
羽田空港の地下にいつの間にか吉野家ができていた。気がついたのは、去年後半のことだった。ただ、早朝では開店していないのでなかなか利用する機会がなかった。久しぶりに始発ではなく午前の遅い便に乗ることになり、ようやく開店している時間帯に合わせて空港に到着した。いそいそと1年ぶりの吉野家に入ることにした。

吉野家でタッチパネルの注文システムを使うのは初めてだった。以前の口頭注文であれば、「並一つ」と1秒で済むところが、意外と時間がかかる。タッチパネルの画面遷移というか注文誘導システムが「高くて遅い商品」を優先的に流すからだ。定食やカレーなど吉野家では邪道ではないかと思う(個人的感想です)余計なメニューからようやく牛丼画面に辿り着いても、その牛丼にはアタマ大盛りとか特盛とかいい加減にしてよと言いたくなる余計な牛丼アレンジが多い。牛丼並はその中に紛れてひっそりと隠されている。(これも個人的感想です)
タッチパネル時代以前では注文して30秒後には丼を抱えて食べていたものだが、タッチパネルの注文を完了して目の前に牛丼が出てくるまで無限の彼方とも思う時間が経っていた。(しつこいですが、個人的な感想です)早いやすいうまいのキャッチフレーズが泣くぞとぶつぶついってしまった。ちなみに、正しいキャッチフレーズの順番は、うまい早い安いだったと思うが。
それでも、いつもの牛丼的なルックスだっだので安心したが……………

自己流アレンジは、ツユダクならぬ紅生姜だくだくにして、唐辛子をドバッとかける。赤い牛丼の出来上がりだ。これぞマイスタイルのスペシャル牛丼なのだ。
これをガシガシと食べるのが牛丼の王道ではないか。と思うのだが、どうも年齢のせいかガシガシとかき込むと喉が詰まりそうになる。(悲しい)
なので、どうしてもモグモグ的な微妙にやるせなさを感じる食べ方になってしまった。ちなみに牛丼三十五歳卒業説というものがあり、咀嚼の能力が落ち消化力が落ちる年代、つまり四十歳に近づくと牛丼を食べる機会がグッと減る、あるいは食べなくなるのだそうだ。
その歳はとうの昔に過ぎているが、いまだに牛丼は卒業できない。我が身に照らしても理屈は納得できるのだが、このささやかな楽しみは死ぬまでなんとか続けたいものだけどね。ちなみに北海道では吉野家がほとんど存在していなかったので、生まれて初めて吉野家の牛丼を食べたのは23歳の頃。お江戸に出稼ぎに来た時に洗礼を受けた「お江戸文化」の典型だった。以来、自分にとってのお江戸とは新宿駅の雑踏と吉野家の牛丼と刷り込まれている。