ。

だから、この男も座って処理しな最低限は、時間をかけて啓蒙すれば15年くらいで定着するのではないだろうか。幼稚園児から教育して、その子が18歳、つまり成人になる頃には社会的に定着する。あとは、頑固に(愚かに)たったまま所用を済ますオヤジとジジイが死滅するのを待つだけ。この座り利用という習慣が完成するまでおよそ50年というところだろうか。


ただし、その前に、和式便器の追放・撲滅をしなければねえ。東京オリンピックのおかげで、東京から和式便所はほとんど消滅したと思うが、まだ地方の公共施設にはたっぷり残っている。空港や鉄道駅ですら「和式の暗い便所」が亡霊のように生き残っているのだから始末が悪い。JRグループ各社の経営者は、敵をキレイにする前に、まずトイレのカイカウを断行しましょう。特に西日本の各社、きばれや。

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醤油ラーメンだけの店

電話番号がすごいなあ

JR新札幌駅に併設されている商業ビル「サンピアザ」は開業以来50年以上続いているが、地下鉄東西線延伸に伴い、札幌では珍しい交通結節点として賑わいを極める。ほぼ完全な自動車社会の札幌で、都心部を除けば自動車なしでたどり着ける珍しい商業地区であり、当然ながら交通弱者、つまり高校生と高齢者の姿が圧倒的に多い。
その商業ビルの食堂街に、だいぶ前に開業したラーメン屋がある。我が情けない記憶に頼る限り10年か15年前の開店ではないか。

昭和中期、まだ石炭産業が賑わいを極めていた頃に最初の店が開店らしい。北海道の石炭産業は、敗戦後の外地引き揚げ者の受け皿となった。また、荒廃した国土と社会の再建のため使われる主力エネルギー源として、石炭採掘は国の基幹産業だった。
炭田と呼ばれる石炭産地は北海道各地と九州北部に集中していた。映画や小説の舞台としても使われた賑やかな場所であり、その炭鉱地帯の繁華街には飲み屋や食堂が大量にあったようだ。石炭採掘という重労働を担う炭鉱夫とその家族は、比較的潤沢な収入に支えられ文化的、享楽的な生活を送っていたらしい。当然、当時の人気ものであるラーメン屋も炭鉱町には何軒もあったに違いない。その一つが、この小鳩食堂ということだ。

初代のトッピング お麩とうずまきのなるとが当時の定番 煮卵は贅沢品だったと思う
お水はアルミカップでというのがなんとも懐かしい

当時は味噌ラーメンが生まれる前のことだから、ラーメンと言えば濃いめの醤油味限定で、現在の濃厚系豚骨ベースのスープではなく、野菜と鶏ガラが主体のあっさり系。それに醤油のタレを使った塩味の強いスープに仕立て上げたのが、いわゆる炭鉱系ラーメンだったようだ。
その後、昭和40年代に入り石炭産業は斜陽化していく。取り扱いの簡便な石油に置き換わっていくと同時に、産業用の石炭(製鉄や火力発電に使われる)も割安で高品質な輸入石炭に置き換わっていく。当然、国内の石炭産地では生産効率の悪い「山」から、順番に閉山が始まる。敗戦直後から繁栄を極めた石炭町がゆっくりと衰退を始める。人口が1/5 や1/10に激減するのだから、街が死んでいくのも無理はない。

そんな炭鉱町のラーメン屋が地元の衰退を見かぎり札幌に移転したとすれば、それは英断というものだろう。ただし、炭鉱町の、それも昭和中期のラーメンが、平成の都市在住者に受け入れられるのかというのは、これまた大冒険だったのではないか。

初めて食べた頃は600円くらいだっだかな

だから、この店には3種類の醤油ラーメンがある。が、味噌ラーメンはない。それが潔いと思う。醤油ラーメンだけで勝負するのは勇気がいっただろうなあ。
店内は昭和中期のイメージで内装されているが、一番すごいのがメニュー構成の作り方で、学校給食を模している。ラーメンとカレーのセットなど、もしも給食であったらいいなのナンバーワン・メニューだろう。

