
ショッピングモールの最上階にあるレストラン街に焼肉店を開けると言うのは、最近では定番仕様らしい。ただ、焼肉店特有の煙が外に漏れ出ることもなく、匂いにそそられてふらふら店に入ってしまう危険性は薄い。(それがちょっと残念でもあるが)
あの匂いによる欲求は、ヒト種族の動物的部分を鷲掴みにする始原の本能みたいな物なので、実に逆らいがたい。肉の焼ける匂いと比べると、揚げ物の匂いやうなぎ蒲焼の匂いなどは、後世になって発明された歴史の浅いものだけに、インパクトは一段落ちると思う。(料理としては洗練されているが)
肉の焼ける匂いはヒトが火を使い始めて最初に学んだ料理技術の賜物で、もはやDNAに刷り込まれているのではないか。それくらい文化的考察をしたくなる「美味」の原初だろう。

ところで、焼き肉の旨さに関することで聞いなることがある。昨今の塩で物を食べる流行に著しい不満があるからだ。要するに、塩味は人類が最初に発見した原始の調味料(そして、必須栄養分でもある)だ。だから旨さ自体は否定しない。人類が調理に使った最初の味と言っても良い。
ただ、人類の「文明」は、塩よりもっとうまい調味料を開発することで進化してきた物だ。フレンチも中華料理もトルコ料理も、美食と言われる料理は基本的に調味料の変化と調理法の変化で組み立てられているし、それが料理の、ひいてはうまさを感じる文化の形成してきた。
大航海時代は香辛料を安く手に入れようとする「食欲」に引きずられた文化低開発諸国の強欲から生まれた物だ。食欲は世界を変える力がある。
その延々と積み上げてきた文化に対して、素材の旨みを活かすには塩でシンプルに食うのが良いなどと原始回帰、いや原始怪奇と言いたいくらいの「文明退行を礼賛する」のは大馬鹿者でしかないと思っている。
そんなに塩が好きなバカ舌しか持っていないのであれば、料理など食わなくて良い。どこかの山の猿集団のように、海水に物をつけて食っていれば良いのだ。猿のレベルまで文明退行を起こしたものはすでに人類ではないぞと言いたい。
と言うことで、鮨屋でにいって、これは塩で食えと言われたら、2度とその店には行かない。文化と歴史を舐めるなと言いたいし、時代に迎合したバカ舌の持ち主と蔑むことにしている。料理人たるもの、つけだれの調合(例えば香り付けした自家製醤油とか)くらいできないのか。
だから、焼肉屋で塩で食えと言われると、これまた吐き気がするくらいうんざりするのだ。塩で食べる焼き肉で満足していたら、ヒト族は今でも原始の暮らしをしているはずではないか。
つまり焼肉屋の文化度、あるいは進化度は「たれ」で決まるのだと言いたい。料理として考えると、肉の質はその次だろう。
ちなみに、焼肉の本場韓国に行って(韓国が焼き肉の本場で良いのだろうかは確信がないが)焼肉屋に行った時、タレがなかったのに衝撃を受けたことがある。韓国人の友人にわせると、焼肉のたれをつけて食べるのは日本人だけが行う邪道だと冷ややかに言われた。
ただ、最近は日本の真似をしてタレを置く店も増えているのが嘆かわしいとも言っていた。今ではどうなのだろう。異文化交流だったのだろうが、日本に渡って韓国焼肉文化がなぜか日本化する過程で「たれ」を生み出した。そして、そのタレ付き焼き肉という野蛮な風習が、本家帰りをしてまた一段と本国で進化する。みたいなことが起きると食文明の発展に貢献するのになとは思う。韓国風の焼肉ダレはどんなものになるのだろう。たぶん、もっと辛くてもっと強烈になるか、全く塩味が感じられないものになるか。(韓国宮廷料理など非常に塩味が薄いので)

まあ、そんなことを考えながらランチ焼肉を食べていたのだが、日本的な進化としては肉の上に「何の肉なのか」の説明書きが添えらえていることだろうか。これは居酒屋甲子園でグランプリをとった店が、刺身盛り合わせで始めた手法だ。それが焼肉店に応用されている。
比較的安めの価格設定であるランチでこの仕組みが採用されているのだから、当然ディナー帯の高価格品でも、ハイスペックな対応が仕組まれていることだろう。塩だけで満足している連中から、この手の進化は生まれない。(個人的偏見です)

無煙ロースターに始まる焼肉レストランの進化は、ひょっとすると時代の最先端なのかもしれない。少なくとも排煙装置もない狭い店で七輪で焼いた煙まみれで、人間燻製になりそう始原の焼肉屋から比べると、文化度は著しく高い。現代焼肉屋はヒトの文明の高みであり、知恵と努力の営みとして極めて真っ当なものであります。
うまい肉とタレに感謝しかない。塩味で食べろというのであれば、小皿に塩を盛って出すのではなく塩だれを開発してくれ、といいたい。