街を歩く

困った集団が集まる神社で思うこと

美作国一ノ宮は津山市のハズレの方にあった。静かな境内でお参りする人もまばらだったが、なぜか鳥居の前に屯する高齢者集団がいた。境内の中に入ってこないで、鳥居の下を集合場所にしているらしい。
この神社には鳥居の前に四台ほどの駐車場があり、鳥居脇の坂道を登ったところに三十台くらい停められそうな広い駐車場がある。たまたま鳥居前の駐車場に車を停められたのだが、それが後の災いのもとだった。
なぜか一番端の車の前に二重駐車する怪しい男がいて、その鳥居前の集団とは顔見知りらしく、車を止めてから集団での会話に加わっていた。

拝殿に向かい参拝を済ませたが、境内には他の人影は見られない。静かなものだった。

この神社は国道を離れた細い川沿いの道をたどってくる。ちょいと不便な場所なのだが、津山は岡山から鳥取方面に抜ける中国山地を縦断する街道にあり、古代より続く重要地だった。当然、神社のある周辺は往時の要衝というべき場所だったのだろう。川筋に神社があるというのは水運も盛んだったのかもしれない。
などど考えながら帰ろうとした時、駐車場の前に来ると怪しい光景が目に入った。四台しか停められない場所に、なぜか全台前方を塞ぐ形で二重駐車している。明らかに作為的であり、鳥居前に屯っている大集団(その時には人数が倍以上に増えていた)が、仲間の車だと思い込んで二重駐車を決めているらしいとわかった。


あまりの仕打ちに車に乗りエンジンをかけ、盛大にクラクションを鳴らしてやろうかと思った。ただ、それでは周りの住民に迷惑がかかる。目の前に二重駐車しているのは姫路ナンバーだったので、鳥居前に屯っている馬鹿者集団の前に行って、「姫路ナンバーで駐車している方いますか。車が出せないので移動してください。」と紳士的に声をかける。すると高齢女性が渋々といった形で車を移動させ始めたが、その移動が中途半端だ。移動の距離が不十分なため自分の車を前に出せない。車を降りてもっと下げろと言いにいくのも業腹なの、窓越しに睨みつけたら渋々3mほど車を下げた。


人が集団になると、一斉にクズ化する現象を目の当たりにしたのだ。それが都会の街中の少年ではなく、神社の鳥居前で大声で会話するジジババなのだ。世も末だと思った。こいつらはいったい何を考えて、いや何も考えずにただただ歳をとったのだなあ。薄ぼんやりそんなことを考えながら、細い道を運転していた。
人生の先輩たる団塊の世代は、最後の最後まで何も生み出さないまま「生存本能」だけで生きているのかと、暗澹たる思いになった。美作国一ノ宮はそんな輩に呪われているのかもしれない。祭神様の御霊が健やかであられますことをお祈りいたします。

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