街を歩く

オヤジ好みという「だけ」の店

新宿歌舞伎町、靖国通りに面したビルの地下に「養老乃瀧」の店があった。二十四時間営業で、いわゆる昼飲みをするときには重宝していた。そこがコロナの煽りで閉店して、次に一軒目酒場に置き換わった。養老乃瀧はなかなか不思議なメニューが並んでいて、実はひっそりと一人飲みをするときには好みの店だったのだ。一軒目酒場が悪いとは言わないが、ちょっと残念だ。
その入り口の看板に目が止まり、あれアレと思った。「おやじが喜ぶ」という言葉に嘘はない。若い客も多いが、圧倒的におやじ客が中心の店だから、看板に偽り無しだ。ただ、その次に書かれている「酒と肴だけ」とはどういう意味なのだろう。書かれたまま理解すると酒と肴以外にはメニューにないと読める。つまり、飯はない。甘味・デザートもない。ノンアル飲料もない……………ということだろうか。実際には、この全てがメニューにあるのだから、「だけ」の解釈がまちがっているようだ。

この「だけ」というフレーズはあちこちに使われているから、いわゆるブランドコピー、ブランドの簡易説明ということだろう。多分、全店で同じ言葉が使われているはずだ。となると、だけの解釈はどうすれば良いか。ついつい悩んでしまった。
思いついた仮説だが、「酒と肴だけ」は提供するので、愛想の良いサービスとか行き届いた接客とか気持ちの良い応対を一切拒んでいる……………でよいのか?確かに、今この店では注文をするとき、基本的に口頭では受け付けない。例外は最初の一杯の注文だけだ。後は、全てスマホアプリを利用する。
注文ミスもないし、会計はすぐにできるし、いいことだらけでスマホ注文はなかなか一人飲みには快適な仕組みなのだから文句はない。不愉快な思いをする接客トラブルはない方が良いと考えると、「No 接客」が「だけ」の意味なのだろうか。
しかし、ITリテラシー低めのおやじにはウケないかもしれないなあ。意外と世の中のおやじはベタで濃厚な接客を喜ぶ奴が多いようだし。(個人的には下手な接客よりスマホ注文の方がストレスがないので好みだ)

あれこれ「だけ」の意味合いを考えながら、本日の獲物を物色していたら、青パパイヤの炒め物というのがあった。東南アジアでは野菜的に使われる青パパイヤはなかなかの好物で、キリッと酸っぱい青パパイヤ・サラダも良いが、肉と炒めるとこれまた表現しがたい旨さを感じる。
なんと、出てきたのは醤油味なので、きゅうりやメロンのような瓜系の野菜的な感じがした。これを年間定番にしてくれないかなあ。

ナスの揚げ出しもなかなかの好物だが、今回は揚げなすとニンニクの煮物?を発見した。これは出てきて二度びっくりした。想像していたのは茄子がほとんどで薄切りのニンニクが香り漬け程度に入っているものだ。実際には写真の通り、ナスとニンニク(それも丸のまま)がほぼ同量という感じで入っている。
確かに、おやじが喜ぶ肴だろう。ただ、家に帰ると嫌われるほどニンニク臭くなるのは間違いない。なので、普通に暮らしている(家族同居)おやじ向けではなく一人暮らしのオヤジに限定した方が良さそうなメニューだ。

確かに翌日のトイレで、こいつを食べたことを鮮烈に思い出す刺激的なメニューでもあるから、短期記憶が危うくなってきているオヤジ世代には大切な「肴」かもしれない。
しかし、「だけ」が気になるなあ。

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