初代の正統怪獣は映画で登場したGだろう。その後、テレビの時代になりウル○ラマンが退治する巨大生物や巨大化した異星人が怪獣族の主流になる。当初、Gへの対抗手段は超絶的なチート兵器などではなく、再建された陸軍、つまり陸上自衛隊が前面に立ち対処した。当然、巨大生物は生物学の常識を覆す存在であり、通常兵器などで対抗しうるものではない。その全く歯が立たない相手に、なんとか頑張る自衛隊という構図は、当時(1950-60年代)の自衛隊非容認論が吹き荒れる社会に対して、精一杯の存在の正当性を主張したかったように思う。
『俺たちは旧帝国陸軍のような横暴はしない、民を苦しめたりしない、兵士を粗末に扱ったりしない、合法的で道徳的な国民を脅威から守る武装集団だ』という悲鳴のようなものだったのではないか。
だから、圧倒的な力を振るう巨大生物「怪獣」に対して精一杯の奮闘を見せる。Gの大ヒット以降も、自衛隊は怪獣映画制作に対して協力的だった。次代兵装に変わる中で最新鋭の兵器を惜しげもなく映画の中に登場させてきた。(最近は自衛隊が活躍する映画がなくなってしまって残念)
ところがだ、テレビ番組で放映される怪獣映画は、どんどんと荒唐無稽な物語になり、出てくる怪獣に立ち向かうのは、科学特捜隊やら(ネーミングとしては警察機構の一部だから、内乱鎮圧程度の武装しかない)地球防衛軍やら(こうなると国際組織なのでビーム兵器などのとんでも武装がOKになる)になり、とうとう怪獣攻撃専門部隊まで生まれる始末だ。自衛隊の出る幕は無くなってしまった。
ハリウッド映画では、地球外生命の侵略に対抗して米国大統領自らが空軍戦闘機(F15もどき)を駆って神風アタックじみた攻撃をする。国軍が国防の主力なのだ。それとは異なり、自衛隊は怪獣映画から無用物扱いされてしまった。
それが平成になると二つのGシリーズにより再評価を受ける。カメ型Gの場合は、自衛隊を怪獣に対して戦力投入をするときの法的根拠という、面倒な仕組みに焦点が当てられた。怪獣による都市破壊、あるいは人喰い被害に対して、巨大な生物による事件とすると管轄は警察になる。(大型の熊を駆除するみたいなもので、熊が超大型化した事案と解釈する)
自衛隊が出動するためには怪獣による被害は「天災」の一部であり、生物的な災害事案として出動が要請されたのであり、防衛出動ではないという想定だ。あくまで戦闘行為ではなく、災害対応という建て付けだ。
ただし、この生物的災害に対し武力を行使するには……………というものだ。現行法の拡大解釈では難しくなる。地震や台風は被害を起こすが、それは自然災害だ。では、人を食う怪獣は、都市を破壊する怪獣は、自然災害にあたるのかという点をあえて無視する。
ただし、怪獣災害が続くと当然、あたらしい法制化が必要となり自衛隊の出動基準に巨大生物災害対策の名目が与えられる。まあ、それでも怪獣撃退の主力にはなれなかった。
もう一つの二足歩行型Gについては、シン・Gという新作の中で、限られた巨大生物対策可能な資源として自衛隊ではなく、なんとJRの列車を兵器化する。自衛隊の兵器を使用せずになんとか済ませたい。この辺りの感覚が現行の政府がやりそうなことだと、思わず頬が緩む皮肉たっぷりの見せ場だった。警察対応と合わせて自衛隊の出動が可能か……………となる。現実的には、Gとも話し合えばなんとかなる的な発言をしそうな野党の面々の顔が容易に想像できる。
そうした自衛隊出動の条件整備がエンタメ界で進んだおかげで(笑)、このコミックが出来上がったと考えると、現実を踏まえた仮想世界のシミュレーションとして面白い。作品内では当然ながら武力行使を行う自衛隊に対して、国内でもアンチの声が上がるが、海外からも日本の武装云々といちゃもんをつける国があり、仮想敵国(政治的表現としては防衛対象国というらしい)だけでなく同盟国まで激しく干渉してくる。
お話しの中では日本がなんとか怪獣対策に成功している間に、同盟国も仮想敵国も強烈な怪獣災害になす術もなく……………という、ざまあみろ展開になる。
自衛隊の怪獣退治もチート兵器ではなく、多少の時間を要するが既存の兵器体系からの延長線で、怪獣退治に特化した武器を開発するというストーリーだ。対怪獣兵器開発で日本が世界に先行する。まさに頑張れ日本だ。
いささか気になるのはこの作品世界で、圧倒的な英雄、ヒロインとして活躍する若き女性自衛官がスーパーすぎることだ。なぜか、彼女のいるところに怪獣が呼び寄せられてくる。
怪獣の出現プロセスも説明済みで、始末した怪獣の処理についても描かれている。(実は、これが怪獣映画で最大の問題点だと思うのだが、なぜか触れられることが少ない。倒した怪獣をどうやって解体・廃棄処理するのかという環境問題は放置されがちだ)
世界設定に関してもなかなか芸が細かいのだ。時代としてほぼ現代、ちょっとだけ未来ということで、超兵器も出てこなければスーパーマンもいない。全体的には自衛隊の特殊部隊が主導して、自衛隊全体で頑張る姿が描かれているが、政争の道具として自衛隊を使おうとする政治勢力もいる。(与党の中にいるのがリアルだ)
現実世界で与党の政治屋たちも、戦後の教育がとか、先の大戦の意義・正義などとポンコツな思想を撒き散らす前に、この本を読んで「自衛隊」とはどういう存在であるのか、国防を担う合法的な武装集団とはどうとらえ、どう取り扱うべきなのかを考える良い教科書だろう。
そう、この本は自衛隊を考えるのに間違いなく良書なのだ。そして、少なくとも、仮想敵国や同盟国を相手としての戦争を考えるよりは、怪獣相手の武力行使の方が思考実験として気楽に考えられるだろう。
ただし、巨大生ゴミ処理も忘れずに考えようね。大阪府での起きた死亡鯨の海洋投棄をめぐる問題を考えれば、今の行政組織(中央も地方も合わせて)の限界は簡単に気がつくと思いますよ。もし、東京都内で怪獣が倒されたら、首都圏三県ですら生ゴミ処理に協力しないはずでしょう。(福島の除染土問題で明らかですよね)おまけに、もし夏だったら山手線内全域が完全閉鎖だろうなあ。臭すぎて……………
全巻一気に読みがおすすめ
