世間では大型連休の真っ最中だが、我が人生ではもはや週末、連休とは外出を避け(混雑しているので)家で大人しくしているものとなった。だから、全くウキウキしない。逆に早く終わってくれないかなあなどと思うようになった。人生も時期によって過ごし方は変わるものだとおもいしらされる。

さて、ちゃんぽんの全国チェーン店に、たまたま続けて行くハメになった。どちらもフードコートの店で、ラーメンを食べようとしたらラーメン店がなくなていたり、凄まじい行列ができていたせいだ。
これを業界用語(笑)ではセカンド・チャンスという。例えばフードコートで大人気のラーメン店(他の業態でも良い)があり、そこでは待ち時間が30分かかるとする。すると、そこに「待たずにすぐ買えるラーメン店」を出店すると、まさに漁夫の利を得て、そこそこ繁盛するというものだ。超繁盛店のおこぼれをもらうコバンザメ商法と言って良いかもしれない。今回のちゃんぽんは、まさにそう言った利用動機で食べることになった。何が何でもちゃんぽんが食べたいという、エッセンシャルなモチベーションが(ちょっと偉そうにカタカナ連ねてみました)存在したわけではない。
個人的にはちゃんぽんが好きだし、このチェーン店もよく利用している。だから商品に文句はない。だが、今回の春向け商品はちょっとすごかった。
たまたま「味噌味ちゃんぽん」を食べたことがなかったので試してみようと注文してみたのだが、従業員が「あと〇〇円で、コーンたっぷりの季節商品になりますよ」とセールストーク。マニュアルに忠実な良い従業員だ。基本的にセールストークは断らないことにしているので、言われるままにコーントッピングの味噌ちゃんぽんに変更した。
そして、手に入れた商品を見て絶句する。ビジュアルが……………凄すぎる、黄色すぎる。おまけに食べてみたら、味噌の味がしない。普通のちゃんぽんと違う味だということはわかるが、何だか思っているものと違う。とんこつラーメン店ではよく起こる現象で、スープと味噌のバランスが取れないことが多いようだ。どちらも主張の強い味噌と豚骨スープがケンカしているというところだろう。
おまけに、コーンが多すぎて食べるたびにコーンの味が混じりこむ。騙されたとまでは行かないが、ちゃんぽん世界の北の果てに飛ばされた、みたいな気分になった。

次の機会には、真っ当なオリジナルを注文しようと、ちゃんぽん(並)、何のサイド追加もなしで頼んでみた。食べてみれば、ああ、これぞまさにちゃんぽん的な安心感がある。
ただ、どうもコロナの時期にあれこれと商品改良をしてテイクアウト対応可能にしたせいか、何とも言えない違和感というか微妙な味の違いを感じる。これは物理的な変化というより、情報を入れたせいで味の判断に予断が入っているということかもしれない。たとえばスープの温度は同じであっても、油を変えると舌にまとわりつく感じが変わるので、熱さぬるさの判断が変わってしまうみたいなことだ。炒め油にしても動物油と植物油による味の違いは、そんなところに出てくる。
食べて感じる熱さや温度は物理的に変化がないのだろうが、舌が感じる体感温度みたいなものは異なる。だから、知識や情報が味に影響するというのは、些か悲しいものがあるのだが、それも脳の機能というものだ。職人がフライパンを振る調理法と、専用機械で均一に加熱する自動調理の間には、やはりまだまだ差があるらしい。
それでも機械化された方が、出来上がりのブレが少ない。職人芸に至らない素人もどきが作る素人芸(不味い商品)にぶち当たるよりは機械が作る一定品質の方が数段上だろう。

最近では我ながら呆れるくらいなので、もう少し事前の情報を無視して、単純にうまいまずいで物を食べた方が、人生幸せな気がする。
春の桜を見るたびに、あと何回桜を見ることができるだろうと思い始めたらジジイらしい。(ババアの定義はちょっと違うと思うし、よくわからない)今年の桜を見ながら、うまいちゃんぽんの未来に思いを馳せることになったが、それは残りの人生の過ごし方としてあまり面白いものではないような気が……………