
古い友人と年に3-4回、気になる居酒屋巡りをしている。有名どころ、老舗、新進気鋭の店など、その時々でお当番が店を選ぶ。参加者の歳も歳なので洋風居酒屋とか肉系居酒屋みたいな選択はほとんどない。どちらかというと渋めの店が多い。
そうした渋めの店、特に料理自慢の店であればコスパが良いとまではいえないが、みたことのない料理が出てきたりするので、大抵は満足して変えることになる。個人的に思うことだが、「良い店」の条件はお通しの質の高さだ。
しょうもない居酒屋ではもやしの茹でたのがお通しとして出てきたりする。あるいは工場で大量生産された業務用ひじきの煮付けだったりする。それには実に落胆する。もう2度とこの店に来るものかと思う。お通しなど出さずに個別料理の料金をあげれば良いのだと思う。
居酒屋業界で一般的な利益増収法がお通しだ。客単価3000円の店でお通しという名のサービス料を取り、利益率を10%引き上げるという姑息な営業形態は一体いつの頃から定着したのだろう。
ファストフードやファミレスでお通し代とかサービス料とかいう名目で、同じようなことをしたら間違いなくその店は潰れると思うのだが。ハンバーガーを注文したら自動的にピクルス三切れがついてきて、料金は300円取られたという事態を想像してみると良い。三日も営業すればSNSで大炎上するだろう。その乱暴な詐欺的商法が通用しているのが居酒屋だ。
そもそも居酒屋のおよおしというのは、注文した料理が出てくるまでの場つなぎ的な小鉢だったはずで、店主のうでの店どころだったはずだ。それは料金を取るようなものではなく、店側からの心遣い・サービスだったのだろう。手の込んだ技の光る小品が、いつの間にかぼったくりの象徴になってしまうとは嘆かわしい。
だからこそ良い居酒屋ではお通しに金を払う価値があるものが出てくる。お値段に見合った価値がある逸品ということだろう。

さて、そんな価値ある居酒屋と、これまた街でよく見かける小料理屋との違いがよくわからない。酒に重きを置けば居酒屋、、料理に重きを置けば小料理屋なのだろうか。小料理屋といえば寡黙な板前と愛想のいい女将みたいな連想をしてしまう。ただ、経験的にブスッとした板前・店主の店に入ったことはあるが、愛想の良い女将のいる店に入った記憶がない。きっと小料理屋とはどこかに隠れている都市伝説的名店なのだろうな。
今回の居酒屋は味も素晴らしいが、見栄えに重きを置いている感じがする。日本の懐石料理がフランス料理に影響して革命を起こしたのは有名な話だが、いまではそのニューベルキュイジーヌが日本料理に影響を与えている。懐石料理の様式美がフランスで拡散解放され、日本に里帰りしてきたら、和風の発想を離れ自由奔放な新・和食が生まれたという感じだろうか。この一皿、豚角煮なのだがまさにフレンチだった。

油淋鶏風の鶏唐揚げもすっかり日本では定着した感があるが、鶏唐揚げに緑をアレンジするのはかなり斬新だろう。甘酢系のタレとネギはよくあうが、味のバランスより彩りの効果が高いように思う。
器と料理の関係をしっかりと追い詰めるのが小料理屋で、大皿料理をすくって出すような無頓着さが居酒屋の良さなのかもしれない。見栄え重視か味重視か、はたまた価格重視かによって居酒屋から小料理屋の色合いが決まるのだろうか。
ぼてっとした陶器の器は親しみやスサや気軽さを演出するし、多彩の色を施した磁器であれば流麗とか洗練といったシャープなイメージになる。シンプルな白い磁器プレートであれば、まさにフレンチ的な料理の彩りを映すのキャンバスといったイメージになる。器と食べ物の色は強い関係をもつ大事な要素なのだ。
そう考えると、この店は洗練された居酒屋っぽいということになる。居酒屋と見せながら、小料理屋的な質の高い料理を出す。人気店になるはずだ。

この店は高田馬場駅からそこそこ坂を登ったところにあるビルの地下にある。飲食店には不向きな立地だが、この日も予約で満席だった。飲食店の売り上げは立地8割とよく言われるが、たまには立地の悪さを跳ね除け「店の力」で繁盛する。素晴らしい店主の力量であり努力の賜物だ。
ただ、こういう素晴らしい店は「俺でもこれくらい簡単にできる」と素人に勘違いさせてしまう魔力がある。プロの力量はさりげない部分の合体として隠されている。それに気がつけないから素人なのだが、勘違いして完コピすれば繁盛店を作るのくらい簡単だと思うのだろう。そこがそもそも間違っている。素人は完コピすらできない。似て非なるもの、似てはいるが決定的に三流なしろものしかできない。
飲食店の廃業率が高いのは、そういう無自覚な冒険者というかお馬鹿さんが多いからだ。アマチュア野球で地区予選敗退程度の実力しか持たないのに、プロに挑む者はいないだろうが、飲食業界ではそういう無謀が罷り通る。開店即閉店という高い授業労を払ってようやく学ぶ。脱サララーメン屋、脱サラ蕎麦屋など死屍累々の荒野だ。
自戒の意味も込めて申し上げる。立地の悪さを跳ね除ける力の持ち主は千人に一人くらいしかいません。そういう店主はほとんどが100店を超える大企業に成長していくものです。決して「素人」は真似をしないように。