
初めてお江戸に出てきた頃、地理も不案内で今のようにスマホでナビなど存在しない、とても昔のことだ。そんな技術があると知ったとしても、どれだけ未来の夢だろうかと思える時代で、おそらく青い猫型ロボットだったら持っていそうな未来家電だと思っただろう。
そして、街歩きをするには、今はなき「ぴあマップ」を片手にするのがせいぜいだった。都内のあちこちを歩き回るときには必携の道具だった。
まだ、地下鉄の路線もわからないのだから、埼玉の端にある街から六本木に辿り着くのは一大旅行だった。銀座駅と銀座3丁目駅の差もよくわかっていなかったくらいだし、おまじ場所に行くのに赤坂駅が近いか赤坂見附駅が近いのかもわからない。要は典型的なお上りの田舎者だった。
ちなみに「ぴあ」というのは隔週で発行される首都圏のイベント・グルメ情報誌で、これを初めて買った時に「ああ。今俺はお江戸にいるのだ」と実感したものだ。今でもぴあはネットのチケットサイトとして存続している。
そんな時代、荻窪のラーメン屋が有名で、何度か荻窪通いをした。まだB級グルメなる言葉も存在していなかった頃だ。安心して食べあるっきできるのはラーメンくらいだった。
都会慣れした頃には、荻窪に行くために西武線とバスの乗り継ぎをするなど、高度な短縮ルートも使えるようになったが、当時はJR新宿駅に行き、そこから中央線に乗り換えるというルートしか分からない。地下鉄は乗り換えが難しいと避けていた。
おまけに新宿駅はいつも工事中でダンジョンだったから、荻窪ツアーもそこそこ神経の使うお上りさんルートしか使えなかった。
そして、その荻窪で最初に入ったラーメン屋が「春木屋」だった。その支店がいつの間にか恵比寿にできていたとはねえ。

春木屋のラーメンを最初に食べた時の感想が、これはラーメンではないというもので、たべ慣れていた札幌のラーメンとの微妙に異なる味付けに驚いた。このラーメンがお江戸の人気ラーメンなのだとしたら……………みたいな感じだった。
後に、これが戦前から続く「支那そば」の系譜を継ぐものらしいと知った。お江戸のラーメンとして伝統的な味付けということみたいだ。当然ながら、札幌のラーメンはそのお江戸で生まれた支那そばを受け継いで(完コピーして)いるが、しばらくして独自の変化を遂げて別物になっていったのだろう。お江戸ラーメンが本家で、そこから分派したあとに、これまた変形した先にある一流派だったらしい。つまり、その分派の味に慣れた者が本家に文句をつけるという、なんとも情けないことだったのだが。
そんな過去があり、荻窪系ラーメンには関心が薄かった。直久という老舗ラーメン店も、お江戸の正統派ラーメンの一つだと思うが、そちらは何度も通ったのだから、荻窪系への関心の薄さは初めてお江戸に出てきた頃の、あれやこれやのトラウマとかさなっているからだろう。

そんな中華そばの老舗(支那そばというのはポリティカルコレクションで使用不可らしい)でも、時代の流れは押し寄せていて油そば(まぜそば)やつけ麺などもメニューに加わっている。全メニューが味玉推しとなっているのは、やはり昭和時代と変わらないこだわりなんだろう。

さて、本当に久しぶりの春木屋ラーメンだったが、普通に旨い。記憶の中に残っていた断片的感想、それもネガティブなものはいったいなんだったのかと思う。強いていえば、スープの上に大量に乗っている油がちょっとくどいかなあと思う程度だ。だが、この表面の油は札幌味噌ラーメンでも定番だし、店によってはもっと大量に使われているしなあ、などと改めて考え込んでしまった。
記憶に全くなかったのは麺の太さで、支那そば系統の店は細麺と決め込んでいたが、この店は中太ちぢれ麺と言っても良い。記憶とは別物だから、記憶が間違っていたのだろう。
これはもう一度荻窪詣でしてみるべきか。伝統の荻窪ラーメンと新進気鋭の新・荻窪ラーメンの食べ比べなどもいいかなと思わせる老舗のラーメンだった。まあ、今では、路線図など見なくても荻窪には簡単に行けるようになりましたからね。お近くですよ。