街を歩く

多分8年ぶりの赤羽駅

赤羽駅はよく利用していた。仕事柄、埼玉県にある店舗周りをする時、特に出先からオフィスに戻る時にこの駅で乗り換えることが多かったせいだ。乗り換えの時間を使い、ランチタイムを逃した食事をとることも多く、赤羽駅駅ナカのお店は重宝した。
ちなみに都内の大型ターミナル駅、新宿、池袋、渋谷は駅の外は大繁華街だが、駅ナカが意外としょぼい。特に食事に関しては、どの駅も使い勝手が悪いと思う。店のセレクトにも疑問が残る。
品川や東京、上野といった都内東側の駅と比べると西側ターミナルは「しょぼすぎる」のだ。そのしょぼさと比べて都内北部の「赤羽」、そしてその先にある「大宮」はなかなかコンパクトにまとまった良い駅ナカになっている。
今回は久しぶりの赤羽だったので、まずは駅構内をぐるっと歩いて回った。当たり前の話だと思うが、外食業にとっては試練の3年、コロナショックの影響がもろにでていた。記憶の中にある店がほとんどなくなっていた。その閉店ラッシュを生き延びていたのだ立ち食いそばだったというのは、コンセプトの強さなのだろう。
さすが高速回転業態は強いなと思ったのだが、中に入ってみると「立ち席」はなくなっていた。おそらくコロナの時期に、間仕切りをつけるという「例の都知事の悪法」要請があったための変化ではないか。そもそも立ち食いそばで、蕎麦を食べながら隣のおっさんに話しかけることなどないだろうに。もはや懐かしい「3密」だが、あちこちに残るアクリル板が、当時の行政の無能・無法ぶりを思い出させて腹立たしいのだ。
どこかの立ち食いそばで目にした「黙食」をいう貼り書きに、フンと鼻で笑ったことを思い出す。そんな客を無視した表現が消えたのだけはマシだが、そもそもそんな標語を張っていた店は、店ごとなくなっている。

いつものようにコロッケそばかかき揚げそばにしようかと券売機の前で考えていたら、急に冷たいそば、それもシンプルな山菜蕎麦が食べたくなった。夏はこれが良い。タンパク質と脂分の全く見当たらない蕎麦だが、蕎麦の本質とはまさにこれではないかと思う。断食修行していた僧侶が修行明けに食べるべきご馳走みたいな気分がする。
夏休みの中の日曜ということもあり、なぜか駅そばには似合わない小学生の子供を連れた家族がいたり、ソロで蕎麦を食している女性がいたり、昔の駅蕎麦のイメージとはずいぶん違っている。ただ、この辺りが赤羽っぽさかもしれない。

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