などとラーメンが出てくるまでビジネス的なあれこれを考えてしまうのが、この店のいいところだ。店内を観察していると分かることだが、結果的に昭和のラーメンを懐かしんで食べる高齢者より、経験のない昭和の食べ物を恐る恐る試しに来る若年層の方が多い店になった。
子供の頃に食べた懐かしい味、などというのがヒットするのは、その店の客層が30-40代であるときだけで、その主客層が歳をとり60代と高齢化すると(つまり店舗も20年程度は続いたことになるが)、一気に衰退する。昭和後期のファミレスや居酒屋チェーンが消滅したのは、そういった客層の高齢化に起因すると思う。時代に合わせた進化ができないだけなのだが。ただ稀に客層の若返りに成功する業態や店舗もある。

余談だが、団塊の世代の嗜好に合わせて変化し続けた業態は、そろそろ変化のしようがなくなる。団塊の世代が丸ごと、キセキ入りすからだ。もはや団塊の世代にはマス消費の主力とはなり得ない。最後に生まれる団塊世代需要は介護付き高齢者住宅と葬式ビジネスくらいだろうか。

この店はその団塊世代からの客層乗り換え事例として典型的な成功例で間違いない。少なくとも子供連れの客が多いことを考えると、この先20年や30年くらいは長続きしそうだ。昭和100年などと巷では言われるが、昭和30年をテーマにした食堂は、もはや江戸時代を扱った時代劇の舞台とあまり変わらないのではないか。などとマーケティング屋的には感心してしまうのだ。

おそらく明治期の人々が時代劇を見て、自分の親たちはこんな暮らしぶりだったのだなあと懐かしんでいたように、現代人は昭和中期を手近な過去体験として楽しむ。時代が変わっても、ちょっと前を振り返ってみるのは、楽しいエンタメであるということだろう。令和50年にでもなれば、平成文化も同じ扱いになるのかなあ。まあ、その時は生きているはずもないので、全くの他人事だけどね。

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羽田空港で籠城

第2ターミナル 5階の展望台 高級イタリアンレストランもあったのは驚き

羽田空港はもう何十年も通っているが、屋上の展望台には行ったことがなかった。今月に生まれて初めて展望台に登って、滑走をを飛び立つ飛行機を眺める羽目になった。その理由は、北海道周辺で発生した爆弾低気圧のせいで、その日に乗る便が欠航となったせいだ。
空港には2時間以上早くついたのだが、荷物を預けようとしたら機械に拒否され、何がどうしたと思ったら欠航と書かれていることに気がついた。
当然振り替え便の手配をしなければならないのだが、あいにくこの日は三連休の中日で、当然席に余裕はなく、他社便への手配を含めて大行列ができていた。並ぶこと1時間、いい加減足が痛くなってきた頃にようやくカウンターに辿り着き、手に入れた振替便はなんと7時間後に飛ぶもの、それしかないという。とりあえず昼飯を食べるにしたが、どのレストランも休日ということもあり入り口で待ち行列ができている。

そこで昼飯の時間を外してみようと、展望台に行ってみることにした。ものすごい数の人がいた。どうやらみんな考えることは同じで、振替便まで時間がある乗客が押し寄せているらしい。それでも、室内設備は満席だが屋外の休憩席は空いていたので、ひとまず1時間ほど暇つぶしをした。その後、のんびりと昼飯を食べた。
そこからはやることがないので、早々と搭乗ゲートまで行ったのだが、そこには自分が乗る前の前の便の乗客であふれている。座る席もない。仕方なく、しばらく空いているゲートの前の空席を求めて、空港内ジプシー生活をする羽目になった。

お詫びの昼飯代らしきものが提供されたアプリ画面

どうやら8時間近く待たされると、1000円分だけ食事の補助金が出るらしいのだが、渡された紙に書かれたQRコードから、補助金請求画面に飛んで手続きをする。これが、実に使い勝手の悪い代物で、最終画面に辿り着くまでに30分近くかかった。こんなことをさせるくらいなら、搭乗券を買ったのと同じ口座、クレジットカードで自動的に払い戻しをして欲しいものだ。
これでは全くお詫びの意味が逆に働いてしまう「ダメ」対応だろう。

Screenshot

結局、当日は時間だけはたっぷりあるからあれこれ失敗しながらも補助金ゲット(というかゲットするための認証番号を入手)したとことでギブアップした。

補助金獲得にはいくつかの電子マネーを選べるのだが、自分が選んだアマゾンは(アマゾンだけなのかもしれないが)、アマゾンサイトに移行してからは認証番号を入力する必要もなく、一気に簡単に手続き完了した。自分のアカウントにも自動的に接続されたのでストレスなしだった。
ここまでのモタモタした手順が嘘のようだった。おそらくアマゾンサイドのリンクを含めた設計が至極まともなのだろう。あれこれ勉強になったが、空港で8時間も待たされるのはもうごめんだ。ちなみに出発便は1時間遅れたので、羽田空港を飛び立った時はすでに晩飯の時間を過ぎていた。補助金は昼飯と晩飯、二食分提供して欲しかったぞ。

