街を歩く

PARCOのポスター展 

自宅近くのパルコが閉店する。開店から閉店までしっかりお付き合いをしたことになる。ちょっと気になってパルコの沿革を調べてみたら、池袋パルコ開店が69年、渋谷パルコが73年だった。75年に開いた札幌パルコが、自分にとってのパルコ初体験で、自宅近くのパルコが83年開店。振り返れば我が人生はパルコと共にあると言っても過言ではない。
本当か(笑)と突っ込みたいところだが、確かに自分の中のカルチャー・ポップな文化という言葉は、ほぼパルコと同義だった。よく時代が変わるとか終わるとか言われるが、それを自分ごととして捉えたことはない。ただ、このパルコの閉店は、まさに自分ごとのような気がしている。
その閉店間近のパルコでポスター展が開かれているのだが、これがまたしょぼいというかひっそりというか、普段使うことのない「階段」の壁を使っての展示会だ。それでも気になって見に行ったら、懐かしいさに涙が溢れそうになった(笑)

すでに亡くなってしまった津田沼パルコのオープンポスター

エアブラシを使ったイラストは70年代を象徴する画法?だと記憶している。この後、スーパーリアルという技法に進化していきSFチックなイラストが大量出現したはずだが、それも今ではCGに置き換わっている。時代だなあ………
でも、この絵柄はなんとなく懐かしい。実物は見たはずがないのだが。ひょっとすると札幌パルコで張っていたのかもしれない。

この手のシンプルなコピー使いは、パルコの独壇場だった。パルコが文化だと信じていた頃の記憶だ。西武セゾングループが若者文化の発信者、擁護者であった時代で、老舗百貨店の野暮ったさとは好対照だった。サブカルチャーなんて言葉も覚えたし、たまにはエンタメ系ではないメッセージ色の強い映画を見に行ったりしたのも、間違いなくパルコ文化の影響だった。

このパルコ文化と並行して読み漁っていたのが、昭和軽薄体と言われていた椎名誠氏のエッセイだった。相変わらず山に海に出没している元気な高齢者に成長されたようだが、自分の中では椎名諸策とパルコが同じ系統の文化として完全に同期している。
パルコの広告はテレビのコマーシャルでもたっぷり見たはずなのだが、なぜかポスターの記憶しかないのが不思議だ。
自分が広告関係の仕事に関わっていた時、頭の中のお手本はパルコの諸作品だった。いつかはあんなCM作ってみたいなあ、などと思っていたが……………

そういう意味で、パルコのポスターはメッセージが強い。伝達力が桁違いだと思っていた。これに匹敵するのは、全盛期の新幹線広告くらいだろう。それが国鉄期だったかJRに変わってからだったか記憶は曖昧だが。
広告が社会的、文化的なメッセージ力を持っていた最後の時代かもしれない。

階段で連張されているポスターを見ると、妙に悲しいものがある。なんといえない切なさを感じてしまう。どこかの現代美術館で額装して展示してくれないものだろうか。
まあ、実際には広告ポスターなので、消費され使い捨てられる運命にあるものなのだ。だから、それを美術品扱いしろと言うのも仕方のないことだが。
やはり、ちょっと寂しい。

これが40年前の開店告知ポスターのようだ。ガンガンの夏かあ、確かにあの夏は初めて関東に来て体験した亜熱帯な夏だったので、不快な湿度の記憶しかない。ガンガンというよりジメジメという言葉が似合っていると感じていた。早く金を貯めてエアコンを買うのだと決心したのを覚えている。
扇風機の風が全く涼しく感じられない、寝苦しい夏の夜とパルコの記憶はリンクしたままだ。
ポスター展示最終日は閉店日、あと何回か見に行くことになるだろうなあ。

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