
お江戸の居酒屋はつまみの種類が豊富だなと、初めて北の街から出てきた時に思ったものだ。それも多少の軽さを込めてだ。素材のうまさで食べさせるようなものは少なく、これで酒を飲むのかと疑問符がつくようなものが多かったせいだ。その典型がエイヒレだった。小皿に一切れの炙ったエイヒレが出てきたのには心底驚いた。
魚にしても鮮度が気になる。肉にしても薄さが気になる。などなど、北の街から出てきた田舎者(とお江戸の人種には思われていたらしい)に取っては食の文化、価値観の違いをしばらくの間、思い知らされるハメになった。それでも賢明なことに、お江戸の食に文句をつけたり馬鹿にすることはなかった。ただただ沈黙していた。
そんなお江戸界隈でも長いこと暮らしていると、食文化の違いは気にならなくなり、いつの間にやらお江戸スタイルが当たり前に感じ、たまに地方都市に行くと魚や肉のうまさに感動するようになった。東京ナイズされたというべきか、食に関して劣化したと感じるべきなのかはよくわからない。
そんな暮らしの中で、今でも時々お江戸の居酒屋では驚かされることがある。最近の例を挙げるとお通しが春雨だったこと。そして、さきいかのキムチ和えといいう「つまみ」が存在したことだ。
エイヒレを初めて見た時もびっくりしたが、これはそれを上回る驚きだった。料理は素材ではなく、知恵で作り上げるものだと改めて思い知らされた。
頭の中を「退廃」という言葉がよぎっていた。飲食業に関わってきたものとして、このさきいかキムチには負けた気がする。料理をなめんなよという心の声も聞こえてくるが、これこそが大都会の退廃した食文化がたどり着いた成果なのだ。
お江戸に負けた。