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地下鉄の停電とは

改札機をバラして入場できないようにするのだと初めて知った なんだかシュールな光景だ

札幌の地下鉄東西線が停電で運休となった。あとで確認したら6時間ほど止まっていたようだ。テレビのニュースによると、アルミ製バルーン(よくイベントなどで売られているぷかぷか浮かぶやつ)を、どこかの地下鉄駅ホームで手放したお馬鹿さん?がいて、それが架線に接触してショートしたことが原因とのことだった。このバルーン対策はこの先どうするのかはわからないが、想定外の事故だったらしい。
大水による浸水で地下鉄が止まったりすることはあるし、それはまだ納得できるのだが、停電で止まって復旧できない、原因が即時に発見できないというのはリスク管理上に大きな問題があるのではないか。地上を走る電車であれば電車が止まっても脱出はできる。それが畑の真ん中であっても、山の中であっても電車から退避することは可能だ。が、地下鉄ではそうもいかない。真っ暗な中を隣の駅まで歩くのかと思うと外に出るのは躊躇われる人も多いだろう。感電の危険もある。

そんなことを考えながら駅の改札前で30分ほど待っていたのだが、復旧の見通しは当分ありませんというわけのわからないアナウンスを三度ほど聞いて諦めた。この地下鉄を運営する人たちは、いや組織はお馬鹿さんなのだなと。
首都圏でもなんらかの原因で電車が止まることは度々ある。そのたびに思うことだが、いい加減なアナウンスをする私鉄各社(JRを含む)は多い。電車待ちを余儀なくさせられている乗客が知りたいことを伝えようとしない。自分たちの責任になるようなことは一切言おうとしないことだけが徹底されているらしい。
つまり、乗客の知りたいことはシンプルで、停車の原因はなんなのか、いつ電車が動くのか、それが判明できていない時はあとどれくらい待てば、その情報を伝えるられるのかに尽きる。あと10分で運転再開であれば待つという人もいるだろうし、あと1時間止まるというのなら代替の交通手段を探そうとする、あるいは所用を諦め自宅に帰るという選択肢もある。それを言わない。言おうとしない。
経験的にダメなアナウンスをするのはJRの一部駅、「武」のつく私鉄。逆にかなり的確なアナウンスをしてくれるのが、「京」のつく私鉄だ。
鉄道事業者が安全運行を目指すのは当然だが、運行停止に追い込まれた時の危機管理ができていない。営業組織として「客」に対する気遣いが足りなさすぎる。

まして、札幌の地下鉄は「官製」鉄道なので、関東圏私鉄以下の対応だと思う。昭和後半・平成に断行された官製事業の民営化のおかけで、普通化した事業体はかなりサービス業の基本を学んだようだが、今でも官製事業は公共交通に多く残るので、交通サービス業はダメダメ事業者が多い。
大規模な事業体といえば、東京都営地下鉄・バス事業や大阪の地下鉄、札幌や福岡、横浜、名古屋、仙台などの地下鉄事業だろうか。それでも首都圏などでは私鉄と地下鉄の乗り入れが進んでいることもあり(東京メトロは私鉄扱いしても良いと思う)、それなりのサービス水準にはある。それ以外の大都市圏公共交通事業は、民間に移譲した方が良いと思うくらいの低レベルサービス業だ。

それにしても一番不思議だったのは、停電しても駅構内の照明は消えないことだ。電源が運行と改札業務では別なのだな。それはそれでリスク管理ができているのかもしれない。
例の北海道大停電の時はどうなっていたのだろう。確か、東豊線は道路が陥没して地下鉄線路が埋まったのではなかったか。その時の経験値が生かされるということはなかったのだろうか。不思議な組織だ。

ただ、この運行停止事故は、ニュースでの扱いは実に小さく、あからさまに札幌における公共交通機関の地位が低いことに気づかされた。首都圏であれば夜の大ニュースだろうになあ。自動車社会に地下鉄は不要ということらしい。