
おそらく札幌市民にとって餃子の代名詞とも言える「みよしの」という老舗がある。元々は甘味店だったらしが、自分が学生時代の頃は狸小路とススキノに小体な店を構える程度だった。飲んだ帰りの手土産にみよしのの餃子が人気だった。
その餃子店がカウンター席だけの小さな食堂を地下鉄沿線のあちこちに出し、しばらくすると道路サイドのファミレス的展開を始めた。
餃子とカレーが売り物の和風ファストフードだったはずが、メニューに定食やラーメンなどを加えすっかりファミレス化した。すごいものだなあ。まるでわらしべ長者のような成功ストーリーだ。
だから、何年かに一度、猛烈にあの餃子を食べたくなる。学生時代に刷り込まれた「うまい餃子の記憶」がなせる技だ。

衝動的にみよしのに行くことにしたら、店頭に不思議な少年?が立っていた。手に持っているのは餃子らしい。うーん、この姿は例の唐揚げ店の前に立っている白髪爺さんみたいに見える。パクリ疑惑だ。が、それはまあいい。大阪に行けば串カツ屋の親父も店頭にたっている。カニが両足を広げてモゾモゾと足を動かすというシュールな光景も当たり前だ。その立体看板天国、大阪を比べればこれば控えめで可愛いものだ。

さて、懐かしさに感激しながらラーメンと餃子を頼んでみた。ただ、とても残念なことに、あの学生時代の感動は蘇らない。そうなのだ、数年ぶりに行くたびに、いつもこの残念感から逃れられない。
あんなに美味しいと思っていたのになあ…………… おそらく、みよしのの餃子自体が不味くなったわけではないと思う。自分の「餃子経験値」が上がってしまったせいなのだ。二十歳前後の貧乏な時には、餃子をあれこれ試してみることもできなかった。唯一無二の餃子が、みよしののだった。
その後、あちこちの名店や迷店?でうまい餃子や謎の餃子を食べる機会も多く、餃子経験値が上がった。その結果として、みよしのの餃子は実に普通の餃子に思えるだけだ。
ただ、普通の餃子だからこそ多店舗展開をして長く営業できるのも事実だと思う。老舗の味は、案外と凡庸に感ずるものだ。普通のうまさを保つことの難しさでもあると思う。
あと一年か二年すれば、またこの餃子を食べたくなるのだろう。そのときあいも変わらず、同じ味でいてくれると嬉しいな。