街を歩く, 食べ物レポート

居酒屋 @池袋西口 IWGP

池袋は西口と東口で見せる顔が随分と違う。西口には大劇場があり、その前の公園もイルミネーションで飾りつけられると、どうも異世界感が増してくる。普段の西口のわい雑さはどこに行ったという感じもするのだが、夜は街の顔を美人に変えてしまう。

リアウ昭和がそのまま体験できる「生きた花石」で「生き残った奇跡」

ただ、一本裏通りに入ればそこは当たり前だが厚化粧の美人ではない日常空間が広がっていて、いつもの池袋西口らしい居酒屋がある。この日は長く付き合いのある友人たちと気楽な定例飲み会の日で、ここが会場になっていた。定例飲み会と称して都内あちこちの伝統的居酒屋周りをしている。今回は池袋西口編だった。そして、この店は昭和の空気が連綿と続くThe 居酒屋であり、昭和の絶対空間の生き残りだ。

擬似昭和な飲み屋は大増殖中だ

お目当ての店の横には、大チェーンが運営する二毛作飲み屋の最新バージョンがあった。おしゃれなバーカウンターが売り物だったはずの店が、いまでは暖簾をかけて居酒屋もどきになっている。
どうもこのセンスは、昭和レトロというより文化の揺り返しみたいなものらしい。ミニスカートや厚底ブーツが何十年ぶりにまた流行るみたいなものだろう。当然、昭和を懐かしむジジイを対象にしたものではなく、昭和と江戸時代の区別もつかない若い層向けの新コンセプトだ。昭和のj雰囲気でコンセプトを固めれば、それはもはや怪獣酒場やジャングルレストランと同じ「異空間」を楽しむ場所、テーマレストランの変形になる。そこを勘違いする昭和親父は多いのだが。
どちらにせよ、擬似空間の昭和とリアルな昭和が併存している不思議な池袋西口の光景だ。

まず頼んだのはタコブツとマカロニサラダ。そもそもポテトサラダではなく、マカロニサラダを頼んでしまうのは、我ながら不思議だ。マカロニサラダは炭水化物をおかずに炭水化物を食べるような微妙な肴というかつまみだと思う。マヨとマカロニという組み合わせは、多少なりとも罪悪感を感じさせるヘビーカロリーフードだ。
タコぶつは昔は安い肴の典型だったはずだが、今ではタコはすっかり高級品になってしまった。お気楽に頼める肴ではないのだが。
ダメな居酒屋であれば、細切れなタコが2−3切れしか入っていないこともあり、店によって当たり外れが大きい「困った定番メニュー」だろう。しかし、この店では大正解で、大ぶりに切られたタコぶつだった。タコの存在感がある。えらい。感謝だ。

おかわりの注文も、ど定番ばかりで、オニオンスライスにイカ天Etc. と進行する。いかにもお江戸の居酒屋っぽいものばかりになるが、そもそも目玉商品になるようなご当地名物がお江戸には存在しない。逆に、名物はないけれどドがつく定番があるということか。

最後に注文した煮凝りも、煮魚の残りを気まぐれに出すような店はあるが、メニューにしっかりと載せているところは少ない。自宅でたまにできる鍋の残り物みたいなふやけた柔らかさではない。しっかりとした噛みごたえがあるし、歯応えすらある硬い煮凝りだった。
あまりうまく言えないのだが、この食材の始末の良さみたいなものが、お江戸居酒屋料理なのかもしれない。魚の兜焼きだとか、あら煮みたいなものを食べるたびに感じることでだ。あの手この手で「原料」を使い切る工夫が、うまい物の発明に繋がっている。昭和というより江戸時代から続く、江戸町民の知恵みたいなものではないか。経済都市江戸で生まれた食文化は、その大部分が底辺階級、下級町民向けのものが発祥のような気がする。蕎麦、握り鮨、鰻にどじょうなどなど。貧乏な独身男性向けの立ち売り商売が発祥だと聞いている。お殿様向けの高級料理は、お江戸が京都を越えることができなかった。だが、大金持ちの商人が生み出したお江戸食い道楽は今でも残っているようだ。今ではどじょうもウナギも握り鮨も庶民のものとは言い難いけれど。

そんなお江戸文化論を頭の隅に置きながら昭和な居酒屋を出てみれば、そこには二十一世紀日本の大都市文化が広がっている。池袋西口は本当に不思議空間なのだなあ。

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