
高知駅から西へ向かう土讃線は窪川駅までで、その先は地域鉄道になる。高知駅からは特急で1時間ちょっとだが、ローカル線特有の揺れが旅情をそそる。乗客も少ない二両編成の特急というのは、他の地域でもなかなか見ない光景だろう。
四国は瀬戸内を跨ぐ三つの橋ができるまでフェリーで渡るしかない島国だった。その上、峻険な山地で仕切られる、まさに4つの国で、高速道路も主要都市をつなぐだけの限定路線だった。
四国内で高速道路が延伸されるのと、鉄道が縮小していくのは同時進行だったように思う。土讃線を高知県から岡山県に向けて乗っていくと、瀬戸大橋を越えるあたりから急速に人家が増える。古代からの大幹線路であった瀬戸内海の賑わいが実感として感じられる。
その道を逆に進むと、瀬戸内海から遠ざかるほどに鄙びてくる。地理的な環境が社会を変えるというのが実感できる光景だ。

さて、その土讃線の端っこにある窪川で名物の四万十ポーク料理を食べた。和風ハンバーグは、まさに豚肉向けのやさしい味付けだった。ハンバーグを食べながら思ったことだが、実は現代日本で「鄙」と言われるほどに、文明文化との隔たりがある場所は存在しない。高知県でも、かなり西に行った地方の町で「美味しい洋食」を当たり前のように食べられる。ハンバーグにに白飯と味噌汁がよくあっている。都会の定食屋よりうまいと思うくらいだ。
インターネットの普及とと自動車交通により、都会と田舎の情報格差・時間的距離はほぼなくなっている。残っているのは、地方都市に住まう人たちの心理的な距離感、あるいは時間というものに対するゆとり感覚だけだろう。
大都市での勤務者経験からすると、地方都市の時間感覚は明らかに緩い。おおらかと言えばおおらかだが、寸暇を争うビジネスタイムで生産性の勝負をしてきた経験からすると、時間の無駄使いにも見える「ゆっくりタイム」が流れている。
おそらく都会と田舎の差で最後に残っているのは、この急かされるような時間感覚、1秒も無駄にしてはいけないという時間貧乏的な発想をするかどうかにある。もちろん、都会人の時間貧乏は、人として精神的に貧乏な暮らしを招くと思う。だが、なかなかその癖が抜けきらない。地方都市の人と仕事をするときに感じる一番のギャップでもあるかなあ。
だから、そんな時間貧乏を解決しようと、たまにローカル線ののんびりした旅をする。そうすることで、自分の時間耐性の調整を取ろうと思うのだが。たかだか一時間程度の鉄道旅では、焼け石に水らしい。おそらく、一年くらい「田舎の町」で暮らせば、時間貧乏も抜けそうな気がする。