街を歩く

再建された城を見て思うこと

広島城は、広島の中心部繁華街から歩いて15分くらいの場所にある。この街は原子爆弾の投下により一面の焼け野原になった。当然そのときに、市内にあるほぼすべての建物が消失した。なんとか外観をとどめているものが原爆ドームとして残されている程度だろう。城も当然ながらなくなり、戦後再建された。
広島は近くに帝国海軍の拠点もあり、いわゆる軍都だった。原子爆弾投下の候補地はいくつかあったようだが、概ね軍事施設、あるいは兵器製造施設が目標になっていたようだ。
すでに、東京、大阪、名古屋といった大都市は爆撃機集団に蹂躙されていた。この時点で日本は経済的に継戦能力を失っていたし、人的資源も枯渇していた。そもそも陸軍200師団、つまり200万人の陸軍兵士にタダ飯を食わせるのだから、国力が持つはずがない。現代でもいきなりホームレスが200万人生まれたら社会保障政策は破綻する。

普通に考えてみるとわかるが、原子爆弾投下に至ったのは当時の政権がいかに無能であったか、あるいは現実逃避していたのが明らかだ。結局、二発の原子爆弾投下により継戦派の反対を食い止め、玉音放送で終戦した。
明治政府という戊辰戦争なる暴力革命により産み出された鬼子が、80年余り暴走した挙句に潰えた。鬼子が滅んだ後、つまり戦後になってその亡国集団が、われわれは国を想って行動したなどとほざけるほどの平和の社会になった。ようやくそんな時代が来て城は再建された。全国各地にある再建城をみるたびにそんなことを思う。

再建城の中は歴史博物館的に整備されていることが多い。ただ、再建の時期によっては中の展示物が鼻持ちならない「護国」思想や過去賛美になっていることもあり、基本的に展示を見る気にならない。
この日も入り口だけでおしまいにした。アートならアート、歴史遺産としてなら一方的な被害者史観を廃し事実の展示にして欲しいものだが。

広島城の中に神社があった。広島城は山陽道の要所に作られた防衛拠点であり、また威を誇る大きな平城だった。だから残された敷地の中に神社が置かれているのは納得できる。古代日本では大陸から九州経由で文物が流れる、瀬戸内高速流通網の拠点でもあった地だ。当然、大物の神様が配置されたはずだが、よく考えるとちょっと西に西国最強とも言える厳島神社があるからなあ。この神社の立ち位置はちょっと微妙かもしれない・

広い場内を一周して繁華街に戻ると軽く汗ばむくらいの距離を歩いたことになる。やはりお城の跡地は、ウォーキングやジョギングなどで平和に活用されるのが一番よろしいようだ。

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