街を歩く

町中華のつまみは居酒屋を超える

キムチであえたチャーシュー

コロナの3年は業態として劣化していた居酒屋業態を直撃して、実質的にチェーン居酒屋にトドメを刺した感がある。統計的な資料が揃っているわけではないが、繁華街の看板などを見て歩くと、3割程度が消失したのではないだろうか。
どこも変わり映えのしない似たようなメニューを同じような価格で提供するので差別化ができていない業態だった。おまけに慢性的な人手不足により、居酒屋の生命線である接客技術が落ちる一方では、なくなっても仕方がない商売なのだ。
弱肉強食のことわり通りに弱い店から潰れていき、結果的に強い店、チェーンだけが生き残った。全体の店舗数が適正数まで減って落ち着いた感もあり、今では「古いタイプ」の居酒屋も含め、どこの店も賑わっている。まさに資本主義世界の体現だろう。
アパレル業界でユニクロに代表される新業態、SPAが猛威を振るって業態を淘汰したように、外食業界でも「弱い居酒屋」は淘汰された。
その時にユニクロ的活躍をしたのが、町中華チェーンであり、その代表の一角を占めるのが「日高屋」だろう。
夕方のちょい飲みに特化したつまみメニューと低単価のドリンクで、居酒屋客、特にソロ客を根こそぎ奪い去った感じがある。ただ、この日高屋がちょい飲み専門店をいくつか作って実験していたが、その「飲み屋専業」店舗は成功していない。面白いものだ。

砂肝の唐揚げを甘辛く味付けした物

結局、ちょい飲みの成功要因は、飲んだ後に締めに食べる一品(ラーメンだったり蕎麦だったりするが)を他の店ではなく自分の店で取り込めることに尽きるのではないか。酒だけ飲むよりもラーメン一杯分の単価が上がる。その逆も成立して、ラーメン店として考えてもつまみとビールの分だけ単価が上がる。つまり、二軒で消費する飲食物を、自店で完結させる旨みがある。ちょい飲み専門店がうまく行かないのは、この締めラーメン分の上乗せが効かないためだろう。
昭和・平成前期の居酒屋チェーンがほぼ全店退場した要因は、この町中華の二毛作ならぬ隣の客を収奪する業態転換だったようだ。ただ、同じようなことを指向した吉野家はちょい飲み路線を諦め、牛丼専門店から何でもありの定食屋路線に転向した。やはり企業としての風土や経営者の嗜好があるのだろう。
外食業界で令和の覇者はどの業態から生まれるのか興味津々ではあるのだが、業界の先輩たちが言っていた「大陸系中華ブランド」の侵略は概ね失敗のようで、エスニック系料理でも大規模チェーンは生まれていない。
個人的には、全く外食に関わりを持たなかったニトリが始めたように、業界素人の始める「特徴のないのが特徴の店」みたいなものがそのうち大当たりを出すのではないかと思っているのだが、ニトリはさっさと諦めてしまった。(外食は賢い経営者には向いていない事業なのかもしれない)
ファミレス大手が取り組んでいる異業態参入もどうなるだろうか。北九州のうどんを関東に持ってきて、第二の讃岐うどんチェーンのようになれるかと言うと、これまた疑問が大きい。(個人的な意見です)
ビジュアル的に派手な料理、スパイスを含めた強烈な味付け、ちょっと高いが日常遣いできないほどではない価格設定、そんな要件をそろえれば新しいコンセプト、業態が開発できそうな気もするのですけどね。

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