街を歩く

古い写真

8年前に拾ってきたらしい 野良?写真は怪しく美しいな

これは自分の撮った写真ではない。ワードプレスに記録されている自分のライブラリーの一番古い写真だ。どこからか拾ってきたものらしい。原盤はおそらく公共のライブラリーないにあるはずだ。
ネット上での著作権に関して、現在進行形で制作、アップされたものについては法的整備がなされていて、境界線上に残るのは制作物における「引用」の判断になる。例えば、太宰治「人間失格」の評論を書こうとして、その一節を引用する。これが、一般的な引用の例だろう。さて、この一節が本体の1/3もあったら、それは引用になるのか。全文引用したとしたら、それhじゃ評論になるのか。みたいなお話なのだと思う。
商業的な出版物であれば、あれこれ許諾の範囲など確定し、金銭で処理をするので良いと思うが、非商業的であった「同人誌」はすでに商業出版物扱いだ。おそらく商業出版物で引用などの例外にされるのは、使い捨ての広告文案くらいだろう。不動産屋にチラシに書いてある、例のポエムに対して権利主張をするような人間がいるだろうか? (いるかもしれないが、かなり面倒な法廷闘争になりそうだ)

それと同じで、昭和初期に撮影された写真や動画(それも商業的ではない、いわゆる趣味の世界)は、撮影時から100年近く経ち、撮影者(権利者)が死亡して70年を過ぎれば、著作権自体は消滅するはずだ。ベートーベンの楽曲に権利主張するものがいないのと同じだ。ただし楽曲の演奏、およびその録音物は新しい権利が発生するが、楽曲自体には及ばない。(はずだ)
時間経過により、個人の権利物から公共財へ変化するといった考え方なのだと思う。
建築などのデザインも同じで、誰かが松本城のデザインをパクったとしても、すでに築城時代の責任者?殿様?は死滅しているから、誰も権利を主張できない。

同じことが昭和初期前後の写真や動画で起きつつあり、それがネットの世界で登場、展示、保管されるようになると完コピが商業的に可能になるのではないかなあ、と考えている。過去のデータが野良化したまま、著作権フリーな素材としてネット空間の中に散乱する、というイメージだろう。たかが自分のライブラリー、それも7年程度の昔であれ「野良化」は起こる。sy界全体で、特にSNSの勃興機から世界中に溢れ出した「素人画像」は、この先どういう整理や淘汰や廃棄されることになるのかとなると気が遠くなる。まあ、それは人のお仕事ではなく、辛抱強く効率の良い専門AIが対応するのだろうけれど。現時点では世界にとってノイズでしかない素人画像が、どこかで臨界点を超えたら人類の「ライブラリー」にまで進化するのかなあ。

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