街を歩く

海浜幕張 怪獣に殲滅された街

コロナを挟んで5年ぶりくらいに幕張メッセの展示会にやってきた。流石に5年も経つとあちこち変わっているかと思ったが、意外と街の景色に変化はない。変わっていたのは駅前にある商業ビルが飲食テナントを含めほぼ総入れ替えになっていたことだ。
バブル期に開発された千葉幕張新都心だが、愛読していた椎名誠氏のエッセイには「幕張の浜」と描かれていた。椎名少年が過ごした幕張はどうやら相当な田舎だったらしい。そこが埋め立てられ大規模なオフィス街に変わった頃、サラリーマンになりはじめて幕張を訪れたのだから、「浜」の時代は全く知らない。
幕張メッセに初めて足を運んだのは展示会ではなく、子供向けのゲームアプリの配布会だった。当時小学生だった息子が遊んでいたゲームの追加ダウンロード版が、抽選に当たったものにだけ限定で入手できるというイベントで、息子とノコノコ幕張まで出かけた。今思えば、別棟である9-11ホールを打ち抜いた大会場で、中に入りきれない親子がホールの周りをぐるっと行列していたような記憶がある。
親バカと言われればそれまでだが、子供と一緒に遊ぶのが好きな時代だったのだ。土曜・日曜は子供と遊ぶと決めていたので、ゴルフなど一切する気がなく、おまけに休日出勤も極力避けていた。土日の仕事が気にならなくなったのは、子供が週末に塾に通うようになったからだ。そんなことを第9ホールの入り口で思い出した。

もう一つ幕張でおぼていることは、ここが大怪獣Gにやられた街だからだ。Gに破壊された街は銀座・霞ヶ関を皮切りに西新宿の高層ビル街まで、都内だけでも廃墟の嵐なのだが、なぜかGの新作が出るたびに、TOKYOは奇跡の復興を遂げている。Gの破壊が街に残されているのはビオランテ編の時くらいだろう。

幕張はバブル期の象徴だったので、怪獣の戦闘に向いた広大な空き地(笑)であり、壊すビルの数も少なくて済むという制作サイドの経済的な理由なのだと思うのだが。

怪獣映画で破壊された街は数多くあるがき記憶に残る戦闘場所は意外と少ない。もう一つのGである平成ガ◯ラシリーズは、その場面設定が秀逸だった。東京タワーがへし折られ怪獣の産卵場所になった。札幌ではススキノが壊滅した。仙台では自衛隊と激闘した。渋谷の街はとばっちりで壊滅した。京都駅構内での決闘シーンは怪獣映画で屈指の一幕、名場面中の名場面だ、京都駅に行くたびに、ここにガ◯ラが立っていたとサイズ感を実感する。

そんな幕張の記憶ではあるが、今ではすっかり落ち着いたオフィス街になっていた。やはり街というのは出来立てよりも時間経過したほうが味があるというか落ち着いてくるものなのだな。今の幕張で暴れる怪獣はいそうにもない。もし今年怪獣映画が撮られるとしたら、大阪の臨海地区だろうなあ。工事中のカジノビルが廃墟になり計画中止になりましたとか、博覧会会場の解体費用が浮きましたとかいうブラックネタで。

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